転生・マッチ売りの少女 ~少女は天使の笑みを浮かべた~

青山 有

第1話

 寒い大晦日(おおみそか)の夜。

 少女は凍える手に息を吹きかけて、少しでも寒さをしのごうとします。


 しかし、少女の吐いた白い息は彼女の手を温める前に霧散してしまいました。

 消えていく白い息を見つめていた少女の目に、光るものが浮かびます。 


(冗談じゃないわ。よりによってマッチ売りの少女に転生だなんて……しかも、今夜は大晦日じゃないの)


「死ぬわね、あたし……明け方に死ぬとして、余命十二・三時間、ってところかしら」


(せめて一か月早く転生者として覚醒していたら……いいえ、一日、いえ半日でいいから早く気付いていたら……)


「だめだ、死ぬ未来しか頭に浮かばない」


(嫌ーっ! 死にたくなーい! マッチの火で半ば自己催眠にかかった状態で、幻を見ながら死んでいくなんて絶っ対にっ、嫌よ!)


「冗談じゃないっ、何でマッチ売りの少女なのよっ!」


 大晦日の寒い夜、少女は誰もいない路地裏でそう叫ぶと、マッチの入った籠を地面に叩き付けました。

 冷たい地面に売り物のマッチが散乱します。


「しまった。絶望して、つい感情的になっちゃった」


 地面に散らばったマッチを慌ててかき集めながら、


(ちゃちなマッチでも、いまのあたしにとっては生命線。物語通りなら死ぬしかないけど、これを売りさばけば少なくとも屋根のある家に帰れる)


「どうやったら売れるか、知恵を絞らないと」


(そう、落ち着いて考えろ、あたし。頭のなかは平成日本を生きた成人女性よ。ここは平成日本の知識と大人の経験を活かして、生き延びることを考えましょう)


 自分の運命を切り開こうと思案を始めます。


「お嬢ちゃん、どうしたんだ、こんな時間にこんなところで」


 そのとき一人の親切な男が少女を心配して声をかけました。


(路地裏でいたいけな少女に声をかけるとか、ロリコンか? 物語のなかだっていうのに油断も隙も無いわね)


「売り物のマッチを落としちゃったんです」


 警戒しながら少女が振り向くと、そこには見知った顔がありました。


(あれ? ハンスさん? 確か、パン屋のハンスさんだったはず……)


 優しげな男の顔は、少女の記憶を深いところまで呼び覚まします。


(チャーンス)


 親切なハンスは乾いた地面に落ちたマッチを拾うのを手伝いだしました。


「こっちのマッチはまだ大丈夫だけど、こっちのは売り物にはならないな」


 そして汚泥(おでい)にまみれたマッチに残念そうな視線を向けます。


「ありがとう、ハンスさん」


「ん? どこかであったかな?」


 少女は愛らしい笑みを浮かべて言います。


「一度だけハンスさんのお店にパンを買いに行ったことがあります」


(本当は買うお金がなくてお店を覗いていたら、パンの耳をもらっただけなんだけどね)


「そうか、私の店でパンを買ってくれたのか。一度だけだろうと買ってくれたのなら、お嬢ちゃんは大切なお客さんだよ」


『ありがとう』と笑顔を向けるハンスに少女も微笑みました。


「親切なハンスさん、このマッチを銀貨一枚で買ってくださらない?」


「お嬢ちゃん、それはぬかるみに落ちたマッチじゃないか」


 汚泥にまみれたマッチを差しだす少女に、ハンスは幾分か笑みを引きつらせました。

 そして無体な要求をする少女を諭すように言います。


「それに銀貨一枚あったら、そのバスケットごと買ってもお釣りがくるじゃないかな」


「このマッチ、もの凄い付加価値が付いているんですよ」


「私には泥しか付いていないように見えるがね」


「肉屋の奥さん」


 ぽつりと漏らした少女の一言に、ハンスさんの顔色が変わりました。


(いけるっ)


「クリスマスの前日に製粉所で」


「お嬢ちゃん、なんの話をしているだい?」


「このマッチに銀貨一枚の価値があるって、お話よ」


 少女は天使のような笑みを向けました。


「大人をからかうと酷い目にあうよ」


(強がってもダメよ、顔が引きつっているじゃないの、ハンスさーん)


「クリスマスの前日に――」


「ちょ、ちょっと待ちなさい」


「銀貨一枚」


 慌てるハンスにそう言って、泥まみれのマッチを差しだしました。

 差し出されたマッチと天使の笑顔を見比べると、ハンスはがくりと肩を落とします。


(折れた)


 ハンスの心が折れて瞬間でした。


「お買い上げ、ありがとうございまーす」


 少女は明るい笑顔で親切なハンスを見送ります。


(売れる。情報は付加価値として高く売れる!)


「ターゲットは守るべき生活のある人間ね」


 少女のなかで市場と商品が形となりました。


 ◇


「まいどありー」


 肩を落として足早にさっていく男の背に、少女が明るい声が投げかけます。


「やっぱり経験と知識って大切よねー」


 少女の経験がどのようなものかは分かりませんが、ポケットのなかの銀貨の数だけの価値があったのは確かなようです。


「やっぱり情報って大切よねー」


 鼻唄交じりにポケットのなかの銀貨を数えていると、見知った男が目の端に映りました。

 先程、マッチを五箱も買ってくれた上客です。


(ちょ、なんで警官と一緒なのよっ)


 少女は本能的に身の危険を感じて近くの建物に飛び込みました。


「まさか警官を連れてくるとは思わなかったわ。これ以上、いたいけな少女が大人相手にこの商売をするのは危険ね」


 少女は外の様子をうかがいながら、今後の身の振り方を思案し始めました。


(軍資金もできたことだし、商売を替えるか……)


「とは言ってもなあ……」


「お嬢さん、何か御用ですか?」


 落ち着いた男性の声が少女の思考を中断します。


(誰?)


 振り返った少女の視線の先には年老いた神父様がいました。


「神父様?」


「はい、神父ですよ、お嬢さん」


「ここは、教会?」


 辺りを見回すと燭台(しょくだい)にはロウソクが灯され、その淡い光に照らしだされた景色は、ここが教会であること教えてくれます。

 少女は自分が教会に逃げ込んだのだと、そこで初めて気づきました。


「ええ、教会です。こんな時間にどのようなご用でしょう?」


「怖い感じの男の人に追われて……、慌てて隠れたらここでした。教会とは知りませんでした」


 少女はすがるように神父を見上げます。


「怖い感じの男の人?」


「はい、黒っぽい服を着て棒を持っていました」


 怯える少女に神父様が優しく語り掛けます。


「棒ですか。穏やかではありませんね。警官を呼びましょうか? 家まで送ってもらいましょう」


「いえ、大丈夫です。怖い感じがしただけで、追い掛けられたり何かされたりした訳じゃありませんから」


 少女はそう言うと、神父様から目を逸らしてささやくように言います。


「それに……もし誤解だったら、相手の人に気の毒だし……」


「なんと優しいお嬢さんだ。ですが、もうこんな時間です。家に帰らないとご両親が心配していますよ」


 少女は手にしたバスケットに視線を落とした。


「このマッチを全部売るまでは、家に入れてもらえないんです」


(全部売れたら家に帰らなくても当分暮らしていけそうね)


「もし行くところがないのなら、今夜は教会に泊まって行きなさい。温かいスープくらいなら出してあげられます」


「ありがとうございます、神父様。いよいよとなったら頼らせて頂きます」


 少女はそう言うと、少し困ったような表情でつぶやきました。


「その、お願いがあるんですけど」


「お願いですか? 私にできることでしたら力になります」


 神父様がほほ笑んだ。


「ロウソクを少し分けて頂けませんでしょうか」


「ロウソク?」


「はい、ロウソクです」


 ◇


「できた! 防水マッチ!」


 神父からロウソクを分けてもらった少女は、ロウソクとマッチで『防水マッチ』を作成しました。


(平成日本の知識バンザイ!)


 少女が教会の前で売り出した防水マッチは、少女の巧みな話術と実演販売の効果もあって、飛ぶように売れました。

 バスケットのなかの防水マッチは瞬く間に減っていきます。


 大勢の野次馬を前に実演販売を続ける少女に一人の男が声をかけます。


「お嬢ちゃん、そのマッチの作り方を教えてくれたら全部買うよ」


(掛かった! だが、本命はお前じゃない)


 少女がロックオンしたのは人込みに紛れた小太りの若旦那でした。

 少女の知る限り誰よりも世間体を気にし、且つ、とても敬虔な信徒です。少女の捜すビジネスパートナーとして、欠かせない条件を満たしていました。


「おじさんは商人なの?」


「ああ、そうだ。商人だよ」


「作り方を教えたら、これを全部買ってくれるの?」


「そうだとも」


「いくらで?」


「大丈夫だよ。心配しなくてもちゃんと代金ははらうよ。一箱銀貨一枚だろ?」


 男の滑らかな口からは耳に心地よい言葉が紡がれ、


「いや、もう残り少ないんだし、倍だそう。一箱銀貨二枚だ」


 野次馬たちの間からも男の気前の良さに感嘆の声が上がり始めました。

 ですが、少女はすぐには首を縦には振りません。

 

「買ったこのマッチはおじさんのお店で売るんでしょ?」


「そうだな、全部を使うことはないから、あまったのは店で売るつもりだ」


「それって、普通に仕入れじゃないの?」


「何の話をしているんだい」


 男の表情が硬くなり、滑らかだった口は急に止まります。


「防水マッチの作り方を教える対価は別に貰わないと割に合わないわ」


「お嬢ちゃん、大人の言う事は素直に聞くもんだよ」


「おじさんこそ、子どもを騙(だま)すようなことをしちゃだめよ」


「素直に言うことをきかないと痛めを見ることになるぞ」


(本性を現したわね)


「ねえ、おじさん。金の卵を産む鳥の話をしっている?」


「何を訳の分からないことを言っているんだ?」


「金の卵を産む鳥がいたんだけど、愚かな男は鳥のおなかのなかに、金の卵が詰まっていると思って鳥のおなかを割いちゃうの」


「だから何の話をしているんだ?」


 男が苛立ったように言いました。


「結局、愚かな男は金の卵を産む鳥を殺しただけで何も得るものはなかった、というお話」


「訳の分からないことを言ってごまかそうってのか?」


 男がさらに苛立ちをつのらせます。 


「おじさん、あたしの頭のなかにはこの防水マッチのように、売り物になる知識がたくさん詰まっているの」


「だったら、お前さんを閉じ込めてその知識を吐き出させるさ。俺は愚かな男とは違う」


「ここは教会の前、大通りよ。後ろを見てごらんなさい」


「何だと」


 振り向いた男の目には大勢の人々が飛び込んできました。


「この悪徳商人!」


「てめぇの店じゃ、何も買わないからな!」


 小太りの若旦那が人込みに紛れて声を上げます。


「そいつは二丁目のアクロイドだ」


(やるじゃないの、若旦那。これは、ちょっと警戒した方がいいかもね)


 少女が若旦那の警戒レベルを引き上げました。


「二丁目のアクロイドだな、憶えたぞ!」


 周囲の大人たちが一斉に男を非難し始めました。

 そのときです、少女がロックオンしていた男が人込みをかき分けるように進みでます。


「お嬢ちゃん、おじさんも商人だ。その製造方法を教えてくれないか? 十分な対価は払う」


 天使は少女にほほ笑んだのです。


「対価は他の知識も含めて都度値段を付けて頂けますか?」


 少女はすぐに反応しました。


「もちろんだ! 皆、証人になってくれ! 私は向こうの大通りで店を構えている。知っているだろ」


「知っているぞ、モーガン商会の若旦那だ」


「私はこの少女から正当な値段で知識を買わせてもらう。その手始めが防水マッチだ」


 やり手の若旦那はここぞとばかりに、集まった人たちに自分自身と、少女がもたらすであろう将来の商品を売り込みます。


「防水マッチをあんたの店で買うよ」


「そうだ、アクロイドの店でなんか買うもんか!」


「そのお嬢ちゃんの頭のなかには防水マッチ以上のものが詰まっているんだろ」


「そうだ、それもあんたのところで買うぜ」


「バカ野郎、モーガン商会でしか買えねえぇよ」


 野次馬たちの間から歓声と笑い声が上がります。

 その歓声のなか、アクロイドが逃げるようにしてその場を走り去りました。


 こうしてマッチ売りの少女はずる賢い商人の魔の手を逃れ、頭の回転の速い善良な商人のビジネスパートナーとして幸せを掴みましたとさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

転生・マッチ売りの少女 ~少女は天使の笑みを浮かべた~ 青山 有 @ari_seizan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ