村人の宿命

エノキスルメ

村人の宿命

 村人。それはこの世界の人口の大半を占める存在。


 取り立てて目立つわけではなく、何かに秀でているわけでもない。社会の大多数かつ脇役として、ただ慎ましく、謙虚に、勤勉にあり続ける。農業に勤しんで日々を淡々と生きる。そんな存在。


 村の中で家と畑を往復する、毎日が同じくり返しの生活を送るだけの存在。


 それでも彼らは、そんなくり返しの日々に満足し、平穏を享受する人生を噛みしめながら生きている。


 ドーラ村に住む少年アレンも、そんな村人の一人だ。優しい父と母、可愛い妹のミリィと、四人で幸せに暮らしている。


「お兄ちゃん、起きて! もう朝だよ!」


 アレンの一日は、こうしてミリィに起こされることで始まる。


「んん……もう朝か」


 毎日同じようにミリィに揺り起こされ、毎日同じように呟いて起きる。変わらない朝に幸福を感じながら、アレンはベッドから出る。


「父さん、母さん、おはよう」


「ほらアレン、ミリィ、顔を洗って朝ご飯を食べなさい」


「俺は先に畑に出るぞ。アレンも食べ終わったらすぐに来いよ」


 このやり取りも毎日のことだ。テーブルについたアレンは、一足先に農作業に向かう父を見送り、母が出してくれるパンとスープの質素な朝食をとる。隣にはミリィも座り、美味しそうにパンを頬張る。


 朝食を食べたら畑に出て、暖かい日差しと心地よい風を感じながら、夕方まで一生懸命に農作業に励む。夜には母の作ってくれた夕食でお腹を満たし、眠りにつく。


 アレンは物心がついたときからこの穏やかな日々を生きている。これこそ自分の人生であり、自分の幸福なのだと、満ち足りた気持ちで日々を重ねている。


「ごちそうさま!」


「私も、ごちそうさま!」


「ちゃんと食器を下げるのよー」


 洗濯の準備をしながら呼びかける母の言葉に従い、アレンもミリィもパンの皿とスープの器を水の張られた桶に浸ける。


 ミリィはこれから家で母の家事の手伝い。そして、アレンは外で父と農作業。いつものように外へ向かおうとすると、


「おや、これは勇者様。ようこそドーラ村へ」


 そんな父の声が外から聞こえた。


 そして次の瞬間、家の扉が開かれ、武装した見知らぬ青年が入ってくる。


 鉄の剣、布のマント、皮の盾とブーツ。そして、頭には黄金色のサークレット。


 それは、勇者だった。


「……」


 アレンも、ミリィも、母も動きを止める。


 勇者。それは神によって選ばれた、運命に約束されたこの世界の主人公だ。


 アレンたちのような村人とは違う。どこまでも自由で、どこへでも行ける。どこまでも強くなれる、魔王にさえも勝てる可能性を持って生まれている。


 勇者は強くて自由。故に、どんな振る舞いも許される。


 そう、どんな振る舞いでも。彼は誰にでも声をかけることができ、どこにでも入れる。王宮にだって出入り自由だ。王の居所にさえ入れるのだから、村人の家に入ることなど何でもない。


 だからこそアレンたちも、無断で入ってきて挨拶もなく屋内を見回す勇者に何も言わない。


「……」


 寝室も居間も台所も全てが一部屋にまとまっている小さな家の中を見回した勇者は、楽しげに物色を始めた。


「おっ、パンがある。それにチーズも」


 台所を見て回り、食料を勝手に手にとっては鞄に放り込んでいく。勇者の鞄は魔法の鞄だ。分厚いパンや塊のチーズを収納しても、ぺちゃんこのままで実に軽そうだった。見た目に反して、あの中にはきっと色々なものが入っているのだろう。


「おお、毒消し草だ。薬草まであるぞ。ついてるなぁ」


 棚の物色を始めた勇者は、備蓄の薬草類まで鞄に放り込み出した。


 薬草類は高級品というわけではないが、村人にとっては決して安い物というわけでもない。あの薬草や毒消し草も、アレンの両親が地道に節約して金を貯め、購入し、保管していたものだ。アレンたちの農作業中の怪我や、まだ幼いミリィの病気に備えるために。


「……っ!」


 いくら勇者とはいえ、黙っていられない。アレンがひと言文句を言おうとすると、その腕を母が掴んだ。


「……」


 アレンが振り返ると、母は小さく首を横に振る。勇者に逆らってはいけない。こちらから声をかけてもいけない。そう伝えているのだ。


 それはこの世界に生きる者の掟だ。アレンも当然知っている。物心ついたときから、何故か知っている。


「……っ」


 だからこそ、アレンはぐっと堪えた。


 村人は同じ日々をくり返す。自分からは生活に変化を起こさない。平和なドーラ村には、普段は変化など起きるはずもない。


 唯一のイレギュラーは、こうして訪れる勇者だ。彼は唯一人、この世界に能動的に変化を起こせる存在だ。しかし、それは彼が勇者であるが故のこと。


 彼が何をしようと、村人のアレンがそれに反応してはいけない。自ら行動して変化を起こしてはいけない。これは村人の宿命だ。


「さて、後は……こっちの棚か」


 勇者はベッドの傍にある棚に歩み寄り、また物色を始める。


「おっ! 100ゴールドだ!」


「……ぁ」


 棚の三段目を開け、中から硬貨を取り出した勇者が笑う。アレンは思わず、ほんの小さく声を漏らした。


 あの100ゴールドは、アレンの結婚資金だ。いつかアレンが大人になり、隣の家の幼馴染の少女と結ばれるときのために、両親がコツコツと、少しずつ貯めてくれている大切なお金だ。


 このくり返しの人生の中で、遠い未来にいつか起こると定められた変化のためのお金。それを、勇者が勝手に持ち去ろうとしている。


「んー、他には金目のものはなし、と。たった100ゴールドかぁ。しみったれてる家だなぁ」


 挙げ句にはそんな勝手極まりない言い草だ。その言葉を聞いた瞬間、アレンは我慢の限界を超えた。


「止めろっ! それはうちのお金だ! 返せっ!」


 ミリィが驚いて目を丸くし、母は青ざめてアレンに手を伸ばす。しかし、アレンは止まらない。勇者に向かって駆け出し、鞄に100ゴールドを収めようとするその手に飛びつこうとして――意識を失った。


 部屋の中から、アレンの存在そのものが消えた。まるで最初からいなかったかのように。


 勇者はそのまま100ゴールドを鞄に収め、平然と家を出て行った。


「……あぁ、まさか勇者様がうちに来られるなんてねぇ」


「ママ、勇者様って本当に何でも持って行っちゃうのね。食べ物も、お薬も、お金も」


「そうねぇ。それが勇者様だからねぇ」


 母とミリィがそんな会話をしていると、そこへ父も入ってくる。


「おい、二人とも。さっき勇者様がうちに入ってたが……」


「ええ、全部持って行っちゃったわ。取れるものは全部。ミリィがいつかお嫁に行くときのための持参金100ゴールドまで」


「そうか……だが、勇者様のやったことだからな。仕方ないさ。お前たちはちゃんと黙って見ていたんだろう?」


「ええ、もちろんよ。それが掟ですから。もし世界の掟に逆らったら、とんでもないことになるんですからねぇ」


「よかった。大事な妻と一人娘が無事ならそれでいいさ」


 母とミリィを抱きしめて、父は笑った。


 ・・・・・


「チーフ、デバッグのときに変な挙動を見せた例の村人のNPC、昨日のうちに削除しておきましたよ。関連するNPCの設定も修正しました」


「そうか。残業させて悪いな」


「いえいえ……それにしても、ゲームの技術の発展はいいですけど、作る側の作業も増えて大変ですよね」


「そうだな。全部のNPCにプロフィールを設定して動かすもんだから、バグが増えて参っちまうよ」


「NPCの設定を掘り下げることで世界観に深みを、ってコンセプトでしたっけ……だからって、これはちょっとこだわり過ぎですよね。ただの村人に裏では名前が設定されてて、隣の家の村人と幼馴染だって設定まで作られてるなんて、誰も思いませんよ」


「それでエンディング後にこの村に入ったら、この村人同士が結婚してるって変化が起こる予定だったんだろう? そんな小ネタまでよく仕込もうとしたもんだよな」


「ですね。こんな辺境の村、エンディング後にわざわざ入るプレイヤーなんていないでしょうに。手間が増えるだけですよ」


「まあ、昔と比べてもゲーム市場も大きくなって、制作予算も増えてるからな。時間と人手をかけてバグをあらって、全部修正していくだけさ」


「ゲームを不安定にする邪魔なNPCはどんどん消しちまえ、所詮はデータだ! って、いつも言ってますもんね、チーフは」


「ははは、だって本当のことだろう?」

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