第32話 家にて

 ワタルは小田野に送ってもらい、ごく普通の二階建ての一軒家である自宅前に無事、帰りつくことができた。家に帰るのがずいぶん久しぶりな気がしてしまうが今朝家を出たのだから、それは気のせいだ。


 インターフォンを押し、挨拶をする前に。小田野はドアから数歩離れた距離で「ちょっと気になったんだけど」とワタルに問いかけてきた。


「もしかしてケイも、ワタルの家に行くのか?」


 ケイがここまで一緒にいるということが気になったようだ。当然と言えば当然か。

 ワタルがうなずくと、隣に立つケイもうなずく。その様子を見て小田野は「うーん」とうなってしまった。ちょっと苦笑いもしている。


「……あのねぇ、一応僕も教師なんだけど。怪しい関係の二人組を、二人きりに、しかも自宅になんて、送り届けられると思う?」


 あらためて意識させられるようなそんな発言に、ワタルは顔から火が出るかと思った。

 自分はとんでもない行動を取っているのか。でもケイは相変わらずの無表情だ。いやケイにこの事態はまともか、と聞いてもわからないと言われるだろうけど。


 小田野はワタルが固まる様子を見て。夜中だから声を落とし、小さくフフッと笑った。


「冗談だよ……まぁ、僕達も昔はよくやったもの。別に誰に迷惑かけるわけじゃないしね。ちゃんと“勉強を”するんだぞ」


 勉強を、そこを強調してごまかしてくれた。

 なるほど、この後は勉強をすればいいのか……がんばろう。


 小田野がインターフォンを押そうと手を伸ばした――が、ワタルは一つ彼に聞いてみようと思い「待って」と口を開いた。


「あの、小田野先生は、どうするんですか? 明日とか、この先のこと……」


 小田野だって明日からはガラッと色々変わるはずだ。時は進み、生徒が二人いなくなり、理事長との関係性も変わって。不安はないのだろうか、と思った。


 しかし小田野は笑って「そんなことかぁ」と、あっけらかんと返してきた。それはいつも教室で見せるのほほんとした態度だ。


「ワタル、心配な気持ちはわからないでもないけど。僕もこれでも何十年と生きている大人だからね。騒ぎになりそうなことがあれば対処はできる。だから明日からはもう普通だ」


「普通ですか……」


 普通ってなんだったろう。

 コウタとシドウの存在はイレギュラーだったから、二人がいないのが本当の流れであり、小田野はその状況をうまく他の生徒達に当てはめることもできる。

 全てが当たり前のように、時が進むのか。自分がどうあれ。


「実を言うと、シドウは前から亡くなっている人物であるし。コウタも入学して早々に亡くなっている。だから現実としてはもう二人はいないことになっている。コウタのご両親も遠方に住んでいるからこの学校で起きていたことも知らないしね。一学期から二学期――二人がみんなと変わりない生徒として在席していたのは、僕が名簿に名前を載せていたからだ」


 ワタルは目を見開き、小田野を見つめた。


「じゃあ小田野先生、二人のことをわかっていたんですか?」


「うーん、僕は別に霊感があるわけじゃないんだけどね。そうだね……なんとなくわかっていたかも。ワケアリな存在なんだろうなっていうのが。だからそれを見過ごして様子をみようって気になったのかもしれない。でも結果的にはよかったよ、あの二人もタクを助けてくれたんだからね」


 小田野は嬉しそうに笑っていた。

 それだけで小田野はもう前向きに進んでいるというのがわかった。きっと理事長のことも彼は大人として対応し、なんら問題なく過ごすことができるのだろう。大人って便利だな。


「……さて、長話もなんだから押すよ、インターフォン」


 言い終わる頃にはピンポーンという音が周囲に響いていた。インターフォンごしに「はい」と返事をする母の声。

 小田野が一般的な挨拶を述べると、玄関ドアが開いた。突然の自分と、自分の友達と担任。

 母の目はなにかやらかしたのでは、というマイナスイメージで固まっていた。


 だがさすがは小田野だ。母にうまいこと説明をしてくれ、

「まだ勉強するらしいので」と言ってケイが入れる口実も作ってくれた。あとは母には適当に理由をつけてケイが泊まることを言えばいいだろう。


「じゃあ、ワタルにケイ。あまり遅くならないようにな。お母さん、どうもお騒がせして申し訳ありませんでした」


 小田野を見送り、ワタル達は家に入るとまず食事が用意されていた。今日はカレーだった。

 母は自分が珍しく勉強仲間を連れてきたと勘違いしていて――あとケイの美貌もあって、それはそれは機嫌よく、おしゃべりが弾んでいた。


 しばらくして食事も終わり、母のおしゃべりも止まるとお風呂も用意されていた。これももちろんケイにも入ってもらった――いや、入るのは一人ずつだけれど。


 お風呂が終わり、心身共にさっぱりとしてからワタルはケイを自室に招き入れた。ちなみにケイにはワタルの持っている大きめでゆったりしたシャツとズボンを貸してあげた。ズボンは高身長のケイが履くとまるで半ズボンみたいになってしまうところが、ちょっと悔しいと思ってしまう。

 けれどそんなことより気になるのは、自分の部屋に、彼がいること。


「人が来るなんて初めてかもしんない……」


 しかもその相手が、初っ端からケイだなんて。緊張するしかないよな、と。自分で招いたことだがうなってしまう。


 一方、ケイは何も気にしない様子でカーペットの上で足を伸ばしてリラックスしているようだ。そんなのびのびしている様子が見慣れないけれど、なんだかかわいらしい。


 ワタルは自分のベッドに腰を下ろし、和んでいるケイを見て笑みを浮かべる。

 彼は今までずっと暗い中に一人だったのだから、ほんの少しでもそれを埋められるように、明るいところにいて、幸せを感じてくれたら嬉しい。

 でもケイちゃん、さっきも久しぶりに外に出たというのに。やっぱり無感動で無表情だったな……それはさておき――。


「ケイちゃんってさ、前に住んでいた家とかどうしたんだ、あと親とか」


 ケイは足先を左右に動かしながらワタルを見返した。


「俺……親いないんだ。小さい頃に病気で死んだ。家はそういう境遇の子供が住む家で、高校卒業したら出る予定だった……今でもあるのか、わからない」


「そう、だったんだ……」


 ケイの感情が乏しいのはそんな要因もあったのか。彼は小さい頃からさびしさを抱えてきたのかもしれない。

 でもその住んでいた家の人だって、ケイのことは心配していたかもしれない。


「ケイちゃん、今度さ、その家俺と一緒に行ってみようよ? もしかしたらあるかもしれないし。小さい頃から世話になっていたんだろ。そこにいる人もケイがいなくなって心配していたかもしれないし」


 ワタルの提案に、ケイは前を向いたまま壁の方を遠い目をして、うなずいた。

 ワタルが一緒なら、そう呟いて。


「……あと、ケイちゃんは、卒業したらどうするの? 前に大学に行きたいって言ってたけど。あれは冗談なんかじゃないんだろ」


 ケイはまた遠くを見たまま、うなずいた。

 俺、医者になりたかったんだ。

 そんな意外な将来を呟く。いや、その将来が決まったのは、きっと病死をした両親のことがあったからかもしれない。


「いつか自分の力で、人を助けられたら……お金がなくても、手術とかして。生きたい人を助けたい……」


「そうなんだ」


 ワタルの脳裏に、今度はタツミのことがよみがえる。そうだよな、お金がなくても、生きたいと願う人はたくさんいるもんな。


「ケイちゃんはすごいな……じゃあ、またこれからそれに向けて頑張ってくんだ」


「……ワタルは?」


 急に問われ、ワタルは言葉を詰まらせた。

 俺? 俺は……まだわからない。ここからどうしたらいいのかも。どんな気持ちでいたらいいのかも。


 とりあえず今、望むことはあるけれど。

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