第67話 デブリーフィング1(前)
「それじゃあ、
やいのやいのと喧しい昼食を終えた後、オミは座卓にパソコンを置いた。キーボードとマウスを操作するオミの肩越しに、カナタとサナが画面を覗き込んでいる。パソコンのモニタには、見覚えのある12人の顔写真が映されていた。動画から抽出した敵のリストだ。
「今日相手にしたのは、殆どが撮影済みの人員だった。そんな中で、唯一初めて撮影した新顔がコイツだね」
そう言ったオミが、一人の顔写真をアップにする。それは、カナタの進路を射撃で誘導してきた白スーツの金髪チャラ男だった。
「カナタはこいつを随分と警戒してたみたいだけど、何があったの?」
オミの言葉を受けて、カナタは苦々しく画面を睨んだ。その眉間には深々と皺が寄っている。
「…鳥肌が立ったよ」
心配げな姉弟の視線を受けながら、カナタがぽつりと呟いた。その脳裏に、屋上で邂逅した新手の挙動を一つ一つ思い返していく。
「本当に凄い奴って、何気ない動きを見るだけで分かるんだ。力の入りすぎない自然体、静かな呼吸、重心移動の滑らかさ、微動だにしない射撃姿勢…。心肺、体幹、指先に至るまで、全身を精密にコントロールしてるのが分かった」
その立ち振る舞いからは、卓越した肉体の練度と強靭な意識が見て取れた。日ごろから体の動かし方を意識し続けてきたカナタだからこそ感じる、濃密な存在感。
それに改めて寒気を感じたカナタが、堪らず身を震わせた。
「中学の競技会レベルじゃ見たことねぇ。プロのアスリートクラスだぜ、あれ」
そう言いながら、カナタはタッチパネルになっている画面を何度かスワイプし、また別の男を表示した。
「それは、このラガーマンも同じだ」
今日最後に立ち塞がった脅威。見た目だけでも凄まじい威圧感を放つ男だ。カナタはその恐怖に平常心を奪われ、何度か会敵したこの男の能力を今日まで正確に見抜くことができなかった。
190センチを超える骨格。そこに纏った膨大な筋肉。だが、決して見た目だけではない。問題は、そのフィジカルを十全に扱うセンスと経験だ。
「…手の届く距離なら、チャラ男より数段ヤバい」
そう言ったカナタの真剣な目に、サナとオミは冷や汗を流した。
「近接のラガーマン、万能のチャラ男。この二人は明確に格が違う。今後は、この二人との対峙を極力避けるべきだ」
そう言って、カナタは深く息を吐いた。一拍の間を置いて、その視線をサナへと向け直す。
「接近さえしなければ、ラガーマンは脅威にならない。問題になるのはチャラ男の方だ。むしろ、サナがアイツを警戒しなかった理由が、俺には分からない」
全身を強張らせる少女を見つめ、カナタは目を細めた。
「サナには、何が見えてたんだ?」
その言葉に、サナが強く奥歯を噛んで視線を逸らせた。
オミはまだしも、カナタはサナの眼を詳しく知らない。自分が感じたものを十全に伝えられる自信が無かったのだ。
それでも、事はカナタの命に関わる。擦り合わせは早いうちに図った方がいいと、意を決してサナは口を開いた。
「…害意が、無かったの」
「害意が無い?どういうことだ?」
返された問いかけに、サナはカナタへと向き直った。片眉を上げた訝しげなカナタの顔を見つめ、サナは説明を続ける。
「ラガーマン含めて、ヤクザは全員カナタに害意を持ってた。それは、明確に何をどうしようっていう、行動に直結するレベルの強い意識。そういうのって視線に出るのよ。全員、凄い集中力だった」
だからこそ分かりやすかったんだけど、と。そこで言葉を切って、今度はサナが画面をスワイプした。表示される顔写真をチャラ男へと戻す。
「…でも、この人の視線からは、それを感じなかったの」
そう言って、サナは眉をしかめた。
「カナタを害そうとは全く思ってなかった。むしろ、カナタに当たらないよう配慮してるように見えたわ」
サナ自身、自分で言っていて意味が分からなかった。チャラ男は確かにあの場に現れ、カナタへと銃を向けたのだ。その状況で害意がないなどと言っても、信じられるはずがない。特にカナタは直接対峙し、その脅威を肌で感じたばかりである。一笑に付されても仕方がない発言だった。
「私がはっきり分かるのは悪意だけだから断言はできないし…、カナタには、信じられないかもしれないけど…」
「何言ってんだ。いまさら疑うかよ」
しかし、カナタはそれを笑わなかった。『目は口ほどに物を言う』という諺もあるように、視線から得られる情報は非常に多い。そしてカナタは、既にその力に助けられたのだ。
「相手の意図まで分かるから、あれだけ早く正確に弾道を予測できたんだろ?むしろ納得だ」
それもう超能力の域だけどな、と。カナタが冗談めかして苦笑した。しかし、すぐさま笑みを引っ込めたカナタが真剣な顔でサナを見つめる。
「自信持てよ。お前は凄い」
「カナタ…」
瞳を潤ませるサナの肩に、ぽんと置かれた手。その顔を思わず見つめたサナに向けて、カナタがニヤリと口角を上げた。
「頼りにしてるぜ。貧乳眼」
「カナタ今日おかわり禁止」
やめて許してごめんなさいと、カナタがサナの膝に縋りついた。ご飯抜きというわけでもないのに、カナタの表情は悲壮そのものだ。
それが何やらツボに入ったらしい。思いの外ダメージの大きいカナタの様子に、サナは優越感に浸るような恍惚とした表情を浮かべている。
「…話の流れ無視して胸焼くのやめてくれない?」
その脇で、半眼のオミが砂糖を吐いた。
無意識にカナタの体調を気遣ったのか、サナの下した罰は珍妙なほどに甘い。だというのに、カナタのリアクションは馬鹿みたいに大げさだ。正直イチャつく口実としか思えなかった。
まぁ、どっちもそんな意図は無いんだろうけど、と。オミは一つ息を吐く。
ジトッとした視線に気づいたサナが、咳払いをして表情を改めた。
「…この時は、カナタを誘導することだけが目的なんだと思ったの」
「…だから警告せずに、無視して進ませようとしたんだな?」
「うん」
サナの声色が真剣に戻ったことを受けて、カナタも居住まいを正す。
「この人から害意を感じたのは一度だけ。ラガーマンが出てきた後、二人に挟まれた時の真後ろからの射撃」
そういったサナがオミに目配せした。その意を受け取ったオミは、別ウインドウで待機していた動画を操作し、チャラ男とラガーマンに挟まれたところまで進めて一時停止する。
「なんて言うか…、落胆…かな?少しだけ苛立ってたような…」
静止した動画を指で拡大したサナは、チャラ男の表情を見て眉根を寄せた。
「カナタの言う通り、能力の高さは何となく分かったわ。この人の射撃は、たぶん全て狙い通りなの。走りながらなのに適当じゃない。ちゃんと着弾したところを狙ってた。万が一にも当たらないように、ね」
当たったら当たったで構わない筈なのに、と。そこまで聞き終えたカナタとオミは、眉間に皺を寄せ沈黙した。サナの能力ありきの見解に、敵情報の考察が滞る。
「…ごめんね、混乱させて。私にもこの人の意図はよくわからないの」
「気にすんな。そもそも分かんねぇ事だらけなんだからよ。未だ組の名前すら分かんねぇし」
苦笑したカナタが直後に目を伏せ、ガシガシと頭をかいた。
「…つーか、軒並み情報が足らねぇ。一週間の準備期間があったのに、追加の人員がたった一人だ?」
そのままカナタは、マウスを操作して画面を人員リストに切り替えた。それを睨むカナタの表情は、ひどく苦々しい。
「早々に人員を出し渋りやがって…。あの12人を切り捨てること前提で動いてやがる」
それも致し方ない。敵の情報を収集できなければ、命がけのちょっかいをかけている甲斐が無いのだ。最重要の目的を躱されたカナタの内心は、焦燥に満ちていた。
「いくら尻尾切りで済ませられるったって、公にされたら相当な打撃ではあるはずなんだ。ガキ一人と動画一つを抑えるだけで被害0に出来るのに、なんで慎重策なんかとってくるんだよ…っ」
風俗街一帯に広く根を張る組織の構成員が11人で全ての筈がない。子ども一人、人海戦術で叩き潰すくらいは余裕だろう。しかも、現状切り捨てられるのは、秘密裏に銃の取引を任されるレベルの人員だ。費用対効果が見合うとは思えない。
理解できない敵の出方に、額を押さえ眉根を寄せるカナタ。その様子を見たオミは、自分の異常さに全く理解が無いカナタに溜息をついた。
「…あのさ、カナタ。考えてもみなよ」
「あん?」
呆れを多分に含む声にカナタが顔を上げ、オミへと視線を向けた。口をへの字にしたカナタの間抜け面を、オミが半目で見返す。
「部下にすら隠すほど慎重に進めてた取引に、突然現れて現場を押さえていく黒づくめ。その正体が、中学生と小学生と無職の三人組だなんて誰が思う?」
「誰が無職よ」
三人を順に指さしたオミのあんまりな物言いに、サナが憤慨した。弟にまで片手間に弄られ、眉間に皺が寄る。
「僕がヤクザだったら、何かしらの組織だって考えるよ。対抗する反社組織か、警察の内偵だってね。カナタはたまたま居合わせただけだけど、向こうはそう思わない」
そう言って、オミは僅かに顎を引いた。ジト目の姉とへの字口のカナタを見据えて一呼吸溜める。
「…”情報が漏れた”。そう考えた筈だよ」
指を立てて告げられた敵側の前提に、カナタの目が丸くなる。忘我は一瞬。すぐに口元に手を当て、一頻り認識を改めた。
「…なるほど。全部知った上で計画的に証拠を抑えに来たと思われたのか…」
「そういうこと。奴らにとっては、目に見えるムササビ以上に、見えない漏洩ルートの方が気がかりなんだ。きっと内部で洗い出しが始まってる」
そんなもの無いのにね、と。オミがニヤリと笑った。
「普通はかなりの規模の組織を想定して動くだろうね。なのに、現状の手掛かりは正体不明の覆面トレーサーただ一人。カナタが思ってる以上に、向こうは僕たちの姿が見えてないんだ。当面は慎重にならざるを得ない」
敵が縮こまる。情報収集が難しくなる要素ではあるが、同時にこちらが優位に立っているという証左でもあった。その勘違いを上手く扱えれば、より有利に立ち回れる可能性が高い。
「だからこそ、一つ分かったことがある」
オミのその一言に、考察に没頭していたカナタも、放置されて拗ねていたサナも、真剣な顔でオミを注視した。
「全員その傾向はあったけど、チャラ男とラガーマンの対応を見て確信したよ」
最年少ながら、暗中に道を切り開く類稀な知恵。それを知る年長者二人が、固唾を飲んで言葉を待つ。
緊張迸る二人を見据え、照明とモニタの光に照らされるオミが、微かに口角を上げた。
「奴らは、カナタを殺せない」
ガラス戸を貫通する蝉の声をBGMに、新たな希望が言の葉となって舞い降りた。
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