第69話 【幕間】裏社会の苦悩3

「ヤツの能力に関しては以上です」


 新月を過ぎたばかりの、糸くずのような月。薄暗い夜闇に淡く浮かび上がる、白の漆喰と濃紺の瓦で出来た塀。それに隙なく囲まれた邸宅の一室で、筋骨隆々の偉丈夫、モリタがそう締めくくった。

 その報告を聞くのは若頭のカミヤだ。濃紺のスーツを身に纏う中肉中背の彼は、庭を向いたまま沈黙を貫いている。


「己の無能を承知で、申し上げてよろしいでしょうか」

「申せ」


 襖近くに正座したモリタが、続けて発言の許可を求めた。10m程の間を開けて縁側に立つカミヤも、微動だにしないまま即座に応じる。


「アレはクゼと同種の存在です。規格が違う。読み切れない」

「…それほどか」

「はい」


 モリタの提言に一つ息を吐いたカミヤは、半身になって後ろを振り返った。


「ミズグチ」

「なんですか?」


 声をかけた相手は、モリタの更に後ろにいた。白スーツを着込んだ優男。頭の後ろで手を組みながら、襖横の壁にもたれかかっている。


「貴様も同意見か?」

「ムササビが手に負えないと言うことでしたら、全く以てその通りですね」

「…」


 戦闘能力に信を置く部下からもたらされた同種の報告。それを聞いたカミヤは、敵の戦力評価を見直さざるを得なかった。二人から視線を切って、僅かに目を細める。


「真後ろから脚を狙った射撃。撃つ前に躱されました」


 ムササビという存在を測りかねているだろうカミヤの様子に、ミズグチが口を開いた。それを聞いたカミヤは、訝しげにミズグチを睨む。


「…撃つ前、だと?」

「ええ。それも、こちらを見もせずですよ?」


 思わずといった様に零れた若頭の疑問。それを受けて、ミズグチが頭の後ろで組んでいた手を下ろした。掌を上に向けて、おどけたように肩を竦める。


「分かります?一瞥もしないまま射線とタイミングを完璧に察知された僕の恐怖が」


 その問いかけに答えはなかった。カミヤはもともと寡黙な人物であるが、今の彼は不要だから喋らないのではない。ミズグチの言を飲み込み切れていないが故の、無意識の沈黙である。

 それを理解しているミズグチは、ため息を一つ挟んで苦笑した。


「何をどうやったのか、皆目見当もつきません。まるで漫画からそのまま抜け出てきたかのような存在ですよ」

「部下どもからも同様の報告が上がっています。顔も向けないまま、左右からの射撃を明らかに意図して躱していた、と」


 零されたミズグチの所感に、モリタが補足を入れた。それを聞いたミズグチが、さもあらんと一つ頷く。


「僕らも二対一であしらわれました。地形対応力だけじゃない。対人能力も一流だ」


 鋭く流し見るカミヤの糸目。その眼光に射抜かれながら、ミズグチはあっけらかんとした表情を崩さず、結論を口にした。


「上方修正するべきですね。多少リスクを負ってでも、全霊で以て当たらなきゃ手も足も出ませんよ。あれ」


 その一言に、カミヤの視線がより一層鋭くなった。

 同時、モリタの苦言が飛ぶ。


「控えろミズグチ。口が過ぎるぞ」

「モリタさんだって思ってるでしょ?」


 危機感のないミズグチの様子にモリタの眉尻が跳ねるも、ミズグチの態度は変わらない。口角を緩やかに上げたまま、目を伏せて手をポケットへと納めている。上司二人を前にしているとは思えない、太々ふてぶてしい態度だった。

 この男と言い合っても栓無いと、モリタはカミヤへと意識を改める。


「初期における私の失策は否めません。罰は如何様にも」


 責は私にあると、モリタが頭を下げる。それを一瞥したカミヤは、二人に背を向け、再び庭へと視線を向けた。


「私はな、武闘派四幹部の中で、唯一貴様だけは買っておるのだ。何故か分かるか?」


 唐突な若頭からの問いかけ。モリタは頭を下げたまま、他の3人と自分の違いを思い返す。


「…僭越ながら、組織の歯車として運用できるが故かと」

「その通りだ。クゼ、サカキ、キリハラは、いずれも癖の強いワンマンアーミー。銃という武力が揃いつつある今、強烈な個は不要だ。規律を乱す」


 組が持ついくつかの拠点。そこに何年もかけて蓄えられた金、薬、資材、そして銃。その量を思い返したカミヤは、間近に迫る一大決起を思い、目を細めた。


「必要なのは群。画一した、組織の暴力」


 それを運用する知識と技術は、より薫陶を受けている。

 随分と昔に組織へ招いた教導官。とうに組を離れたが、それでも彼の者の教え子は未だ多い。授かった知識と技術を活用するため収集を始めた物資。それが今ようやく揃いつつあるのだ。


「貴様は単体としての武で突出しながらも、十全に指揮が執れる。私の意図も汲める。組織の歯車として、事が成った後も下に置きたい人材だ。局所的な投入しか出来ん他3人とは違ってな」

「恐縮です」


 組織のNo.2である若頭からの評価に、モリタが頭をさらに1段下げる。


「桁の違うクゼだけは、切り札として取っておいてもいいだろう。だが、切りどころの悩ましいジョーカーなど、先々もてあますのが常だ」

「仰る通りです」


 将来の組織運用に武闘派幹部は不要。ここで使い潰しても構わないと、カミヤは考えていた。だが、まだ運用には踏み切れない。

 彼らの問題は、とにかく目立つこと。一人は居るだけで五月蠅いし、一人は見境が無いし、一人は確実に死体を量産する。

 悩ましい幹部連中を思ったカミヤは、微かにかぶりを振った。


「…貴様は、常時役に立つと思っている。故に、選別の済んだ雑兵15人、全て預けよう。有効に使え。ミズグチは引き続きモリタの指揮下に入れ」

「はっ」

「了解です」


 モリタは頭を下げたまま、ミズグチはひらひらと右手を振って応じる。

 対照的な二人へ振り返ったカミヤは、腰の後ろで手を組んだ。


「暴力の復権」


 そう呟いたカミヤが、眼光鋭く二人を睨む。


「暴対法で封じられた恐怖の牙を、再び日本に突き立てる」


 それは組織の悲願。影響力は年々弱まり、今ではごく狭小な界隈に押し込められてしまった。ヤクザと聞いてこうべを垂れる者が、今の世にどれほどいるのだろうか。


「決起の時は近い」


 その屈辱を、払拭する。

 そのための知見、人員、物資。蓄えてきた暴力の礎は、もう少しで全てが揃う。


「だからこそ、今は雌伏の時。決して漏れてはならない」


 血と痛みと恐怖に裏打ちされた、原初の権力。弱肉強食という世の真理。それを見据えて、カミヤは歩き出した。二人の脇を通り過ぎ、そのまま部屋を出る。


「失望させるなよ」

「は」


 それだけ言い残し、若頭は屋敷の奥へと消えていった。




「…使い道に、何か案はあるか?ミズグチ」


 若頭の足音が聞こえなくなるまで沈黙していたモリタが、立ち上がりながら後ろに問うた。ポケットに手を入れたままのミズグチが、それに応じて壁から背中を離す。


「15人預かったからと言って、包囲を増やすのは愚策でしょうね。僕たちほど銃の扱いに慣れているとは思えませんし、敵より味方に当たりかねない。かといって、飛び道具無しじゃ足止めにもならないでしょう」


 退室するモリタに続いたミズグチが、後ろ手に襖を閉めた。


「モリタさんの部下、全員なんですよね?僕は翁に会った事ないですけど」

「ああ」

「なら、無理に足並み揃えるよりは分担した方がいいでしょう。能力差が大きい」


 背後を歩く優男の言に、モリタは眉を顰めた。

 度々名の上がる翁。彼の薫陶を受けた古参の組員を、総じて『教え子』と称する。彼らは軍事教練に近い訓練を施された猛者達だ。銃器の扱いも叩き込まれており、その能力は総じて高い。

 しかし、会ったことが無いという言葉通り、ミズグチは教え子ではない。だというのに、彼らより戦闘能力の高いこの優男が、モリタは不気味で仕方なかったのだ。後ろを付いて歩かれることすら警戒してしまう程に。


「…後詰め、もしくは人込みに紛れての不意打ち、か」

「しかないでしょうねぇ」


 しかし、いくら怪しくとも今は有能な部下であると、不信を飲み込んだモリタが本題へと意識を戻した。軽い調子のミズグチが、それを肯定する。

 しかし、と。モリタが目を細めて厳つい顎を撫でた。


「何か引っかかることでもあるんですか?」


 モリタの様子に、ミズグチが声をかけた。その声に、チラリと後ろを流し見たモリタは、すぐに視線を戻し眉間に皺を寄せる。


「…ヤツの恰好ナリが変わっていた理由はなんだ…?」


 その呟きに、ミズグチはきょとんと首を傾げた。


「変わってたんですか?」

「…そうか。貴様は初見だったな」


 確かに、ミズグチは今日が初参戦だ。アップされている動画もムササビ視点の物。ミズグチが奴自身の姿を見る機会は一度も無かった。


「前回はどんな格好を?」


 玄関で立ち止まったモリタは、その質問に過去2回ほど見た間抜け過ぎる敵の姿を思い浮かべる。


「…SEX…」

「?溜まってるなら風俗へどうぞ」


 お供します奢ってください、と。キリッとした顔のミズグチが靴ベラを差し出した。思わず繰り出したフックを、スウェーバックで避けられる。

 空振りした腕で靴ベラをふんだくると、モリタはそのまま靴を履いた。


「ヤツの胸元にそう書いてあったのだ。脚にもラメで『らめぇ♡』と書かれていたな」

「ふざけてますね。仲良くなれそうです」

「殺すぞ」


 靴ベラを返すモリタの眼光を意にも介さず、ミズグチはヘラヘラとした顔でそれを受け取った。掴みどころのないその様子に、モリタの苛立ちが無意味に募る。


「…以前はあり合わせのような適当さだった。しかし、今日は全く違う」

「かなり洗練された印象を受けましたね」

「ああ」


 引き戸を開けモリタを先に通したミズグチが「んー…」と、軽い調子で唸った。僅かに上を見上げながら、その理由を一頻り検討する。


「考えられるのは二つ」


 結論が出たのか、後から玄関を出たミズグチが後ろ手に戸を閉め、人指し指を立てた。


「1つは”本気になった”。こちらが銃を持ち出したことで本来の装備に切り替えたのかと」


 それを聞いたモリタは、”ムササビはクゼと同種の存在である”という結論を思い返した。

 クゼとは組最強の殺し屋だ。性格までクゼに似ていると仮定するのならば、確かにしっくりくる。今まで遊び半分であったとしても何ら不思議ではない。


「2つ目は””」


 納得しかけるモリタに向けて、ミズグチがもう一つ指を立てた。それを流し見たモリタは、欠片も笑っていないミズグチの目に、思わず意識を引き締める。


「…どういうことだ?」

「動画の反響が大きくなって、装備を整えられるだけの余裕ができた。そうは考えられませんか?」


 その考察に、モリタの中で構築していたムササビ像がブレた。堪らず眉間に皺が寄る。


「…バカな。そんな弱小組織がこんなヤマに手を出すものか」

「いやまあ、そうなんですけどね」


 車寄せに停めていた黒塗りの高級車。モリタから視線を切ったミズグチが、運転席へと回り込んだ。


「前者なら舐めプ野郎の独断先行。後者なら怖いもの知らずの新興組織って可能性もあるんじゃないですか?」

「…いずれにせよ大組織のやり口ではないな。敵の規模は思っているより小さいやもしれん」


 助手席に乗り込んだモリタは、シートベルトを締めながら結論を口にした。


 その前提となったミズグチの考察は、どちらも的を射ている。銃を持ち出されてが本気になったことは間違いないし、動画の反響で装備を整える余裕ができたことも事実だ。


 カナタ達だけではない。

 ヤクザもまた、会敵によって得られる僅かな情報から、敵の姿に近付いていた。

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