第70話 脳筋の常1

「俺思ったんだ」


 8月初日。燦燦と朝日が照り付ける縁側を背に、仁王立ちしたカナタが言った。

 それを聞くのは二人の姉弟。出勤の支度を整えたサナと、一人遅れて朝食を採り始めたオミだ。卓上には一人分のご飯とみそ汁とレタスが添えられたベーコンエッグがある。

 訝し気にカナタを見る二人に向け、至極真面目な顔をした少年が人差し指を立てた。


「鍛えるべきは、体力より精神力なんだよ」


 それを聞いたサナとオミは、一拍おいて言葉の意味を咀嚼すると、カナタから視線を切って目を見合わせた。そんな二人を尻目に、カナタは一人熱が入っているのか、悲壮な顔で拳を握り締めている。


「恐怖と緊張でいち早い消耗を強いられないよう、いや、強いられてもなお、パフォーマンスを落とさない強靭なメンタル。それこそが今の俺に必要なものなんだ」


 震えるその声に、改めてカナタを見た二人が呆れたような半眼になった。


「…驚いたわ。自分にそれが無いとでも思ってるのかしら?」

「寝言は寝て言いなよ、カナタ」

「え?あれ?」


 真剣な話をしたつもりだったカナタは、二人の反応に拳を握りしめたまま固まった。降って湧いた話題への興味を失ったオミが我関せずと食事に戻り、処置無しと目を伏せたサナが徐に口を開いた。


「…今のカナタに必要なものが、本当に分からないの?」

「な、なんだよ、それは?」


 てっきり拍手喝采の賛同を得られると思っていたカナタは、狼狽えながら眉根を寄せた。心底分かってなさそうな様子の少年に、サナが溜め息をつく。

 数多の銃撃を搔い潜り、命からがら生還したのは昨日の話。確かに、普段の鍛錬と比すれば、戦闘にかかった時間は短いかもしれない。だが、実戦の消耗が鍛錬のそれと同質の筈がないのだ。

 疲労やダメージが抜ける間もなく、早々に無茶をしでかしそうなカナタの発言。そんなものに、容易く頷けはしない。

 これが自分の役割だ、と。改めて自覚したサナが、ジト目でカナタを睨みつけ言った。


「休息」

「へ?」


 幼気に首を傾げるカナタへ、サナが歩み寄る。見開いた目に半開きの口。そんな間抜け顔の少年にむけて、サナが人差し指を突き付けた。


「休みなさい、お馬鹿」

「あ、はい」


 有無を言わせぬ物言いに、カナタが素直に頷いた。

 サナの指摘そのものは至極真っ当だ。しかし、タイミングが悪かっただけで、カナタの案も決してふざけていたわけではない。口の中のご飯を飲み込んだオミは茶化すことなくカナタを見やった。


「で、なんでそんなこと考えたのさ?」


 オミの問いかけに間抜け面を改め、カナタの眼に力が戻る。その脳裏には、昨日の戦いの中で感じた敵との明瞭な差を思い浮かべていた。


「…チャラ男の動き、覚えてるか?」

「そりゃあ…」


 カナタの一言に、サナとオミが昨日の戦闘を思い返した。ビルの谷間を渡り、カナタに追従できるほとの身体能力。正確無比な銃の腕。規格外なその実力に、カナタの眼が細まる。


「…昨日は切り抜けたけど、俺はあいつに勝てる気がしない」


 僅かな沈黙の後、カナタは新たな敵に対する戦力評価を口にした。

 その弱気な見解に、サナとオミが懐疑的な目を向ける。正直、二人にはそう思えなかったのだ。


「確かに強敵だけど、あれくらいならカナタも出来るでしょ?」

「そうよ。勝てる気がしないとまでは…」

「アイツの専門はそれじゃないだろ」


 そう。カナタがあのチャラ男から脅威を感じたのは、主に上半身。銃を撃つ能力である。敵の生業を鑑みるならば、機動力はオマケの筈なのだ。 


「あの男が見せた跳躍、競技者なら大した距離じゃない」


 それは、チャラ男が姿を現した直後。道路を挟んだビルの谷間を、容易く飛び越えてきた挙動のことだ。ビル間は6m強といったところ。走り幅跳びと考えれば、確かに目を瞠るような距離ではない。


「問題は、そこが競技場じゃないってことだ。試技があるわけでもなく、安全な砂場でもねぇ。一発で越えられなければ、待っているのは屋上からのノーロープバンジーだ」


 そう言って、カナタはオミを見た。


「そんな場所であんな距離飛べる奴を、お前どう思う?」

「気が触れてるね」

「だろ?」

「カナタ、ブーメランだってことに気付いて」


 完全に己を棚上げした物言いに、サナが思わずツッコんだ。

 しかし、カナタは真剣な顔を崩さない。その表情のまま、眉をハの字にしたサナを見やる。


「俺は、そういう練習を散々やってきた」


 その自負に満ち溢れた声に、サナが狼狽える。


「比較的安全なところで自分の能力を鍛えて、何度も試して、絶対出来るっていう確信を得てからやってるんだよ。でも…」


 そう言ってカナタは軽く拳を握った。

 サナとオミが平時のカナタに抱いていた印象を裏付ける言葉。その力強い響きとは裏腹に、カナタの目は苦々しく細められていた。


「アイツらがそんな練習してるとは、到底思えない」


 そう。カナタにしてみれば明確に前提が違うのだ。”慣れ”とはパフォーマンスに直結する重要な要素である。それがある自分とある筈がないチャラ男の間に、高空機動において遜色がない。ならばチャラ男にあって自分に無い何かがあるはずだと、カナタは考えていた。

 では、それは一体何なのか。


「…ぶっつけで挑戦して成功させてくる、危機そのものに慣れた精神性」


 カナタは、そう結論付けた。自分との間にある筈の差を容易く埋めてくる、全てに通じる根本的な強さ。


「対等に戦うには、俺にもそれが必要なんだ」


 目を細めたカナタは、そう言い切った。その声色の真剣さに、サナとオミが気圧される。

 思わず顔を強張らせた二人に気付き、カナタは表情を緩めた。


「二人の用意してくれた装備で、すげぇ楽になった。どこまでも走れると思ったくらいだ」


 明らかに軽い体。減らないスタミナ。汗をかく気配もなく、息すら切れない。自分では思い付きもしなかった継戦能力の強化策。それは間違いなく、完璧に嵌っていたと断言できる。


「けど、戦闘が始まっていざ危機に直面したら、簡単に気圧された。一気に消耗した」


 そう言って、カナタは歯を食いしばり拳を握りしめた。


「俺には、精神面での準備がまったくもって足りてないんだよ」


 備えられるだけ備えても、なお感じた不足。それは至極納得のいく結論ではあった。だが、それは仕方がない事でもある。何せ、銃で狙われるなんて経験がそうそうある筈も無いのだ。

 そう考えたサナとオミが、一言諫めようとして。



「けど、そんな言い訳は死んだら通用しない」



 続くカナタの言葉に、思わず黙り込んだ。

 明確に怯んだ二人を、鋭い視線でカナタが見据える。



「備えられるものは全て備える。それが俺の役割だ」



 己の在り方を反芻するカナタの言に、サナとオミが目を見合わせて息を吐く。


(馬鹿なこと言ってるように聞こえるけど…)

(相変わらず、しっかりと考えた結果なのよね…)


 唐突にも聞こえるカナタの鍛錬方針。しかし、その裏には確かな理由がある。度々そういった面を垣間見てきた姉弟は、それを理解し、認め。

 その上で、眉根を寄せて半眼になった。


 方針策定までは確かに理性的だろう。が、その課題を解決するために何をするかは話が別だ。こういう時のカナタが繰り出す案は、どうにも脳筋が過ぎる傾向にある。

 落とし穴があると確信したサナは、その表情のままカナタを見やった。


「…で、どうやって鍛えようとしてたの?」

「死の気配を感じるまで走る」


 あっけらかんと予想通りの答えを返したカナタに、サナとオミが同時にため息をついた。


「お願いやめて。見てるこっちは気が気じゃないのよ」

「そっち方面の精神力はもうドMの域じゃん。むしろご褒美でしょ。いまさらカナタには意味ないって」

「オミ何気に酷いこと言ってね?」


 サナが項垂れて額を押さえ、オミが眉間に皺を寄せて味噌汁をすする。

 どうやってカナタを止めようか、朝から頭が痛い姉弟だった。

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