たどってみるは雪の足跡

白浜ましろ

たどってみるは雪の足跡


 冬将軍がやってきます。

 なんて連日のテレビの天気予報で散々耳にして、なんか強そうなおじさんが武装してんのかなくらいにしか思わなかった。

 身に着けた鎧とか槍とか刀とか、かちゃかちゃとうるさくないのかなと思う程度の認識で想像する冬将軍は、気の良さそうなおじさんだ。

 寒いなと湯たんぽを布団に忍ばせて、その温かさに最強アイテムじゃんと感動を噛みしめながら眠った夜の次の日の朝。


「うっわ、白っ!」


 カーテンを開くと、見慣れたはずの景色が真白に染まっていつもと違って見えた。


「白銀の世界ってこんな感じなん?」




 朝の居間リビングでは既にテレビが喋っていた。

 朝食の味噌汁をすすりながら観るテレビニュースは冬の色が濃く、冬将軍ってこのことかとやっと合点がいく。

 朝の通勤が心配ですね。

 積雪の影響で電車に遅れが出ています。

 雪道のスリップ事故には注意してください。

 アイスバーンと言って――。

 大人の世界は大変なんだなと子供ながらに心配をし、ずずっと最後の味噌汁を白米と共に喉に流し込み、朝食の席を立つ。


「ちょっとあんた、掻き込みご飯は行儀悪い」


「掻き込みご飯じゃないし、流し込みご飯だし。お母さん、うるさいよ」


 流し台シンクに湯呑や茶碗類を浸けて台所を出ると、素足に冬の廊下の冷たさは堪えた。今日からくつ下を履こうと決める。

 屁理屈ばっかり言って、との母の小言を背に部屋へ向かい、窓辺へと駆け寄ってカーテンを勢いよく開け放った。

 真白の世界は昇る太陽の光を弾いてきらめいていた。


「今日は遊べるじゃん」


 弾む気持ちは隠しきれず、声は弾みに弾んでいた。

 滅多に雪は降っても積もることのない地域柄、この日を逃せば次はいつ積もるのか。

 これは楽しまねばと心はうっきうきと湧き立った。

 幸い今は冬休み。宿題なんて忌まわしい存在は忘れて、外の世界へ飛び出すのさ。

 身支度をし、コートを羽織って部屋を飛び出す。


「外に行くんなら、マフラーと手袋してけば? 寒いよ」


 廊下ですれ違った兄に有り難い助言をいただき、しょうがないなあと部屋へ引き返す。

 確かに寝間着に半纏姿の兄は袖に両手を入れていて、吐く息はほんのり白くちょっと寒そうだった。

 そして、マフラーを巻いて手袋をはめて玄関で靴を履いていると、後ろから母の。


「いってらっしゃい」


 の声がしたから。


「うん、いってきまーすっ!」


 と、振り向いて元気に返してから玄関扉を押し開いた。

 真白の世界はきらきらときらめいていて、足跡ひとつないまっさらな世界へ一歩踏み出すと、ぎゅっと雪を固める音がして、自然と口はにんまりと笑っていた。

 そのあとは、ぎゅっぎゅっと小さな音を奏でながら、真白の世界へと駆け出して行った。




 友達と遊んだ帰り道。

 時計は夕方の時刻だと告げるのに、現実の空は夜だと告げる。

 薄暗くなったところに頼りない街灯が帰り道を照らし始めていた。

 一番星が藍色の空に瞬き、一瞬UFOかなとはしゃぎそうになった、ちかちかと明滅しては目立つ光は飛行機だった。

 アホみたいに遊んで、頭を振ると未だに雪が振り落ちてくる。

 小さく吹き付ける風は頬に冷たく刺してきて、巻いたマフラーに顔を埋める。


「さっぶ」


 行きにぎゅっぎゅっと踏み鳴らした雪は、人や車に踏み固められ、気を付けないと足を滑らせてしまいそうだった。

 街灯の光を弾く雪に朝のそれとはまた違ったきらめきを感じながら、遅いとの母の小言が増えないうちに帰ろうと足を早める。


 ざっかざっかと足を急かす中、踏み固められていないまっさらな積もった雪を横目に見つけ、思わずその足を止めてしまった。


「こ、これは……」


 足を止めたままに呻き、がばと振り向く。

 そこにあったまっさらな雪。

 これほど魅力にあふれる雪もないだろう。


「……ち、ちょっとくらい寄り道してもいいじゃん……?」


 にしっと口の端を持ち上げて笑えば、ていやっと地を蹴り上げて跳躍をひとつ。

 ざくっ。これまた心地良い音が響いた。


「ゆっき、ゆきゆき、ゆっきー」


 即興の曲を口ずさみながら、リズムに合わせてざくっと音を奏でる。

 そしてしばらく。ざくざくと踏み進めてややすると。


「おぉ、足跡みっけ」


 別方向から歩いて来たのだろう足跡を見つけた。

 このまっさら雪を見つけたの自分だけじゃないのかと少しばかり落胆する。

 ざかざか踏み鳴らして足跡に近寄り、その足跡は自分の足よりもサイズが違うことに気付く。

 雪に残された大きな足跡に自分の足を重ねてみた。


「大きいなぁ」


 ほおと白い息を吐き出しながら、なんとはなしにその足音をたどってみることにした。

 既に陽は落ちる際で外も暗いけれども、家も近いし家に向かってはいるのだから、寄り道だとしても家路には違いない。

 どこからか、また屁理屈を並べて、と母の声がきこえた気もしたが。


「いいじゃん、いいじゃん」


 るんと鼻歌混じりに、その大きな足跡に自分の足を重ねるように歩み始めた。

 時折ひゅおおと細く吹く風を首をすくめてやりすごしながら、ほっほっと白い息をいつかのテレビで観た機関車のように短く吐き出しながら、その足跡をたどる。

 その足跡の主は、いろいろと楽しみながら歩いていたのではないかとたどりながらに思った。

 うねうねとうねっているなと振り返れば、足跡は波線を描いていたし。

 かくかく曲がりすぎじゃないかと振り返れば、足跡はじぐざぐを描いていたし。

 足跡の間隔がひとつひとつかなり飛んでいるなと思った箇所は、たぶん兎のように跳ねて行ったのだなと思った。

 その間隔があまりに広かったから、足跡を重ねるのに一苦労した。

 一生懸命に足を伸ばしても届きやしない。

 少しは足跡をたどる側の歩幅というか、足の長さも考えて欲しい。


「……んっとに。誰なのさ、この足跡。まっすぐ帰って来いって誰にも言われなかったわけ?」


 文句もこぼしたくなる足跡だった。

 真っ直ぐに帰っていない自分のことを棚に上げている自覚はあるけれども、あえてそれは触れない。

 だって、気が付けば遠くに家が見えていたから。

 たどって来た足跡は真っ直ぐに続いていた。家へと真っ直ぐに。


「あれ? てことは――」


「お、なんだ。お前も帰り?」


 聞き慣れた声に顔を上げる。


「お父さん……?」


「うん、お父さんです。ってか、なんで疑問符付いた?」


 低く笑う声に、もう一度視線を落として足跡を見やる。

 重ねた足跡は自分の足よりも大きくて、足跡をたどるように視線を上げれば、父の靴とスボンの裾は雪にまみれて濡れていた。


「靴とズボン濡れてるじゃん」


「楽しかったからいいの」


 楽しげに笑う父に小さく笑いかけて、足跡と自分の足を重ね合わせながら父へと駆け出した。

 そのまま勢いよく父の腰に抱きついて見上げると。


「お前も雪まみれじゃん」


 父はくしゃと笑い、頭をわしゃわしゃと撫で回した。


「うん、友達と雪合戦してから雪合戦して雪合戦した」


「へえ、楽しそうだなあ。お父さんも雪で遊んで来たとこ」


「それは知ってる」


 父へ向かってにししと笑い返す。


「足跡みっけて、たどって来たからっ!」


「ん、そうか」


 父の上着に顔を押し付けるように埋めてから、一緒に家の中へと入って行った。


「ただいまーっ!」


「ただいま」


 帰ったらただいま。そして、誰か帰って来たらおかえり。

 それが母との約束で、だから父と共にただいまと言ったのに、その日に母からのおかえりはなかった。

 代わりにあったのは、こんなに濡らして帰って来て、という母の小言であり、それはちょっと面倒くさかった。

 父もどこか面倒くさそうにしていたのはおそろいみたいで嬉しく、その日は何だか楽しかった。

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