第3話 ラスボス
ある日、仕事上でわからないことが出てきました。
社長に聞いてもボスに聞いてもわからない。どうしたものかと考え込んでいたら、肩をぽんぽんと叩かれました。振り返ると藤宮さんが立っていました。
「あのね、私はわからないよ。私に聞くんだったら、私のわかることにしてね。だってわからないことを聞かれても迷惑だもん」
それだけ言うと、去っていきました。いや、この仕事は藤宮さんの担当じゃないからわからなくて当然だし、だから藤宮さんに聞こうとも思ってないのですが。何なのでしょう。藤宮さんは相変わらず天然です。
いろいろ調べた結果、この問題は前任者なら知っているだろうということがわかったので、大変恐縮ですが退職者の方に電話でコンタクトをとりました。
「辞めた職場からヘルプ要請とか嫌ですよね、本当にすみません。でも助けてもらえませんか。どうしたらいいのか教えてほしいんです」私がそうお願いすると、「会って教えてあげてもいいけれど、あなただけで来てほしい。ほかの社員は連れてこないと約束するのなら、仕事の引き継ぎをしてあげます」とのことでした。
なんですか、その不穏な条件は。一人で来いとか、どういう取引ですか。
まあ辞めた職場ですし、元同僚と会うのが気まずいってこともあるのかなあ? そう思ったので、私はもちろんその条件で構いません、助けていただいてありがとうございますという気持ちで約束したファミレスへと向かいました。ランチをご一緒することになったのです。
昼、ファミレスで会った前任者は、眼鏡の髪の長い女性でした。私と会うなり、「あの職場のことをどう思いますか」と尋ねてこられました。えっ、これは何て答えるのが正解だろう。一瞬迷いましたが、私は正直に気持ちを打ち明けることにしました。相手の意図が読めないときは正直にいく、それが私のやり方です。
「正直馴染めずにいます。皆さんとなかなかいい関係が築けなくて……」
そう言うと、前任者はほっとした顔になりました。
「そうですよね! あの人達とうまくいく人なんてなかなかいないと思います。私も合わなくて転職したし!」
「お、おう、ですよね。やっぱりボス……年配の女性からの嫌味攻撃がキツかったですか? あの方、最初のうちは名前も呼んでくれないですし」今思い返してもひどいなあと思う。
「それもあるけど……。でも、あのレベルの嫌味なお局ならどこの会社にもいるでしょう。それよりもっとタチの悪い人がいるんですよ」
「それって……」
心当たりがあるといえばある。
「冴木さん。あの人があの会社では一番偉いんです。新人がすぐ辞めるのも、あの人のパワハラのせいなんですよ」
まじか。
「いつもニコニコしていて良い人っぽく振る舞っているけれど、それで油断したら大間違いですから用心してくださいね。あの会社では誰も彼女には逆らえないんですよ。気に入らないことがあると暴力を振るうこともあります。社長でさえ仕事でミスしたからって殴られたこともあるんですよ。でも彼女はすごく仕事の出来る人だから、社長は何も言わないんです。冴木さんが会社を辞めたらあの会社は潰れるでしょう。みんなそれをわかっているから見て見ぬ振りです。もしあなたが彼女に嫌われたらすぐ転職したほうがいい。あの人、サイコパスっていうのかな、なんか普通じゃないですから」
そう言われて、私は青くなりました。実はもう既に二度ほど無視される事態に遭っているんですが。
「……もう手遅れみたいだから、転職したほうがいいのでは」
そんなことを言われても。
その後、会社に戻り、私はパソコンに向かいながら、こっそり冴木さんを盗み見ました。どう見ても普通の人です。
大体サイコパスだなんて、そんな人、現実には滅多にいないはずだけどなあ。でも、駅前での異様な行動とどことなくカメレオンを思わせる目つきを思い出すと、背筋がぞっとするのでした。
まあ、会社を辞めた人から聞いた話だし。個人的な恨みとかもあるかもだし。鵜呑みにしないで、頭のすみにとどめておく程度にしておこうとそのときは思いました。
無駄に転職回数の多い私は、これ以上無駄な転職経験を増やしたくなかったのです。たとえ冴木さんがサイコなのだとしても、どうにかやりすごして頑張ろうと思いました。
そんな矢先、私が仕事でミスをしていたことが発覚しました。
絶対に間違えてはいけない書類で、お客様の名前を間違えるという凡ミスでありながら、100ページ以上の書類を一から全部作り直さないといけないという大ミスです。
社長からはきつくお叱りを受けました。当然です。
ボスは厳しい顔で一喝したあと、「これからは気をつければいいから、同じミスはしないようにね」と意外にも優しいことを言ってくださる。一番怒る人かと思っていたのに。
藤宮さんは「私、知らな~い」と言って、笑っていました。ああ、まあ、そういう人だしね。
冴木さんは何も言わずに、ゴミ箱を蹴り始めました。静かなオフィスに、がんがんと蹴る音だけが響きました。
こ、怖い! なんだコレ、私へのあてつけ?
みんなは黙って見ているだけで、何も言いません。
私は震えながら、冴木さんのそばに行き、頭を下げました。
「済みませんでした」
「え? 何が?」
冴木さんはにっこり笑いながら振り返りました。ただ、目だけがぎょろりとしているというか、妙に爬虫類っぽくなっていました。
「ミスして申しわけありませんでした。あの、修正は私がひとりでやります」
「そうなんですか? 一人じゃ大変ですよね。手伝ってあげますよ?」
「いえ、皆様のお手を煩わせるわけにはいきませんので」
「じゃあ最初からミスしなきゃいいのにね~」
「う……はい」
「ねえねえ、ゴミ箱ってどうして私に蹴られたんだと思います?」
「えっと、私が仕事をミスしたから、だと思います」
「ですです、そうなんです。あなたのかわりに蹴られているんです」
冴木さんは楽しそうでした。とても楽しそうに笑いながら、もう一度ゴミ箱を蹴り上げました。
「以前、ゴオルドさんは私になぜ社長にバームクーヘンを投げつけているのかとお尋ねになりましたよね? あれね、あなたが短歌もわからないぐらい教養がないことにムカついたからなんです。社長はゴオルドさんの身代わりになったんですよ」
ええ……。そういや雑談中に冴木さんが短歌を暗誦したけれど、私が何のことだか理解できなかったことがあったっけ。でもうちの仕事に短歌はまるで関係ないのに何言っているの、この人。
「そうだったんだ……。俺が何か悪いことをしたんだと思ってた」
社長も驚いております。ええ……。冴木さんは眼球をぎょろっと動かして社長を睨みました。ひえっ!
「もちろん社長にもムカついておりますよ。だって頭の悪いことばかりおっしゃるんですから。私、馬鹿って嫌いなんですよね」
うなだれる社長。ええ……。なんでそんな言われっぱなしなの。それでも社長か!
ボスは無表情でじっとしています。藤宮さんはのほほんとお茶を飲んでいます。
なんだコレ……。この職場、やっぱり変!
いや、とにかく今は仕事です。ミスのフォローをしなければ。
私は書類の差し替えをサービス残業で終わらせ、顧客にも謝罪して許してもらい、どうにかことを収めました。
翌日、出勤すると冴木さんが既に出社しており、自席で腕を組んで座っていらっしゃいました。私を見て、大きくため息をついて、天を仰ぎました。うわあ、感じ悪い。ま、まあ昨日は私がミスしたからな、少々意地悪な態度を取られてもしょうがない。
私は昨日のミスを謝り、なんとか無事に修正を終えたこと、顧客にも許してもらえたことを報告しました。
冴木さんはにっこり笑って、「ざんね~ん」と言いました。
ん? 聞き間違いかな?
「あの、修正は全部終わりましたし、トラブルにもならずに済んだのですが」
「うん、だから残念って言ったのですけれど。頭だけじゃなくて耳も悪いのですか?」
ニコニコ笑いながら冴木さんはそう言いました。うう、ここまで言われるとは。
冴木さんはサイコパス。そうファミレスで聞いたことを思い出し、確かにそうなのかもしれないという気がしました。サイコパス・カメレオン。
「それにしても、あのミスを一晩で修正できたのはすごいですね。誰かに手伝ってもらったんですか」
「は、はい。実は社長が手伝ってくださいました」
「ふーん。社長ってほんと余計なことをしますね。知能が低い者は馴れ合うものだから仕方がないのでしょうけれど」
「はあ……」
ソウデスカー。連続で心にパンチを食らって、私はもはやノーリアクションでした。
「あっ、そうだ。この前、取引先の方がゴオルドさんを褒めていらっしゃいましたよ。とっても素直な性格だって」
「へ、へえ、そうですか。あまり褒められてるとは思えませんが」
見下されているというか馬鹿にされているだけなのでは。
「あ、よかった、それぐらいの嫌味は理解できるんですね。ほっとしました」
冴木さんはにっこり笑ったあと、また爬虫類みたいな目つきになって、私を睨み付けました。
「……あまり私を怒らせないでくださいね? 仕事のミスをしないのは当然ですが、知的レベルの低い発言もNGだと肝に銘じてください」
怖い。その目つきがただただ怖い。私は震えながら「はい……」と答えたものの、日本で一、二を争う大学を卒業されている方が満足するレベルの知的な会話が出来る人って限られているのでは? まあ、少なくとも私には無理だなと思いました。
私はその日のうちに辞表を出しました。ここで勤めたのはわずか半年ちょっとでしたが、その間ボスから嫌味を言われたり、冴木さんに不信感を抱いたり、藤宮さんの天然すぎる天然っぷりに引いたり、社長の空気っぷりにも引いたりとなかなか濃い日々でした。
社長はかなり怒りました。たぶん私が入社してから一番怒りました。
「せっかく採用したのに、また辞められたらうちが困るんだけど!」
そんなこと言われても。私はサイコパスのいる会社に長くいたくないです。それに冴木さんがいなくなったら潰れるような会社、長くは続かないでしょう。この会社が長く続くよう支えたいと思えるような人物もいなかったですし。
ボスに退職について報告すると、「あっ、そう。バイバイ」とさっぱりしたものでした。
藤宮さんはおっとり笑いながら「チヤホヤが終わったら、いびりが始まるのよね~。でもそんなことで仕事を辞めるのは甘えよ。ゴオルドさんって独身だからダメなんだと思うわ。結婚したらまともになると思うから、転職より婚活がいいと思う」って言いました。もうわけがわからないよ。
冴木さんはというと、「えっ、辞めてしまわれるのですか。えー、でもでも、私とのお付き合いは続けてくださいね。飲み会には絶対誘いますから、絶対来てくださいよ。もう絶対ですよ!」って私に何度も言いました。怖いんですけど。もちろん飲み会の誘いなんてそれから一度もありませんでした。
私は職場を出てすぐ、以前ファミレスで会った前任者の方に電話をしました。
「私、あの会社を辞めました」
そう伝えると、
「おめでとう」と言ってくださいました。
「私もそこを辞めたおかげで今の職場に勤めることができています。今の職場にはそちらの会社ほどおかしい人はいません。辞めて本当に良かったって思ってます。ゴオルドさんも次はいい会社に巡り会えるといいですね」
その後、私は職を転々として、2022年現在、おかげさまで水が合う職場に勤めることができています。あのとき辞めて本当に良かった。
アットホームな職場で、人が入ってきてもすぐ辞める。そういうところには新人を捕食するカメレオンが潜んでいるケースがあるようです。擬態しているから発見しづらいですが、目つきが爬虫類っぽいのが特徴です。こういうことを言うと爬虫類好きな方から苦情が来そうですが、決して爬虫類を悪く言っているわけではありません。ほ乳類の顔なのに、目だけが爬虫類というちぐはぐさが異様だと言いたいのです。
これから就職、転職される方、皆様の職場にはカメレオンがいないことをお祈り申し上げます。もしカメレオンがいたら運が悪かったとあきらめて転職しましょう!
ちなみに私が辞めた後、すぐボスも退職されました。どおりであっさりしてたわけだ。あのとき、ご自分も辞める気だったわけですもんね。そして、冴木さんは取引先からも嫌われまくっていたため、実は対人関係の潤滑油として活躍していたボスがいなくなったことにより受注が激減し、会社は潰れたそうです。あら~。
アットホームな職場です ~カメレオンに狙われた新人~ ゴオルド @hasupalen
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