Chapter.1 神に侵された者

 2XXX年、首都東京。

 世界は灰色に包まれていた。


 柔らかな風が頬を撫でる。

 どこから飛んできたのか、コンクリートジャングルには珍しい何かの花びらが、足元で踊っている。

 平日の昼前だとしても、オフィスビルが建ち並ぶこの街は、首都ということもあり車だけではなく人通りも多い。ビルのデジタルサイネージからはニュースが流れ、仕事用鞄だろう物を手に信号待ちをする男性や、スマートフォンを見つめながら女性が歩いている。

 しかし、どんな装いでも等しく、人々は一様にサングラスやフルフェイスマスクをつけ、俯き加減で歩く。

 時には逃げるように早足で進み、物陰で安堵をし、隠れるように目的の建物に入る。

 扉の向こう側で肩の力を抜く後ろ姿を見ていると、僕の隣を歩く男がため息を吐いた。


「おい、そんなもの見てるなよ。オレまで変に思われたらどうしてくれるんだ」

「……僕が変みたいな言い方するなよ」


 ごろつく目を一度擦り、視線を隣に向ければ、彼……遠野律とおのりつはじっとりとした非難の目で僕を見ていた。

 もちろん、サングラス……最近じゃ視界保護具しかいほごぐなんて呼び方になった……の奥からである。

 地毛の黒に戻りつつある金髪にサングラス姿は、誰がどう見てもヤンキーのそれ。だが、彼の表情は緊張しているかのように強張っている。


「変だろ。俯いてるから大丈夫〜、だなんて言って、視界保護具を持ってすらないんだからさ」


 見ろ、周りの人たちを。と、彼は視線を伏せ気味にしながら軽く周囲を見渡す。

 言われるがまま見渡すが、それほど気にされている様子はない。皆、変わらず視線は斜め下だ。

 思うに、この男は他人から見られる事に過敏すぎるのだ。自意識過剰、というより、被害妄想が強いという意味でだが。

 口を開けば偏屈で自嘲的な言葉が多い。それが遠野律だということを、友人である前に幼馴染みである僕は知っている。


「遠野は気にしすぎ。知ってるだろ?昔から僕は病気にだけはならない」

「病み上がりが何言ってんだ……。何かあってからじゃ遅いし、お前に何かあったらオレの弟だって心配するんだからな」


 そっぽを向く遠野は、軽口を叩いているうちにいつもの調子に戻ってくる。

 外を出歩く度に緊張をしてしまうのは仕方のないことだが、その原因というものが厄介なのだ。



 ──…この世界は色が欠けている。

 見上げれば、雨が振りそうなどんよりした分厚い雲たちが一面を覆っている。そのせいで太陽なんてものは見ることが叶わない。

 そしてそんな日が、ここ数十年は続いている。

 勿論、自然発生で起きた現象ではない。人類を守るために、国が機械で雲を作り続けている……らしい。

 何故そのような事を国がしているのか。理由は雲の上、『ソラ』にある。



 とある女性が収容所から消失してしまった事件から、この国は『ソラ』に蝕まれていった。まるでパンデミックが起こったかのように。


 曰く、『ソラ』を見ると、人間はその色に魅入られてしまうらしい。


 決して手の届かない澄み渡るその色は、かつては奇跡の色とまで言われていた。しかし今では忌み言葉と同列の扱いになっている。そのせいか子供の名前や洋服、アクセサリーまで、それを彷彿とさせる語感と色味はこの時代において一切扱われていない。

 最近の教科書に載っている『ソラ』は灰色だ。きっと今の子供たちは、それが当たり前だと覚えて生きていくのだろう。少しばかり残念だと思う。


 魅入られる、と言うと一概に悪くは捉えられないかもしれないが、実際に魅入られた人間の様子は酷いものだった。

 中学時代に見たビデオでは、収容所に入れられた者は窓一つない部屋に閉じ込められ、フルフェイスマスクで顔全体や目を包帯などで覆い隠し、後ろ手に手錠をかけられていた。

 手錠をかけているのは、『ソラ』に魅入られ発狂した者が自身の手で目を抉り出そうとした事例があるからと教えられた。

 目さえ無ければ『ソラ』に惹かれることも、見て死ぬこともないと考えた故の行動だと聞いた。


 そして何よりも、魅入られた者は全員、瞳が『ソラ』と同じ色になってしまう。

 正しく一目瞭然で魅入られたことが判明するのだ。


 元を辿れば、どうやら遥か昔にも似た現象が発生していた。あくまで似た現象なため、同じものだと確定はできないらしい。それがどうして現代に広まり始めたかはまだ解明されていない。

 ウイルスによるものなのか、だとしたら感染経路はどこなのか。対処法はあるのか。消失した人間はどこにいったのか。

 何においても分からずじまいで、最終的に国が下した決断は「『ソラ』を隠す」、というもの。

 それだけでは不安な人は国から支給された視界保護具のサングラスやフルフェイスマスクを着けて暮らしている。

 だた、人類が『ソラ』に魅入られ消失する現象のことを「神の祝福だ」と主張する団体もいるのだ。


 天上の灰色から目を逸らし、笑う。


「あはは、遠野も心配してくれてありがとう。しばらく会ってないけど、つかさは元気?」


 司とは遠野の弟のことだ。年子の兄弟で小さい頃から二人は仲が良く、僕とも良好な関係であり、もう一人の幼馴染みとも言える。

 照れ隠しのように「心配してない」と一言早口で述べてから、遠野は小さく肩を落とす。


「……元気だよ。けどなんつーか、のめり込んじゃってるっていうか」

「あ〜……、馬鹿にするつもりはないんだけど、その……。遠野の家、本当に大丈夫なの?」

「大丈夫だと思っていたい……。いや全然大丈夫じゃないが……」


 頭を抱え、ぐんにゃりと顔を歪ませて、遠野の声が小さくなっていく。

 何を隠そう……遠野の家は人類が『ソラ』に魅入られることを祝福だと、『ソラ』には神が鎮座し、神と目が合ったものが肉体から解放されるなどと主張する団体……「空葬救済教くうそうきゅうさいきょう」の本元なのだ。そこで遠野がどのような立場なのかは知らないが、毎日頭を悩ませていることは知っている。その他を知ったところで何もしてやれないため、相談や元気づけることしかできないのだが。


 暫く唸った後、遠野は「そうじゃなくて」と顔を上げる。


「いいんだよオレのことは。今日はお前の退院祝いなんだから」

「別に良いのに。そういう所、遠野は優しいっていうか良い奴だよなぁ〜」

「……なんかお前に言われると気持ち悪いな……。腹がムカムカする」

「あれ、なんで貶されてるの? おかしくない?」

「褒めてるんだよ。お前みたいな脳内お花畑のお人好しから言われるなんてな〜って」

「それまったく褒めてないし嫌味でしかないじゃん!」

「大声出すなって。頭に血が上ってまた入院することになるぞ」

「だぁ〜れのせいだよ……!」


 半笑いで馬鹿にしてきた遠野を小突く。大袈裟に痛がる彼は、「あれだ。最近できたやつ」と、巨大なビルを指差す。

 五階建てぐらいだろうか、遠くから見てもよく分かる。およそ中にはアミューズメントパークやゲームセンター、ファッションクルーズなどの娯楽が詰まってそうな大きさだ。


「……やっぱり横に長いな」

「当たり前だろ。縦に長い建物なんて、もう誰も造らないし買わないんだから」


 今よりもっと、それこそ人類がここまで発展していなかった時代に、神様に近づこうとして塔を造った人類が神様の怒りを受けた……という話があったことを思い出す。

 なんとなくだが、天上を怖がり下を向くしかない今の世界の構造に似ている気がした。


 続いてのニュースです。アナウンサーの声がビルに埋め込まれたモニターから聞こえて、薄い思考が遮られる。

 ここ一ヶ月、世間を騒がせている爆弾魔が未だ逃走中だというものだ。


「うわ。まだ捕まってないのかよ」

「爆弾魔……そんなのがいるんだ?」

「あぁそうか、お前は起きたばっかりだから知らないのか。オレもニュースでしか知らないけどヤバイ奴らなんだって」

「へえ。奴らってことは複数犯? ビルでも爆破された?」

「どっちともその通り。どれくらいの人数かは不明、でも手際の良さや防犯カメラの映像から単独犯ではないんだとか」

「素直に怖いな……。被害者とかいるの?」

「それが今の所いない。世間だとただビルを爆破して穴空けてる変な奴らって感じだから、何したいんだろうな〜ってことで注目はされてるよ」

「たちの悪い愉快犯なんじゃあ……」


 そんな会話をして歩いていれば目的のショッピングモールは目前だ。中々の人集りが出入り口から見える。ちょっとした遊園地並にはいるかもしれない。

 人集りを見ていると、隣の遠野が先程までとは打って変わり機嫌よく話しかけてくる。


「ここにな、うまそうなステーキ屋があるんだよ〜。すっげえ行きたくてさぁ」

「退院したばかりの胃にステーキかつお前のついでかよ」

「味気ない病院食、忘れさせてやろうと思っての好意だぞ。感謝して受け取れよ」

「それは押し売りなんだよな……」

「つべこべ言うなっての。オレの奢りなんだからいいだろうが」


 一足先を歩く遠野の背中にため息をひとつ。置いていくぞ、と言われれば、着いていくしかない。

 かくして俺たちは、大型ショッピングモールへと足を運んだのだった。

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群青に帰す 小惑星 @sorahara

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