年明けこそ鬼笑う

長月瓦礫

年明けこそ鬼笑う


午後から気温がぐっと下がってから、ずっと雪が降り続いている。

早いうちに帰宅命令が出たのは本当に運がよかった。電車が遅れる前に自宅へ帰還できた。


普段なら会社にいる時間だ。

こんな機会もないだろうと思い、外出することにした。


スマホで写真を撮りつつ、近所を歩く。

雪が積もるだけで風景ががらりと変わる。

別世界に来たみたいだ。


ずっと気になっていた喫茶店に入る。

昼間しかやっていないのか、帰る頃には閉店している。


こんな時でもない限り、二度と来られないかもしれない。

ドアベルが来客を告げた。

カウンター席に座っている女性以外、誰もいない。


「ここ、空いてるよ」


ニット帽をかぶった女性が隣の席を指さした。

椅子の足元に黒猫がいた。


「いやあ、運がよかったな。

今はすいてるから、好きなもん頼めるよ〜」


店員でもないのにメニューを差し出した。

コーヒー豆の名前がずらっと並んでいる。

ロクに飲んだことがないから、どれを選べばいいか分からない。


とりあえず、日替わりセットを頼んだ。

軽食付きだから、ゆっくりと過ごせそうだ。


「ま、暗くならんうちに帰ったほうがええで。

何が出るか分からんし、な」


扉の方を見た。

こんな雪の日だからこそ、変質者でも現れるのだろうか。

ニット帽に目がいった。


「ん? 店内で帽子は脱いだ方がいいって?

アレか、マナー講師とかいう新手の新興宗教の回し者か? 

そーゆーのは間に合ってます」


手をひらひらと振った。まだ何も言っていない。

さも当たり前であるかのように身に着けていたから、全然気がつかなかった。


目の前にコーヒーとサンドイッチが置かれた。

コーヒーからは白い湯気がのぼり、ゆっくりと手に取った。

カップの熱がじんわりと伝わる。


「ま、言ってることはまちがってないからなあ。

せいぜい後悔せんようにな」


コーヒーを啜りながら、ちらりと見る。

帽子を脱ぐと、彼女の頭から二本の角が生えていた。

なるほど、それを隠すための帽子だったのか。


「そんな驚くもんでもないやろ。

ここはシオケムリ。人外どもが集う街や。

鬼の一匹や二匹、普通におるで」


彼女は皮肉っぽく笑う。


潮煙は昔からバケモノがいると噂されている。

さっさと寝ないと妖怪に食べられちゃうよ。

両親から脅されたものだ。


まさか、本当にいるとは思わなかった。


「ひさしぶりに降ってるなあ。これは長くなりそうや。

夜のうちにやむと思うけど、明日は覚悟しといたほうがええで」


再び窓の外に目をやった。

大粒の雪がこんこんと降っている。

生垣なんて真っ白に染まっている。

明日は早めに家を出たほうがいいかもしれない。


面倒だなあと思いながら、サンドイッチをかじる。

ほどよく焼けているパンと具材が口の中で混ざる。


「何で雪がやむタイミングが分かるのかって?

そりゃ、うちは雷様やもん。自分で降らせた雪くらい、分かるに決まっとるやろ」


雨を降らせるのは雷様の役目だが、寒くなると雪になるらしい。

天候を自由に操れるのだろうか。


「この雪をやませろ、だあ?

お前、うちは魔法使いとちゃうで。

雨や雪を降らせることしかできんのや。

せやから、待つしかないのよ」


申し訳なさそうに視線を逸らす。

そこまで自由な能力でもないらしい。


コーヒーをゆっくり啜る。

熱が体の中へ染み込んでいくのが分かる。


「ここのコーヒー、美味しいやろ。

マスターが厳選したとっておきばかりなんよ」


そういえば、このセットを出した人の姿を見ていない。

店員らしき人も見かけない。たったふたりだけだ。


肺はコーヒーの香りで満たされていて、舌にほどよい苦味が残っている。

見慣れない名前ばかりで、どれだけすごいのかは分からない。


ゆっくりため息をついた。

こんな時でもないと来られない。ぜいたくな時間だ。


「あーもー! 雪すごいんだけど!」


まあ、一瞬にしてぶち壊されてしまったわけだ。

大声で叫びながらサラリーマンが入店してきた。

バタバタとコートを脱いで、俺と目が合った。


沈黙が降り、静かに詰め寄った。


「あの、もしかして、開いてました?」


「開いてました」


「女の人、いませんでした?」


「はい、来てました」


「角、生えてませんでした? その人」


「生えてました」


隣にいた女性は姿を消していた。

コーヒーがまだ少しだけ残っている。

どんどん青ざめていき、今にも土下座しそうな勢いだ。


「彼女、鬼なんです。

出禁にしてるんですが、たまに遊びに来るんです。

何か変なこととかされませんでした?」


「特には何も……」


「雪が降るのを狙ってたか? 

人間がここに避難してくるのは確かなんだけど」


独り言をつぶやきながら、カウンターの奥へ消えた。

隣に座っている鬼は得意げに笑っていた。

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年明けこそ鬼笑う 長月瓦礫 @debrisbottle00

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