雪跡
月空 すみれ(ヒスイアオカ)
雪跡
冬になると、我が家は祖父母の家に帰省する。
玄関には新年らしい、しめ縄が飾ってある。
祖父母は2人共、穏やかで優しい人だ。
祖母は何度か病気を患ってきたが、今は比較的安静で、今年も美味しいおせち料理を作ってくれる。
家のすぐ傍には小川と森があるので、ぼんやりと外で川を見るのも好きだった。
今年は大寒波がやって来た。
夜中には屋根を叩くあられの音が響き、時折屋根雪の落ちる音が聞こえる。
風の音は聞こえなかったが、体が芯から冷えるような寒さに、私は身震いした。
この家に唯一欠点があるとすれば、それはこの部屋に暖房がないことだろう。
そんなことを考えながら、私は素早く布団に潜り込んだ。
布団の中は真っ暗だけど、さっきよりも温かい。
息が顔を温めてくれる。
(温かいなぁ…。)
布団にぬくもりが染み入った頃に、私の意識は彼方へ飛んでいった。
起きた。
初夢は見なかった。
見たような気もするけど、思い出せない。
一に富士山、二に鷹、三に茄子というけれど、去年どころか、生まれてから一度もそんなもの見たことがない私。
(多分無理だろうな。)
私は、ぼんやりとそう思った。
客室は相変わらず寒い。
けど、一度リビングに行けばそこは天国だ。
暖房のお陰で暑いくらいで、私は汗までかいている。
体が火照ってしまった。
こういうときは、外に出るのが一番だ。
客室に戻り、分厚い防水防寒コートを着る。
(雪は積もってるかな。)
玄関で膝小僧まである長靴を履けば、冬の装備は万全。
扉を開ける。
外に出た途端、頰に寒さが突き刺さった。
(寒っ。でも、雪は積もってる。嬉しい。)
口角が、知らないうちに上がったいた。
扉を閉めて、改めて前へと進む。
玄関は屋根のお陰で綺麗だったが、一歩出れば足場は不安定になる。
着物を着たときような小股で、私はそーっと歩いて行った。
(雪が深いな…、結構積もってる。気をつけないと。)
段々と冷えていく足を動かしながら、私はそう思った。
これでは、いつもできていた“雪に倒れ込む遊び”が、できなくなってしまう。
(今日は、特に遊べそうもないなぁ…。もう、戻ろうか。)
そんなことを考えたときだ。
(…!これ、もしかして足跡?)
雪の中に急に現れたそれは、一本の線のように同じ模様を残しながら奥へと続いている。
今まで雪の日に外に出ることはあったけど、こんな足跡を見るのは初めて。
思わず興奮して立ち止まると、ズボッと、ふくらはぎの真ん中まで沈んでしまった。
(お…っと、危ない危ない。)
慌てて、後ろに下がる。
え、何が危ないのかって?
足跡を消してしまいそうだったことがだよ。
(慎重に、慎重に。)
これは何の足跡だろう。
蹄が三つあって、前に大きく二つ、後ろに小さいのが一つある。偶蹄類?
他に足跡が見当たらないのは、祖父母の家のさらに奥に行くと家がないからだろう。
この先にあるのは、行き止まり。
(ひとまず、スマホでググろ…。)
コートについたポケットから、スマホを取り出す。
パシャパシャと写真を撮った後、
“動物 足跡”で調べた。
似てると思ったのは、鹿とカモシカと猪。
詳しく見てみると、これはどうやら猪のようだった。
(熊じゃなくて良かった。)
ホッとする一方、カモシカや鹿などに憧れていた私は、猪であることに少しガッカリする。
(でも、嬉しいな。人が長いこと、来なかったのかな。それで降りてきたのかも。)
ふと、森を見る。
すぐ近くにある木々には雪が積もり、雪化粧を纏っていた。
(この森から、普段見ることもない、住む世界も違う生き物が、ここを歩いたんだ。)
体が、急に熱くなった気がした。
恐る恐る、足跡の隣を歩く。
(慎重に、慎重に。)
そっと、そっと、歩いていると、段々と体の火照りも収まってきた。
ただ、木漏れ日のような小さな温かみが、私を包んでいる。
最近、南極に行った人のエッセイを読んだ。
そこで筆者は、沢山のペンギンを見て、美しい鳥を見て、綺麗な花を見て…。
表現の美しさが際立った作品。
こんな日に外で読めたら最高だと、部屋で読んでいる最中、私は思っていた。
(今の気分は、あのエッセイを読んでたときと同じ。)
センチメンタルでもなく、熱狂でもない。
涙が出るかわりに圧倒されるような、そんな気分。
(まるで、絵画みたいな風景だな。)
改めて周りを見て、私は感嘆の息を漏らした。
行き止まりまで来て、私は足を止めた。
ここから先は、もう行けなさそうだな。
(…帰ろう。)
そうして、私は家に帰った。
~その後~
「みんな、道を歩いてたら、こんなの見つけたんだ。」
そう言って、皆に写真を見せる。
「おお~!これ、なんの生き物なの?」
お母さんが聞いてきた。
「多分、猪。」
「猪かぁ。もし出会ったら、なるべく背を向けないようにして、そっとその場を離れるんだよ。」
お母さんが、真剣な顔になって言う。
耳にたこができるほど聞いた言葉だ。
「はいはい、分かってますよ。そうだ、猪といえばさ…。」
そう言って、私達は話に花を咲かせた。
雪跡 月空 すみれ(ヒスイアオカ) @aokahisui
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