2日目

目が覚める時、最初に耳にする音はなんだろう。


入り交じった遠くの話し声。

硬い床を叩く無数の足音。

ドアガシマリマス。



「あっ!」



座席から立ち上がったワタシは風を切り、

閉じかけた扉の向こうへと身を投げうった。




※※


時刻は夜の7時過ぎ。

自分の口から吐き出される白い息を見ながら、

今朝のニュースで見た本日の最低気温を思い出していた。


ワタシは毎日のように通っている帰り道を歩く。

普段なら見向きもしない平凡な街並みだが、今夜は幾分か様相が違う。


夜闇の暗黒に点々と滲み出した輝く白銀はくぎん

靴底から伝わる凹凸おうとつを踏みしめる感触。


そう、この冬初めて

この街に雪が降ったのだ。



ワタシが電車から降りた時にはもうやんでいたが、

日中だいぶ降っていたので至るところに雪が積もっている。


この街に積もるほどの雪が降ったのはいつ以来だろうか。


――前に降った時もこの帰り道を歩いていたのを思い出す。

今日よりもっと大粒の雪が降り注いでいて、

ワタシは傘も差さずに立ち尽くしてその光景を眺めていた。

視界の中で、音も無く舞い落ちる無数の白い塊。

あの時、ワタシは世界から音が消えたかのような感覚を味わった――。



そんな体験もあって、ワタシは雪の日が好きになっていた。

そうでなくても、景色が白で覆われ尽くす非日常というのは気分を高揚させる。

それは他の人々にとっても同じだったようで、

はしゃいで走り回ったり、携帯で写真を撮ったりしている者がそこかしこにいた。


ワタシはというと、こんな公衆の面前で諸手を挙げて喜ぶほど顔の皮は厚くない。

すぐ横の空き地に広がる未踏の雪原に向かって大の字に寝転びたいという欲求は、

頭の中で想像するだけに留めなくてはならないのだ。



雪道に足を取られないように注意しつつ、

様変わりした街並みを順に見ていく。


駐車している車にこんもりと積もった雪は、

今日一日エンジンを噴かされずこの車が留守番していたことを物語っている。


菱形の金網フェンスに引っかかった雪は、

たくさんの“Vの字”を形成してまるで大きな魚のうろこのようだった。


家の門柱のインターホンの上にちょこんと載った雪山は、

お客を出迎えるためにお洒落したインターホンの小さな帽子にも見えた。



何もない平地には、たいらにしか雪は積もらない。

雪の型どる白い輪郭が、この街にたくさんの物があることを教えてくれる。

今夜の主役は、雪だけではないのだ。



ふと、夜空を見上げようと顔を上げた時。

冬に存在するはずのない異様なモノが目に入り、

ワタシは思わず足をとめた。


(桜……)


街路樹として植えられた一本の桜の木。

花を咲かせるのは4月のほんの僅かな期間だけ。

葉も秋の間に枯れ落ち、この木が桜であることは

次の春まで皆忘れているのではないだろうか。


そんな、今は何も付いていない枝だけの桜の木。

その枝に沿って積もった白雪が、街灯を反射してきらきらと輝く姿を

と見紛うのは無理もなかった。



「きれい……」



雪が思い出させてくれた。

ここには、いつも桜の木があったことを。


ワタシは思わず携帯を取り出し、桜の木に近寄った。

写真に残したい、この美しい雪桜を。



と、その時。


少し風が吹いたのか、

ワタシの頭上で木の枝が微かに揺れたような気がした。


そして―――



ゆきが、散った。



「わっ!!?」


枝から離れた桜の花びらゆきのかたまりはひらひらと舞い落ちるのではなく、

一直線に、真下にいるワタシめがけて落ちてきたのだった。

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平凡な日常は言葉にすることで物語となる 余手などか @Nadoka

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