最終話 時を刻んで

「俺は、まだ先のことはわからないから。そのうちになりたいもの、目指したいものが見つかればいいんだけど……」


 ちょっと自信なく呟いてしまったせいか、ケイはこちらを向くと、柔らかくほほえんでくれた。安心を与えてくれる笑み、笑いなれていない感じだけど、優しい笑み。


「見つかる、大丈夫」


「ケイちゃん……」


 でも、でも今、望みたいものはあるんだ。

 だから、ケイちゃんをここに呼んでしまったんだ。ケイちゃんが心配なのもあった。一人で過ごしていると思うと嫌だった。夜中にまたポツンとたたずんでいると思うと、胸が痛くなった。


 あの日、入学式の日に。誰もいない廊下で俺を助けてくれたみたいに。

 俺もケイちゃんに手を差し伸べたかった。


「ケイちゃん、俺さ……俺……」


 こんなにも激しく、胸が高鳴る。今まで誰が側にいても自分の気持ちがこんなにはならなかった。突然、こうなってしまった。

 その理由は望むものができたからに違いない。


 緊張に耐えきれなくなってワタルが目を伏せると、急に左の頬に感じたことのない熱さがあった。見ればそれはケイの右手。

 あの日、王子様のような仕草で伸ばされ右手が自分の頬に触れている。しかもあの時の温かいと思う熱ではなく、こちらが息を飲むほど、熱い手のひらで。


 すぐ目の前には銀の瞳が自分を見ている。見つめ返していると吸い込まれて、自分が消えてしまいそうな気がしてくる。

 意識が遠のいてしまいそうだが、触れる熱さがそれを許さない。さらにケイの右手の親指が動き、ワタルの唇を端から端へとなぞっていく。


 あぁ、怖い怖い、怖いくらいに苦しい。息ができない。全身が自分で制御できないぐらい、緊張に強張っている。

 でも嫌なわけではない。


 ケイちゃん。

 もっと触れてほしい。

 ずっとこのままでもいい。


「俺……ケイちゃんとなら、時が止まってもいい、な……」


 言ってしまった後で、ワタルは「しまった」と思った。やっと時が動き出したケイにそんなことを言うのは無思慮だったかもしれない。


「ご、ごめん、変な意味じゃ……その、俺、ケイちゃんとなら、一緒だったら安心するなって……いつまでも一緒でも――って、あっ」


 言ってしまって。

 ハッとして。

 背中が柔らかいベッドに当たって。

 息ができなくなった。押し倒され、驚いたのと、唇が塞がれたのとで。


 ケイの身体の重みを感じる。でもケイは自分で身体を支え、全身で重みをかけないようにもしてくれている。


 ケイちゃん……ケイちゃんが……。


 すぐ目の前で、キスしている、俺に。


 ワタルは布団をつかみ、飛び上がってしまいそうな自分を必死で抑える。

 全身がぞくぞくする。神経全てが脈打って、ほんのかすかなケイの動き、お風呂の匂い、身体の熱さ、唇の熱さ……全てを感じさせて自分をおかしくさせてくる。


 頬にあったケイの手が首筋に触れる。指先が当たっただけなのに全身に力が入ってしまう。


 やばい、ダメだ。あぁ、なんか、ヤバいからっ……首、触られると――か、肩まで、さ、触らない、で……。


「――はぅっ、ケイちゃんっ……」


 唇が離れた隙に、ワタルは震える手を動かし、ケイの肩になんとか手を当てた。完全に力が抜けて押し返すまではいかない、ボタンを押すぐらいの力も入らない。

 顔が熱い、頭の中も熱い、全身が熱い。


「ケイちゃんっ、俺……ダメ、まだ……死ぬ」


 嫌なわけじゃない、触れてほしい。

 でもまだ深く――深くの繋がりまでは理性が完全に吹っ飛んでとんでもないことになってしまうかもしれない。

 親も下の階にいるし……。


「……ワタル、ごめん」


 ケイはまだ上に乗っかったまま、こんな状況だけど表情は相変わらずに、謝ってきた。

 しかし無表情だけど、ケイが自身にわき上がっていた何かをグッと抑え込んだのが雰囲気でわかった。


「ワタルが、かわいいから……」


「お、俺の方こそ、ごめん……」


 こうなるのも、どこかでわかって望んでいた。でもいざとなるとこんなにも、胸が痛いくらいにドキドキしてしまうんだな。

 これが好きっていうことか。


「俺、ワタルより年上だって、忘れていた」


 予想外の言葉に、ワタルは目を丸くした。


「ワタル、未成年だ……まだダメだな、こういうの」


「は、はぁ……そうだ、な……」


 しっかりとそこは気にしてくれるんだな。うーん、真面目なケイらしい。


 酸素が足りないので、ワタルが静かに大きく呼吸をしていると。

 ケイはワタルを見つめ、目を細めて――。


「俺、ワタルが好きだ」


 初めて見る、彼の笑顔。

 眩しく見えてしまうぐらいに幸せそうで。


「ワタルと時を歩んでいきたい」


 紡がれる言葉はまるっきりプロポーズみたいで。

 ワタルはせっかく吸った息を、また「はぁぁぁ」と出して腕で顔を覆った。

 もう見ていられない、恥ずかしくて。嬉しいけれど。

 でも自分も言わなきゃ、ケイちゃんに。


「俺も、ケイちゃんが好きだよ……ずっと一緒にいたい……」


 視界を真っ暗にしたから、ケイがどんな表情をしているのかはわからない。

 無表情――そんなまさか。きっと笑ってくれている、今見た眩しい笑顔で。


「……ワタル、キスだけ、したい……」


 そう言うとこっちの返事を待たず、視界を覆う腕もどかさず、ケイはキスをしてきた。

 見えないから、余計に唇の感触が伝わってしまって。

 ワタルは内心で雄叫びを上げてしまった。






 翌日、小田野が言った通り、学校は何事もなく、普通に時が進み出していた。

 コウタとシドウは急なことではあるが、引っ越すことになって来られなくなった、ということになり。それが知らされた時には「なんでこんなタイミングで?」と、どよめいたクラスメートも、四時間授業が終わり、昼休みになる頃にはもう落ち着いてしまった。

 さびしいけど、仕方ないよな。


「えっ、ケイの引っ越し先を探してほしい?」


 そして昼休み。急いで昼食を食べ終えてワタルはケイと共に職員室の小田野の元へ向かった。小田野には事前にアポイントを取っていたこと、まだみんなが昼食時間中に来たこともあって、職員室には小田野以外に誰もおらず、ワケアリ話をするにはちょうどよかった。


「昨日は結局、俺の家に泊めちゃいましたけど。ずっと、っていうわけにはいかないし……でもケイちゃん、身寄りもないし」


 そうだなぁ、と。小田野は椅子に座ったまま腕組みし、首を傾ける。

 そんな時、職員室のスライドドアがガラガラと開く音がしたので、話はもう終わりか、なんて思っていると。


「それについては俺がなんとかしてやるよ」


 聞き覚えのある声。その声の方へ振り向くと「あぁっ!」とワタルは声を上げてしまった。


「アサキっ!」


 青い髪、赤い瞳。高身長、カッコいい。

 生徒が着る白シャツ、制服のズボンを着用したアサキは手を上げて「よう」と陽気に挨拶をしてきた。


 あれ、でも、アサキは……。


 ワタルの疑問をよそに、アサキは座る小田野の横に立つと話の続きをした。


「俺の会社で所有していて、あまり使っていない物件がある。卒業までなら使ってもいい。ワンルームでも家具家電は揃っているし、光熱費や家賃はまけといてやるよ」


「ア、アサキ、そんなのあるの?」


「あぁ、一応。理事長以外の仕事もしている。だからあまり学校に来られないこともあるんだけどな……」


 アサキが渋い顔をしていると、小田野は彼を見上げ「今回は仕方ないだろ」と、たしなめるように言った。


「生徒が二人いなくなった上に編入生まで消えたままじゃ、生徒達が混乱する。ほとぼりが冷めるまでは在席してもらわないとな」


 小田野の言葉で、ワタルは納得した。

 なるほど、混乱させないために理事長はまた編入生のアサキを演じなければならなくなったのか。アサキのノリからすると多分、小田野の発案なのだろう。


「……しかし、ナオキ……俺が高校生のふりをするのもなかなかに厳しいものがないか……?」


「そんなことはない。どんな効果か知らないけど一晩経ったら顔が若返ったみたいだし。姿は高校生のままだ。お前の学校なんだからそれぐらい協力してもらわないと。じゃなきゃ、僕も協力しないからな」


 アサキは面倒くさそうに「へーい」と返事をすると近くにあった誰かのデスクチェアに座った。

 理事長なのに、すっかり理事長らしさはどこにもなく。いるのは荒くれた感のあるアサキだ。これも元に戻った影響なのか。それともしっかり編入生を演じているのか。


 けれどワタルは目の前の二人を見ていて、楽しい気分になった。あれだけすれ違っていた二人がこうして学校のために動き、協力しているのが不思議とも、嬉しくも感じた。


「あ、そうそうワタル」


 小田野が思いついたように呼んだ。


「校則変えるって。校則は制服だけになるんだってさ、でしょ、理事長?」


 アサキは青い髪をかきながら「そうだけど今は理事長と呼ぶな」と返していた。


「明日、朝礼で発表するから。でも明日からね。まだ今日は恋愛禁止……だからあまり、二人でいちゃつかないように。退学になるからね」


 ニコニコしながら言う小田野。それは優しさなのか、ちょっとした意地悪なのか。

 でも今日一日ぐらい、何もしないでいるなんて、わけないことだ。


 ワタルはケイを見上げ、

「一日ぐらい平気です。だって俺達、時間はたくさんありますし」

 そう小田野に返してやった。

 ケイもうなずいていたが……ちょっとだけ頬が赤くなっていた――新しい反応だ。


 小田野は「はいはい」と手を振り、そろそろ教室に戻るように、と促してきた。

 ワタルはケイと職員室を出て――出たふりをして、ほんの少しだけ職員室の中をのぞく。


 中にいる二人は、なんだかお互いに横柄な態度で何かを言い合いしているみたいだ。

 けれど……楽しそうに笑っている。

 それは憎まれ口を叩きながらもお互いを認め合い、お互いを許しているからこそできる関係性だ――小田野のあの“癖”も出ていないし、もう大丈夫。


「そういえばケイちゃん」


 ワタルは職員室を出るとケイに呼びかけた。銀の髪が窓から差し込む日を受けながらふわりと揺れ、同じ色の瞳が柔らかく光る。


「母さんに聞いたんだけど、ケイちゃんが前にいた子供達の家……実は母さんの知り合いがやっていて、母さんがそこの人と連絡を取ってくれたんだ」


「……うん」


「そしたら……家はもうないんだけど、そこの所長していた人がケイちゃんを覚えていた。とても嬉しい、会いたいって。今度の日曜とかどう?」


 そんな話をしてもケイはいつも通りの表情だった。

 でも彼から嬉しい、という気持ちがにじみ出ているのをワタルは感じた。


 もうハッキリわかる、表情に出ていなくても彼がどんな気持ちでいるとか。

 すぐに、わかってしまう。


「ほら、ケイちゃん」


 ワタルは右手を差し出した。自分がやるとやはり身長差を感じる。


 けれど彼にこうしていいのは自分だけ。

 そして握り返してくれるのも自分だけ。


 一緒に行こう。

 手を取り合って、長い時を歩んでいこう。


 ワタルのポケットにある銀の懐中時計は今日も時を刻んでいた。

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生と死と時の狭間の男子達 神美 @move0622127

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