第2話 真冬のソルト・エッジ


 東京から飛行機で約一時間半かけて山口宇部空港へ。そこからはタダアキの運転でレンタカー移動することに決めた。電車やバスに揺られて、地元の景色を満喫しながら移動するのも旅の大きな楽しみ。けれど、バスも電車も見事に一、二時間に一本しかない時刻表を見たときは、二人そろって大笑いしてしまった。

「一本乗り遅れたら、次の電車がくるまで……一時間半か。ひたすら待つしかないのか」

「どうせなら待ってる間、歩いて行ってみちゃう? あ、タダアキご老体にとっては徒歩は……」

 実際はご老体なんて思っちゃいないけど、あえてチャチャをいれてみる。

「おいおい、電車で二時間半かけて行くルートを歩いたら何時間かかるんだ? そんなのケンタローだって無理だろ。おまえ、俺なんかよりバテるの早いんだから」

 タダアキが白い歯を見せてにやっと笑う。ははっ、だよな。いや、それを言うなら五十目前のおっさんが、なんであんながっしりした胸板してんだって話だよ。まあけどそのがっしりした恋人が運転免許保持者でよかった。ホテルにチェックインを済ませ、ひとまず一日目は死ぬまでに一度は見たい絶景、角島大橋を渡って角島へ向かうことにした。


 二十年ほど前に開通した角島大橋は、南国を思わせるエメラルドグリーン、もしくはターコイズブルーの海に囲まれた角島と、本州を結ぶ全長一七八〇メートルの橋。すーっと伸びる真っ白な角島大橋は壮麗で、それでいて上品な曲線を描いている。夏場は観光客で大賑わいするそうだけれど、十二月のそれも平日ともなるとほどほどの人出だ。

 角島灯台の駐車場に車を停めて、海を眺める。夏はさらに鮮やかな色を見せるに違いないけれど、冬の海もなかなか。白い砂浜とその海の綺麗さに、そばをあるく男女が、「この海、沖縄? リゾートじゃん!」「ヤバいな!」と声をはずませる。島の西端にある角島灯台は、日本海側最古の洋式灯台で、日本に十六ある「のぼれる」灯台のうちのひとつ。灯台の内部にある百五段ものらせん階段をのぼりきると、踊り場に出られる。そこからは三百六十度視界を遮るものはない。見渡す限り、海だ。


 宿泊先のホテルには、冬季限定で冬の星座を楽しむナイトウォーキングや、夜の角島灯台をバスで訪れるナイトツアーが用意されていた。

「寒そうだけど、行ってみない?」

 らせん階段を降りながら前を歩くタダアキに聞くと、「もちろん。着ぶくれして行こうぜ」と答えが返ってきた。

「それよりさあケンタロー。さっきの海鮮丼ほんっとに美味かったなぁ」

 前を歩くタダアキのパリッとした短髪に向かって、「ほんと。思い出してもまだ美味い」と返す。

 さっき、灯台に向かう道の途中で見つけた小さな食堂で、少し遅めの昼食をとった。お品書きには今日食べられる魚介がずらりと書き出されていて、おれもタダアキもそろって海鮮丼をオーダーし、それがまた言葉を失うぐらい美味かった。前に仕事で伊豆へ行ったときも、泊まった宿周辺の鮮魚店で食べた魚介が目が飛び出るほど美味かった。そうだ、ボスにお土産を買って帰ろう。経理の江之島ちゃんにも。急に「旅行に行きたい」って決めたにもかかわらず、スケジュールを調整して気持ちよく送り出してくれた心強い味方に、日頃の感謝を伝えとかないと。


 ナイトツアーに出かけるバスを待つ列に並ぶと、前に立つ二人づれの男性の背が高いほうがこちらをくるっと振り返って、「僕ら、角島は初めてなんです。ついさっき来たばかりで──」と声をかけてきた。ツアーが楽しみなのか、微かに興奮したような面持ちでそこまで話したところで、添乗員が声を張り上げバスに乗り込む列が動き出した。

「玲くん、ほらちゃんと前向いて。列が動き出してるよ」と、さっきの男性の隣に並ぶ男が腕をとって歩き出す。こちらをちょっと見て軽く会釈をしたから、おれもペコっと頭を下げる。さっき話しかけてきた男性よりも年若く、ぐるぐるに巻いたマフラーに色白の顔を突っ込むようにしている。ふんわりした茶髪も確認できる。カーキ色のダッフルコートがいい色をしている。

「はーい、奥から詰めてくださいねえ」という添乗員の声に従い、その二人が最後列に座りおれ達は一つ前の席へ。タダアキは夕食の後に部屋で一瞬「眠い……かも」とこぼしたけれど、時間が来ると厚手のコートにネックウォーマーも装備して「いくぜ」と颯爽と。そういうなんでもない仕草にいちいち(イイ男により磨きがかかってんな)と思ってしまう。


 昼間から夕方まで、灯台にのぼったり、さんざん海を見て、灯台を見上げる芝生に寝っ転がっては満喫した気になっていたけれど、夜の灯台はまったく別の顔を見せてくれた。海と空を煌々と照らす灯台の明かりは堂々として力強く、これまた見惚れるように発する言葉が出てこない。そんなおれたちの背後で、聞き覚えのある声がする。

「圭人、星も灯台の明かりも……すっごくキレイ、だね」

「ほんと、ここまで来てよかった」

 さっきすでに興奮気味だった男性は、もう感激もひとしおと言ったような口ぶり。その腕をとって歩いていたふわふわの茶髪くんも星空に見入っているのか、愛でも語るような口調になっている。ふと、タダアキが振り返って二人に声をかけた。

「夜なのに眩しいぐらいキレイですね。昼に来たときに見た灯台とはまた全然違って」

 夜空の星に負けないぐらいキラキラした瞳をした男性が、「そうなんですか。俺、あ、僕らはさっき岡山からこっちに移動してきたばかりで。昼間の灯台は、まだ見れていないんです」

「岡山から?」今度はおれが聞いた。

「ええ。僕、ふだん天文台で働いてて、今日は岡山にある国立天文台でちょっとした催し物があって」

 隣でふわふわくんがハイと言うようにこくん、こくんとうなずく。

「ここの灯台には一度来てみたかったから、岡山から足を伸ばしてみたんです」星空を見つめたまま話す彼のコートのポケットに、ふわふわくんが「寒っ」と手を突っ込んだ。


 ホテルに戻ったら一杯飲みませんか、ということになり四人そろってバーへ向かった。ふだんバーと聞いてイメージするのは、カウンターの向かい、バーテンダーの背後にずらりとグラスやアルコールが並んだ棚。けど、このホテルのバーは違う。カウンター越しにライトアップされた角島大橋が見える。漆黒の海と星空も。さっきの彼はまたもや目を大きく見開き、顔をほころばせている。

 展望露天風呂には入ったか? とか、昼間に食べた海鮮丼がいかに美味しかったかをタダアキが話している。おれがトイレに立とうと思って「あ」と言ったのとまったく同じタイミングでふわふわくんが「ちょっと」と手を上げ、じゃあと二人で席を立った。

 あるきながら「彼氏、感激屋さんなんだね」と言った後でまずかったかなとも思ったけれど、ふわふわくんはまったく意に介すことなく、「ええ。あの人は、星と宇宙と僕にしか興味がないから」と笑った。ふわふわくんはまだ二十代なのだろうか。よく見ると、さっきまでぐるぐる巻きにしたマフラーで隠れていた首筋はつるんと白く、若さを感じる。星と宇宙と僕にしか興味がない、とは。その自信はどこからくるんだろう? それとも自信っていうのともまた別物なんだろうか。

「うん。自信っていうより玲く、あ、渡邊さんはそういう人だから」

 そう言ってふふっと笑ったときの表情。それが、とてもチャーミングだった。おれは年下は嫌いなはずなんだけどな。


 カウンターに戻ると、ふわふわくんの前には新しいカクテルが置かれていた。グラスのふちを果汁で濡らし、塩や砂糖をぐるっと一周つけたソルト・エッジスタイルだ。

「圭人、これスイート・ハートっていうカクテル。甘いんだよ」これはシナモンシュガーなんだって、とグラスのふちについた淡い茶色の砂糖を指さす。スイートハート=恋人、意中の人。彼氏、若い恋人にメロメロなのかよ。

 おれの前にはいつものソルティ・ドッグ。ふわふわくんの前に置かれたカクテル同様、こちらはグラスのふちを塩でぐるりと。これをちびちび舐めながら飲むのがうまいんだ。

「明日、俺とケンタローははあの、鳥居がどぅわ〜って百基以上連なった神社へ行くんだけど、よかったら一緒に行く?」

「タダアキ〜。さっき、言ってたじゃん。二人は、明日の昼間は角島灯台に行くって」

「そっか。悪い悪い。じゃあ俺たちは福徳円満、良縁のあの神社に行くってことで。じゃ、カンパーイ」

 なぜか勢いで乾杯をし、最後の一杯を飲み終え俺たちはそれぞれの部屋へ帰った。エレベーターの中でタダアキに、「さっき、あのふわふわくんとおれが席を外したとき、どんなこと話してた?」

「ふわふわ……? あ、いや、教えなーい」

「なにそれ」

「知りたいか?」

「知りたいから聞いてるんだけど」


 こほん、とタダアキはひとつ咳をすると、「彼らは十歳年齢が離れてるって言ってた。俺たちは十五歳離れてるだろ? お互いに年若い恋人はいいよなぁってのろけまくってたんだよ」

 なんだそれ。ばっかじゃねーの、と言いながら肩をぶつけると、もう一方の肩をぐいと抱き寄せてくれた。

 旅先だからこその開放感なのか、非日常感なのか。こういうのもたまには悪くない。でも、いつか絶対この男とハワイに行かなきゃな。




(了)

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真冬のソルト・エッジ boly @boly

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