拝読致しました。
女帝が敗北を受け入れた瞬間。
長い間の籠城に心を折られたと言うより冷徹に事実を見極めて、頼りにならぬ親族、特に息子を諦め、城を開ける瞬間。
残念と確定した運命を静かに受け入れている様子が感じられるようで、とても良かったです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
お褒めいただき、嬉しいです。
まさに、この歴史時代、トルコ・モンゴル系はユーラシアを席巻します。もっぱら、その理由として、騎馬軍の強さが強調されるのですが、私としては、トルコ・モンゴル系での女性の政治権力の強さというのも、考慮に入れるべきと考えます。テルケンを描く際、そんなことを考えていました。
おおっテルケン・カトンもここで退場ですか。
未だスルターンは捕らえられていないものの…流石はチンギスの選んだ精鋭3人、イーラール城のことも嗅ぎつけたとはきっちり仕事してますね。
テルケンが、モンゴルは女を処刑することがないのを知っていたかはわかりませんが…逃げ回るスルターンに比べると、女帝らしく潔い最後の行動だなと感じました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
実は追跡に関わった3将のうち、トクチャルは軍令に背き、アミーン・アル・ムルクの領地で略奪をして、呼び戻されてしまいます。この略奪のため、アミーンに対する調略は失敗に帰します。この後、トクチャルは名誉挽回のために赴いたニーシャプール戦で戦死という悲劇的な結末を迎えます。
他方、アミーンはガズナへと赴き、そこを拠点とします。そこにジャラールを迎え入れて、チンギスとのインダス河畔での一大決戦に至るという、これはこれで、別の物語があります。
テルケンの降伏の原因として、2人の歴史家(ジュワイニーとナサウィー)は日照りによる水不足を伝えます。期間こそ、ジュワイニーは悪意もあからさまに2週間程度、ナサウィーは妥当な4ヶ月と違いはありますが。ただ、遠路はるばる赴いて、わざわざ井戸の無い城に籠もるとは想えません。これは、歴史家たちによる偽作と考え、採用しませんでした。
テルケンが籠もった地は、下流で稲作ができるほど、雨が多い地なのです。それでも、降らないとなれば、テルケンが天に見放されたは明らかとなります。歴史家たちは、それを強調したいのだろうと。
ナサウィーはジャラールの伝記を執筆、ジュワイニーはジャラールを英雄視しています。こんなところにも、テルケン(カンクリ勢)とジャラール(ホラズム王家)の対立の余波があるのかな、とは想います。一応、血のつながった祖母と孫ではあるのですがね。
紆余曲折ありましたが、さすが最後は賢明な引き際でしたね。周囲は明暗が分かれましたが、モンゴル相手ならましな方でしょうね。
美しくあってほしかったので良かったです。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
テルケン・カトンに感情移入していただいて、嬉しいです。チンギスのような歴史上の有名人ではない人物――更にいえば、ムスリマであり遊牧勢でありトルコ系でありと日本人には縁遠い人物――に想いを馳せていただければ、本作を書いた甲斐があったと実感します。