第101回 はじめての その1

「はじめての」は、島本理生、辻村深月、宮部みゆき、森絵都の小説です。この4人はいずれも直木賞受賞作家です。共通しているのが「はじめて〇〇したときに読む物語」です。そして、小説を音楽にするユニット、YOASOBIとコラボした作品です。


 くわしくはこちら


「長編小説の仕上げ方 その2」

https://kakuyomu.jp/works/16816927859434938319/episodes/16816927859876164615


「YOASOBIの曲と原作小説」

その1

https://kakuyomu.jp/works/16816927859434938319/episodes/16816927859974623074


その2

https://kakuyomu.jp/works/16816927859434938319/episodes/16816927860393210950


その3

https://kakuyomu.jp/works/16816927859434938319/episodes/16816927860442013003



 まずは島本理生の“はじめて人を好きになったときに読む物語”「私だけの所有者」です。


 YOASOBIが「ミスター」という曲にしました。

https://www.youtube.com/watch?v=2-c0DFt6vK4


 今のところこの作品と、四作目の「ヒカリノタネ」が楽曲になっています。



—―とはいえ、僕に不必要に情報を与えたらなにをするか分からない、という心配は理解できますし、適切な対応だとも納得しています。情報とはすべての可能性の入口ですからね。

(中略)

 これだけテクノロジーが発展しても、情報の厳守や監視かんし徹底てっていしようとすると、最もアナログな手紙という手法にたどり着くのは面白おもしろいですね。—―(はじめての P.9、P.10)


「僕」は保護観察を受けたアンドロイドです。「僕」が「先生」と呼ぶ相手への手紙というスタイルで話が進んでいきます。この「先生」というのはとても意外な人物です。


 手紙を通じて「僕」は、所有者であるMr.ナルセとの今までの暮らしを「先生」に伝えます。


 アンドロイドが普通に存在するくらいですから、かなりの未来の世界でしょう。でも手紙という手段が使われている事の背景が上手く描写されていますね。


—―僕が困惑して「それでは、なんと言えばいいですか? あなたの言うとおりに従います」と問い返すと、彼は即答しました。「僕といいなさい」と。—―(はじめての P.16)


 Mr.ナルセはかなりぶっきらぼうな人物で、「僕」に対する態度はかなり冷たかったです。この出会ったばかりの頃のやり取りも、一見するとそのような感じに見えます。


 ネタバレですがあえて言います。さりげないこのセリフ。2度目に読むと涙が出てきます。一見すると冷たそうなMr.ナルセのやさしさがあふれている重要なセリフです。


—―彼が僕の読書に干渉かんしょうすることはありませんでしたが、一度だけ彼が食事している間に、僕が食卓のすみで人間の男女の生殖せいしょくに関する本を開いたときには、突然、機嫌きげんが悪くなって癇癪持ちの子供みたいに声を張り上げました。そんなものはおまえには必要ないんだから読むな! と。—―(はじめての P.21)


 ここもこれだけを読むとMr.ナルセは偏屈な人間であるかのような印象を持つかもしれませんね。先ほどお話しした「僕」呼びと同じく、彼のやさしさがさせた行動なのです。


—―「私、たくさんの小説を読んだの。内容はばらばらだったけど、かならず同じことが書かれてた。人は一人で生まれて一人で死ぬ。その当たり前のことが、あの人たちにはね、本当に死ぬことよりこわいの。だからせめて死ぬ瞬間に誰かがそばにいてくれたらと願うけれど、それだって誰も保証なんてできない。だけどアンドロイドだけはそれを約束できるの。自分の子を持たない私の両親が、私を娘のように着飾ってどこへでも連れて行く。それがどんなに孤独なことか、あなたには想像できる? 望んだときにいつでも完璧かんぺきにそばにいてくれる存在。それが私たちなのだから」—―(はじめての P.29、P.30)


 これは、Mr.ナルセの弟夫婦が連れていたもう一人のアンドロイド、「ルイーズ」のセリフです。「僕」はこの「ルイーズ」との出会いをきっかけに、劇的に変わり始めます。


—―「何も話せることがないのは、国外逃亡こくがいとうぼうしなければならないような状況があなたにせまっているからでしょうか?」—―(はじめての P.38)


 「僕」は、「ルイーズ」から聞かされていたが、今までMr.ナルセに言えなかった事をぽろっと口にしてしまいます。


—―そのとき光の津波が背後から襲ってきたのです。

 そして爆風が押し寄せました。—―(はじめての P.42)


 シンプルですが、爆撃を受けた際の様子がありありと感じられますね。突然爆撃を受け、吹き飛ばされた「僕」とMr.ナルセは、使われなくなって閉鎖されていた地下鉄の中に閉じ込められてしまいます。


 この時、「僕」は実は女性のアンドロイドなのだと知らされます。少女のアンドロイドはもしたちの悪い人間の手にかかると性的な暴力による故障・遺棄の事例が多かった事から、男であると思わせる「僕」という呼び方をするように言ったのでした。


—―Mr.ナルセ、と呼ぶ自分の声が反響はんきょうする深い空洞くうどうを意識したとき、これまで起動したことのない感情が高速で火花を散らすように回路をめぐるのを感じました。

 私は倒れているMr.ナルセに訴えました。こわい、こわいです、一人きりはこわい、一緒にここから出て!—―(はじめての P.49)


 この時点で劇的な変化が生じていますね。アンドロイドならば所有者であるMr.ナルセの役に立つ事だけを考えているでしょう。でも、この時の感情は間違いなく人間のものです。


—―時間の経過をきっちりと刻むことのできるこの体が、おそらくMr.ナルセは

もう生きていないであろう事実を私にはっきりと伝えてきました。

 それでも私は歩きました。それが最後の所有者の命令だったからです。—―(はじめての P.50)


 人間らしい感情に目覚めてもなお、アンドロイドとしての使命には逆らう事が出来ないのでしょう。なんという悲しい運命。


—―Mr.ナルセはたぶん、あなたとの思い出を振り返りに行ったのではないでしょうか。もしかしたらあなたと再会できるのではないかというあわい夢さえ見ながら。アンドロイドの私にさえ分かることが、なぜあなたには想像できないのですか?—―(はじめての P.54)


 ここでも「僕」はとても人間らしい感情を抱いています。「先生」は、Mr.ナルセの奥さんでした。そしてMr.ナルセを残し亡命したのです。この事に対して怒りを感じています。


—―彼の声は私の中に記録されていて、もう一度あの厳しい声で命令されて𠮟しかられたい、と願うのは、いったいどういう名前の感情なのか、私にも分かりません。—―(はじめての P.56)


 これが恋以上に強い絆なのでしょうか。


◇◇◇◇◇◇



 読んでいただきありがとうございました。



 次の第102回も引き続き「はじめての」です。お楽しみに。

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