婚礼衣装

尾八原ジュージ

婚礼衣装

 今はストックホルムに居を構えているが、祖母の実家は大変な田舎にあった。これは彼女がまだその村に住んでいた頃の話である。当時、祖母は十六歳の少女だった。

 あるとき、その村にほど近い森の中で、若い娘が死体となって発見された。服毒自殺だったという。

 彼女もまた古くから村に住む一家の一員だった。数週間後に結婚式を控えており、普通なら幸福の絶頂にあるはずだ。花嫁の理由なき自殺に、誰もが首を捻った。

 人死があると、小さな村では総出で葬儀を行う。祖母の村では死者に晴れ着を着せて弔うのが常で、その娘もまた繊細なレースをあしらった白いドレスに身を包み、棺の中に寝かされた。遠からず着る予定だった婚礼衣装である。苦悶の中で死んだはずの顔は葬儀の前に整えられ、まるで眠っているかのように静かだった。それは一種異様な美しさをたたえて、多感な少女だった祖母の脳裏に焼き付いた。

 村では土葬が行われており、亡くなった娘もまた村外れの墓地に葬られた。埋葬の日は銀色の雲が空に浮かぶ、冬の寒い日だったという。


 その後、奇妙な噂が囁かれるようになった。死んだはずの娘が、村内のあちこちで目撃されたのだ。「見た」と語る人物は老若男女様々で、場所もばらばらだったが、確かにあの娘だった、婚礼衣装を着ていたと口を揃えたという。

 娘の両親や婚約者は彼女の姿を求めて村内を探し回ったが、大半の村人は気味悪がった。特に子供や若い娘の中には、幽霊を怖がって家に閉じこもってしまうものも多かった。

 幽霊騒ぎが収まらないままに、大晦日がやってきた。この日は村人が一堂に会して、賑やかに年越しを過ごすのが慣習であった。村内には無人の大きな、古い民家があって、そこが村の集会所になっていた。日頃は幽霊を怖がって家に引きこもっていた女子供も、この日ばかりは家を出たものが多かった。

 祖母は村長の近い親戚だったので、朝から手伝いに駆り出され、集会所の掃除やテーブルの支度に大忙しだった。ようやく落ち着いた夕方頃、ふと空を見上げると、灰色の空から雪がはらはらと落ちてきた。

 一緒に支度をしていた誰かが「積もりそうね」と言ったのを覚えているという。


 ほど無くして日はとっぷりと暮れ、年越しの宴が始まった。

 この年の宴会は特別賑やかだった。皆が幽霊騒動を努めて忘れようとしているかのようだった。祖母もまた、年の近い娘たちと食事をつまみ、話をして笑いさざめきながら、頭のどこかでは死んだ娘のことを考えていた。青白い顔をした彼女が、村人たちに紛れて部屋の隅に立っているような気がしてならず、何度も物陰に視線を送った。

 騒々しさのうちに夜は更けていった。ひとり、ふたりと帰路につく者もいる。

 祖母は片付けをしなければならなかったので、深夜近くになってもまだ会場に残っていた。やがて賑やかだった宴もピークを過ぎ、部屋の中はだんだんと静かになってきた。会話が途切れ、レコードの奏でる賛美歌だけが響き渡る。そのとき誰かが「雪はまだ降ってるのかな」と言った。

「そういえば外が静かだ。どれ、どんなもんかな」

 村長が立ち上がって窓辺に立った。恰幅がよく、落ち着きのある壮年の男性だった。その彼がぶ厚いカーテンを開けた途端、笛のような甲高い悲鳴を上げた。皆の視線が窓の方に集まった。

 すぐ外に、白い人影があった。

 白いベールとドレスを着、両目をかっと見開いて掌をべったりとガラスにつけているのは、確かに自殺したはずのあの娘だった。祖母も含めてその場にいた全員が、はっきりとその姿を見たという。

 永遠とも思われる一瞬が過ぎ、直後、部屋の中は嵐のような大混乱となった。

 誰かが窓辺に駆け寄ってカーテンを閉めた。娘の姿は見えなくなったが、取り乱して泣く者もあれば、抱き合ってがたがた震える者もあった。娘の家族や婚約者はすでに帰宅していたため、家族を呼んでやれ! と叫んだ者もいた。だが集会所には電話がなく、かと言って外に出る者もなかった。外に出れば幽霊と鉢合わせしてしまうかもしれないのだ。

 混乱のうちに時間だけが過ぎた。やがてようやく普段の様子を取り戻した村長が、何人かを伴って外の確認に赴いた。祖母は母親と身を寄せ合い、どきどきしながら外の様子を伺っていた。

「いない! いなくなっているぞ!」

 表から声が聞こえた。安堵と、何か言葉にし難い思いが詰まった溜息が満ちた。

 部屋にいたはずの娘がひとり、いつの間にか姿を消していることに皆が気づいたのは、そのときだった。


 辺りを探し始めて間もなく、いなくなった娘のものらしい足跡が見つかった。それは集会所の裏口から、墓地がある方角へと続いていた。

 不吉な予感を胸に、人々は手に手に灯を持ち、足跡をたどっていった。

 案の定、娘は墓地で発見された。すでに冷たくなった彼女の体は、自殺した娘の墓前に横たわっていたという。

 彼女の部屋からは封じられたままの劇薬の小瓶と、手紙が発見された。娘の両親はそれを読むとすぐに、初めに自殺した娘の家へと出かけていった。その手紙は、彼女が家族と婚約者に宛てて書いたものだったのだ。

 それによれば、亡くなった二人の娘は、秘密の恋人同士だったのだという。

 まだ同性愛が市民権を得るには早すぎる時代と土地柄であった。誰にも言い出せないままひとりの娘の結婚が決まり、追い詰められた二人は心中を図った。ところがひとりは土壇場で死ぬのが怖くなり、恋人を置いて逃げ出したらしい。そのまま家に引きこもっていたが、大晦日の夜は家族が出かけてしまう。一人になるのが怖くて、彼女もまた宴会に来ていたのだ。それが災いして、その晩幽霊はついに、尋ね人を見つけることができたのである。

 心中の生き残りだった娘もまた、冷たい遺体となって棺の中に納められた。彼女も慣例通り白い晴れ着を着せられ、やはりそれは婚礼衣装のように見えたという。

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