残暑と道化のマジシャン

桜乃

第1話

 夏の残暑にきらめく噴水の前で、何やら始まった。

さっきまで矢継ぎ早に遊んでいたサッカー少年たちとその保護者たちが、なにかなにかと群がり始める。

 隣にはイヤホンを耳に差し込んで体を弾ませている彼氏がいる。

「ねえ、あれなんだと思う?」

「・・・・・・」

 噴水の前に指をさすが、無視された。

「あ、あした行く洋服屋ってここら辺だと有名なの?」

「・・・・・・あ? なんか言った?」

 爬虫類のような尖った目つきをする彼氏に思わず「なんでもないよ・・・・・・」と拳一個分距離を置いた。

 噴水の前から声が聞こえる。弾んだ男の声。気づけば大きな群衆の塊が噴水をずらっと囲んでいた。第六感というべきか、ただの女子特有の流行りというもの誘われたのかは分からないけれど、いつの間にか私も群衆に混ざっていた。

 騒がしいおばさんや制服を着た学生に囲まれて汗臭さと洗剤の匂いに揉まれる。

「はーい、皆さん。よくぞお集まりいただきました! これより新宿道化ショーを始めます!」緑色の髪はべっとりしている。頬は痩せ墜ちているのに、身長は日本人離れした高さの男がマジックハットを胸に叫んだ。

 道化ショーという言葉の意味は分からないが、どうやらマジックが始めるらしい。

 興味で顔が緩んでいる人。私と同じように言葉の意味をとらえきれていない少年たちも乾いた拍手を奏でる。

 同時に男はマジックを披露し始めた。帽子から鳩が出てきたり、両手の中にハンカチを消したり、口から卵を吐き出したりと、どれもテレビで見たことのあるようなマジックだった。が、彼の努力が伝わったのか、今度は熱と湿気にまみれた拍手が飛び交う。

「ありがとうございます! 楽しんでいただいたようで幸いです!」彼も汗を垂らしながら頭を下げた。

「僕ね、」

 辛辣の表情で男が語りだした。何だろうか。

「自分が何者かわからなかったんです」

 周りがざわつき始める。私は彼の方を見続けた。

「昔からマジックは大好きだったんです。友達に見せれる唯一の特技だったし、深夜番組のバラエティー番組もマジシャンが出てくる会だけは必ず生放送で見ていたんです。でも両親は違ったんです。勉強ができない僕を毎日のように叱っていました。いつしか僕はマジックをやめて、やる気のない勉強をだらだらするようになっていました。幸い成績は上がったんです。教師からも褒められましたし、親もようやく怒ることをやめてくれました。でもね。なんででしょうか。ちっとも嬉しくなかったんです」

 うんうんと首を振る人々。私は頬を下る水滴を拭った。

「きっと偽っていたんです。マジックなんかで食っていけないと、両親たちの意見に甘えていたんです。それで気が付きました。ああ、これが『道化』ってことなんだなって」

「よくあきらめなかった!」「えらいぞ! マジシャンッ!」と歓声が飛ぶ。勢いが無い私はありったけの拍手を彼に送った。

「それでは最後のマジックです。後ろの男性をご覧ください!」

 マジックハットをぎゅっとかぶった彼は柄の入った杖を勢いよく私の彼氏に向けた。

「頑固とは偽り。あの方の本来の正体を見せてあげましょう!」

 噴水の一滴一滴が落ちる刹那。それ以上だろうか。何も見えなかった。

 彼氏が私を抱きしめて泣いていた。

ごめんね、って。それから明日の洋服屋のこともいろいろ教えてくれた。

 初めて見る彼氏の様子に私は思わず笑みをこぼした。

 後ろを振り返る。


 マジシャンはいなかった。

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残暑と道化のマジシャン 桜乃 @gozou_1479

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