取調室
チューブラーベルズの庭
取調室
「ふむ、それで――」
目の前で調書らしきものを書いていた男が顔を上げた。
僕は思わず居住まいを正す。
ギッとパイプ椅子のきしむ音が部屋に響いた。
「奥さんと死別することになったのはやっぱり悲しいかい?」
唐突に投げつけられた質問に僕は思わず鼻白んだ。
「それは、そうですよ……。当たり前じゃないですか……」
実際僕は悲しかったし、それ以上に悔しくて仕方がない。
ましてやこんな結末など願っていなかった。
「僕は心の底から妻を愛していたんですから……」
男は特に反応を見せず再び机の上の調書に目を落とす。
「事件を整理するとだな――、◯月△日、あんたは早めに仕事が終わって家に帰ってきた。すると寝室で奥さんが間男と裸で抱き合っていた。つまり浮気をしていたわけだ」
「何度も同じ内容を聞かせないでくださいよ」
思い返すと悔しさが蘇る。
この悔しさは誰を何人殺そうとも収まる気がしない。
「まぁそう言うな」
ウンザリしている僕を制して男は言葉を続ける。
「それでカッとなったあんたは一旦部屋を出てキッチンにあった包丁を手に取った。だけど寝室に引き返した時すでに間男は逃げたあとだった」
男が目を細める。僕は黙っていた。
「奥さんは裸のまま土下座の姿勢であんたに必死に謝った。なんて謝ったんだっけ?」
「だから、さっきも言ったじゃないですか」
「もう一度頼む。整合性を確認してるんだ」
言ってボールペンで調書をトントンと叩く。
僕は嘆息する。
「確か『ごめんなさい、あなた。話を聞いてほしいの』だったと思いますよ……」
「ふむ。それを聞いてあんたは?」
「頭に血がのぼってましたからね。聞く耳を持てませんでした」
「と、言うと?」
「僕は妻に近づいて」
「近づいて?」
「包丁を振り上げたんです。僕は『残念だよ。君を信じていたのに』って泣きながら」
男は頷く。
「妻の首めがけてこう包丁をグサッと」
「グサッと?」
「刺そうと思ったら」
「思ったら?」
「転んで自分のお腹に刺さって……」
そこまで言うと男がカッと目を見開く。バフッと息を吐く音が聞こえる。
「血がたくさん出て」
「ふ、ふんふん……」
男は小刻みに震えている。
顔が奇妙に歪んでいる。
同情してくれているのだろうか。
「そ、それで?」
声が震えている。
ピクピクと波打つ頬の引きつりを見ていた。
僕は首を傾げる。
ここに至ってようやく気がついた――。
これは笑いを我慢している人間の表情だ。
間違いない。
てっきり自分に同情してくれていると思っていたのに、男はただ笑いをこらえているだけだった。
寝取られたあげくに自分で腹を刺した旦那の間抜けさ、滑稽さを笑っているのだ!
そもそも取り調べをしている側の人間が対象者のことを笑うなどとあり得るだろうか。
ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「おかしいですか?」
「いや……」
僕は思い切り机を叩いた。
「ええ、そうですよ! 僕は 死んでしまったわけですよ! 自分で自分のお腹を刺してね! どうぞ笑ってください! さぞおかしいでしょう!」
男の喉からぶほっと空気の抜ける音がする。
「すまん。いや、決しておかしくない。本当におかしくなヒヒヒ」
語尾はかすれ、ヒヒヒヒと猿の鳴き声のようになっている。
「……すまん」
男がもう一度謝り、頬をピシャピシャと叩く。
しばらく沈黙が流れた。
僕は小さく息を吸う。
嘆息混じりに改めて聞く。
「それで、僕はどうなんです? ―― えん魔さま」
憮然とした態度に映ったかもしれない。
この無礼な門番が、死後の行き先を決めるらしいことは知っている。
だけどもはやどうでもいい心境になっていた。
えん魔さまと呼ばれた男は笑ったのを誤魔化すかのように貯えたあごひげを何度もさすり、真顔をキリリと作り直す。
「あんた天国行き」
「え?」
「天国」
「本当ですか?」
「うん、憐れすぎて」
「あわれ……」
「ダーウィン賞も真っ青だわ」
「ダーウィン賞?」
「知らない? ダーウィン賞。ダーウィンは知ってる? 進化論を提唱した人」
「はぁ……」
「あまりに愚かな死に方をした人に送られる賞。例えば、チェーンソーで自分の首切っちゃった人とか、動物園のトラの檻に侵入して死んだ酔っ払いとか――。自身の生殖能力を消すことで劣った遺伝子を無くす、つまり人類の進化に貢献したとして送られる、まぁ皮肉な賞だ」
「……」
「天国でも元気でね。はい。次の死んだ人~」
えん魔さまによる取り調べは今日も続く。
取調室 チューブラーベルズの庭 @amega_furuno
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます