第101話 目指すべき未来

 色加美の社に蘇芳、五ノ宮の相談役の枯野が到着する。そして真空の解呪には、診断師であり封具解除師の杜若かきつばたが動いてくれた。

 封具もいわば呪物と同等であるため、解呪できるそうだ。


「苦しみを軽減させるとはいえ、無茶をしたな。荒療治に打ち勝てたのは真空殿の心の強さか」


 真空のすぐ横で膝をつき、深紫の衣冠を身にまとう杜若が呟く。その後ろで、深い緋色の衣冠を着用している蘇芳と枯野が同時に眉間のしわを刻む。

 開け放たれた黎明の部屋の中で気を失ったように眠る真空の姿に、華火の胸が締め付けられる。

 二つの呪術を受けた事により解呪も時間が掛かった。その間に蘇芳と枯野への詳細な報告を紫檀が済ませている。


「解呪したとはいえ、匂いは覚えられた。真空殿が仰ったように、華火殿とは距離を置くべきだろう。それに、呪術によって今後精神に影響が出ないか様子を見る必要がある。それは私に任せてもらってもよろしいか?」


 わかってはいる。

 でも、私には、何もできないのか。


 見ているだけ。この状況が情けなくて華火は奥歯が軋むほど噛み締めた。


 頷く蘇芳と枯野へ向けられていた杜若の顔が華火へ移動すれば、彼はぽん! と跳ねるように立ち上がり、一気に距離を詰めてきた。


「早う犬神とのいざこざが落ち着けばいいだけの事。違うか?」

「……そう、です。そのために、私ができる事はいくらでも致します!」


 目の前に迫る一ツ目の紙を貼り付けた杜若へ、華火は叫ぶように返事をする。すると、ふふんと笑った杜若はまた蘇芳と枯野へ顔を向けた。


「そういう訳だ。なので、私から華火殿に質問させていただく」


 私は何か、試されるのだろう。


 再度、杜若と向き合う。彼の後方からは檜扇で口元を隠す相談役達の強い視線を感じ、華火は背筋を伸ばす。


「犬神のために命を捨てるか、仲間のために犬神を葬るか。華火殿はどちらを選ばれる?」


 命?

 犬神を……、小春を?


 自分の生を終える事が犬神のためなのかは理解したくもない。だが、皆の為に小春を犠牲にする覚悟も華火にはない。

 それでも、考えが読めない杜若の顔を覆う一ツ目と向き合い続ける。


「今回は将来犬神の長となる者とのいさかい。銀次様の狙いは、華火殿を小春殿に葬らせる事に意味があるのだろう。犬神の本質は呪い。妖狐を憎ませ、妖狐の長となる者へと増幅された想いをぶつけさせる。達成した時、それは強固な呪いの完成となるだろう。それらの積み重ねが犬神の長の強さになる、と言ったところだろう」


 答えに迷う華火へ、杜若は抑揚のない声で驚くべき考えをつらつらと述べる。

 そのような事がまかり通るなど、無理な話。そう思って蘇芳を見れば、軽く頷かれた。


「杜若殿の仰る通り。銀次様の狙いは何かと単様にご意見を伺った際、妖狐というよりも華火が上手く利用されたとのお言葉をいただいた。銀次様は長としての教育をしているに過ぎないのだろう。それにしては、単様についての極秘とも言える情報が口止めされていなかった。この意味は……」


 そのような教育を、小春は望んでいるのか?


 小春との交流時間は少なかったものの、彼女のいくつもの優しさに触れた。だからこそ、華火には銀次が強要しているとしか思えない。

 しかし蘇芳の声が呟きに変われば、彼の隣に立つ枯野が檜扇越しに耳打ちする。それに蘇芳が頷く。その瞬間、杜若の声が響いた。


「華火殿が生きている限り、このいさかいは終わらない。ならば、いさかいの原因を取り除くしかない。詳しい話を聞いて確信を得たが、黒の痣については、銀次様から小春殿へ特別な呪術が掛けられていると思って間違いないだろう。だからこそ華火殿は、現在の長と未来の長、そのどちらも手に掛ける覚悟があるのだろうか?」


 私が?


 想像するだけで恐ろしく、芯から震える。

 妖同士のいさかいが終わらない場合、力ある者に従わせる結果が待つと聞く。この世界の妖達が安全だと認めるまで、長となる者は処分され続けるのだ。

 人間の争いと同じようなもの。

 だが、この解決方法を望む妖など、もういないだろう。

 

 それに華火は、命を見送る立場。だからこそ、奪うなどという考えは持ち得ない。

 そして、皆にもそのような行為をさせたくない。


 こんな考えを持つ事自体、間違いなのかもしれない。

 それでも私は、他の方法を探したい。

 ならば、新しい道を切り開くまで。


 一ツ目の紙のその奥から、杜若の確かな視線を感じる。そんな彼へ、華火も視線を合わせるように見つめ返す。


「そのような覚悟を、私は持ちません。自分も生きて、銀次様には処罰を。小春には正気に戻ってもらう。そこからまた、話し合いを。きっと一度では解決しません。けれど、諦めません。小娘の戯言かと思うでしょうが、私は本気です。だからこそ、私の覚悟を聞いてほしいのです」


 息を深く吸うと同時に、目を閉じる。

 そして心を決めて、華火はまぶを開いた。


「魂を導く者として、無闇に命を奪う行為は選択肢に入れたくない。奪う事で奪われる日もきっと訪れる。それはまた戦乱の世に戻るだけ。私は、そんな世界は望まない。私はただ、皆と笑い合える世界で生きていきたい。そのためには、どんな事もする覚悟があります」


 井の中の蛙が喚いているだけだろう。けれど、まだ広い世界を知らないからこそ、理想を抱ける。夢を見るのは逃げだが、それでも華火が目指したいのは、ささやかな日常だった。

 この願いは、これからも変わらない。どんなに世界を知っていこうが、華火の心の中に皆がいる限り、変わるはずがないのだ。


 静か過ぎる空気の中に、息を小さく吐く音が混じる。それが同時に三つ聞こえたと思えば、杜若が笑い出した。


「やはり蘇芳殿はよく見ていられる! しかし華火殿から直接言葉を聞きたかったのだ。我々の予想以上の答えで大変満足である。そうと決まれば、私もお役目に取り掛かるとしよう!」


 杜若が視界から消えれば、蘇芳と枯野と目が合う。


「ここへ来るまでに、どのような考えを示されるか話していたまで。華火の今までを考えれば自ずと予想は付いていた。しかし、華火に確認しなければ確実な事はわからない。だが、華火の考えがわかった今、私も相談役として尽力をつくすのみ」

「五ノ宮の者も巻き込まれましたし、真空の意思の強さもわかっているつもりです。なので、蘇芳殿と共に動くとします」


 予測していたとしても、受け入れる選択をしなくていい。それでも聞き入れてくれた蘇芳と枯野に、頭を下げる。

 すると後方から、杜若の楽しげな声が響いた。


「不満そうな顔をしていたが、おぬしらの統率者の考えが知れて良かっただろう?」

「あくまで華火の考えだ。俺らは俺らで動く」

「もうね、変わんないからねぇ。だからね、俺達が華火ちゃんに足りない部分を補ってあげるんだよ!」


 振り向けば確かに呆れたような顔をした青鈍と木槿むくげが、杜若を見下ろしている。

 だが突然、杜若が彼らに触れた。


「精査」

「あ?」

「は?」


 何をされているんだ?


 青鈍と木槿が呆気に取られた顔をすれば、他の皆も同じような反応をしていた。もちろん、華火もだ。

 前回顔を合わせた時、お役目は探り終えた。それならば今、杜若は何故術を使ったのか。その答えを全員が待った。


「ほっほー! これはこれは! 少しばかり足りなくても黙っておくかと……ごほん!」


 杜若の肩がびくんと跳ねれば、わざとらしく咳き込んでこちらを向いた。


「何やら迷いが晴れたような、心が決まるような出来事があったようで。善行は足りておりますぞ!」


 それは、つまり……。


 杜若の名を小さな声で呟く蘇芳を見れば、彼は目を細め頷いた。

 それだけで、華火はこれから起こる出来事に期待してしまう。


「よくぞ腐らずにここまで生きた。これからも自分達が決めた心のまま、送り狐として色加美の統率者と共にあれ!」


 杜若の声の先を、皆が見守る。

 困惑した顔をする青鈍と木槿へ、封具解除師が更に近づく。


解放かいほう


 杜若の声に反応したように、彼らの首に縫われた赤い紐が燃え、消え去る。


「善行とは、誰かの助けとなる事だけではない。心を決め、動く。それがこれからの未来にとって善きものとなるのならば、善行を積む事と変わらないのだ」


 静かな杜若の声。そこに、確かな優しさを感じる。だから、華火の視界が歪んだ。


「迷う魂が少しでも早く本来の逝き先へ逝けるよう、これからも協力してほしい」


 そう言いながら華火が歩みを進めれば、杜若はひょいと横へ退いてくれた。だから思わず、目を見開いた彼らへ飛び込んだ。


「もう、自由だ! 良かったな、青鈍、木槿!」


 送り狐へ戻れたからこそ、最初は統率者として言葉を掛けた。

 けれど今は、華火として声を出す。勝手に涙も溢れるが、青鈍と木槿の呻きと同時に彼らに背中をさすられ、気持ちが落ち着く。


「自由になったら出て行くかもしれねーんだぞ?」

「ほんとほんと! それが嬉しいとか?」

「それでもいい! それが望みなら、私は止めない!」

「馬鹿が……」

「そこは止めるとこじゃないの!?」


 彼らに無理強いするつもりはない。それを何度も伝えてきたはずなのに、不思議な事を言っている。だから思わず顔を見上げれば、どちらにも目を逸らされた。


「そういう訳だ。これから正式に、色加美の送り狐として働いてもらう。おや? 拒否する立場でない事はわかっているな?」


 蘇芳の言葉に、あからさまに月白と裏葉は嫌そうな声を出した。

 だが突然、黎明と玄が動いた。


「やはり、蘇芳殿の読みは当たりますね」


 枯野の言葉に振り向けば、彼はわざとらしく衣冠の袖を持ち上げ、弄ぶ。しかし視線がきつくなれば、外から犬神の声がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【第一部完結】送り狐の統率者〜予言の白狐〜 ソラノ ヒナ @soranohina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ