第1話 奪われた心臓

「・・・起きろ!もう行く時間だぞ!」

サイレンみたいな弟の声に急かされ、しぶしぶ起き上がった。

よく晴れた空の光が全開にされたカーテンから勢いよく降り注ぐのを見て、ヒロの気持ちは沈んでいた。

なぜならヒロは、朝が極端に嫌いだ。空気感が嫌いなのである。さらに今日の学校は「心臓学」の講座がないので、いよいよ行く意味がないというものだ。他の教科の勉強はもう済ませてある。

「先に行け弟よ...俺はもう動けそうにない...!」無理矢理腕を震わせ病弱感を出すと、何やら合点のいった様子の弟ーーレイはヒロにこう言った。

「兄さん忘れたの?今日は第二月曜だぞ」

「え...ほんと...?」

第二月曜は月に一回父親の職場に行くことができる日だ。父親を尊敬している2人は、この機会をいつも心待ちにしている。父は最近仕事が多忙を極めており、家にいないことがほとんどだ。

「じゃあもう出発しないと間に合わないじゃん!」

恒例行事である。

------------------------------------------------------------

ここは世界地図の端の国、エスポラ。心臓学研究によって一財を成した「科学の国」だ。心臓学に関しては右に出る国はいないほどの技術を有している。また、この心臓学が生まれるきっかけである心臓技は、エスポラが発祥と言われている。心臓技とは、心臓の鼓動を強めることで身体強化を自分の身に施すことができる能力である。

さて、この2人の父親は心臓学研究をしているのだが...

「実際親父がどんなことしてんのかわかんねえよな。学校でやってることと全く違うし。」最新型の電動自転車に跨がるヒロが言う。

「まあ、さすが最先端を行く男って感じだよなぁ。あの施設にいる人の半数は解ってないんじゃないの?」これまた電動自転車に跨がるレイが言う。

父親の職場は「国立心臓研究所」という。ここから電動自転車で1時間の場所にある。

「それじゃあ俺らがわかるわけねえか!」

ヒロは笑った。

「いや、そこがわかってこそだぜ。

なぜなら俺らは将来、父親を超える心臓学研究者になるんだからな!」

いつものように自転車に乗りながら、2人は道を進んでいった。

1時間が経ち、2人は研究所のある場所にまでやってきた。

「首都メルギール到着!」

「つっ...かれたぁあ」

首都は人が異様に多い。そのため自転車で行くのは危険なので2人は徒歩で目的のビルへと向かう。

「くっそ、人が多すぎる...」

「視界に映っている人の数だけで、うちの町の人口の半分くらいはいってそうだな」

レイが冗談めかして話しているうちに、2人は白くて大きなビルーーー父親の職場へと着いた。

エントランスの受付が親しみのこもった大きな声で言った。

「2人とも元気してたか?!なんかついこの間会ったばっかな気がするぜ」

「1ヶ月って結構短いだろ!」

「そ〜んな尺度じゃねえ、俺はもっとミニマムな話をしてんだ!ほれ入館証」

「ありがとうおっさん!じゃな!」

入館証を受け取ると、駆け足で二階へ登る。体力作りのためにエレベーターは極力使わないようにしているが、

「あっレイこのやろ、エレベーター使いやがって!」

「俺は家で鍛えてんだ、文句言うなノーキン!」

いちいち言い合う2人であった。

2階は主に研究に使用する資料等が並べられている。

初めてきた時は、見たこともないような本たちに思わず圧倒されたのを覚えている。

「な、何回読んでもわかんねえ...」

「腹減る...」

ここにきたら必ず読む本がある。「心臓学研究の入門」と言う本で、入門という文字に騙されて何度読んでも全く理解できない。

この本を理解するのが、父を越すプロジェクトの第一段階と考えている。

「いつになるかね、理解できんの。」

「さあな」

幼い頃に2人は母を亡くし、それからは父が2人を育てた。その頃から父の仕事は多忙を極めており、その中でも育児は決して欠かさなかった。

「子供の方が大事に決まっているだろ。」

と隈の出来た目で微笑みながら言った父の姿は、何者にも変えられぬ美しさを湛えていた。

「いつになってもいいんだ、俺はあの人を超える。」

「...お前らしいな。」

3階は研究室だ。この棟には十数名の研究者がいる。多種多様な研究が進んでいるらしいが、父以外の研究室には立ち入れないことになっているので何をしているかさっぱりわからない。さっぱりわからないのは父の研究も然りだが。

父の研究室は1番奥だ。ノックをすると、

「どうぞ」と、寡黙な声が短く返事をした。

「入るよー」と短く返すと、父は

「おお2人とも、よくきたな!」

と言った。

中は15畳ほどで、だけど本や器具などで部屋の大半は埋まっている。歩きづらいと最初は文句を垂れていたが、今ではそんなこと気にしなくなった。

「父さん、研究は進んでる?」

「ああ、最近はあまり。」

顕微鏡を覗き込む父が言う。

「ふーん、大変そうだなぁ...」

「お前らはどうだ、最近。」

「心臓学の講座が最近あんまりなくてさー。

学校つまんないんだ」

「そうそう」

レイが同意する。

「そうか...」

何かを考えるように父が唸る。

「どしたの?」

ヒロが聞くと、父はこう言った。

「2人には好きに生きて欲しいんだ、だから、」

「だから?」

「学者になんてならなくても、別にいいんだぞ。」

一瞬ポカンと口を開けた2人だったが、すぐに吹き出して大声で笑った。

「な、なんだよそれ!」

「変な事ゆうなよ父さん!

僕らは好きでやってるの!父さんは心配しないで!ね?」

小馬鹿にしたような口調でレイが言うと、父もフッと笑った。「そうか、そうだよな、やっぱりお前らは俺の息子だ!」

「そうさ!俺らは父さんを超えるすげー学者になるんだ!」

大口を叩くヒロに向かい合った父は、

「きっと心臓学を学ぶ上で知りたくないことや辛いことが山ほどある。それでもめげるなよ。俺は応援してるよ。」

と優しく言って笑った。

2人ともそのことは重々承知していた。

それでも父の言葉が重く心の底に響いたのは何故だろうか。

「わかったよ」

2人は真剣な表情をして頷いた。

しばらく父の研究室に留まり、それから2人は帰宅の準備を始めた。

「父さん、研究頑張れよ。俺も頑張る。」

「僕のことも応援してくれよー」

父は穏やかな表情を浮かべた。

「おう、2人とも頑張れよ!」

「うん!」

2人は父に別れを告げ、研究室から去っていった。

---------------------------------------------------------------

1人取り残された部屋で、ライクはため息をついた。目から涙が流れてやまなかった。

確信めいた予感があった。

俺はもう、ここで。

---------------------------------------------------------------

2人は帰路についた。今回もいつも通り平穏な訪問だった。できることなら毎日行きたいと思ったヒロがレイに同意を求めると、

「...なんか感じる」

と唐突にレイが言った。

「早く帰ろう。何か嫌な予感がする。」

捲し立てるようにそう言うので、ヒロも不安になる。

先ほどより風が冷たい気がした。

心臓の奥がチリチリと音を立てているような、気持ち悪い感覚に襲われる。

気づけば暗くなり始めた空が背後から迫って来ていた。

震える足を必死に動かし、やっとのことで家の近くにまで来たが、特に変わったところは見受けられなかった。

「な、なんだよ...何もなかったじゃねえか。」

「そうだな...僕の気のせいか...」 

多少の気味悪さが残りつつも安心した2人が再び普通に自転車を漕ぎ出した。


遠くに誰かが横たわっていた。


「お、おいレイ、あそこに人が!」

「すぐ行こう」

再び全速力で漕ぎ出した2人。

その人のそばへ近づいた。その人と地面の間に赤黒い液体が流れていた。その人は何も言わなかった。

「兄さん....」

いや、何も言えなかったのだ。

遥か向こうに紅を遠ざけた空の下、

力無く横たわる人の、

ちょうど「心臓」があった部分に、

ぽっかりと、おおきな穴が空いていた。

その人は、家の玄関に顔を向けて倒れていた。空きっぱなしになった玄関の中から、


大人1人と子供2人がのぞいていた。大人の胸には穴が空いていた。


子供も絶命しており、見渡すと、あらゆる民家の玄関が空いていた。

「兄さん!父さんの様子も見に行こう!」

家へ戻って様子を見に行ったレイが戻ってこう言った。

「何か嫌な予感がしたのはこのことだったんだ...!早く行かなきゃ...」

レイが言ったが、ヒロは聞く耳を持たずに家へ向かっていった。

「兄さん,どこへ...?」

ヒロは家に着くと、一直線に父の机へと向かっていった。椅子の下のカーペットを剥がすと、その部分の床が外れるようになっており、その中から瓶を取り出した。中にはなにかの液体が入っていた。

「父さんが、身の危険が迫ったらこれを飲めって言ってたのを思い出したんだ...」

「そういえば、そんなこと言ってたな...」

その瓶は、少し大きかった。

ヒロはポケットにその瓶を入れた。2つあったので、ひとつはレイに渡した。

「行こうレイ。何もないといいけど、いやきっと、何もないはずだ。」

「うん、兄さん...」

今日の空は暗い。星はひとつも見えなかった。

2人は急いで電動自転車を漕ぎ、いつもの半分の時間で国立心臓研究所へと辿り着いた。

慎重に、音を立てないように入り口まで行き、自動ドアをくぐった。中は暗くてよく見えなかった。胸ポケットから小型の懐中電灯を取り出し、スイッチをつけると

エントランスのおっさんが寝ていた。

もう仕事は終わったのだろうか。

彼の肩を揺するも彼は目を覚まさない。

そこでヒロは彼の後方に周り両腕で彼の肩を持ち上げた。

彼の上半身を見たレイが顔に両手を押し当て膝から崩れ落ちたのを見て、

ここで何が起きたのかをすぐに理解した。

「行くぞレイ!早く!」

「兄さん...俺もう無理だ」

「俺だってもう無理だ!もう心臓がもたない!でも行くしかないんだよ!」

「兄さん...」

ヒロはレイを立たせ、3階へ向かって走った。

階段には夥しい量の血痕がついていた。3階に着くと、血痕は父の研究室にまっすぐ続いていた。

扉を開けた。

横たわった父に馬乗りになった男がこちらを向いたのがはっきりと見て取れた。

「お前えええぇぇぇぇぇぇぇ!!」

男に向かって走ったヒロは、

男に片手で突き飛ばされていた。

「この地域は20歳になると心臓技の使い手になれる液体が配られるようだな。」

「そんな液体配られていないはずだ...!」」

激しい痛みを堪えてヒロが言うと、

「お前らはどう見ても20歳じゃない。用はない。失せろ。」

男はそう言って立ち去ろうとした。

男は脇に赤い塊を抱えていた。父の心臓だった。

もはや手段を選べない状況であることを遅まきながら理解したヒロは、ポケットに忍ばせた瓶の蓋を開け、一気に中の液体を飲み干した。

一拍、心臓が激しく鼓動した。

生まれたエネルギーは血液を通って身体全体へ駆け巡った。

感覚が研ぎ澄まされた。

強い意志を持った目は真っ直ぐに敵を見据えていた。

「待てッ!」

地面を蹴り上げ跳躍すると同時に拳を振り上げ、心臓を抱えた男に向かって思い切り振り下ろした。

「...そう来たか、面白い!」

そう言った男は片手でその拳を受け止めた。

男が苦しそうな表情をした。

「俺らは心臓技を持つ人間の心臓をもらって歩いてんだ。子供は普通持ってないんだがな」

「何が言いたい!」

「お前、今飲んだのだよな。

...またお前のとこに行くぞ。」

「俺はお前を許さない...!いつか絶対、お前を叩きのめして2度と喋れないような体にしてやる!!」

「その前に死なないことだな。これからお前のところには、お前の心臓を狙う奴がわんさかやってくるだろう。その時を楽しみに待っていろ。」

男は窓ガラスを叩き割った。脱出を阻止しようとしたヒロだったが、その前に男は飛び降りてしまっていた。

下には仲間がいたらしく、用意されていたトラックに乗って去っていった。

静寂が訪れた。恐らく、2人の人生で最後になるであろう静寂が。

『これからお前のところには、お前の心臓を狙う奴がわんさかやってくるだろう。』

少なくともヒロには、平穏に生きる資格はなくなった。

せめてレイだけでもこの災禍から逃そうと思ったが、時すでに遅し。

「ごめん、僕も飲んじゃった。」

レイの手には、空になった少し大きめの瓶が握られていた。

「ごめん、レイ...」

「いいんだよ、いいんだ、だって僕は...

父さんの息子だ。」

研究室には、心臓が奪われた父親の死体と、取り残された2人の人間のみが存在していた。



これは、寿命と心臓の力を巡る、人間たちの壮絶な闘いの記録である。



               第一話 終

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Heart Hurt-心臓の傷- @second2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ