第四章 蠢く夏の裏

第66話 三位一体の手応え

 初陣から帰還した直後、サナは着替えとタオルを持たせたカナタを洗面所へ押し込んだ。そのまま和室に戻り、エプロンを身に着ける。


(スケベなことばっかり言うけど、心身を削って戦ってきたことに変わりないもの。ご飯でしっかりねぎらってあげないと…)


 カナタの視姦予告に憤慨しつつも、それがただの強がりであるとサナには分かっていた。何せ、合流直後に、全身を震わせる彼を目の当たりにしたのだ。精いっぱい平静を装っていることは想像に難くない。


「よしっ」


 ノートPCをカタカタと操作しているオミが上目遣いで姉の様子をうかがう中、当の姉は気合を一つ。胸元で可愛らしく拳を握りしめながら、戦場キッチンへと臨む。

 しかし、その意気込みは出鼻で挫かれた。

 キッチンから繋がる洗面所。そのドアを少しだけ開けてこっそりとこちらを覗き見る、不穏な視線を感じたからだ。


「…何してるの?カナタ」

「視線で舐め回してる」

「言い方!」


 カナタの姿は全く見えないが、視線だけは感じるという気持ち悪さ。それに拍車をかけるカナタの言い回し。ジト目で僅かな隙間をにらみつけるサナに対し、カナタはやっぱり平常運転だった。


「なぁ、おっぱいどこだ?見当たらんぞ?」

「貧乳で悪かったわね!早くシャワー浴びてきなさいよ!」


 相変わらずなカナタの言に、胸元を隠していきり立つサナ。「バレちゃあしょうがねぇ」という捨て台詞とともに悪意の欠片もない視線が消え、ほぼ同時に浴室を閉める音がした。


「まったく…」


 すぐに聞こえてきた水音をBGMに、サナが深くため息をつく。すると、微妙な顔をしたオミが、和室から顔だけ覗かせた。


「…カナタ、姉ちゃんに叱られてすぐお風呂に入ったよね?」

「そうね?」


 腰に手をあて、オミを振り返ったサナ。弟の微妙な表情の理由が分からず首をかしげている。


「ってことはカナタ、すっぽんぽんで姉ちゃん見てたんじゃ…」


 眉間にシワを寄せて呟かれたオミの一言に、サナがピシリと固まった。

 そう。ドアの向こうでサナを覗いていたカナタは、すぐさま浴室へと入れる状態。すなわち、一糸纏わぬ裸体だったということだ。


「……~~~っ!!」


 その絵面を思い浮かべたサナが真っ赤な顔を抑えてうずくまる。


「…いや、照れる要素ないでしょ…」


 どう考えても変態なカナタとそれに嫌悪を示さない姉に、オミは半眼で呆れていた。









 シャワーを浴びたカナタは、キッチンと和室を隔てる柱に背を預けながらバスタオルで頭を拭いていた。その視線は料理に勤しむサナの後ろ姿へと向けられている。


「ホントに分かるんだな。人の視線」

「うん。私が見える範囲で、かつ自分に向いてる視線だけだけどね」


 キッチンに向かうサナは、手元のフライパンでジュウジュウと音を立てる鶏もも肉から目を離さず、カナタの質問に端的に答えた。


「覗いてたって言っても、俺ほとんどお前の姿見えてなかったんだけど」

「とりあえず覗きそのものをやめて貰えないかしら?」

「服着てたじゃねぇかお前」

「覗いてる方が裸じゃ変態に変わりないわよ」


 小気味いい会話のキャッチボール。しかし、サナがため息交じりに零した最後の一言が、カナタは妙に引っかかった。

 頭にかけていたバスタオルを首まで下ろし、視界が広がる。同時、訝しげに眉を寄せたカナタは、その違和感の理由をサナへと突き付けた。


「…お前、あんな狭い隙間から俺の裸見えてたの?ちょっと引くんだけど」 

「そこに直りなさい。引っ叩いてあげるから」


 フライ返しを持ってカナタを振り向くサナの笑顔は、なかなかの迫力だった。屈したカナタはスゴスゴと和室へ退散する。


「カナタ、テーブル拭いておいて」

「布巾は?」

「卓上にあるわよ」

「へーい」


 穏やかな声で告げられたサナの指示に間延びした声で答えたカナタは、座卓の窓側で膝をつき、置いてあった布巾を手に取った。その右横では、オミがパソコンに顔を半分隠したままカナタをじっと見つめている。


「ん?どうした?」

「別に。有言実行にも程があるなって」

「視姦の話か?」

「それだけじゃないけどね」


 首をかしげるカナタを尻目に、オミは手元のPCに視線を戻す。そこには今日撮影したばかりのパルクール動画が流れていた。


(銃弾を躱して逃げ切る…。危うくはあったけど、本当にやり切っちゃうんだもんなぁ…)


 人員の逐次投入による継続的な包囲。その全員が銃弾という明確な死をばら撒いてきた。改めて見ても肝を冷やすような場面の連続だ。この時点で公表しても、十分に世間の同情を買えるだけの材料になっている。


(画面越しに見てるだけでも身が竦むっていうのに…。よく走れるもんだよね、ホント…)


 姉と二人で馬鹿なやり取りを見せる少年。そんな彼が見せる鉄火場での精神力に、オミは改めて呆れと尊敬の念を抱いていた。


「オミ、パソコン持ち上げてくれ」

「あ、うん」


 オミの前を拭くカナタの指示に従い、パソコンを頭上まで持ち上げる。ちょうどその時、一際大きいジュワッという音とともに芳しい香りが部屋に充満した。


「照り焼きかな」

「照り焼きだな」

「カナタ、お腹の音うるさいよ」

「よだれ飲み込むのに必死なんだ。そっちは許して」


 卓上を拭き終え、窓側の定位置で鳴りやまないお腹を押さえて蹲ったカナタ。我慢しきれないのか、体がプルプルと震えている。その情けない姿からは、つい数時間ほど前の戦いで見せた強さを微塵も感じない。

 ダレる欠食児から視線を切ったオミは、パソコンを下ろしてキッチンへと目を向けた。


(今回、有言実行は姉ちゃんもか…)


 キッチンから聞こえてくる鼻歌の主は、フライパンを振って肉にタレを絡めていた。その家庭的な様子からは想像もつかないほど卓越した戦闘スキルに、オミは改めて感嘆する。


(”視野の広さと悪意の見極めは自信がある”か…。知ってはいたけど、まさかここまでなんて…)


 心の中でそう呟いたオミは、軽くため息をついた。


「どうしたオミ?さっきから変だぞ?」

「カナタと一緒にしないでよ」

「どういう意味だ、こら」


 心外な返しに半眼でオミを睨むカナタだが、当のオミは変わらず真面目な目でカナタを見つめ返していた。その視線の質に、カナタが表情を改め首をかしげる。


「…マジでどうした?」

「…カナタも姉ちゃんも規格外だなぁって」

「お前が言う?」


 結局半目になったカナタは、オミの横にあるゴーグルとスマホを見た。


「オミが用意してくれたソレがなかったら、俺死んでたぞ?」

「あっても死んでたでしょ。これをちゃんと戦力にしてくれたのは姉ちゃんだよ」

「そもそも、それが無かったらサナが居ても死んでたじゃねーか」


 座卓に顎を乗せながら、カナタはオミを横目で見上げて呟いた。その一言に反論できず、オミが言葉に詰まる。

 確かに、姉の能力を最大限活用せしめたのはこの装備だ。これがなければ、サナが戦力足り得たとは思えない。

 それでも、自分がカナタの生還に助力できたとはどうにも言い難いオミは、苦々しい表情を崩さなかった。

 ”自分の装備がカナタの足を引っ張っている”。

 そう思ってしまうほどに、序盤の苦戦はオミにとって悔恨の極みだった。その苦しい時間を独力で乗り切ってくれたカナタに申し訳ない思いでいっぱいだったのだ。

 そんな珍しいオミの様子に、カナタが苦笑しながら体を起こした。後ろに手をついて、そのまま天井を眺める。


「リアルタイムの通信と全方位を同時撮影できる装備を作ってくれたオミ。その映像を見て全ての射撃を看破してくれたサナ。二人が揃っていたからこそ、俺はパルクールに集中できたんだ」


 そのまま顔だけオミへと向けたカナタは、歯を見せてにぱっと笑った。


「”三位一体”ってヤツだな、俺ら」


 その言葉に、オミは靄のかかっていた内心が晴れていくのを感じた。


 オミは以前、カナタに向けて”一蓮托生”という言葉を口にした。それは、カナタの事情に自分たちを巻き込めという意思表示。しかし、その言葉では、どうしたって”一人戦うカナタと、それを手伝う二人”という構図を抜け出ない。


 ”誰だって一人じゃ完璧にはできない”


 脱水症状でも走れるようにと無茶なトレーニングを始めたカナタにサナが手向けた言葉だ。それがカナタにだけ適用されるなんて、そんな道理はない。それぞれが得手を出し合って一つになる。そう。3人揃って初めて、銃弾すら躱す”ムササビ”になるのだ。

 3人がかりで戦うのであれば、“一蓮托生”より“三位一体”の方が、遥かに心震える言葉だった。


(…ああ、姉ちゃんもこうやって誑し込まれたんだな…)


 カナタの笑顔を眺めながら、オミは口元が緩むのを自覚した。


「…ありがとう、カナタ」

「何が?」

「生きててくれて」

「お前らのおかげだろ。礼を言うのはこっちじゃね?」

「三位一体なんでしょ?」


 カナタの言葉尻をしっかりと捕らえたオミが、不敵に笑う。


「僕だってムササビの一員なんだ。ミスをカバーしてもらったんだから、やっぱり”ありがとう”だよ」

「…そうか。そうだな」


 幾分柔らかくなったオミの表情。それを見たカナタが体を戻し、再び座卓へ上体を預けた。肘をついて目を細め、穏やかに口を開く。


「どういたしまして。オミもありがとな」

「うん。どういたしまして」

「でも、正直あれミスじゃねーぞ」

「考えが足りなかったのは事実だよ」

「テストも無しに気付けってのは無理あるぜ?」

「テストも無しに実戦投入したのがそもそもミスだよ」

「いやいや」

「いやいやいや」


 そこで止まった二人は、同時に吹き出し、声を上げて笑いあった。


「しかしアレだな…」


 ひとしきり喉を震わせたカナタは、座卓に顎肘をついて僅かに上を向き、いまだ耳に残る救世主のごとき声を思い浮かべる。

 カナタ自身が見ることを前提とした左右後方の映像。それを唐突に奪い、鈴を鳴らすような声で下された的確な指示。精神的にも戦術的にも、どれだけカナタの救いになったか計り知れない。


「…あの時のサナ、マジで男前だったな」

「…そうだね」

「誉めてるの?馬鹿にしてるの?」


 しみじみと呟く男二人。そこへ、微妙な顔をしたサナが、出来上がった料理を持ってやってきた。ジトっとした半眼ながら、その頬はやや朱に染まっている。


「いや、今日はマジでサナ様様だったと思うぞ」

「本当にね。姉ちゃんの眼がなかったらと思うとゾッとするよ」

「頼もしすぎてキュンとしたわ」

「ピンチで覚醒する少年漫画的展開だったよね」


 鶏もも肉の照り焼きにニンジンのグラッセ、レタスとシソのサラダ、マッシュポテトが丁寧に盛られたランチプレート。それを3つ卓上に並べているサナを、カナタとオミが交互に讃えた。その都度サナの顔が赤くなり、目が泳いでいく。


「や、やめてよ、二人とも。私はそんな大したことは…」

「いや、大したことだろ」


 謙遜したサナに反論するカナタの声は、異様に真剣だった。その響きにサナが恐る恐る顔を上げ、カナタを見やる。

 口を引き結んだサナの揺れる目を、カナタも真っすぐ見つめ返した。


「今俺が生きてるのはサナのおかげだ」

「カナタ…」

「お前がどれだけ凄いことをしたのか、あまりにも凄すぎて、端的に表すのはちょっと難しい」

「あ、ぅ…」


 熱の籠るカナタの声。それに浮かされたサナの顔が真っ赤に染まる。そんな可愛らしい様の少女へと、カナタは僅かに身を乗り出した。


「だから一つ、お前に言わなきゃならない事がある」

「な、何?」


 少年の声を欠片も聞き逃すまいと、サナは精一杯耳を澄ませる。

 高鳴る心臓。潤む瞳。どんな言葉を貰えるのかと期待に心を震わせるサナに向け、力強い声でカナタが言った。




「お前の目、『貧乳眼ひんにゅーがん』って名前はどうだろう?」




 数拍の間。

 直後、サナの額に青筋が浮かび、カナタの頭に平手が炸裂した。そのままドタバタと、いつもの追いかけっこが始まる。

 呆れ顔のオミが「結局胸焼け…」と、早々に二人を放置。キッチンへと避難し、自分の分だけ米をよそう。


「大人しく殴られなさい。ほら、私のおっぱいより腫らしてあげるから。その頬」

「元からだから!俺のほっぺた、お前の乳よりはふっくらしてるから!!」

「あ”?」

「あ、嘘です!ごめんなさい!って、マジでこれ防御できねーんだけど!?」


 カナタが取り押さえられた頃合いを見計らって、オミが和室に戻り座卓につく。その横では、仰向けのカナタに跨ったサナが平手を振り上げ、カナタが必死に首を振っていた。サナの膝に両腕を抑えられ、ろくすっぽ抵抗できないらしい。


「いただきます」

「あ、オミてめ!!抜け駆けは許さねぇじょ!!」

「ちょ、よだれ!!口閉じてよ変態!!」


 痴話喧嘩をBGMに、オミは一人で遅めの昼食へと箸を伸ばすのだった。

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