年賀状パラメータ

さくらみお

年賀状パラメータ

 今年は3ミリだった。


 何がだって?


 今年、私に来た年賀状の厚さだ。

 年々厚さは薄くなり、やがて0になる時も来るだろう。


 しかし、それを寂しいとも虚しいとも思わない。むしろそんな風に人間関係を割り切れる自分に「良くやった」と褒めてあげたくなるくらいだ。



 十代の頃。

 私は年賀状という、友達パラメータに振り回されて居た。


 思春期に片足突っ込んだ女の子達は、友達同士で群れるのに必死だった。

 私も間違いなくその一人。集団の中の、孤独一人は嫌だ。だって惨めだもの。こんなにたくさんの人間が居て、誰とも仲良くなれないなんて異常でしょ?私はおかしくないよ。普通だよ。だから、みんなとするの。出来るの。


 出る杭は打たれる。

 でも凹んでいても、埋められる。


 みんな、必死だった。

 自分達で巻き起こす波に溺れないように。

 藁にでもすがりついて。


 その中で年賀状は人間関係のパラメータ。


 毎年ドキドキした。

 書いた内容が不快だったらどうしよう。

 喪中の子にうっかり送っていないだろうか。

 送って無い子から来たら、嫌な気分にさせてしまう、どうしよう。

 その癖、私が送ったから送り返してくれた一月六日ぐらいに届く市販の年賀状を見て悲しくなったりして。


 今思えば、送り返してくれただけ有り難いのに、当時は杜撰に扱われたと勝手に傷付いていた。


 ――とまあ、私も結構めんどくさい女だった。


 でも、集団の一人は怖かった。

 一人でいるのが好きな癖に。

 ほんと、変だよね。


 本来の年賀状は直接会えない親しい間柄の方やお世話になった方への感謝と近況を伝える手紙の筈だ。


 なのに、当時の子ども達にはそれがマウントの道具に過ぎなかった。




 あの頃、必死と出していた年賀状の友達で続いているのは、たった四人。


 みんな全然会えて居ないけれど、それぞれが家庭を持ち、幸せに暮らしている。


 この四人の友達ともこれから生涯会う事無く、人生を終えるかもしれない。

 ただ年に一回、年賀状ですれ違うだけ。

 ちょうど良い距離感。

 

 去年より薄くなった年賀状を見て、私はしみじみ思う。


 私は大人になったのだ。

 

 



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