第68話 デブリーフィング1(後)

「奴らは、カナタを殺せない」


 その一言に、カナタはハッとなった。


「なるほど…。こっちの規模を過大に考えてるなら、俺を殺すのは確かに悪手だ。身元だけなら、死体を放置しておけば警察が勝手に暴くだろうけど…」

「うん。敵地へ単身乗り込んできた人間だからね。身元だけで所属まで分かるなんて楽観はできない」

「死人に口なし。奴らからしたら、殺せばロクに情報を得られなくなる可能性が高いわけだ」


 カナタの意見を皮切りに、オミが端末に背を向け体ごと振り返った。座卓の襖側で3人が車座になる。

 オミが提示した新しい視点。それを踏まえて今日の戦いを振り返ったサナが、顎に手を当てた。


「…確かに、射線は腰より下がほとんどだったわ。後はせいぜい真横からの肩くらいかしら。なるほど、致命にならないところを狙ってたのね」

「急所を外すには精度が要る。射撃頻度は下がるし、射線も読みやすくなるな」

「それだけじゃないよ」


 導き出した結論に頷き合うサナとカナタ。そこへオミが割って入った。振り返って動画を操作し、ラガーマンとの対峙直前、チャラ男から距離をとるために敢行した捨て身の大ジャンプを再生する。


「例えば、高空での長距離ジャンプや壁下り。その最中に弾が当たれば、着弾がどこであろうと地上へ真っ逆さまだ」


 必然的にカナタは即死、と。

 静かに続いたオミの言葉に、二人が目を見開いた。

 その様子を横目に見たオミが、不敵に笑う。


「当然、そんな状況で銃は使えないよね?」


 その一言に、拳を握りこんだカナタの口角が俄かに吊り上がった。


「特定条件下では逆に安全…。大収穫だオミ!取れる手が格段に増える!!」


 カナタの自由を縛る鎖でしかなかった銃。それが、自由であればあるほど振るわれなくなるのだ。すなわち、思いつくままのルートでパルクールができるということ。それは、カナタにとっては最大級の希望だった。


「…っ」


 反面、サナは口を引き結んで明確に狼狽えた。カナタを殺せないという、オミの着目した論点。それは、カナタのリスクを下げる要素だと思っていたのだ。

 しかし、最後に提示されたそれだけは、確実に違う。


「…それ、銃がなくても死にかねないことをする…、って、ことよね…?」


 震える声に二人が視線を向けた先。サナは、暗い顔で俯いていた。

 殺されないからこそ、銃を気にせずより高度な危険を冒す。それは、カナタにとって当たり前の結論なのだろう。しかし、傍で見ているサナにとってはそうではない。

 確かに、カナタの能力は知っている。理屈の上でこれが希望だということも理解している。しかし、カナタの取るルートは、どれ一つとってもサナには理解できない危険行為なのだ。ともすれば、自分の命を軽く扱っているとも思うほどに。


 今しがた導き出された結論は、その在り方に拍車をかける。


 そう結論付けたサナが、目一杯に涙を溜め、震えながらカナタの手を取った。


「…無理、しないでよ…」


 切実な少女の声に、カナタの頬が思わず綻んだ。その穏やかな表情のまま、俯きがちな少女の目を覗き込んで口を開く。


「悪い、サナ。それは聞けない」


 その一言に、サナは思わず顔を上げカナタと目を合わせた。今にも泣き出しそうな少女の顔に、カナタが困り顔になる。


「…捕まったら俺は、死ぬより酷い目に合うからな」

「っ…!」


 僅かに逡巡しながらも、カナタはその考察をサナへと告げた。

 それは、至極当然の流れだった。敵にはこちらの情報が何もないのだ。なれば必然、それを得るために、捕まったカナタはありとあらゆる手段で持って自白を強要されるだろう。


「拷問は確実。洗いざらい吐き出すまで終わらない」

「全部話したところで終わるとも思えないよ。子ども3人でこっちの戦力が全てだなんて、奴らが信じるわけないもん」

「…嫌なこと言うなよ、オミ」

「事実でしょ」

「…っ」


 真顔で補足を入れたオミに、カナタが苦々しい顔を向け、サナは俯いて口を引き結んだ。

 カナタとオミのシビアな推察。しかし、サナはそれに反論できない。何せ十分にあり得る事態だ。もしそうなれば、カナタは身も心もボロボロにされるだろう。死んだほうがマシだと思うほどに。

 その状況を想像してしまったサナは、奥歯を強く噛んで眉根を寄せた。


「捕まれば地獄が確定する。二人を巻き込んで、な」


 その状況で何も喋らない自信なんかねぇぞ、と。そう言ってカナタは苦笑した。そのまま俯くサナの頭に手を置いて、ゆっくりと撫でる。


「”逃げ切れないなら、潔く死ね”」

「っ!!」


 何気なく吐かれたカナタの言葉に、サナの肩が跳ねた。


「二人を巻き込んだと思った時、自分に課したルールだ。俺に許された選択肢は、死ぬか逃げ切るかの2択だけ」

「あっ…」


 離れていくカナタの手。サナはそれを思わず目で追った。追った先に見たカナタの儚い笑顔が、サナの胸を締め付ける。


「俺だって死にたくはねぇからな。逃げ切るためなら、どんな無茶でもするつもりだ」

「カナタ…っ」

 

 言いたいことが言葉にならない。そのもどかしさに、サナが僅かに身を乗り出す。

 しかしカナタは、そんないじらしい少女から視線を切った。


「だから」


 笑みを引っ込めたカナタが、徐にオミを見やる。直前までの弛緩した空気を切り裂く険しい視線。その眼に飲まれたオミの体が、僅かに跳ねた。

 二人の間に舞い降りた、重苦しい数瞬の沈黙。それを破ったのは、カナタだった。


「俺が捕まったからって、交渉しようとはするなよ?」

「っ!!」


 次いで紡がれたその言葉に、オミの顔が目に見えて強張った。


「考えただろ?お前なら」

「…っ」


 何でこういうところが極端に鋭いのか、と。オミは内心で呻いた。サナは未だ意味が分からず、不安気な視線を二人の間で行ったり来たりさせている。


「俺が捕まったら、その場で見捨てろ。警察に駆け込め。証拠をカードに助けようなんて考えるんじゃねぇ」

「っ!カナタ!!」


 カナタの厳しい言葉に反応したのはサナだった。ようやく話の流れを理解したのだろう。ひどい剣幕でカナタに詰め寄る。

 しかし、オミがそれを制した。姉の前に手を差し入れて、カナタを睨む。


「諦めないよ」


 意に添わぬオミの回答。それを聞いたカナタの表情が険しさを増した。


「オミ…っ!」

「分かってる!警察には行くさ!この程度の材料じゃ交渉になんてならない!捕まろうが殺されようが、カナタが負けたら勝ち目なんかないんだ!!」


 それに怯まず、オミは語気を荒げた。身を乗り出してカナタに食って掛かる。


「けど、約束するのはそこまでだ!その後どう動くかは、カナタには関係ない!」

「お前…っ!」

「警察内部に敵がいるんだよ!どう足掻いたって駆け込んだあとは流動的になる!柔軟に立ち回れなきゃ時間稼ぎにもならない!」


 有無を言わさぬオミの弁。その言い分を理解しているからか、カナタも強く言葉を挟めない。ただ、歯を剥いてオミを睨むことしかできなかった。


「なら、その先の判断は僕達がすることだ!敵の殲滅を続けるのも!カナタの救助を優先するのも!全部僕達の意志で決める!」


 そこまで言ったオミは、荒ぶる感情と慣れない大声で軽く息を切らせた。そのまま、反論を見つけられず口を噤んだカナタと、一頻り睨み合あう。

 苦し気なカナタの顔。それを見ながら、オミが眉根を寄せた。


「…どのみち勝ち目がないなら、納得する道を選ぶよ。僕も、姉ちゃんも」


 カナタと同じようにね、と。オミはそう締めくくった。


 それは誓いだった。カナタの戦いを継ぐと。その上でカナタの命も諦めないと。オミは、そう宣言したのだ。

 確かに、証拠はすべてオミの手元にある。警察の善の部分や世論を動かすことは、その時点でもできるだろう。だがそこまでだ。敵の根を残したまま、数人のしっぽが切られて事件は終息する。

 将来に渡る勝利は望めず、カナタの命も保証がない。それでも、手があるうちは諦めないと、首を突っ込み続けると、既にそう定めたのだ。

 腹を括るとは、そういうことだ。


「それが嫌なら…」


 拳を握り込んだオミが僅かに俯き、流れた前髪で目が隠れる。一拍溜めた後、上目遣いにカナタを睨みつけ、震える声を絞り出した。


「…負けないでよ…っ」


 その一言に、逆にカナタが狼狽えた。オミの眼に、はっきりと涙が浮いていたからだ。

 もとより、先に自分の命を軽く扱ったのはカナタの方だ。二人を咎める権利など、ある筈がない。

 その自覚があったカナタは、溜め息をついて目を伏せた。


「…あぁもう。なんでお前らはそう頑固なんだよ…」

「カナタに言われたくない!」

「分かった分かった。意地悪言って悪かったよ」


 二人の決意を認めたカナタは、両手を上げて降参の意を示した。すぐに下ろした手を口元に当て、しばし思案に耽る。


(…どのみち、俺が捕まったら二人にも一生危険が付いて回るんだ。”この二人を、俺が来る前の日常に帰す”。負けたら、この誓いは絶対に叶わない)


 それだけは許さない、と。カナタの瞳に、怒りの炎が揺らめいた。


「…ああ。簡単じゃねぇか。要は俺が逃げ切ればいいだけの話」


 湧き上がる決意に呼応し、拳の下で口元が弧を描く。


「殺されねぇって分かってんなら、遠慮はいらねぇ」


 顔を上げたカナタは、獰猛な表情を姉弟へと晒した。その眼を見たサナが、カナタから感じる決意の強さに、堪らず身を震わせる。


「悪いサナ。やっぱり俺には、徹底的に無茶するしか道が無い」

「カナタ…っ」


 生唾を飲み込んだサナへと向き直り、カナタが言った。だが、それしかないと分かってはいても、カナタの身を案じるサナは首を縦に振ることができない。


「いいこと教えてやる」


 逡巡する少女へ向けて、カナタが自信満々に笑いかけた。


「俺はな、パルクールを始めてから、ただの一度も失敗したことがないんだ。できると思ったことは100%成功させてきた」


 珍しく自慢げなカナタの言。しかし、それが字面通りの意味ではないことを、サナとオミは理解していた。

 天才的な才能で成功させてきたのではない。きっと、想像の及ばないほどに練習して練習して練習して。出来るという確信を得てから成功させてきたのだろう。その様がありありと透けて見える。

 だからこそ、カナタの豪語は、信頼に値するのだ。


「お前らに、弔い合戦なんかさせてたまるか」


 そう言ったカナタの顔に、曇りはない。揺れず、曲がらず。決意を固めた男の顔だ。その頼もしい表情にサナが見惚れ、オミが笑う。


「任せろ」


 表情の質が変わった二人に向けて、カナタが親指を立てた。




「銃弾より危険行為のほうが遥かに相性良いってところ、見せてやるぜ」




 斜め上なカナタの決意表明。それに目を丸くして、姉弟が目を見合わせる。その直後、二人は揃って目を伏せ、盛大な溜め息をついた。


「はぁ…」

「…もう」


 そのまま苦笑した二人は、カナタに向き直ってこう言った。



「「そんなのとっくに知ってるよ」」



 意図せず唱和されたセリフに、カナタが歯を見せて笑う。

 重要な情報を消化し、事態は僅かに上向いた。ならばと、カナタが表情を改める。


「負けたときの事ばっか考えててもしょうがねぇ」


 一瞬瞑目した少年が、そう言って姉弟を交互に見やった。二人もそれに、しかと視線を合わせる。

 生じる無茶を許容しきれずとも、自分がカナタを支えたいことに変わりはない。己の在り方をそう見出したサナが、膝上で握った拳に力を籠める。

 規格外な年長者二人の能力を最大限活用できるよう、環境を整える。己の役割をそう定めたオミが、口を引き結んで頷きを返す。

 そんな二人の心情を感じ取ったカナタが、口角を釣り上げ。


「それじゃあ、前向きな話をしようぜ」


 悪巧みの口火を切った。


 7月の最終日。珍しく日の高いうちから三人が揃い、議論を飛ばす。

 次戦に向けた戦略と戦術の練り直しは、日付が変わるまで続くのだった。

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