今朝君に三度会う

煙 亜月

今朝君に三度会う

「起きた? おはよう」呑気な声。

「えっ、と。誰だっけ?」

「誰って、あたしはあたしだよ」


 頭が痛い。この人、誰。ここはわたしの家だけど。

 緩慢に記憶が蘇ってくる。


 二次会からの帰り、電車もなくなり、この人をわたしの家まで連れて行ったのだ。――なるほど。思い返してみると、けっこう面倒なことをしてしまったね、ゆうべの自分。

 ため息と嘲笑が同時に漏れる。


「ね、なんか食うもんある? てきとうに作っちゃっていい?」と、かの女はiQOSアイコスを吸いながら訊く。


 図体を介抱してわたしのワンルームまで連れてゆき、せっかくのシングルベッドをあてがったのに、人の部屋でiQOSを吸っている。ほんと、お客様だね。心の中で舌打ちをする。


「コーヒー? それか紅茶?」と重ねて訊かれる。

 勝手知ったる我が家のように、というのか。

 それにしてもかの女は手際よくトーストやコーヒーの準備をする。


 拾ってきたのはいいんだけど、これは厄介な手合いかもしれない、いや、そうだろうね。でもこんなもんだろう、酒の勢いで意気投合した挙句、飲み屋が閉まるってんで持ち帰った分には、ね。


「あんたのスマホ、画面真っ暗になってたよ。いま充電してるから」

 座卓の脇の電源タップを顎でしゃくる。そこまで頼んだ覚えはないよ、ほんとにないよ。


 かの女はやや寝乱れた長い髪をかき上げてから「ごめん、iQOS、換気扇のとこで吸った方がよかった?」と訊く。遅くない?

「換気扇なら、まあ、いいけど」


「あのさ」かの女に話かける。

「ん?」

 酔いは完全に醒めている。かの女は換気扇の下、iQOSを吸いながら背中で聞いている。

 わたしは「きのう、楽しかったよね。でもあなた、あんなに飲んじゃ潰れるに決まってるじゃない。ああ、しかし、わたしがどれだけ苦労して四階まで運んだことか」と努めて明るくいう。

「ふ、む」

 かの女はすこしうなると振り返って腕組みをし、iQOSをおとがいに当てる。そのかんたんな所作にさえ品性が見える。練習の賜物か、才能か。前者はちょっと厄介だし、後者も後者で面倒だな、色々と。そう、色々とね。


「記憶ね、うん、どうかな」換気扇を回していても、かの女のiQOSのにおいが部屋にこもる。嫌いではないが、好きでもない類いのにおい。


 夏祭りのにおいだ。焼きとうもろこしのにおい。夏祭りは迷子にならないことが至上命題だった。親の手をぎゅっとつかんだ手は緊張で汗ばんでいた。楽しめるはずもない。躾の厳しい家で迷子になるなど、言語道断。焼きとうもろこしとか、ソース焼きそばとかのにおいは、当時の制約や拘禁、今になればそれらトラウマの惹句なのだ――そんな風に書くと大仰だけど、でも本当だったんだよね。


 トースターがちん、と鳴る。かの女は、拾い物はトースターから食パンを二枚取り出す。

 朝はしっかり食べなきゃね、と母はいっていた。だから朝食はいつも四枚切りだったし、バンド仲間と一緒に家を出てからも五枚切りの中途半端さや、六枚切りの頼りなさには辟易したものだ。ま、おやつにはいいんだけどさ。


 マーガリンやジャムを塗っていただきます、と手を合わせる。ところが目の前の居候、というか拾い物はせっかくのトーストには手をつけず、首を鳴らしたりスマホを見ていたりする。


「まあ、たしかにあたし、記憶は多少飛んでるけどさ」といい、さらに「どれくらい飲んだか思い出せないし。でも二日酔いはしてないよ。吐き気もないし、パンは美味しいし」といって締めくくる。


 パンが美味しいのはあなたの努力ではないし、むしろあの居酒屋からここまで事を運んだ、わたしが寄与したものだと思うのだけれど。それに第一あなた、まだパンを食べていないじゃない。


 わたしはカップ半分残ったコーヒーに低脂肪乳を注ぎ足し、さらに氷を入れる。

 拾い物がいう。

「じゃあ質問タイム、交替。この際だから嘘偽りなくいおうよ。まず、そうだな、あんた誰」


「誰、って――そんな、ほんとに憶えてないんだね。いや、ちょっと笑えるわ。でも、ああ、笑えないか。わたしね、合コンの二次会だったの。あなたも同窓会かなんかの二次会で、本命的なメンバーのグループにあぶれたとか、なんかそんな感じで、そういう枠同士、意気投合したっていうか。店のオーダーストップすぎたから、じゃあそろそろ、ってなったんだけど、あなた完全に潰れててみんな困ってたの。で、女の介抱ならやっぱり男じゃなくて一応、女同士のほうがいいっていうから」


「やめて」

 黙って聴いていたのに、表情が険しくなって、


「もういい、やめて。あんた、もう出てって。あたしの妹を出して」


 と、決然といった。


 わたしは強烈な眩暈と浮遊感に見舞われる。身体はふわあ、と浮いているのに頭の重さは尋常ではなく、わたしは全身が一挙に脱力してカーペットに倒れこむ。


「う」


「起きた? おはよう」


 わたしは布団のなかでもぞもぞと動く。

 明るい。コーヒーや、トーストのいいにおいがするから、朝なのだろう。そういえば昨夜、飲み専のわたしは料理にはあまり手をつけていなかったのだ。お腹がきゅる、と鳴る。胃が痛い。


 わたしは蘇りつつある記憶を辿る。そういえば昨日、痛飲したのだ。


「えっ、と。誰だっけ?」

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