聖女の半分は優しさで出来ています~キル・オール・エネミー~

銀星石

慈悲深き聖女

「勇者と聖女よ、邪神討伐の任、大儀であった」


 国王は目の前でひざまずく男女に仰々しく言う。


「陛下、私は邪神を倒しました。約束通り元の世界に帰してください」


 聖女は柔和な笑みを保ったまま言う。彼女はこの世界の住民ではなかった。

 それは古の時代より続く伝統。魔に属する脅威が王国を脅かす時、それを打ち払う力を持った聖女を召喚する魔法の儀式によって彼女は呼び出された。

 そうして国一番の強者が任命される勇者とともに、邪神やその眷属たちと戦っていたのだ。


「帰す? 何を言っておる。そなたは王国に忠誠を誓ったと勇者から報告を受けいるぞ。生涯、我が国にいるのではないのか?」

「勇者様、これは一体どういうことでしょうか?」


 国王との認識のズレに、聖女は横にいる勇者に訪ねた。


「わ、私は。『こちらの指示に大人しく従っているが、聖女には慎重に対応せねばならない』と千人隊長に報告しました!」


 勇者は大量の冷や汗を流しながら答える。彼の報告は数人を経由して王の耳に届いたため、その過程で内容が歪んでしまったのだ。


「まあ良い。聖女召喚は一方通行の儀式で、お前を元の世界に帰す方法はない。我が国以外に行く場所など無いのだ」

「私を呼び出した時、陛下は必ず元の世界に帰すから、民のために戦ってほしいとおっしゃいました。嘘をついていたのですね」


 聖女は少し苛立ちをつのらせながらため息を付く。その様子を見た勇者は顔面蒼白になりながら王に代わって弁明する。


「仕方なかったのだ! 聖女の力でなければ邪神は倒せない! 陛下は民のためにしかたなく嘘をついたのであって、君の”敵”に回ったわけじゃない」

「わかっていますよ、勇者様。人にはそれぞれの事情がありますもの。直接攻撃されたわけでもないですから、まだ判断は下しません」


 聖女は国王をまっすぐ見つめて言う。


「国王陛下、私はあなたに謝罪を求めます。それで今回の件は水に流しましょう」

「……」


 国王は考えた。聖女を騙して邪神と戦わせたのは事実だが、しかしここで簡単に謝罪してしまっては王家の権威が傷つく。邪神の災厄で国が疲弊しているこの時期に弱みと取れる事をしてしまえば、後にどんな悪影響が出るかわからない。

 その思考は国家元首として間違ったものではない。

 しかし後世において、国王のこの僅かな思考は〈致命の数秒〉と呼ばれており、余計なことを考えず即座に謝罪していれば歴史は大きく変わったと言う。


「今、躊躇しましたね? 一言『ごめんなさい』というだけで躊躇するということはつまり、王様とこの国は私の敵です」

「無礼者!」


 怒鳴り声を上げたのは、王の横に控えていた王子だった。


「陛下に頭を下げろと命じるだけでなく、敵呼ばわりするとは何事か! 貴様などもはや聖女ではない。勇者よ、不敬罪でこの女を捕らえろ!」


 だが勇者は王子の命令には従わなかった。


「もうお終いだー!」


 勇者は窓を突き破って飛び出した。

 脱兎。それ以外の言葉が見つからないほどの全力疾走だった。


「な、なんだ、勇者とあろうものが正気を失ったのか?」


 その場にいた者たちが勇者の突然の奇行に戸惑う。

 例外は聖女のみで、彼女だけは勇者の行動などすこしも興味がない様子だった。


「ええい、仕方ない。者共、勇者の代わりに捕……」


 王子の言葉は最後まで続かなかった。彼の首がはねられたからだ。

 誰が? もちろん聖女である。

 聖女が手刀で王子の首をはねたのだ。

 首の断面から鮮血が噴水のごとく吹き出して謁見室を汚す。


「まず一人」

「き、貴様! 何をする!?」


 国王が聖女に問う。


「なにって、この国の責任者を皆殺しにするのですよ。敵は全て殺すキル・オール・エネミー。それが私のモットーですから」


 聖女はニコリと笑いながら手刀を構える。


「大丈夫、ご安心ください。痛みを感じないようスパッとその首をいただきますから」


 誰であろうと決して苦痛を与えずに殺す。そのあまりの優しさに、後に彼女は〈慈悲の聖女〉と呼ばれる。


「うわー! 狂人!」


 国王が悲鳴を上げる。


「失礼ですね! 確かに私は狂人かもしれませんが、良識とか倫理とかの欠如という点ではそちらも十分狂人ですよ」

「ええ……」


 ぷりぷりと可愛らしく腹を立てる聖女をみて王はドン引きした。


「それではじっとしててくださいね。手元が狂ったら大変ですからって、あら?」


 先程まで玉座に座っていた王が一瞬で姿を消した。王族のみ使用が許される脱出用のマジックアイテムを使ったのだ。


「王様の居場所をどなたかご存知ですか? 教えていただけたら、殺すのは最後にして差し上げます」


 平然と物騒なことを言う聖女を見て、謁見室に入る者たちは悲鳴を上げながら我先に逃げ出す。

 無論、兵士はその限りではない。


「誰が教えるものか!」

「血に飢えた異常者め! 殿下のかたきだ!」


 目の前で王子を殺された近衛兵たちは、殺気立った様子で各々の武器を構える。

 たった一人の女性に対し、十数名もの兵士が襲いかかる。

 それは一方的な戦いであった。武芸に秀でた屈強な男たちが、まるで素人のように次々と聖女の手刀で首をはねられていく。

 中には聖女の攻撃を防御しようとする者もいたが、攻撃を受け止めた剣や盾ごと両断される。

 そんな中、唯一手刀を受け止めた者がいた。近衛隊長だ。


「下がれ! 普通の武具では太刀打ちできない!」


 近衛隊長はまだ首が胴につながっている部下たちを下がらせる。


「丈夫な剣をお持ちですね」

「当然だ! これは歴代の近衛隊長が受け継いできた魔法の武具! 決して折れない〈不滅の剣〉だ!」


 近衛隊長は受け止めた手刀を弾き上げ、胴を薙ぐ一撃を繰り出すが、聖女は一歩後ろに下がって避ける。

 近衛隊長は更に踏み込んで二撃目を放った。聖女は剣に向かって手刀を繰り出した。

 聖女は攻撃を弾いてこちらの態勢を崩すつもりだろうと近衛隊長は予測した。ならば手刀の衝撃を逆に利用して次の攻撃につなげる。

 しかし、聖女の手刀が刃に触れた瞬間、決して折れないはずの剣が真っ二つに切断された。


「馬鹿な。どうして」


 〈不滅の剣〉はその特性から王家に対する絶対の忠誠と、騎士としての不屈さの象徴であった。

 それが今、折れた。安物のなまくらみたいに。


「形ある物はいつか壊れる。その当たり前の事実を、魔法でごまかしたのが〈不滅の剣〉です。なので頑張れば壊せるのです」


 近衛隊長は敗北を悟った。そして、次に繋げるために自分が出来ることをする。


「〈不滅の剣〉を破壊された! 聖女に接近戦を挑むな!」


 近衛隊長は右腕にある腕輪に叫ぶ。それは声を伝える魔法の道具だ。あまり遠くまでは伝わらないが、同じ建物にいる者くらいには届く。

 そして近衛隊長は首を刎ねられた。

 聖女は周囲を見渡す。この場に生きているものは誰もいない。だが、まだまだ敵は残っている。


 まず逃げた王の居場所を問いただし、その上で殺す。流石に簡単に教えるものなどいないと聖女は理解しているが、それでも構わなかった。

 別に王を真っ先に殺したいわけではない。最終的には全員殺すのだ。敵を殺して殺して殺し尽くしていけば、その中に王がいるだろう。

 手始めにこの王宮にいる敵を皆殺しにするため、聖女は謁見室をあとにした。


 王子の惨殺と、隊長を含めた近衛兵の全滅の知らせはまたたく間に広がり、王宮は大混乱に陥った。

 王宮に務める大勢の人々が必死になって逃げ出そうとする。

 そのさなか、一人のメイドが足をもつれさせて転んでしまう。


「大丈夫ですか?」


 聖女は心配になってメイドに歩み寄り、手を差し伸べる。


「イヤーッ! 殺さないで!」


 当然ながら、この騒動の張本人を目の前にしたメイドは悲鳴を上げて失神してしまった。


「すみません。どなたかこの方を介抱していただけませんか? 私はこの国の重鎮を皆殺しにしないといけませんから」

「うわー! 殺戮モンスター!」

「死にたくない! 死にたくなーい!」


 逃げ惑う人々に聖女は声をかけるが、誰も耳を貸すものはおらず、メイド同様に失神してしまうばかりだ。

 仕方がないので、聖女は失神してしまった人たちを一箇所に集めて先に進むこととした。もちろん硬い床で体を痛めないよう、絨毯の上においてあげる優しさは忘れない。


 敵は全て殺すと言った聖女だが、何を以て敵とするかの線引はきっちりしていた。

 自分を利用してくる者。明確な殺意を持って攻撃してくる者。それらが彼女にとっての敵なのだ。

 そして敵でないものに対しては、聖女の称号にふさわしい慈愛を持ち合わせている。


 やがて聖女は王宮の中庭に出る。王家主催のお茶会が開かれることもあるそこは、一流の芸術センスを持つ庭師達によって見事に彩られており、聖女の姿はただそれだけで一美しく絵になった。

 そこに風切り音とともに矢が飛来する。


 そのまま進めば聖女の右目を貫いたはずだったが、直前で矢を掴み取られた。

 矢が飛来した方向を素早く見る。2階のバルコニーに弓を持った男がいた。

 聖女は接敵するために駆け出すが、弓の射手がそれを許さない。

 おそるべき連射力によって放たれる矢で聖女は中庭に足止めされてしまった。



 聖女を弓で攻撃した男は弓兵を務めていた。


『気をつけて。〈不滅の剣〉を折ったのなら、確実に破壊に特化した魔法を使えるはずよ』


 右手の腕輪から女の声がする。中庭を挟んで反対側のバルコニーに潜んでいる魔法使いのものだ。

 魔法はこの世の理を書き換える超常の力だが、さりとて何でも思い通りという訳でもない。破壊の力と不滅の力がぶつかりあった時、「万物はいずれ朽ち果てる」という現実が適応され、破壊のほうが勝るのだ。


「わかっている」


 弓兵は矢の連射を続けながら返答する。

 本来は味方であるはずの聖女の力を弓兵や魔法使いが知らないのは理由がある。

 聖女の力の詳細を知る者が多くなれば、それだけ邪神側の〈洗脳の魔法〉で情報漏えいする危険が高まる。それを防ぐために、聖女本人と勇者しか力の詳細は知らなかった。


(勇者! あの臆病者め!)


 弓兵は攻撃を続けながら心のなかで悪態をつく。聖女が暴れだした時、勇者が残っていれば近衛隊長は死ななかったはずだ。

 さらには聖女の力の正体を周知し、対策が取れたかもしれない。

 聖女は中庭内にある遮蔽物に身を隠す。

 弓兵は弓を引き絞った状態で相手の出方をうかがう。

 並の相手であるなら、弓兵は敵の姿を見た瞬間に倒していた。何度も矢を射掛けている事実に彼はプライドが傷つくのを感じる。

 だが今はそのプライドを腹の底に押し込める。


 本命は魔法使いによる攻撃。弓による攻撃で”敵は一人だけである”と聖女を誤認させて不意打ちで仕留める。

 こんな戦い方をする自分を、友であった近衛隊長は軽蔑するだろうかと弓兵は考える。

 だが勇者を除けば国一番の剣士である近衛隊長が素人同然に敗北したあげく、未だその力の正体がわからないのだ。

 なら、卑怯をやる以外に聖女を倒す術はない。


 聖女が遮蔽物から少し顔を出して、人差し指を弓兵に向けた。

 敵の意図がよくわからない弓兵は脳裏に疑問符を浮かべる。

 聖女が人差し指を振るう。

 まるで”何かを切断する”かのように。



 突然、弓兵の首が刎ねられた。

 魔法をいつでも発動可能状態にし、必中の機会をうかがっていた魔法使いは思わず声を上げる。


「え!?」


 聖女は未だ遮蔽物の陰にいて、明らかに手刀が届く距離ではない!

 聖女が魔法使いのほうを向く。今の声で居場所がばれてしまった。

 魔法使いは準備状態だった〈炎の魔法:剣の型〉を発射する。

 巨大な剣の形をした炎が聖女に向かって猛進するが、しかし聖女は手刀であっさりそれを切り払った。


(魔法を切った!?)


 魔法使いは直感的にその場で伏せ、聖女の視界から身を隠した。

 直後、後ろの壁に亀裂が走る。あと一瞬遅れていたら首を切断されていただろう。


 ここで魔法使いは、聖女が邪神を討伐するために召喚された存在だと改めて思い知る。

 そもそも、だ。なんでも切断できる手刀程度で邪悪な神性存在をどうやって倒すというのだ。それを現実に倒したというのなら、聖女の力はもっと次元の高い能力、そう”切断”という現象そのものを……

 不意に訪れた浮遊感が魔法使いの思考を打ち切る。彼女のいるバルコニーが切り落とされたのだ。


「ごきげんよう」


 聖女がニコリと狂気的な笑みを浮かべる。


「待って! 陛下のいる場所に案内するから見逃して!」


 これは時間稼ぎだ。魔法使いは聖女の力の情報を少しでも集めるため、味方につく振りをしようとした。


「いけません。いけませんよ魔法使い様。裏切り者になれば、処罰されるのはあなただけでなく、ご家族にも類が及んでしまいます。その人達の守るためにも、あなたはここで名誉の戦死を遂げる必要があるのです。大丈夫、王様は自分でなんとかしますから」


 聖女は本気だと魔法使いのは悟った。優しさと残酷さが、異常なほどに両立している。

 苦難に陥った者に手を差し伸べる救世主のごとく、聖女は魔法使いの首をはねた。



 近衛隊長、弓兵、魔法使いは王国にその名を轟かす達人であり、彼らの惨敗は兵士たちの士気を完膚なきまでに粉砕しした。

 生き残った兵士たちは王宮からの撤退を決め、戦えぬ者たちの避難を優先した。

 一方で、聖女たちは逃げる者を追いかけなかった。彼女は狂人だが、愚か者ではない。

 そもそも追いかける必要など無いのだ。聖女が王宮に居座り続ければ、王国はそれを奪還しようと兵士を送り続ける。そこを来た順に殺していけば良い。実に合理的な判断だった。


 敵を待つ間、聖女は自分が殺した者たちの体と首を並べ、敷地内にある花畑から持ってきた花を一輪ずつ供える。

 聖女にとって死者は敵ではない。なぜなら自分を攻撃したり悪意を向けないからだ。

 敵でないのなら、最大限の礼儀を持って弔うのが自分の務めであると聖女は考えていた。

 弔いを終えたあと、聖女は体を十分に休めて次の戦いに備えた。


 3日後、王宮の周囲に広がる草原に大軍が現れた。

 数はおよそ1万から3万といったところ。おそらく国境の防衛や街の治安維持などの必要数を除き、即座に動員できる全てを集結させたのだろう。

 聖女はその様子を王宮の最上階から双眼鏡で見ていた。

 東西南北すべての方向に軍がいる。ネズミ一匹逃げ出せない完全包囲だ。上空から見下ろせば、王宮は鉄の輪に閉じ込められているよう見えただろう。


 この状況は聖女にとって誤算だった。

 王子を殺したとは言えしょせんは女ひとり。敵は少数精鋭を送り込んでくるだろうと予想しており、まさか大軍で王宮を包囲されるとは思わなかった。

 敵軍で何かが光った。魔法による攻撃だ。

 巨大な火の玉が王宮に直撃し、激しい振動で聖女はわずかによろめいた。


 非常にまずい状況だった。

 このままでは弔った遺体が戦いに巻き込まれて無残に損壊してしまう。聖女は死者の尊厳を守りたかった。

 軍が王宮になだれ込む前に皆殺しする方法は一つしか無い。これは一種の賭けだ。これからやろうとすることは邪神との戦いですら試したことがない。


 だが死者の尊厳を守るためにはやらねばならない。

 聖女は右手を掲げる。するとまばゆいばかりの光が生じ、王宮の最上階はさながら灯台めいて輝いた。

 息を乱さないよう、大きくゆっくり呼吸する。常に笑みを浮かべていた聖女の顔は強張り、額からふつふつと汗が吹き出ていた。


 そして十分な力の高まりを感じた時、聖女は遠くで待ち構える軍隊に向かって手刀を振るった。

 聖女が立つ場所を起点にし、不可視の力が扇状に広がり、王国軍の一角を通り抜ける。

 花が咲くように王国軍の一部に赤色が広がった。兵士たちの首が刎ねられて血が吹き上がったのだ。

 聖女が膝をつく。たった一度の攻撃で、何時間も戦い続けたかのように消耗していた。


「頑張りなさい! ここが踏ん張りどころですよ!」


 自らを叱咤しながら聖女は歯を食いしばって立ち上がる。

 それから聖女は三度手刀を振るった。全方位へ発露されたその力は、王宮を包囲している兵士たちの首をことごとく跳ね飛ばした。

 全滅。全滅である。たった4度の攻撃によって、数万の兵士が皆殺しにされた。


 無論、それほどの力を振るったのだ、聖女にかかる負担は絶大だった。もともとは王国を救うための存在である彼女は、それに値する膨大な魔力を有していた。それを完全に使い果たしてしまった。

 一瞬で精根尽き果てた聖女はその場で崩れ落ちるように意識を失う。



 勇者は足元に転がる国王の首を見下ろしていた。

 王族の威光を守るために、現場へ出ていたところを聖女に殺されたのだろう。

 王宮を包囲していた王国軍が全滅し、死体の平原となった場所を勇者は歩いていた。

 目の前の凄惨な状況に、勇者の心は微動だにしていない。それは彼が勇気あるものでもなければ、邪神討伐の旅で死体だらけの場所に慣れているからでもない。

 逃げた街の先で、乱心した聖女を討伐するために王国軍が王宮を包囲するという話を聞いた時、部隊は全滅するだろうと勇者は思った。

 それほどに聖女の力は圧倒的だった。


 勇者とてなんの根拠もなく勇者と認められたわけではない。

 筋肉と肉体強度を高める〈金剛力の魔法〉。

 魔法によって剣に様々な効果を付与する〈エレメンタル剣殺法〉。

 それら2つによる超人的な戦闘力を持っているからこそ勇者と呼ばれているのだ。

 それでも、だ。勇者は仮に聖女と戦っても自分は手も足も出ないと思っていた。


 聖女の力。彼女だけが持つ〈切断の魔法〉は次元が違う。あれは切断という現象そのものを発生させ、対象が物理的だろうと概念的だろうと区別なく切断する。

 ドラゴンの鱗だろうと、超合金のゴーレムだろうと熱したナイフでバターを切るかのように切り裂く。

 殺しても100年ごとに復活する邪神に対しても、魂そのものを切断して二度と復活できぬよう完全抹殺した。

 どんな存在であれ、存在している以上は〈切断の魔法〉を完全防御することは不可能だ。


 加えて、聖女自身の戦闘力も〈切断の魔法〉ありきではないのだ。異世界の人間ゆえなのか、彼女は魔法など使わなくとも始めから超人的な運動能力を持っていた。

 聖女は最強だ。けど、今ならどうか?

 聖女が使う〈切断の魔法〉は万能の攻撃だが、高度な使い方をするほど負担が大きくなる。遠く離れた場所にいる大量の敵の首を刎ねてしまえば、魔力が枯渇して気を失っているかもしれない。


 とはいえ、寝込みを襲って来た敵を撃退したこともあるので、殺気を感じて目覚めるかもしれないし、もしかすると激しい消耗で殺気に気づかないかもしれない。

 確率としては五分。おそらく聖女を殺すチャンスとしてはこれですら最大限にして唯一だろう。聖女の暴走を恐れて逃げ出した勇者が戻ってきたのはそのためだ。

 勇者は聖女がいる王宮の最上階を目指す。

 だが、意外にも先客がいた。


「王女様? 何故ここに」


 国王と王子が殺された今となっては、最も高い王位継承権を持つ人物がいた。

 王女の後ろには護衛の男がいた。勇者は彼を知っていた。一流以上の実力を持ち、依頼主を絶対に裏切らないと信頼も厚い傭兵だ。

 おそらく、転移のマジックアイテムを使ってここに来たのだろう


「勇者様こそ、なぜ? 聖女を止めず、兄上を見捨てて逃げ出した臆病者が」


 王女の刺すような視線に勇者は恥じ入るが、今は自分の尊厳をいちいち気にする状況ではない。


「聖女を殺すために戻りました。今なら機会があるかもしれません」

「それはなりません。彼女の力はまだまだ必要です」

「王族二人と、大勢の兵士が聖女に殺されたのですよ」

「だからこそです。王国は弱りきっています。聖女を説得し、他国への抑止力とする必要があります」

「無理です。聖女はこの国を敵と判断しました」


 勇者の言葉に、王女は情けないものを見るような、哀れみのこもった眼差しを向ける。


「勇者様、聖女様も話せばわかっていただけるでしょう」

「話せばわかる? そんな言葉は、他人は自分の言うことを聞いて当然という思い上がりがなければ出てこない」


 勇者は腰の剣を抜く。


「あなたに国の舵取りを任せていると、冗談抜きで民が皆殺しにされる!」


 それまで黙って隣で控えていた傭兵が動いた。素早く踏み込んで勇者に斬りかかる。

 勇者はその攻撃をギリギリのところで防御する。その事実は傭兵が〈金剛力の魔法〉を使った勇者と互角だと証明している。

 噂によれば傭兵は心臓と肺に魔力を込めることで、全身を強化する〈活性心肺法〉なる技術を身に着けているという。

 〈金剛力の魔法〉以外に体を強化する方法は存在しないのが定説だったので、勇者は〈活性心肺法〉に半信半疑だったが、どうやら事実のようだ。


「そのまま勇者様を抑えていてください。私は聖女様の説得に向かいます」

「かしこまりました」


 王女が階段を駆け上がって最上階へ向かう。

 勇者はすぐに追いかけたかったが、今は目の前の傭兵を倒さなければならない。

 相手の剣を弾きあげ、即座に回し蹴りを繰り出すが、傭兵は真後ろに跳んで避けた。

 勇者は〈エレメンタル剣殺法〉で剣に雷の力を付与しつつ再度攻撃を試みる。


 敵が持つ剣も鎧も金属製だ。防御しても感電してダメージを追う。

 だが傭兵は〈土の魔法〉で床の石材を分解し、即席の石の盾を作って防御する。

 勇者は剣が盾にぶつかった瞬間に、付与する力を炎に切り替える。

 超高熱の刃が石の盾を溶断し、そのまま傭兵の体を切り裂く。

 じゅうじゅうと人肉が焼ける匂いを漂わせながら、傭兵はどっと後ろに倒れた。


「馬鹿な。一目散に逃げた腰抜けに負けるとは」

「お前は知らないからそう言えるんだ。あいつと四六時中いっしょにいて、それでも勇気を保てるやつは生まれながらの狂人だ」


 傭兵が絶命したのを確かめた勇者は、最上階へ向かった王女を追いかける。

 その途中、勇者の脳裏に邪神討伐の記憶が蘇る。

 ある時、邪神の眷属に家族を人質に取られた者たちが襲いかかってきた時がある。

 脅迫されているからだけと、勇者は彼らを殺さずに倒すつもりだったが、聖女は容赦なく首を刎ねた。

 何故と問う勇者に、聖女はこう答えた。


「彼らは自分たちで家族を取り戻すわけでもなく、誰かに助けを求めるわけでもなく、私達を殺すことを自らの意思で選びました。なら、それはもう敵です。敵は必ず殺します」


 それから勇者と聖女は邪神の眷属を倒し、人質を解放した。

 開放された人質たちは自分たちの家族がどうなったのかを聞くが、聖女は勇者に言ったのと同じ言葉を口にした。

 無論、それで納得出来ずに家族の敵討ちと襲いかかってくる者もいたが、聖女は変わらずにその者を敵とみなして殺した。


 その一方で、聖女は敵でない者には不気味なほどに慈悲深かった。

 病にかかった少女のために薬草を取ってきたり、恋人をさらわれた騎士のために手を貸すこともあった。他人をかばって死にかけたのも一度や二度ではない。

 彼女の心の半分は、間違いなく聖女と呼ぶにふさわしい慈愛で出来ている。しかし残りの半分は敵に対する残酷さで作られていた。

 どうしてそうなったのかと聖女に問いかけたこともあった。


「人間はいつだって優しさと残酷さが同居しています。普通の人はまぜこぜになってますが、私の中ではきっちり別れているだけです」


 普通の人間は優しさと残酷さが互いに中和しあっているので、どちらも強く出てこない。しかし聖女は白黒はっきりしすぎているせいで、全く中和されずに両立してしまっている。

 それが人間離れした慈愛と残酷が発露される理由なのだ。

 勇者にとって、ほんの僅かなしくじりが致命になりかねない聖女との付き合いは邪神よりも恐ろしかった。


 人間というものは他人の優しさに甘えてしまうものだ。もし聖女が施す慈愛を当然のものとして、無意識のうちにつけあがってしまったら? 次の瞬間には敵と判断されて首を刎ねられるかもしれない。

 勇者にとって邪神討伐の旅は、常に聖女に対する恐怖との戦いであった。

 そんな事を考えているうちに最上階にたどり着いた。

 扉を乱暴に開けた勇者が見たのは、聖女が王女の首を刎ねる瞬間であった。


「あら、勇者様。戻ってこられたのですね」

「王女を殺したのか?」

「ええ。気絶した私を介抱してくださったのは良かったのですが、私を都合よく利用するつもりとわかったので殺しました」


 この国の王族は大半が邪神の勢力によって殺され、かろうじて生き残った3人も聖女によって殺された。王国は滅んだも同然だ


「勇者様はどうしてお戻りに?」


 聖女を殺すためにとは口が裂けても言えない。


「い、一度は逃げ出したが、やっぱり君が心配になって」

「まあ、私を助けに来てくださったのですね! やはりあなたは本物の勇者様です」

「けど、必要なかったな」

「いいえ。私を助けようとしたのは勇者様だけ。その気持が何よりも嬉しいのです」


 聖女は感極まって、勇者の両手を掴んだ。

 柔らかく、白魚のように美しい聖女の手のひら。男ならその感触に喜ぶだろうが、しかし聖女を誰よりも知る勇者にとっては恐怖でしか無い。



 それから勇者は新しい国王となった。

 王家は聖女を奴隷として使役するつもりだったと喧伝したおかげで、人々の多くは勇者が次の王にふさわしいと認めた。

 勇者は国の復興に尽力する傍ら、聖女を元の世界に送り返す儀式の研究を国家事業として進めた。

 それから数年後、儀式はついに完成する。


「本当にありがとうございます。よその世界の私にこんなにも親切にしてくださって」

「君は私達を救ってくれた。この程度は当然だ」


 儀式が発動し、異世界への扉が開く。


「勇者様! このご恩は決して忘れません」

「ああ! 私もだ」


 こうして聖女は元の世界へと帰っていった。


「終わったか? 聖女は確かに元の世界に帰ったか?」


 勇者は儀式を制御する魔法使いに、念入りに確かめた。


「はい。間違いなく聖女は帰りました」

「そうか……そうか! やっと、やっとあいつから開放された!」


 勇者は全身の力が抜けてその場に崩れ落ちる。周囲にいる人間も、緊張から開放されて魂が抜けたような顔をしている者や、感動して泣きながら抱き合っている者たちもいた。

 後の歴史書ではこの日こそが、真に王国が救われた日として記録されている。

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