第2話 嫌味なお局様ぐらいはどこにでもいます

頑張ってみたけれど、まったく会社に馴染めないまま2カ月が過ぎました。

事あるごとにボスから嫌味を言われる毎日でした。


仕事がうまくいけば「こんなので褒められようと思ってるの?」と言われ、風邪を引いて休んだ時は、「弱い人間はうちには不要なんだけど」とか「あの人が休んだせいで、私のやる気が下がった」とか怒られたりしておりました。


そんなある日、このアットホームな職場に、新人が入ってきました。やった! 私より下ができれば、何かが変わるかも、そんなふうに勝手な期待をしてしまいます。

新卒で入ってきたその人は、大人しそうな優しげな雰囲気の男性でした。


ボスと冴木さんは彼を大層気に入り、自分たちの間に彼を座らせました。私は藤宮さんと一緒にそれを遠巻きに眺め、「新入りはチヤホヤされるのよ、最初だけはね」という藤宮さんの言葉に曖昧に頷いたりしておりました。「チヤホヤが終わった後が怖いのよね」とよくわからないこともおっしゃってましたが、藤宮さんの言っていることがよくわからないのはいつものことなので、そこはスルーしました。それが大事な情報だとは思いませんでした。


彼はボスに気を遣い、冴木さんに気を遣い、両方に愛想良く笑って、両方の話に相づちを打ち、それはそれは気苦労が多そうに見えました。サバンナで暮らす雌ライオンの群れに放り込まれた森生まれの子鹿のようでした。



子鹿は1カ月で職場から逃げ出しました。



しょうがねえ、鹿だもの。


むしろ1カ月もよく頑張ったよ。次は同じ森の草食獣の群れに入るんだぞ、と転職だけは無駄に多い私は心の中でエールを送りました。



って、人の心配をしている場合ではなくて、私も会社に馴染んでいないんだから、そろそろ考えないといけません。



行き詰まったら、行動あるべし。




というわけで、ボスにすり寄る作戦を開始することにしました。

いまだに私を名前で呼ぼうともしない相手に膝を折るとは情けない。孤高を貫け! という気持ちもありますが、どうにかこの会社でうまくやっていきたいという気持ちのほうが強かったのです。



私、この2カ月、ただただ嫌味を言われてボンヤリしていたわけではございません。

ボスの言動を常に観察し、ボスの心理を分析しておりましたよ。って、いや、そんなんしてないで仕事しろよ私! というか余計なことしてないで仕事に集中させてよボス!



しかし、とにかく今はボスを抑えないことには私は仕事を頑張れませんので、まずボスからやっつけていかねば。急がば回れです。



ボスは、どうやら「よくわからないもの」が嫌いで、「自分のことを話さない人」が嫌いで、「お世辞を言う人も好きじゃなくて」、「でもキツイことを言う人も嫌い」で、「うじうじした人が嫌い」で「意見をはっきり言う人が好き」だけど「自分の意見を否定する人は嫌い」ということがわかりました。フェミニスト的なところもあるけれど、男性を立てるのを当然だと考えているところもあるようでした。


こんだけわかればあとは実行あるのみです。


私はやたらめったらボスに話しかけ、親のことやら自分の趣味やらを語り、人に理解されそうもないことは言わず、共感を呼ぶような話題に絞り、褒めたり貶したりしない、男性のことは悪く言わないが、女性の権利は大事ですよね的なことを言う、そういうトークで攻撃をしかけました。



ボス、あっけなく陥落!

私のことを「ゴオルドさん」と呼ぶようになりました。


やったぜ!



ボス主催のランチ会(といっても参加者は冴木さんと藤宮さんだけですが)に私だけ呼ばないというのがお決まりでしたが、私もお呼ばれするようになりました。


それ以来、嫌味を言われることもなくなりました。


ふう……。良かった。これでやっと仕事に集中できる。




……と思ったけど、そうはいきませんでした。思わぬ伏兵があらわれたのです。





ボスのランチ会に出るようになってから、1カ月ぐらいした頃でしょうか。


休日のスーパーで冴木さんとばったり出会ったのです。お互い一人で買い物をしているところでした。

私はとっさに挨拶をしたんですが、無視されました。


……えっ。あれっ?


ちょっと何が起こったのかわかりませんでした。


なぜなら、冴木さんは職場では私に笑顔で話しかけてくるし、おやつも私には多めにくれるのです。ボスが嫌味を言っていたころは、私をかばってくれたことも何度もありました。だから嫌われているとは思っていなかったのです。


しかし、無視されました。


これは、あれかな、声を掛けられたくなかったのかな? そういうときもある、よね……、うん……、私はそう自分を納得させました。


翌日、会社で会った冴木さんは、いつもの笑顔の冴木さんでした。





それから3カ月ぐらい、何事もなく日々が過ぎていきました。

ところがある休日、駅前の大通りでまた冴木さんと出会ってしまったのです。


私は駅に向かって歩いており、冴木さんは駅から私のほうに向かって歩いているという状況でした。

その時、信じられないものを見てしまいました。



冴木さんは、私の姿を目にとめると、眼球だけをぐるりと動かして斜め上を見上げました。そして笑いながら「あー、どうしようかな。今日は白菜があるから鍋にしてもいいけど、カレーも食べたい気分なんだよねー」と大きな声で言いながら、私のいる方に向かって歩いてきたのです。


ここ、駅前です。

たくさんの人が歩いています。

多くの人たちが遠巻きに冴木さんに注目していましたが、冴木さんは気にするそぶりもなく、大声で独り言を発していました。


私はもう何が起こっているのか理解できず、フリーズして冴木さんを見守ることしかできませんでした。


私の隣を通り過ぎるとき、冴木さんの眼球がカメレオンみたいにぎょろっと動いて、一瞬だけ私を見ました。そしてすぐにまた眼球だけぐるりと動かして上空を見上げて、「あー、どうしようかなあーあははは、あははははは!」と高らかに笑いながら去っていきました。



何だったんだ、今の……。


その場にいた人全員がそう思ったことでしょう。


だって成人女性が献立のことを言ったかと思ったら、高笑いしながら去っていったんですよ。何。白昼夢かな?



ちょっとエキセントリック過ぎて混乱しましたが、はっきりしたことが一つあります。それは冴木さんは意図的に私を無視していたのだということです。

私、もしや嫌われてる?



それから、私は職場で冴木さんの言動に注目するようになりました。

とにかくわけがわからなかったのです。いつもニコニコしていた冴木さんが急にどうしてしまったのか。嫌われる心当たりもありません。



観察を続けたところ、冴木さんは時々社長に物を投げつけるという事実が判明しました。おやつとか書類とかを社長にバシンとぶつけるのです。


そこでボスにこっそり聞いてみたんです。冴木さんってなんで社長に物を投げるんですか。

「知らない」

そんなあっさり。

「でも、前からよく投げてるね。社長に腹立つんでしょ、知らないけど」

そんな適当な。



天然発言の多い藤宮さんにも聞いてみました。

「冴木さんが物を投げてるのね、知らなかったわあ」

いやいやいや、まさに今、藤宮さんの目の前でバームクーヘンを投げつけられている社長を見ましたよね? 社長、「痛っ」て言いましたよね?

「あら、そうなの? 気づかなかった。興味ないしどうでもいいなあ。私、社長が死んだら悲しくて悲しくていっぱい泣くと思うけど、それ以外はどうでもいいかな」

いやいやいや……。



しゃ、社長、つかぬことをお尋ねしますが、先ほどバームクーヘンを投げつけられていませんでした?

「ああ、投げられたね。時々そういうことあるんだよね。理由? 知らない」



何なん。


何なん of 何なん。


アットホームだから家庭内暴力もあります的な?


エキセントリックが過ぎる! 馴染めないよ、とても馴染めないよぉ!



私はおそるおそる冴木さんに話しかけてみました。

「先ほど社長にバームクーヘンを投げてらっしゃったけど、何かあったんですか?」

冴木さんはにっこり笑って、「んー、別に何もないよ?」と言いました。

全然作り笑いに見えない自然な笑顔でした。それが逆に怖いんですが。

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