ラシード・ウッディーンが改ざんしたかもしれないわけですか……。
考えたことがなかったのですが、ガザン・カンとオルジェイトゥの時代は、カイドゥとその息子が暴れていたので、その関係で「オゴデイ家なんかたいしたことねーよ」という風潮があったのかな、と思いました。
特に根拠はないですが(汗
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そうしたこともあったかもしれませんね。このときのイル・カン国はまさに周りのモンゴル勢は敵ばかり。味方は元朝のみ――でも敵に隔てられ、国境は接していないから、頼りにならないという感じですからね。
個人的には、これは政権の正統性の問題と想います。オゴデイ家からトゥルイ家が簒奪したという批判――もちろん、面と向かって言う人間はいないでしょうが――それが、あったのではないでしょうか?
元朝秘史にも、金国遠征の帰途、オゴデイの受けた祟りをトゥルイが肩代わりして死ぬという記事がありますしね。祟りなんで、当然、本当の記事ではない――もちろん、このとき死んだのは事実としても。なら、なぜ、この記事が入ったのかというと、オゴデイ家はトゥルイ家に借りがある。ゆえに、政権を奪ったとしても、その借りを返してもらっただけである、ということですね。この秘史はオゴデイ・カンまでしか記されていませんが、モンケ、クビライの意向を受けて、後に改ざんされたということは、十分にありえることです。
拝読致しました。
まさかの!?ジョチさん死亡して後継者レース脱落??
何があった、ジョチさん?
そして選ばれるオゴデイさん。
確かに、玄孫の代になってなお改竄を疑われる資料は不審ですね。つまりその世代にまで確執が残ったということか。
チャアダイがオゴデイを素直に推すのも違和感ありますし……
ミステリーですね(?_?)
作者からの返信
コメントありがとうございます。
オゴデイの2代皇帝即位は、少しばかり先のことですね。ジョチが早死にというより、チンギスが長生きということかもしれません。オゴデイは4兄弟の中で1番長生きなのですが、それでも即位後10年ほどで亡くなります。
チンギスの死去の場面、短編ぐらいでまとめられればいいかなとも想いますが、面白いものができるかどうか? 一応、トルン・チェルビは、その際、近侍しており、征西での話はその前振りになるかな、というところもなくはないのですが。
とりあえず、今話は、モンゴル史――つまり第2代皇帝選出において、ウルゲンチ戦が果たした役割を理解してもらえればいいかな、という感じです。モンゴルといえば軍事という感じですが、こうした政争の部分も少なからずあり、ただ、どうにも、ここら辺が外から見る限り、分かりにくいなとの印象が強かったりします。
総大将となった事実が示されれば正当性は充分だろうなと素直に納得しました。そういったナラティブの必要性はあっただろうなと感じます。
逆説的に、それが求められる程度には盤石ではなかったということもあるのかな、と少し思いましたが、歴史の改竄は勝者の常ですね。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
実はオゴデイからフラグに至るまで、2度ほどクーデターが起きてます。まずは、オゴデイ家からトゥルイ家への移行、次にトゥルイ家内での抗争。
ここで改竄されているのは、前者の弁明としてですね。オゴデイの死後、その息子のグユクが継ぎますが、急死します。(トゥルイの長子モンケによる)暗殺説もありますが、はっきりしません。ただ、いずれにしろ、ジョチ家の当主にして第2次征西の総大将を務めたバトゥーーその支持を得たモンケが次のカンに即位します。ここで、モンケは血の粛清を行います。グユクの正妻オグル・ガイミシュ、オゴデイの孫シレムン、チャアダイの孫ブリ、その他オゴデイ家の家臣の多くは処刑されます。
オゴデイ家からトゥルイ家への政権移譲に賛同した者たちも、これはやり過ぎだろうと批判したのでしょうね。何せ、親族内、仲間内で殺し合いしているようなものですからね。
そして度々紹介していた『秘史』の内でも改竄はあるのです。トゥルイは金国遠征からの帰還途上で亡くなりますが、これはオゴデイへの(土地神による)祟りの身代わりとしてとされます。現代人たる我々からすれば、祟りなどありえないということで、この死因が嘘八百は明らかなのですが。つまり、身代わりで死んだから、トゥルイ家への政権移譲は当然だと。裏を返せば、往時のモンゴル人の感覚では当然ではないとなるのでしょう。
ちなみにイル・カン国の始祖となったフラグも、元朝の始祖となったクビライも、第4代カンとなったモンケが発した遠征軍を基盤とします。そのモンケの死後、この両者はモンゴル本土への帰還命令を無視し、現地で即位します。彼らもまた反乱者なんですね。