赤と青

@coco0903

第1話

 海を見ていると自分を空っぽにすることができた。決闘が決まったのは昨日のことで、まだ実感が湧いていないのが正直な感想だった。右腕に目を落とす。施設にいた時の腕輪が、目に入る。施設の思い出は、思い出したくもないものがほとんどだったが、大切な友人との記憶がこの腕輪には詰まっている。それだけは、自分の中で断ち切ることができずにいた。

 大切な友達だった。本当に大切な。


「お前にしか頼めない。やってくれないか?」

 村長の顔は苦渋の決断を迫られた人間まさにそのものだった。彼ができうる最善の手がこれであり、実際のところこれしか手立てがないのは確かだった。

 隣の大きな町の村長がこの村付近一帯をゴミの埋め立て地に使いたいから、村にいる村民に全員に立ち退きせよと勧告してきたのは、つい先日のこと。産まれてからずっと、海での仕事を生業にしている村の人間たちが、この地を離れて生活していくことなど、あまりに現実的ではなかった。

「そんな無茶な頼み、拒否すればいいじゃないですか」

「先代の村長がこの村を作った時に、町からかなりの借金をしたみたいなんだ。とても、払える額じゃない」

 借金の額を試しに聞いてみたが、村全員の私財を投げ売りしても、遠く及ばない額であった。

「もうお前に頼るしかないんだ」

 この国では他者と何らかの争いが発生した時に、決闘で全てを決める習わしがある。決闘に勝った者の主張が正義であり、負けた者はそれを受け入れるしかなくなる。実に単純明快だ。

「よく決闘なんて向こうが受けましたね」

「冗談じゃない。俺から決闘なんて言い出すわけないだろ。あっちから言ってきたんだ」

 決闘を申し込まれた方は、それに応じなければ負けてしまう。

 決闘士を雇うこと自体かなりの大金を必要とし、金がないところは自前で用意するしかないが、素人が闘ったところで数秒で塵となるのが関の山。決闘の勝負の終わりは、どちらかが死亡した時に決する。

 この狂った世界では、金と権力が全てで。その二つを満たせないものは、敗れ死ぬしかない。

「いいですよ。でますよ、僕」

「すまない」

 村長は短くそう答えることしか、しなかった。

「一回死んでいる命です。二回死んでもいいじゃないですか」

 笑顔を見せて答えたが、村長はぴくりとも反応はしてくれなかった。笑えない冗談らしい。

 自責の念に苦しみられている、どうにか納得させ家に送りかえした。

 決闘士としての生き方から逃れたくて、ここまできたのに、結局は逃げることはできなかったみたいだ。 

 押し入れにしまっていた刀を取り出す。紐で何重にも固く結んでいたものを、時間をかけほどいていく。

 鞘から抜きだしたその刀身は、手入れを全くしていなのにもかかわらず、あの頃のまま艶やかにその身を輝かせている。

 もう全て終わりにしよう。刀身を鞘に納め、元の場所に戻すと、布団に入り眠りについた。

 あの日から毎夜同じ夢をみる。人がみる夢は往々にしてたちの悪いものであるが、残念ながら自分も例外ではなかった。悪夢が今日もやってきた。


 目の前の人間がバタバタと倒れていく。最後に立っているのは、いつも自分だ。自分の身体を見回すと、赤黒い血がべったりとついている。ふと前を向くと、アカがこちらを見て笑いっている。僕が殺したのに、何で笑っているんだよ。やめてくれ。もう出てこないでくれ。……僕を殺してくれ。

 起き上がり窓の外に目を向けると、まだ日はうっすらとしか顔をだしておらず、外は薄暗かった。

 顔を洗いに洗面台の前に立つと、随分ひどい顔が鏡に写っていた。毎晩夢に出てくる人間は、自分が殺してきた相手で、律儀に欠かさず毎回夢に現れる。

 許してもらおうなどと思ったことは、なかった。受け入れることで、彼等の気が少しでも晴れるのではないかと思い、拒むことはしなかった。

 夢に最後に出てくるアカは施設で出来た初めての友達で、僕が最後に殺した決闘士だ。

 施設では毎日、毎日決闘士としていかに相手を殺すことだけを教えこまれ、それ以外のことは教わらなかったし、自分達も知ろうとはしなかった。施設の大人は、弱い子供を見つけると施設の奥へと連れていった。連れていかれた子供を見ることは、二度となかった。

 そんな環境で生きていくために、ただひたすら剣の腕を磨いた。生きていたかった。

「なぁアオ。訓練終わったら部屋に遊びにいっていいか」

 それを最初僕のことを呼んでいるとは思わず、僕は部屋に帰ろうとしている時だった。

 アカに急に腕を捕まれた。僕はとっさに手を出してしまった。

「いきなりなにすんだよ!危ないだろ」

 彼は僕の右腕を見事に避けつつも、握った手をほどくことはしなかった。

「ごめん。反射的に殴ってしまった」

「いいよいいよ! アオはすごい強いんだな」

「君は最近ここにきた子だよね。そのアオっていうのはなんなの?」

「えっ!? 名前だよ名前! 俺達名前がないじゃないか。俺はアカよろしくな」

 アカは自分が身につけている赤色の腕輪を指差しながら自己紹介をしてきた。満面の笑みのアカの顔は、施設で初めて見る人の笑顔だった。

 自分が付けている腕輪を見て見ると、青色をしていた。そのあまりの単純さに自然と笑みがこぼれ、僕達はしばらくその場で笑いあった。

 彼との出会いは僕の人生に色をつけてくれた。


 いつものように漁にでるための身支度を整え、海にでた。

 沖にでて昨日の仕掛けた網を回収していく、今日も何匹かの魚がかかっており、それを丁寧に網からはがし、壺に入れていく。

 一通りの作業を終えたら、また海に罠を設置して、陸へと戻った。この村に来てから毎日これの繰り返しだ。目を瞑ってもこなせるのかもしれない。

 自分の分の魚を確保した後は、周りの家に魚を分けていった。皆一様に、何か言いたげな顔をしていたが、ありがとうとそれだけ言って、魚を受け取ってくれた。最後に村長の家を訪ね「こんな時に、漁なんてでてどういうつもりだ!」とお叱りを受けたが、こうしているほうが気が紛れるんですと伝えると、それ以上は言わず、差しだした魚を引き受けてもらえた。

 家に帰り早めの晩御飯を済ませた。焼いた魚はいつもと同じ味がして、美味しく食べることができた。人生最後に自分でとった魚をいただくのも、悪くはない食事だ。 

 決闘は今日の夜からだ。

「ねんねんころりよ。おころりよ……」

 気付いたら子守唄を口ずさんでいた。昔、アカと一緒に、布団に潜りこんでいた光景が、頭に浮かんでくる。


「アオ。ここを出たら何したいんだよ?」

 薄暗い部屋でアカの表情ははっきりとは分からなかったが、彼はいつだって前向きな言葉を口にし、顔には力強さが表れていた。きっと、いつもと同じ顔をしたいただろう。

「ここを出た後は決闘士になって……」

「なって?」

 その後の言葉は出てこなかった。決闘士になった後の自分の人生を、想像したことがなかった。

「アオは何が好きなんだよ?」

 好きなもの。施設に入ってからも唯一思いだすのが、家族と海を見に行った記憶だった。

 白い砂浜に、青い海。左手に父の手、右手に母の手があった。

「海が好き」

「いいじゃないか海! 俺と一緒に海を見に行こうぜ」

「うん。一緒に海へ行こう。アカは何をするの?」

「俺はな、虹の国へ行くんだ」

 空に架かる七色の橋。アカは虹を見るのが好きで、虹を発見した時は無邪気にいつまでも笑っていた。

「虹は赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七つの色でできてるだろ。それぞれの色の宝物を揃えると、虹の国へ行けるんだよ」

「その宝物はどこにあるの?」

「それがわからないんだ。どこにあるのか、誰が持ってるのか。ここを出たら調べるさ」

 彼の目は輝いていた。大袈裟ではなく、本当に。

「アオも連れていってやるよ。虹の国」

「あぁ。楽しみに待ってるよ」

 正直、虹の国が本当にあるの疑わしかったが、アカが行きたいと願う場所なだけに彼にはたどり着いてもらいたかった。

 布団の中ではいつも他愛ない話をして、夜を過ごしていた。なんのことはない、二人とも朝になるのが、怖かったんだ。朝が来ること遅らせるために、二人で抵抗していた。

「アオ眠れないんだろ」

「朝がくるのが嫌なんだよ」

「ははっ。子守唄うたってやるよ」

 アカは冗談ではなく本当に、いつも最後に子守唄をうたってくれた。彼の母親がよくうたって寝かしつけてくれたらしい。アカの家族の思い出は、子守唄だった。

「ねんねんころりよ おころりよ……」

 僕はその子守唄をきくと、いつも不思議とすぐに眠りについた。

 目を開けて目覚めると、夜になっていた。刀を持って外に出る。完全に日が落ちていたが、手元の灯りは必要ないほど、月明かりが夜道を照らしてくれていたので、それを頼りに町へと歩いていった。


 動機が早くなって、刀を持つ手も震えていた。何年かぶりの決闘に緊張しているわけではなく、目の前の少女に原因があるのは明らかだ。

 肩までかかる黒の長髪に、白装束。足元は一本歯の下駄を履いていて、手には先の尖った簪を握りしめていた。簪を握っている右手の手首に目をやると、赤い腕輪をしているのが見えた。

 何年も近くで見てきたその腕輪を、見間違えることなどしない。それは、間違いなく、アカの腕輪だ。

 何故この女の子がアカの腕輪をしているのか、すぐに理解などできなかった。こっちの困惑などお構い無しの様子で、彼女は僕の目をじっと見つめてきている。

 周りの観客が騒ぎたてている。滅多に見ることができない決闘を、生で観戦できることに興奮している様子だ。

 気持ちの整理がついていない状況の中でも、決闘の準備は着々と進んでいき、始まりの鐘が鳴らされた。

 少女は真っ直ぐこちらに向かってきて、持っていた簪を僕の胸めがけて思い切り、振り下ろしてきた。

 とっさに刀の鞘でそれを受け止めると、彼女はこちらに蹴りをいれつつ、後ろにすぐさま後退していった。

 アカはいつの間にか子供を作っていた。彼女との最初の攻防は施設にいた時に、アカとよくやった組手の流れそのものだった。

 少し垂れ気味の目に薄い上唇。なにより、目の輝きがアカとそっくりだった。一点の曇りなき眼で、こちらの出方を窺っている。

 刀を鞘から抜いた。理性ではなく、本能がそうさせていた。友達の子供に出会ったというのに、お互い相手を殺そうとしている。

 アカの子供がどうして? なんで? いつ?  

どこで? 様々な疑問符が頭に浮かんできたが、最早身体はいうことを効いていない。刀を握った瞬間に、全ての決定権は身体に委ねられていた。

 こちら攻撃を、彼女は紙一重でひらひらと躱していく。まるで踊っているかのような身体さばきに、周りの人間はいつしか声を挙げるのを忘れ、固唾をのんでいる。

 彼女の頭、胸、みぞおち、腕、急所に打ち込んでいくが、彼女の身体をとらえる気配は微塵も感じなかった。

 斬りかかる際に、彼女はご丁寧にこちらに傷を負わせてきて、気付いたら、息も絶え絶えで、血まみれの自分がいた。なんだか、眠たくなってきた。血を流しすぎたのかもしれない。彼女の様子を見れば、こちらが満身創痍なのに対して、着崩れひとつ起こしていない。どちらが優勢なのかは、赤子でもわかるだろう。

 彼女の口元が微かに動いているのが見えた。なにか口ずさんでいるようだが、あまりに小声なので聞こえない。声の大きさは、父親に似なかったのだと、少し可笑しくなる。

 もう終わりにしよう。僕は真っすぐに、彼女に斬りかかりにいく。急に周りの動きがゆっくりになった。いや、自分の振り下ろした腕もゆっくり、ゆっくりと下ろされていく。人は自らの生命が途絶えそうな時に、そうなるとは噂で聞いてはいたが、こうして自ら体験してみると、噂は正しかったのだろう。

 当然の如く、僕の攻撃を華麗に彼女は避けてくれた。踏み込みすぎたのと、足腰の悲鳴が重なり僕は大きく態勢を崩した。僕と彼女の顔が近づいた。

 あぁ。アカの子供だと本能で確信した。つぶらな瞳に彼と同じ夢が燦然と宿っている。そっくりな親子だ。

「…ねん…ね…ん、 ころ……り、」

 こんな時に寝かしつけにきていたのか、どうりで身体が動かないわけだ。夢を見ながら、死ぬことができるのなら良かった。最後にいい夢が見れそうだ。

 すっ。

 洋菓子にナイフを通すように、僕の右手に握られた刀は、彼女の身体を貫いていた。白い着物は、みるみるうちに赤く広まっていき、彼女の身体は真紅に染まっていった。

 薄れいく意識の中で、最後に見えたものは、微笑む彼女の顔だった。


「気がついたか」

 目を覚ますと自分の家の天井が視界に入った。見慣れた天井の模様は自分がまだ生きていることを気付かせてくれるのには、十分なものだった。

 声の主は村長で、部屋の椅子に腰をかけコップに口をつけている。微かに鼻に香るその匂いはコーヒーで。

「いい香りですね」

 僕は村長が用意してくれたコーヒーを飲み、ことの顛末を全て聞いた。

 意識を失った後、僕と彼女は同時に地面に倒れ、そのまま起き上がってこなかった。村長が慌てて、駆け寄ってみると。倒れた彼女の身体からは夥しい血が流れており、首筋に手を当てると何も脈打ってはいなかった。

「僕は?」

「お前か? お前も傷は酷かったけど、ぐーぐーいびきかいてたよ。全く、呑気なもんだ」

 村長は口調は怒ってはいたけれど、その顔は長年の憑き物がとれたかのようにすっきりとしていた。決闘に勝利したことで、村が救われたみたいだ。

 村長はそれから今まで聞いたことがない賞賛の言葉を贈ってくれて、村の他の人達も僕に会いたくてウズウズしていることを伝えてくれたが、まだ身体が万全ではないことを理由に遠慮させてもらい、「なにかあったら何でもいってくれ」と最後に言い残し、村長は家を出ていった。

 家の中が急に静かになり。行かなくては行けない場所があることを思いだし、僕は着替えて海へと向かった。

 海は穏やかに波うっている。砂浜に腰を下ろした後すぐに、隣に彼女がやってきた。

「ここなら会えると思ったんだ。沢山言いたいことがあるんだけど、まずはありがとう。本当にありがとう」

 彼女はくしゃっとした笑みを僕に見せてくれた。笑った顔はアカとは違い、実にかわいらしい表情だ。母親に似ているのかもしれない。

「お父さんがよく話してくれたのあなたのこと」

「そう。お父さんはなんて?」

「アオはおれの大切な友達だって」

「そうか」僕も同じ意見だ。

「ところで聞きたいことが、いくつかあるんだけど」

 彼女は僕がまだ話の途中であるのに、答えだした。僕の知りたいことなど、手に取るようにわかるのだろう。

「最後のはおじさん腕に絡めていた私の髪を使って腕を動かしたの。おじさんの刀を避ける時に、髪を結んでいったの。刀は刺さってないよ。ほらっ」

 彼女が着ていた着物を急にはだけたので、おもわず視線を逸らしてしまう。友達の娘の裸を見れるほど、神経は太くない。

「しっかり。見てよ」彼女の攻めの口調に押され、恐る恐る見てみると、僕が突き刺したであろう彼女の胸の部分は、傷一つなく、彼女の真っ白な素肌が露わになっているだけだった。

「でも、君はあんなに血を流して……」

「私、自由に血を出せるの」

 彼女は左の手のひらを僕に見せつけると、まるで手品かのように彼女の皮膚から血が滲みでてきた。

「すごいでしょ」誇らしげに言う彼女に、「素晴らしい」と、拍手をしながら答えた。

「ねぇ。そんなことより話してよ」

「何を?」

「お父さんとおじさんの話」

 それから彼女に沢山の話を聞かせてあげた。父親は実は怖がりで、夜トイレに一人でいけなかったところとか、口の中が虫歯だらけであるとか、下らない大切な話を二人で海を眺めながら、時間を忘れて話をした。

「それじゃあ、そろそろいくね」

 彼女は立ち上がり、お尻についた砂を手で払った。

 彼女に言わなくてはいけないことが、たくさんあったが何を言えばいいのか、正直わからなかった。

「君のお父さんを、死なせてしまったのは……」

 そう言いかけた僕の口が止まったのは、彼女が唇に指をあて、静かにしてのポーズをとったからで、僕はそれ以上何も言えなくなってしまった。彼女はやはり全てわかった上で、ここに来ているようだ。

「お父さん、おじさんと海を見る約束をしたんだってよく話してくれたの」

 ざぁー、ざぁー、と波の音が心地よく響いている。

「約束の海見れてよかった。お父さん」

 彼女は赤い腕輪を反対の手で、そっと包みこむ。彼女が着けるには少し大きすぎるのか、よく見ると腕輪にはかなり隙間がある。

 施設で着けていた青い腕輪を彼女に手渡した。最初は戸惑っていたが、僕が無理矢理渡す感じにすると、受け取った腕輪を早速手首にはめ、華奢な細腕に赤と青の二色が彼女を彩っていた。

「いいの?これ」 

「もう必要ない。虹の国へ行くんだろ? 僕の代わりにそれを連れていってくれ」

彼女は「任せて!」と勢いよく答え、後ろを向きつかつかと歩きだしていった。時折、こちらを振り返ると、バイバイと手を振っている。

 彼女が立ち去り、その姿が見えなくなるまで僕は一人浜辺でたっていた。後ろを向けば海がみえた。これからまたいつもの日常が帰ってくる。起きて、働いて、寝る。退屈そうな日常が僕には全て幸せだ。

 遠くから僕の名前を呼ぶ、声が聞こえてきた。とりあえず今は駆け寄ってくる声の主を力いっぱい抱き締めよう。

 海は静かに波打っている。ざぁざぁと変わることない間隔で、浜辺に音を響かせて。



 

 




 

 


 

 



 



 


 




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