30.知りたいことがあるから(終)

 優しい風が頬を撫でる。穏やかな天気とは対極に胸の鼓動は荒々しい。

 学校の屋上に俺と雛森の二人きり。まさかまた彼女とここに来るなんて、昨日は思いもしなかったな。


「能見くん……何の用、かな?」


 いつもの元気が感じられない雛森の声。必死に笑おうとしているのが痛々しい。

 俺の前で取り繕おうとしているのが、とてもつらい。


「あの、さ……」


 勢いでここまで連れて来たはいいものの、いざとなるとすぐに言葉が出なかった。

 とにかく雛森に会いたかった。会って、話がしたかった。そこまで考えたのに、具体的に何を話せばいいのかわからなくなっている自分がいる。

 胸の鼓動ばかりが主張していて、肝心な口は鈍いままだ。


「……昨日のことで、話があるんだ」


 ちゃんと伝えなきゃ。伝えることをおろそかにして雛森を傷つけたんじゃないか。

 それは俺にとっても後悔だ。無暗に雛森を傷つけた。自分の気持ちに蓋をして向き合おうともしなかった。


「……昨日雛森が俺に告白してくれたよな。実は、俺まともに聞いていなかったんだ」


 正直に言うのって気が重い。今回は俺が悪いからなおさら。


「……は?」


 雛森が目を丸くする。いきなりこんなこと言われたらそりゃあ驚くよな。

 彼女からすれば勇気を奮い立たせて告白してくれたに違いない。それをまともに聞いていなかっただなんて、怒られたって仕方がない。

 でも事実なのだ。ちゃんと聞いていなかったわけじゃない。まともに取り合おうとしなかった。それは話を聞いていなかったのと同じだ。


「正直、昨日はあんなこと言ったけど、雛森に告白されて嬉しかったよ。でもそれ以上に雛森は俺のことを勘違いしてるって思ったんだ」

「あたしが、能見くんの何を勘違いしてるの?」

「俺の善意は、心からの善意じゃないってことをだよ」


 あの交通事故。俺と雛森が出会った日。俺がなぜ身を挺して雛森を助けたのか。その理由を知らないから、彼女は俺を美化しているんだ。

 だから、その理由を知ってもらわなきゃならないんだ。


「……中学の時さ、俺は同級生が不良に絡まれてるってのに助けに行かなかったんだ。それを見ていたのは俺だけだったのにだ」


 雛森は俺を見つめている。耳を傾けてくれているのだと判断し、続きを口にする。


「その時の俺は知らなかったんだ。誰かのピンチには、体を張って助けなきゃならないってことに。そんなんだったから、薄情な俺はみんなから責められたよ。当然だよな……」


 言っているうちに、中学でのことを思い出して涙が出そうになる。そんな資格ないってのにな。

 強迫観念みたいに俺の心にあり続ける。常に善意を持って誰かのためにあれ、と。それができなければ、誰にも認めてもらえない。


「……もう一回言うけど、雛森を助けたのは当然の善意だ。みんなが持ってる当たり前の正しい心だ。俺は二度と失敗しないために君を助けただけなんだよ」

「当たり前じゃないよ!」


 雛森の大声が俺の体を震わせた。


「何それ意味わかんない! 何で能見くんが責められなきゃなんないの!? 何で能見くんが命懸けなきゃならないの!?」


 キッと睨まれる。古川さん並みに怖い睨みつける攻撃だった。

 彼女は怒っていた。つかつかと近づいてきて睨み上げられる。


「命まで懸けないでよ。善意って誰かに押しつけられることじゃないでしょ……」


 怒っていたと思っていた顔が、いきなりくしゃりと歪んだ。


「って、何でいきなり泣くんだよ!?」

「能見くんがつらそうな顔してたからじゃん……」


 そう言って雛森は両手で顔を覆った。抑えようとはしているのだろう。微かな嗚咽が聞こえる。

 ……俺、そんなにつらそうな顔してたか。

 全部を詳細に話したわけじゃない。それでも雛森は俺の表情から話以上のことまで読み取ってしまったようだ。どんな共感力してるのか。


「……」


 雛森って、こういう奴なんだな……。

 別に俺まで泣きはしない。でも、彼女が俺のために泣いてくれているのだと思うと、なぜだか少しだけ胸が軽くなった。


「そ、そんなわけで、俺が雛森を助けたのは俺自身の優しさとかそういうんじゃないんだ。本当は薄情な奴なんだから付き合うとかそういうのはやめた方がいいぞ……って話だ」


 なんとか話を戻す。雛森も落ち着いたみたいだし、これで納得してもらえるだろう。

 と、思っていたら雛森に頭を抱えられた。突然のことで抵抗できず、彼女の胸へと顔を押しつけてしまった。


「ひ、雛森っ!?」


 どどどどどういうことだ!? えっ、ちょっやらか…………。

 パニックに陥っていると頭を撫でられた。優しく何度も、雛森が俺の頭を撫でる。


「つらかったよね……ううん、今でもつらいんだよね……。大丈夫……もう大丈夫だからね……」

「……」


 何も言えなくなった。

 ただ思ったのは、雛森の行動は今まで俺が考えていた善意とは違う。でもこれが本物の善意なのだろうということをだ。

 しばらくこの状態が続いた。抵抗する気もなく、ただ雛森に身を預けていた。


「……やっぱり、あたしと付き合おうよ」


 耳元でそう優しく言われて、心地の良い身震いを味わわされた。


「だ、だから俺は優しい人間なんかじゃ──」

「能見くんは優しいよ」


 小さな声量だったのに、俺の言葉は途中で消えてしまった。

 体を離す。雛森のぬくもりが遠ざかり、彼女の優しい表情が視界に入る。


「あたしはね、本当は男の子を好きって気持ちがわからなくなってるの」

「……え?」


 ぽかんとしてしまう。だってそうだろう、最初に告白してきたのは彼女の方からなんだから。なのに男が好きって気持ちがわからないって……どういうことなんだろうか。


「でもね、能見くんといっしょにいると安心するし胸がぽかぽかする……。これは嘘じゃないけど、本当に好きなのか、確信が持てないの」


 どういうことだろうか。やっぱり俺には言葉の意味がわからなかった。


「だから、あたしと付き合って確かめさせて。その代わりに、あたしは能見くんに本物の善意を教えてあげる」

「本物の、善意?」

「うん。能見くんはあたしに感情がごちゃ混ぜになって善意が好意だって勘違いしてる、みたいなこと言ったけど、能見くんこそそこんとこちゃんと区別できてないよね?」


 まあ区別できてるかと聞かれれば、自信はないか……。


「あたしは本物の善意を知ってるよ」


 雛森は胸を張る。本当に自信満々な態度だ。


「あたしには最高の友達がいるからねっ」


 その自信の源を口にした。とても信頼している口ぶりで、すごく羨ましいほどだ。

 手を握られる。ぎゅっと握られて、いつも通りの彼女の元気が伝わってきた。


「試しに付き合ってみようよ。あたしのためじゃなくていいから……自分のために、少しだけ人との距離を縮めてみよう?」


 ああ……、なんという積極性。さすがは金髪ギャルだ。

 冗談。彼女が雛森だからこそだ。本当に人を救うってことは難しいことなのにな……。

 俺は自分でも気づかないほど自然に頷いていた。


「……うん。俺でよければ、付き合ってください」


 人生は予定通りにはいかないものだ。そのつもりはなかったのに、雛森と付き合うことになった。試しに、なので彼女(仮)だけど。

 しかし、これからが本当のスタートだ。自身の認識を変えるには人との付き合いが大切なのだと、俺はこれから雛森由希という女子に教え込まれることになる。


 ちなみに、話に夢中になって気づかなかったけど、とっくにチャイムが鳴っていた。俺と雛森は二人揃って高校生になって初遅刻を記録してしまったのであった。


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善意一〇〇%の金髪ギャル~彼女を交通事故から救ったら感謝とか同情とか罪悪感を抱えられ俺にかまってくるようになりました。え、そんなんじゃないって? ならただの善意だな、と受け入れるようになった男の話~ みずがめ @mizugame218

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