74話 花火大会には人が多すぎる(2)

 観覧エリアである堤防の斜面にレジャーシートを敷いて場所を確保した俺たちは、花火打ち上げの時間を待ちながら買ってきた食べ物に手を付けていた。


 ちなみに前回から何も学んでいない北浜さんが食べ物を食べきれず、全員でおすそ分けを食べることになったのだが、そこで俺はある重要なことに気づいた。


「やべえ、飲み物もってくるの忘れた」


 屋台の食べ物って粉物が多すぎる。

 なので口の中がもうパッサパサだ。


 幸いにも打ち上げ開始の時間まではまだ少しある。

 今からささっと買いに戻れば花火までには戻ってこられるだろう。


「俺ちょっと飲み物買ってくるわ。よかったら一緒に買ってくるけど?」


 南と北浜さんはふるふると首を横に振るので問題なし。

 河原はどうだと目をやると、返事の代わりにおもむろに立ち上がる。


「わたしも一緒に行く。飲み物自分で選びたいから」


「そういうことなら」


 レジャーシートで場所取りができているので、今度は残りのふたりを置いて行っても大丈夫だろう。

 それに河原のこだわりポイントは正直よくわらん。


 そういうわけで、俺と河原は来た道を戻って飲み物を調達することにした。


 飲み物を売っている屋台が見つからなければ、駅チカのコンビニか自動販売機まで戻らないといけないのでは……と心配していたが、運よく近場で飲み物を売っている屋台を発見。

 俺はお茶、河原はスポーツドリンクを選んで購入した。


 調達できた飲み物をビニール袋に入れて手提げ、ふたたび人の流れに乗って観覧エリアに戻ることにする。


 ただ、ひとつ想定が甘かったのは観覧エリア付近の混雑だった。

 さすがに花火直前の時間になると人の集まり具合が尋常じゃない。

 警備員のおじちゃんたちが赤く光る棒を振り回して交通整理を行っているが、同じように観覧エリアに入ろうとする人が多すぎて満員電車並みの込み具合になっている。


 トロトロとした渋滞の流れに従っていれば元の場所には帰れるだろうが、この進み具合だと打ち上げ開始までに戻れるかは怪しいところだ。


「人の量やばいな、河原だいじょうぶか?」


「ちょっとやばいかも。人多すぎて埋もれそう」


 後ろをついてきているはずの河原に呼び掛けるが、周囲の大人たちとの身長差のせいで文字どおり埋もれそうになっている。

 背を伸ばし頭ひとつ出して前方を見やると、目的地の観覧エリアまではまだ少し距離がある。

 

 どうしたものかと悩んでいると、腰のあたりの服をくいっと引っ張られる感触。


「ねえ、ちょっと人がはけるまで外に出て待ってない?」


「その方がよさそうだな、動けそうか?」


「ギリ、ちょっとつかまらせてほしい」


「わかった」


 直後。

 細い腕が腰に回り、甘く柔らかな感触が腰から背中に優しく密着した。


 ぞわぞわする感覚が下半身から胸にかけて走る。 

 これがどういう状況なのかと想像が膨らんでしまうのをなんとか頭の片隅に追いやりながら、波の切れ目をぬうようにして人混みからなんとか脱出した。


 通路である堤防の上から観覧エリアと反対側に少し下った斜面に避難してようやく一息つくと、密着していた柔らかな感触は儚く消えた。

 けれど、腰元の布地は依然として掴まれたまま。


 堤防の上では色とりどりの浴衣の男女が入り混じって、カラコロと音を立てながら歩いている。


 まだ人が少なくなるまで時間がかかりそうだな。

 意識を逸らしぼんやりと考えていたところに、ふと河原の声がする。


「ずっと言えてなかったことあるんだけど」


 まだ花火も打ちあがっていない紺色の夜空を眺めながら、独り言にも似た呟きにうなずき返した。

 こうして隣り合っていなければ聞き逃しそうな声量で、河原が続ける。


「三者面談のこと、ありがと。助かった」


「お役に立ててなによりだ」


「だけど、あれはやりすぎ」


 服を握っていた拳が、ぐりっと腰に押し当てられる。

 痛いというより、むずがゆい感覚。

 

 何のことを言われているのかは見当がついている。

 俺が、河原の三者面談の直前に、彼女の母親に向けてゲームやeスポーツのプレゼンを行っていたことについてだろう。


 今回の最終的な決め手は、河原自身の「ゲームが好き」「部活をやりたい」という気持ちを親にさらけ出すことができるかどうかだと思っていた。

 だから俺は、ゲーム対決で河原を、自分の気持ちに正直になるよう誘導した。


 けれど、この前提として必要なのは、親が娘の趣味や娯楽を理解できる土台があることだ。

 悲しいことに、この世には特定の娯楽や趣味を無条件に嫌悪し否定する人たちがいる。

 そういった人にいくら気持ちを訴えかけても暖簾に腕押し。

 だからまずは、河原の母親に偏見を持たず娘の主張を聞く耳を持ってもらうために図書館や書店に通ってゲームやeスポーツに関する情報を集めていたのだ。


 河原の母親は、伝統や礼儀作法に厳しい人だと聞いていた。

 だったらその土俵でゲームを語ればいい話。

 ゲームやeスポーツは今や世界経済で右肩上がりの一大ビジネス。

 つまりそれは、世界中で多くの人々が「ゲーム」に価値を認めているという証拠だ。


 そうして多角的な観点からゲームやeスポーツの正統性や価値を論じた結果。

 

「プリント50枚はさすがにやりすぎでしたか……」


 我ながらちょっと多すぎたかもという自覚はあった。

 すると河原は呆れたような息をつく。


「まあ量もそうなんだけど、熱量もかけすぎでしょ」


「熱量?」


「だって……」


 河原がそこで言い淀んで、服を掴んでいた手から力が抜ける。

 そして今度はちまっと指先で布を引っ張られた。


「あんた私の彼氏ってことになってるんだけど」


「はあッ、なんでッ⁉」


 驚きのあまりぱっと横に顔を向けると、河原は必死に顔を明後日の方向に背けていた。

 あまりのとんでも展開すぎてわけわからんのだが⁉


「むしろこっちが知りたいくらいよ、あんた母さんに何言ったの? まさか説得するために彼氏のふりをしたんじゃ……」


「違う違う! さすがにそんな無鉄砲なことはしないって!」


「ねえちょっと? 無鉄砲ってどういう意味⁉」


 勢いよく服をぐいッと引っ張られて、河原の顔が至近距離に迫ってきた。

 夜で光量が少ないのにめっちゃ顔が赤い。めっちゃ怒ってる⁉


 慌てて首をぶんぶん振ると、河原もはっと気まずそうに表情を崩して手を離した。

 

「なんかすまん。ちゃんと訂正しといてくれ……っていうか俺が直接訂正した方がいいのか?」


「べつにいいわよ。なんかお母さんあんたのことめっちゃ気に入ってるし、付き合ってると信じきってるし……」


「だから訂正するのでは?」


 意図が分からず我ながら間抜けな声で質問してしまった。

 察しの悪さが不満だったのか、河原の声が少し高くなる。


「だ、だから! 変に訂正したら、すぐ別れたのを誤魔化してるみたいになるでしょ⁉」


「それじゃダメなのか?」


「だめ! 絶対だめッ‼」


 こうも全力で拒否されるとぐうの音も出ない。

 えー、じゃあどうしろと……。


「だから当分の間は責任とってもらうから」


「は?」


「彼氏のフリってこと。鈍いわね」


 またも腰をグリっと小突かれた。

 彼氏のフリ? 俺が? あの河原と⁉


「からかってる……?」


「と思う?」


 真面目なトーンで言われてしまった。

 どうやら本気の本気らしい。


「……いつまで?」


「別れても違和感なくなるまでだし、とりあえず卒業までとか」


「長くないッ⁉」


「なに、文句あるの? そもそもあんたの行動が原因なんだけど?」


「……はい、すみません文句ないです」


 不本意とはいえ、河原の母親に勘違いさせてしまったのは俺のせい。

 これが原因でまた河原親子が揉めるなんてことになったら目も当てられない。

 さすがにシェアハウスの中でも付き合ってるフリをすることはないだろうしな。


 ひとまず了承すると、河原の気も収まったらしくニコニコご機嫌になっていた。

 とりあえず嵐は去ったみたいだ。


 激オコ感情の嵐が去ったと同時に、観覧エリア周辺の人混みもかなり減ってきていた。

 観覧場所に戻るならこのタイミングがいいだろう。



 打ち上げ花火開始の予告アナウンスを聞きながら、斜面を歩いて堤防に上がる。

 

 するとちょうどばったり。


「あー、鳥羽くんじゃーん! やっほー」


 女子高生らしき浴衣の一団から、先頭の女の子が一歩飛び出してきた。

 真っ赤な椿が咲き誇る浴衣に勝るとも劣らない、ひときわ華やかな女子。

 一目で神橋さんだと分かった。


 神橋さんは他の女子たちを先に行かせてカラコロと歩いてくると、河原を一瞥してから向かって立ち止まる。

 ついさっきまでのアイドル然とした笑顔は消えている。


「前に言ったこと覚えてる?」


 ――万智のこと見て見ぬふりしたら許さないから。


 忘れているはずがない。

 きっとあの一言は、神橋からの忠告であり嘆願でもあった。

 河原に会うたび明らかに張り合っている神橋さんは、きっと河原をライバル視している。

 そんな彼女がライバルの背中を俺に託したのだ。


「さあなんのことやら?」


 大丈夫、お前の河原ライバルは前より強くなってるぞ。

 そう意思を込めて得意気に笑ってみせた。

 それを見た神橋は「ふーん」と素っ気ない返事をしてから、いつもの挑戦的な笑みを浮かべて河原に突っかかる。


「万智さあ、夏休み明けの試験は大丈夫? 部活とか男に誘惑されてるようだと今度こそ私に負けるよ?」


 話しかけられた途端、ピクンと跳ねた河原の背中をトンと押してやる。

 あとはふたりの試合バトルだ。

 俺は観客らしく見守るために一歩さがる。


 そして河原が顔を上げた。

 憎たらしいくらいに得意げな余裕の笑み。


「余計なお世話よ。私は好きなものは全部掴んで両立するって決めたの。私に勝ちたいならあんたこそ委員会も男も諦めた方がいいと思うけど?」


「ふーん、相変わらず余裕ぶっちゃって。ほんとムカつく」


「そりゃお互い様よ」


 ”陽キャの女帝”こと河原万智、”陽キャの姫”こと神橋天。

 スクールカースト二大巨頭の女子ふたりがにらみ合う。

 その間に、一筋の光が立ち上った。


 ――パァーーンッ。パチパチパチ。


 夜空に黄金色の華が咲き誇り、激しい火花となって散っていく。


 誰も彼もが空に見惚れるなか、ふと河原がこちらを向いた。


「っていうか早くみんなのところ戻らないと」


「あ、忘れてた。たしかに」


 肝心の花火打ち上げはもう始まってしまった。

 これは南と北浜さんにかなり文句言われるだろうなあ。

 屋台が混んでて身動きが取れなくなったとか、いい感じの言い訳を用意しておかないと。


 などと考えを巡らせながら歩き出そうとすると、神橋さんに呼び止められた。


「ちょっと待って、これだけ聞かせて」


「なに?」


 河原が聞き返すと、神橋さんは目を行ったり来たり彷徨わせ、遠慮がちに口を開いた。


「……ふたりってどういう関係?」


「ご想像におまかせしまーす」


「ちょっ、なにそれ⁉」


 目を白黒させる神橋さんをそっちのけに、河原は「じゃあね」と言い置くと俺の手をぎゅっと握った。


 ひゅるひゅるひゅると天高く火の玉が登っていき、見る間に高鳴りが増していく。


 そして、花火よりも満開な笑顔が闇を照らすように輝いた。


「いこっ、快斗?」

 

 身体を揺さぶるような爆音に背を押され、まるでイタズラする猫のように笑う河原に手を引かれて足を踏み出す。

 

 目指すはシェアハウスの仲間たちのいる場所。

 けれど、今はまだボス戦のあとのボーナスタイムをふたりで楽しもう。

 俺は小さくたくましい手を握り返して、煌めく夜空の下を戦友と一緒に駆けぬけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美少女揃いのシェアハウスにはオタクな秘密が多すぎる。 ロザリオ @Hidden06

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ