お邪魔虫の恋

はる夏

お邪魔虫の恋

 幼稚園児か小学生か定かじゃないが、友達のシャツの胸にカブトムシをくっつけて、ギャン泣きさせたことがある。

 カブトムシは真っ黒で格好良くて、こんなバッジをつけてやったら喜ぶだろうって思ったんだけど、結果はギャン泣きだし、親には怒られるしで、ガッカリだった。

 カブトムシがダメでもセミならいいかと思って、道端に落ちてる瀕死のセミを、また別の日、バッジ代わりに着けてやったこともある。

 「取って、取って」と半狂乱になるソイツ、ジキッと鳴き声を上げるセミ。取ってやろうにも両手を振り回して暴れられ、セミも必死にしがみついてて取れなくて、結局また親に怒られた。


 オレが虫を好きじゃなくなったのは、確実にその時の落胆が原因だ。

 一方、そいつは逆に昆虫に興味が湧いて、昆虫学者になったっていうんだから、人生どうなるか分からない。


「カブトムシはさ、3齢虫が一番可愛いよね。色白でぷくぷくで」

 丸々太ったデカい幼虫を手のひらの上で可愛がる、白衣の男にため息をつく。

「コレが成虫になると、固くて黒光りしてゴツゴツなのに変わるんだから、不思議だよね」

「言い方おかしいぞ」

 オレのツッコミに、男――角田は軽く笑って、デカい幼虫を飼育ケースの黒土の上にそっと下ろした。指でするっと幼虫を撫でる、その手つきがいやらしい。幼虫もヤツから逃げるように、もぞもぞ土に潜ってった。


 「カブトムシのオスは性欲旺盛で……」とか、「ハーレムにしてやらないと、メスがヤリ殺される」とか、そんなどうでもいい話にうんざりする。

 せっかく整った顔してるのに、30手前にもなって未だに浮いた話を聞かないのは、絶対この虫好きのせいだ。

 飼育ケースの積まれたこの研究室も大概だが、コイツの自宅は壁一面が虫虫虫虫虫だらけの標本だらけで、親すら入りたがらないらしい。

「僕を虫好きにしたのは、キミのショック療法のせいじゃん。朽木が責任取ってよね」

 飄々とした口調で、オレに責任転嫁してくる態度を見ると、虫好きじゃなくてもモテないかも知れない。

 実際、角田とは長い付き合いになるが、女と一緒にいるとこは見たことがなかった。


 子供の頃は、暇があれば虫取りに出かけ、昆虫図鑑を眺めて過ごし。大学に入ってからは、朝から晩まで研究室に入り浸り。たまの休日には「暇だから遊ぼう」って、強引にオレに付きまとう。

 彼女が来てようがお構いなしに入り浸る、コイツの神経は多分、虫並みなんだと思う。

 無駄にイケメンだから、歴代の彼女も意外にヤツを歓迎してて、「あれ、角田君、今日はいないの?」と、たまの不在には言われたものだ。

 オレんちに上がり込むだけじゃなくて、外でデートする時にもついて来た。映画、カラオケ、遊園地……思えば、どれも角田と彼女と一緒だった。

 別に意識して邪魔するとか、会話に割り込むとかじゃなく、ホントにすぐ後ろを飄々と付いて来るだけだが、邪魔は邪魔だ。デカいから余計に目障りだ。

 けどそう言うと、大概「邪魔って失礼でしょ」って、オレが彼女に怒られるんだから、理不尽なものだ。イケメンは得だとしみじみ思う。


 なんでオレに付きまとうのか、前に訊いたら「好きだから」って。

「虫と同じくらいキミが好きだ」

 そんなことを言われて喜ぶ人間が、この世に存在するんだろうか?

「お前、そんなセリフ、女相手に絶対言うなよ?」

「言う訳ないじゃん」

 オレの忠告に角田が肩を竦めたのは、もう何年も前のことだ。

「脊椎動物のメスには興味ないよ」

 ふん、と笑ってバカげたことを言い放つ、残念なイケメン。それがオレにとっての角田という男で、どうやらそのスタンスは相変わらずのようだった。


「それで、どうしたの今日は?」

 幼虫に触れた手を洗い、角田が元の事務イスに座った。

「ああ、これ。直接渡そうと思ってさ」

 カバンの中からちょっと豪華な封筒を取り出し、宛名が見えるように差し出す。結婚式場のテンプレの封筒だ。角田は、自分の名の書かれたそれを受け取って、一瞬端正な目を見開いた。

「これ……」

「ああ、来月結婚することになった。何もかも急なんだけど、子供がデキちまって」


 照れ隠しに頭を掻くと、角田は黙ったまま、封筒の裏表をくるりと返した。封の下にはオレと彼女、2人の名前が書いてある。

 反応をうかがってドキドキするけど、自分でも唐突だと思うんだから仕方ない。オレだって、彼女から妊娠を告げられた時はビックリした。

 けど歴代の彼女同様、その彼女とも角田はさんざん一緒に遊んでるし、今更驚く程でもないだろう。

 やがて角田はため息と共に、「そう……」と呟いて顔を上げた。


「おめでとう。カマキリのオブジェでも贈るよ」

「やめろ、シャレになんねぇ」

 いくら虫に興味なくたって、カマキリのメスが交尾の後に、オスを食い殺すことくらい知ってる。実際は100%って訳じゃないらしいけど、そういう問題じゃないだろう。

 どんなオブジェか想像するのも御免だが、そんなのを結婚祝いにされるのも御免だ。

「交尾中にオスの首を刈り取ると、ショックで痙攣して、より多くの精子を搾り取れるらしいよ」

 とか。ゾッとする話を淡々と語るのも、いい加減にして欲しい。

「それに対してミツバチのオスは、交尾の後もげて死ぬ」

 とか。

「聞きたくねぇ」

 バッサリ会話を斬り捨てると、角田はいつもの調子でふふっと笑った。

「あ、ミツバチのペアグラスの方がいい?」

「あのな」

 カマキリよりはマシな選択だが、もげるとか聞いた後じゃ歓迎できない。しかもガラス製品って、二重に縁起が悪いだろう。粉々になってもいいってか?

 まったく、相変わらずの悪趣味にため息が漏れる。なんでこんな男と、長いこと友達やってるんだろう?


 一方の当人はというと、オレのため息に少しも反省した様子がない。

「で、なんでわざわざコレ、持って来たわけ?」

 封筒をつまんでちらちら振られ、皮肉げに訊かれたけど、「お前のせいだろう」と声を大にして言いたい。

「だってお前、滅多に家に帰らねぇじゃん。ここに籠ってるか、オレんちにふらっと遊びに来るかなんだから、お前んちに招待状送ってもムダだろ」

「分かってるじゃん」

 悪びれない様子も、淡々と言い放って薄笑いを浮かべるとこも、ホントに子供の頃から変わらない。

 さすが朽木、と誉められたけど、ちっとも嬉しくなかった。

 きっと放っとくと、出欠の返事すら返さないまま、当日ふらっと現れたりするんだろう。それで「席がない」とか言うと、周りの女達からオレが責められるに違いない。

 だてに20年以上、コイツと友達やってる訳じゃないのだ。オレだって学習する。


「大体お前、なんで家に帰らねぇの?」

 オレの問いに、角田は「うるさいから」って肩を竦めた。

「恋人はいないのかとか、いつ結婚するのかとか、見合いしろとかうるさい」

 きっとうるさいのは、角田の母親だろう。

 昆虫だらけになってく部屋にサジを投げ、「掃除もしたくない」とぼやいてたのは、オレらが中学の頃だったか。

「そりゃ仕方ねぇよ」

 思わずぶはっと吹き出すと、じとっとした目で睨まれた。

 なまじイケメンだけに、ホントもったいない。その顔でにこっと笑ってやれば、恋人の1人や2人、簡単にできそうなのに。

「マジな話さぁ、虫ばっか構ってねぇで、いい加減女作れば?」

 くくっと笑いながら言うと、「はあっ?」とますます睨まれる。

 顔立ちの整った男が睨むと、その凄みも半端ない。ちょっと怖いなと思った時――。


「キミが好きだって知ってるくせに。よくそんなこと言えるね?」


 いつになくキツイ声でなじられて、その唐突さにドキッとした。

 何をバカな、と反射的に言い返そうとしたが、ちらっと思い出したことがあって、寸前で踏みとどまった。

『虫と同じくらい好きだ』

 いつだったかそう告げられたのは、もしかしてそういう意味だったのか? オレが冗談に取ったのも分かっただろうに、どうしてその時に言わなかった?

 いや、本気だって言われたところでどうにもしようがなかったし、拒むしかないけど、なんで今更そのことを?


 言葉に詰まって何も言えないでいると、「はあー……」と大きくため息をつかれた。

「もういいよ。朽木が無神経なのは今に始まったことじゃないし。ゴキブリのメスの方が、よっぽど可愛いし。大体、さんざん邪魔しても結局こうなるんだから、諦めるしかないでしょ」

「邪魔って……」

 もしかして、今まで彼女がいても平気でオレに付きまとってたのは、空気読まないとかじゃなくて、わざと邪魔してたってことか?

 ざあっと鳥肌が立ち、緊張でノドがカラカラになる。

 目の前で手渡した、結婚式の招待状。その意味が一気に変わって、身動きが取れない。

 謝るべきなのか、責めてもいいのか、判断に迷う。

 無神経とかゴキブリ以下とか聞こえたが、それよりショックが大き過ぎて、いつものようにツッコむことすらできなかった。


 キィッ、と事務イスを軋ませて、角田がふらっと立ち上がる。

 ビクッと身構えたけど、オレに対して何かするとか、そういうんじゃなかった。こっちをちらっとも見ないまま、角田は長い足でゆっくり歩き、壁際に置かれたオープン棚の方に向かう。

 そのオープン棚の上下5段に、ぎっしり積まれた飼育ケース。それらを覗き込む角田の顔は、こっちに背中を向けてるせいでよく見えない。

 普段から何考えてるか分からないヤツだけど、そんな風に背中向けられると、余計に何も分からない。

 白衣の背中が少し丸まってるようにも見えるけど、元から猫背気味だった気もした。


 デキ婚の報告をしに来ただけなのに、なんでこんな、気まずい思いをしなきゃいけないんだろう?

 「おめでとう」とは言われたけど、心から祝っては貰えないのか?

 オレたちの関係も、変わっちまうんだろうか?

 ――もう、オレんちに入り浸ったりしないのか?


 思えば幼稚園に入る頃から、春も夏も秋も冬も、ずっと角田とは一緒だった。誰が遊びに来ようと、誰と遊びに行こうと、いつも大体コイツはオレの側にいた。

 結婚しても、子供が生まれても、ずっとそれは変わらないと思ってたのに。もう、この奇妙な関係はなくなってしまうんだろうか?

 それはイヤだなと、ちょっと思った。

 断じて恋じゃないし、何度「好きだ」って言われたって、同じ思いは返せない。けど、今更角田のいない日々なんて、考えられない。

 それは結婚する彼女も多分、同じで。

 このまま角田を失えば、いつかそのことが原因で、オレらの仲も終わるような気がした。


 いろんな考えがぐるぐると頭の中を渦巻いて、言うべき言葉が見つからない。ただ、じっと座ってもいられなくて、丸い回転イスから立ち上がった時――。

「ゴキブリといえばさ」

 いつもの淡々とした口調で語りかけられ、「ふあっ!?」と間抜けな声が出た。

「昆虫の卵は基本産みっぱなしなんだけど、ゴキブリは夫婦で子育てするんだよね」

 って。

 どうでもいいような話を一方的に続けるところは、相変わらず同じで調子が狂う。

 一体いつからゴキブリの話になった?

 会話について行けず、ツッコミもできないまま突っ立ってると、くるりとこっちを振り向かれる。

 整った顔に皮肉っぽい笑みを浮かべ、オレを真っ直ぐ見つめる様子は、いつもとまったく変わりない。


「ゴキブリで言うと、キミはクチキゴキブリだね。朽木だけに」

「はあ……?」

 気の抜けた声で問い返すオレに、角田がゴキブリの生態を語る。

「クチキゴキブリは、幼虫に口移しで給餌する」

 とか。

「交尾の後、夫婦で互いの翅を食い合う」

 とか。

「翅だけって食って、互いに飛べないようにするのってさ、一生を誓い合うみたいでロマンだよね」

「意味分かんねぇ……」

 ゴキブリにロマンを語られても同意できない。

 力なくツッコむと、角田はいつものように軽く笑って、「はい」とオレの胸元に黒い何かをくっつけた。


 4、5cmくらいの大きさのものだ。何だろうと目を向けるまでもなく、細長い触覚が目に入り、「ひぃっ」と思わず悲鳴を上げる。

「ちょっ、何!?」

 怯えるオレに、朽木は飄々と「咬まないから」と説明するが、そういう問題じゃないだろう。

 周りを探るように、ピンと伸ばされた触覚。頭を左右に振りながら、ゆっくり上ってくる黒い虫。本能的に忌避感が募って、頬が引きつる。直視できない。

「とっ、取って! ちょっ、取れって!」

「えー」

「えーじゃねぇよ!」

 嫌なら払い落とせばいいのだが、全身が固まってそれもできない。なにしろデカい。そうしてる内に巨大な黒い甲虫は、触覚を振りながら肩の上まで登って来た。

「ちょおおおおっ! シャレになんねぇってええええっ!」

 直立したまま絶叫すると、「もうー」とか言いながら、角田がひょいと虫を掴んだ。

「うるさいパパだよね」

 誰がパパだ、と言い返す気力もなくて、ドクドク早鐘を打つ胸をなだめる。角田は再びオレに背を向け、元の飼育ケースにさっきの虫を戻してる。


「ゴキブリの夫婦茶碗とか、どう?」

 って。勘弁して欲しい。

「でもゴキブリってさ、幼虫が可愛くないんだよね」

 可愛いの基準がよく分からないが、確かにカブトムシの方がマシだろう。

 脱力して丸い回転イスにギシッと座ると、虫に触れた手をまた洗って、角田がすぐに戻って来た。

「出産予定日、いつ頃?」

 オレに尋ねながら、目の前の事務イスに座る角田。

「キミの子に英才教育すんの、今から楽しみだ」

 ふふっと笑う角田は、どうやら今後もオレんちに入り浸る気があるようで――。でも、それを喜んでいいのかどうなのか、今はちょっと疑問だった。


   (終)

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