0x4100 Terms and Tips for 0x02

「ここでは0x02章に登場した技術用語を解説しますっ。単語の末尾に※が付いているのはオリジナルの用語で、それ以外は実際の半導体業界で使われている用語です」

「情報に関する注意は、以下同文」


『マスクデータ』(Mask Data)

「露光装置で使うマスク、レチクルの元となるデータのことをマスクデータと呼ぶわ。物理設計の最終的なゴールは、このマスクデータを完成させることよ」

「中身は実際の回路の配線やトランジスタ、それを作るのに必要な各種素材の層の構造なんかを一層一層に分けてスライスしたものだね。これを実際にレチクルとして形にして、フォトリソグラフィーに使うよ」

「このマスクデータの通りに製造されるから、物理設計のエンジニアはこのマスクデータ上の配線や回路を検証で使ったコンピュータ上の電子回路、そして後述のデザインルールを参考にしながら何度もチェックすることになるわ。物理設計で間違いがあると、どんなに作っても正常な物は作れないから当然ね」

「ボードでも同じで、実際のボード上に作りつける回路のパターンのデータです。ただし、ボードの設計データのこと自体は業界標準のガーバー、というファイル形式の名前を取ってガーバーデータ、と言うことが多いです」


『Willamette』(ウィラメット)

「アメリカのオレゴン州の川の名前です。また、その名前を拝借して、アメリカ・Intel社が作った第一世代Pentium 4の開発コード名でもあります」

「そして同時に、コン部が二年前に作ったCPU甲子園用のチップの開発コード名でもあるわ。開発主任は当時一年生だった星野先輩で、そこそこの性能をそこそこの消費電力で実現したチップよ。とはいえIPベースの無難な設計を無難なプロセスで作ったからそこまで性能がすごい良い訳ではなくて、CPU甲子園の入賞も逃したと聞いてるわ」


『武蔵通』(むさつう、武蔵通信機器製造株式会社)※

「日本で一、二を争う巨大な情報通信産業の会社よ。サーバーやパソコンの本体から一部の特殊用途向けCPU、そしてソフトウェアの開発まで一手に担ってるわ」

「日本最大のスーパーコンピューター、叡の開発をしているのもここだよね。チップの設計、製造から本体の設計、そして量産まで全部武蔵通の中で完結してしまうくらいには高い技術力を持っている会社だよ」

「日本でハードウェアも手がける総合IT系ベンダーさんといえば、この武蔵通かNEMC、あるいは国分製作所が上がるわね」


『会津武蔵通』(あいづむさつう、会津武蔵通信機器製造株式会社)※

「武蔵通さんの半導体子会社の一つで、主に大きな電圧・電力を扱うパワー系の半導体とマイコンの製造を担っている会社よ。若松科技高から見て線路を挟んだ向かいに大きな工場を持っているわ」

「もちろん若松科技高との交流も深くて、半導体製造に使うガスや薬品はここで使うものの一部を分けてもらっている形ですし、計算機工学科の先生として技術者を派遣してくださったりもしています」

「それに、いざというときの製造委託先でもあるよ。最先端プロセスは扱ってないけど、JCRA標準の90ナノメートルプロセスは作れる設備を持ってるからね」

「あとは、蒼先輩のお母さんである金江さんもここで技術者をされているんですよね」

「そうよ。品質管理系の製造技術者をしているわ」


『富士通』『会津富士通』(ふじつう、あいづふじつう)

「語るまでもない、あの会社よ。武蔵中原の駅前に大きな工場があるわね」

「もう今はパソコンも分社化しちゃってレノボグループの傘下になっちゃったし、ハードウェアで直接手がけてる分野はだいぶ狭くなってきちゃってるけどね」

「現実の会津富士通は工場を海外の半導体会社に売却しただけでなく、会社自体も海外の事業者さんに売却してしまって富士通グループの会社ではなくなってしまいました」


『デザインルール』(Design Rule)

「半導体を作るとき、工場は当然どんなものでも作れるわけじゃない」

「例えばだけど、65ナノメートルプロセス用の設計図、マスクデータを使って90ナノメートルプロセスの工場で生産するのは不可能だよね」

「しかも、製造する会社によって同じプロセスでも作れる寸法が違う。会津武蔵通、電工研の製造部門、そしてコン部の製造部門の間でも当然異なる」

「そこで、アタシたち物理設計のエンジニアに『この層の配線は最低この太さにしてくださいね』とか『トランジスタのサイズはこれくらいで、このサイズでこのへんに電気を流す端子が出ます』、それに『こんな配線は作れないのでやめてくださいね』みたいな情報を伝えないといけないんだよ。マスクデータが出来てから作れません、じゃ手戻りが大きすぎるからね」

「これらの製造上の制約などをまとめたのが、デザインルール」

「他にも、デザインルールに関係して『スタンダードセル』というのも貰うことがあるよ。これは、ある特定の回路を作りこんだ既製品の設計図だね。極小のIPって考えて貰えば間違いはないかな」

「スタンダードセルに関しては、追々」


『リードタイム』(Lead Time)

「製造を依頼してから、実際にチップやウエハー、ボードなどが届くまでの時間のことをリードタイム、と呼ぶ」

「端的に言えば製造に必要な時間、ってことだね。製造を依頼するのが部内や社内の製造部門の時も、ファウンダリに委託するときも使う用語だよ」

「さらには、チップ自体を注文してから届くまでの時間のこともリードタイムと呼ぶ。頼んでから届くまでの時間全般で使うと思ってそう間違いは無いと思う」

「現実だと、半導体不足でよく聞く単語になっちゃったね。モノによってはリードタイムが一年以上とかのもあるらしいよ」

「半導体を作るのには時間がかかるし、最大供給量にも上限があるのは前に話した通り。供給が突発的に増えてしまうと、どうしても手に入るまでの時間は長くなる」


『魔の八月』(まのはちがつ)※

「去年の八月、コン部ではCPU甲子園に向けて新しいチップを起こしていたわ。だけどそれは、複雑で突貫工事による論理設計の問題や野心的で向こう見ずなプロセス開発、そしてそれに引きずられる形で極限まで最適化を迫られた物理設計と、開発の全てにおいて大きなひずみを抱えたプロジェクトだったの」

「当然上手くいくわけもなくて、最終的にまともに動くチップの開発が本番までに間に合わず、CPU甲子園は屈辱の辞退になったんだよね。そもそもプロセス開発が終わってて良品は一パーセントも取れず、何とか回路的に動くものが出来たと思ってもクロックがまったく上がらず性能も出なかったし、何より最終版でも大きな論理設計のミスがあった」

「これが悲劇の前半よ。そんな無茶苦茶なことをした三年生の先輩たちは一気に引退して、それと同時に開発中に生まれた軋轢は大量の退部者を生んだわ」

「何しろ開発最終盤には毎日のように技術的じゃないところでチーム同士が喧嘩し合ってたからね。雰囲気は控えめに言って最悪だったんだよ。そこで生まれた溝は、本来チーム開発である半導体開発が不可能なくらいまで深くなってたんだ」

「結局論理設計リーダーの星野先輩を始めとした二年生の先輩方はみんな退部して電工研に行くか部活自体に入るのをやめてしまって、一年生の同期たちもそれにほぼ全員が倣ったわ」

「それで結局この部に残ったのは蒼とアタシだけってわけ。この一連の部の崩壊劇のことを、当時の部員たちは魔の八月、と呼んでるんだ」

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Appendix: Tips for "Over the Clockspeed!" 大野 夕葉 @Ono_Yuha

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