バス釣りを止める自粛警察

拓郎

第1話

 八つか九つの頃だっただろうか。

 僕はブラックバスを釣るのが好きで、よく近所の『ため池』に出かけていた。僕だけじゃなくみんながやっていた。『グランダー武蔵』というコミックの火付けもあって世はちょっとしたバス釣りブームだったのだ。

 僕の地元には『ため池』が多く、あちこちに釣りスポットがある。グーグルマップで見ると水色の数がすごい。ちょっと自転車を出せば池だらけだったのだ。それらすべての水源でブラックバスたちは所狭しと生態系を荒らしまわっていた。数が多すぎるのか毎日五匹、六匹は釣れた。

 ブラックバスを釣るのには「ルアー」という疑似餌を使う。つまりウニョウニョ動く気色悪いミミズなんかに触らなくていいのだ。 「そんなもんで釣れるんかい」と思う方もいるだろう。釣れるのだ。専門家曰く、バスはルアーを食物だと思って喰いついているわけではないらしい。どちらかと言えば敵と見なしているそうだ。やつらは獰猛かつアホなので、食欲というよりも「喰い殺す」という闘争心でルアーに喰らいついているらしい。その「バスと一騎打ち」的な感覚は従来の釣りとは一線を画した。

 個人的見解だが、エサを垂らしているだけの釣りは幼い僕にとって「オッサンの遊び」という印象が強かったのだ。反面、バスフィッシングにはスポーツや格闘の要素があった。それが子どもたちや若者の心を動かしたのではないだろうか。だが、この遊びには問題があった。


「子どもが池の柵を越えて、水場に行く」という水難事故バリバリ発生フラグだ。

 バス釣りブームがピークに達した夏前、PTAの会議が開かれた。もちろんバス釣りは一発で特A級の禁止事項となった。

 夏休み前の日差しと相まった蜃気楼がグラウンドを包むある日、グラウンドでは緊急集会が行われた。そこではどんな人生を歩んできたか想像もつかない「校長」という生き物が何かを喋っていた。

 教室に戻るとプリントが配られた。全校生徒に対して、「池に遊びに行かないこと」というお達しだった。

 僕の地元は危なさそうなものには、とりあえずフタをする傾向が強い。コンビニも自動販売機も出店できなかった。不良の溜まり場になるからだ。メーカーは営業を封じられていた。

 PTAは「健全」を守るために命をかけていた。僕はガキながら自分の命ぐらい、自分で責任を取りたいと思っていた。 もちろんPTAのルールなんて守るわけがない。夏休みのあいだ、無視してため池に通いまくった。ほとんどの男子が守らなかったんじゃないだろうか。


 夏休みはあっという間に終わった。バスを釣りまくった夏となった。新学期、二学期が来た。


 まだ九月になったばかりのある日。「終わりの会」で波紋が起きた。

「終わりの会」は下校前の学級会議のようなものだ。地域によっては「帰りの会」、「ホームルーム」とも呼ばれるらしい。これは一日のまとめとして用意されている時間だが、その実態は「今日の困ったこと」という魔女裁判だった。

 その日の終わりの会で「一定の人たちが釣りをしていました。禁止されてるのにいけないと思います」という告発がなされた。

 告発者は「御曹司」だった。そのあだなの通り、親が経営者&地主の富豪なのだ。その財力に制限はなく、家にはプライベートサウナが設置されており、ポケモンを赤緑どちらも買ってもらえるほどの裕福度を誇っていた。


 コイツとソリが合わなかった。 御曹司の告発に教室の空気が固まった。先生も一触即発のオーラをかもし出す。「早く帰りたいんすけど」というクラスメイトの心の声も聞こえる。


 先生が「ホンマか? お前ら」と口を開く。

 僕は「いいえ、まったく知りません」と大ウソをこいた。

 御曹司は納得がいかなかったようだが、「とにかく池には行かないこと」と先生は無理くそにまとめ、ウヤムヤのまま会は終わった。もちろん証拠もないので全員が不起訴処分となった。


 それからも僕は南公園に通い詰めた。1ミリも反省せずにせっせと釣りに出かけていた。「誰にも俺を止めることはできん」と思っていた。

 その日もそうだった。僕はいつも通りルアーをキャストし、バスを狙っていた。


「チャリンチャリーン!」

 いきなり自転車のベルに水面が揺れ、耳障りな金属音が池と森に響きわたった。なんだなんだと振り返ると、柵の向こうにあの御曹司がいるではないか。高級マウンテンバイクに乗り、ガラス玉みたいな目でこちらを見つめていた。

 彼は僕の方を見て、「釣りしてるやんけ! 明日の終わりの会で先生に言ったるからな!」と告げ、颯爽と去っていった。


 後から知ったのだが、不起訴になった日以来、やつは地元中の池をパトロールしていたらしい。タフなパトロールスケジュールのためにマウンテンバイクを買ってもらったそうだ。


 翌日、終わりの会はやつの一人舞台だった。

「先生!昨日、彼が南公園で3時ごろに釣りをしていました!僕見ました!」

 より具体的な報告があがったこともあり、とうとう僕は罪を認めた。

 クラスメイト全員の前で怒鳴られたあげく、放課後は職員室に呼び出された。夕方まで、ひたすらクドクド説教をもらった。今思えば、釣りをしてただけであんなにも怒られるのは異常だ。頭おかしい。

 僕と御曹司との因縁はしばらく続いた。なぜかやつは事あるごとに僕の過失を先生に上告し続けた。僕は次第に告発に怯えるようになった。

 二学期は矢のように過ぎていった。気がついたら運動会の時期が迫り、陽も短くなっていた。


 十月半ばになると、体育は運動会の練習中心になっていた。その日も五十メートルのタイムを計る日だった。これは自慢になるが僕はけっこう足が速い。十八歳のとき六.七秒で走った。小学校のタイムもそこそこ良かったと思う。もちろんポケモンマスターの御曹司なんかよりも速かった。

 御曹司は走る直前まで「今日は膝の調子が良くない」などと言っていたが、彼はテスト前になると「全然勉強してない」と言うような、セルフハンデキャツピングを敷くタイプだった。


 体育の後、給食の時間に事件は起きた。

 教室はガヤガヤとしていたが、子どもたちが好き勝手話して給食を食べるのだ。喧騒は毎度のことだ。その喧騒の片すみに僕らはいた。この頃、僕と御曹司は机が近かった。そのせいで給食も一緒の班になる。

 食事中、御曹司はやたらと僕にアドバイスをしてきた。

「もっと腕を振った方が早く走れる」や「スタートのとき、もっと集中した方がいい」などとなぜかスプリントのコーチ気取りだった。胸の中になんだかモヤモヤした、言葉にできない感情が渦巻いていた。

 自分より遅いコイツになぜこうも言われなければいけないんだ。そもそも口を聞きたくもないのに。と、喉に泥が詰まったような感覚だった。

 気が付いたら僕は御曹司を殴りつけていた。拳が顔面にめり込んで、御曹司は吹き飛んだ。机とイスはブっ倒れ、女の子が半狂乱のような悲鳴をあげて、ブスな顔がもっとブスになった。

 御曹司は泣き喚いた。

 そして僕を指差しながら「何もしてないのにやられた!」と叫んだ。 

 先生が大慌てで飛んできて、僕はテレビドラマで見た凶悪犯みたいに取り押さえられた。

 体躯で勝る教師に押さえ込まれながら、僕は「コイツが悪い!」と脆弱すぎる、誰も納得しない論理を床に吐き捨てたが、先生は100%僕が悪いという判決を下した。

「口で言えばいい」

「暴力は良くない」

「そんな怒るほどのことか」

「なんでいきなり殴るのか」

 あらゆる正論を投げかけられた。この正論の前に僕はなす術無かった。自分を弁護する理屈は皆無だった。職員室に呼び出される頃には、言い訳する気力もなかった。面倒だったから親にも先生にも「ムカつくから殴った」と言ったら、ムチャクチャに殴られた。

 僕は静かに失望した。何にかは分からないけど、何かに期待するのをやめた。

「善悪」の話をすると、僕が悪いのだろう。

 でもそれは善い悪い転じて、裁きを基準とした「勝ち負け」の話ではないだろうか。

 裁きの名の下に、言葉を持たない僕が負けた。悪の自覚もある。言い分も無い。言い訳できるロジックも持ち得ない。だが許せなった。それだけだった。正論なんて正しいだけで誰も救わないじゃないか。

 少なくともあの日の僕と同じようなやつがいたら、その悔しさぐらいは分かってやりたいのだ。負けた方が失望していく場所は救いがない。救いぐらいはほしい。救えなくとも。

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