その後

『めでたし、めでたし』

 見返した日記には、一ページだけ意味のわからない箇所がある。


 明らかにこのページまでの筆者とは違う者が書いている。まるで利き手ではないほうの手で書いた手書き文字のように、筆跡が異なり、それはそれは稚拙で崩れていた。かろうじて『めでたし、めでたし』と読み取れる。その一文を最後に、次のページからは真っ白で、何も書かれていない。その一文の書いてあるページは『めでたし、めでたし』とだけあって、いったいどんなめでたい出来事があったのかについては触れられていなかった。

 わたしの同行者のタカフミは「こんなの、持って帰っても売れないっす」と、この日記を持ち帰るよりも他の物品を背負子にしまおうと提案した。普段の冷静沈着なわたしであれば、タカフミの意見にうなずいて、諦めていただろう。だが、わたしはこの一ページが何を意味しているものなのか、このまま置いていってしまえば、気になって夜も眠れなくなってしまいそうだった。タカフミをなんとか説得し、上着の内側のスペースに挟み込んで持ち帰ってきたのだ。


「進捗、どうっすか?」

 コーヒーの入ったマグカップがわたしの作業机に置かれた。わたしが熱い液体を苦手としているのを知っているから、ぬるめに作ってくれる。

「どうやら、この日記は『観察日記』のようだよ」

 最初のページは、その観察対象を見つけた興奮が書き綴られている。頭はまるっこく、耳がちょこんと生えていて、腕が八本ある生物。大きさは筆者のひざの高さほどであるという。

「どうせなら写真を載せてほしかったっすね。ひざの高さ、と言われても、オレのひざとジョンのひざだとかなり違うじゃないっすか」

 タカフミは身長が高い。わたしの家は、古民家をリノベーションしたものだから、わたしたちよりも人間を基準として建てられており、天井が高めに設定されている。他の建物に入ろうとすると、タカフミは屈まなくてはならない。

「イラストを描いていてほしかったな。写真では、劣化してただの紙になってしまっていただろう。それに、この日の日記に『撮られるのを嫌がる素振りを見せた』と書かれている」

 人類は滅亡した。いまは、わたしたちがこの惑星を支配している。わたしたちの先祖は、宇宙のどこかから地球に飛来し、人類が疫病により倒れていったのを見届けた。

「なるほどなるほど。恥ずかしがり屋なんすね」

 タカフミは、人間の生き残りだ。――人間というよりは、人間の特性と容姿を保持したまま生き延びた生命体か。普通の人間と違い、人体の再生力と回復力が優れているタカフミは、その生命力に目をつけたとある団体により、地下の研究施設に長らく捕まっていた。地上では人類が滅亡したとは知らず、自身の能力により生き延び、探検家として活動しているわたしに掘り起こされ、アシスタントとして働いている。

「筆者は、この生き物を世間には公表せず、こっそりと隠し育てようと書いているが、素直に『自分の手には余る』と記している日もあるな」

「オレとジョンの最初の頃に似てるかも。ジョンも、最初はオレのことを匿おうとしてた」

「ああ。人類は滅亡したことになっているのだから、人間が生き残っていてはおかしいからな」

 というのは建前で『他の者に手柄を盗られたくなかった』というのが本音だ。人類の残した遺産は、わたしたちにとっては貴重な財産である。タカフミが隔離されていた研究施設に入る前で止まっているタカフミの知識は、わたしたちからすればずいぶんと古い情報ではある。が、他の地域の言語よりも特殊な形状をしていて解読不能だった日本語の文献の解析が、タカフミのおかげでかなり進んだ。

 その功績を挙げてから、わたしはわたしの仲間たちにタカフミの存在を打ち明ける。生きている人間を見るのはみんな初めてで、驚きや戸惑いはあったが、旧日本地域におけるわたしの成果が、全員を納得させた。

「めでたし、めでたし、っすか……」

 タカフミは日記を最後のページまでめくって、その文字列を人差し指でなぞる。あまり触ると文字がかすれて消えてしまうかもしれないので、やめてほしい。

「物語の最後、締めの一文だろう?」

「そうっす。ハッピーエンドで幕引きしてから、物語の世界から現実に引き戻すような魔法の言葉っす」

「だから、日記に使われているのはおかしい」

「しかも、このページが最後っすもんね。一個前のページは、えーと」

 その『めでたし、めでたし』の前では、育てていた生き物が筆者と同じサイズにまで大きくなったと喜んでいる。この生き物、言葉を獲得していき、八本あるうちの六本を器用に動かして歩き回り、残りの二本で筆者のために食事を作ったり、喜怒哀楽の感情を表現したり。読み進めるごとに、その生き物が成長していく。

「ペンを持たせて、文字をマネさせている」

「子どもに勉強を教えるのと同じっすね」

 わたしはこの箇所を読んだとき、なんだか嫌な予感がした。タカフミはどう感じただろうか。

「この『めでたし、めでたし』は、こちらの生き物が書いたものじゃないかと、わたしは思うんだ」

「飼い犬に手を噛まれる、的な話すか?」

「……いや、わからない。わたしたちが、この日記を発見したあの家のことを思い出そう」

 旧日本地域の住宅街にあった。妙な生き物を家の中で飼っていても、怪しまれないような人間。

「この日記の持ち主は、男性……おそらく」

 衣類は男性用が多かった。男性用の衣類は女性用のものより大きく、そのぶん高く売れる。汚れ物でも、わたしたちの技術があれば新品の状態に戻せるのだ。他にも、一般的に『男性の趣味』とされていた物品が多く発見された。女性が使用する率が高かったらしい化粧品は見当たらない。あと、探検家からすれば装飾品や宝石があるとかなり嬉しかったのだが、残念ながらあの家にはなかった。

「あの辺は、高級住宅街だった場所っす。あれだけ広い家に一人暮らしの男性。プラモデルやらゲーム機やら、服の趣味から察するに、独身貴族、みたいなタイプ?」

「貴族?」

「ジョンの想像している貴族とはちょいと違って、そこそこ貯蓄があるけれど、いろいろあって結婚してなかった独身の人間を揶揄して『独身貴族』と……ジョンみたいな?」

「わたしはわたしの考えがあって、相手を探していないだけさ」

 探検家の身には、いつ何が起こってもおかしくはない。目的地に向かっている最中に地盤沈下が起こったり、発掘作業中や作業後に盗賊から襲われたり、なんやかんやでトラブルの絶えない職業だ。

 わたしは政府の許可を得て、探検家をしている。この仕事に誇りを持っているから、どれだけ素晴らしい相手と巡り会えたとしても辞めないだろう。残される者に悲しみを背負っていただきたくはない。

「そこは『タカフミがいるからな』って言ってほしかったっすね?」

 へらへらとした笑いすら画になる。発見したときから、タカフミは異常に美しかった。

 人類が作り出した文化のうちのひとつに、映画というものがある。教授の趣味で、ときたま映画を観る授業があった。映画の登場人物にまぎれこんだら主役をかすませてしまうほどの、ムービースターのような美しさがあった。

 この美しさに心を奪われて、手放したくないというのは……まあ、ある。

「タカフミがいるからな」

「オレはジョンがいなくなったら、ジョンのお友だちの家に上がらせてもらうんで、心配無用すよ。よくジョンが話す、映画好きの教授のところがいいかもしれない。オレも映画好きなんで」

 こいつはわたしが窮地に陥ろうとも、助けてはくれないのだろう。

「……そうかい」

 話が脱線した。高級住宅街の独身貴族が、奇妙な生き物を拾った日記に話を戻せねばなるまい。

「一人暮らし、と決めつけるのは早計かもしれないよ。この日記は『観察日記』であるから、日常のあれこれを書く日記とは違う。生き物の成長を記録するためのものに、家族とのやりとりは書かない。男ばかりの共同生活をしていたかも。わたしとタカフミのようにね」

「それは、何を根拠に?」

「台所の食器の数が、一人暮らしにしては多すぎる」

「元は大家族で、兄弟たちは親元を離れていって、この筆者だけが残り、両親が他界した可能性があるっす。住人が減ったからといっても食器は処分しないっすよ。割れたり壊したりしないかぎり。ジョンはダメになったモノをすぐ捨てるけど、基本的にはモノを大事に使うっすよ、人間は」

 そういうものらしい。だとすると、やはり一人暮らし説が有力か。広い邸宅で不思議な生き物を育てていた男。

「このあと、この生き物はどうしたのだろうな」

 日記は、引き出しの中に入っていた。もし、この『めでたし、めでたし』を書いたのが本当に生き物のほうなのだとすれば、書いてから引き出しにしまったことになる。部屋に荒らされた形跡はなかった。

「年から書いてほしいっすよねこれ。何月何日ではなくて、何年何月何日って。そうしたら、この家の周りでその年の大晦日と元旦に起こった出来事を調べられるのに」

 十二月三十一日が、記載されている日付としては最後の日付だ。一年の最後の日を、日本風だと『大晦日』と言うらしい。次のページが例の『めでたし、めでたし』で、それが次の日に書かれているものなのだとすれば、一月一日だ。一月一日は『元旦』と言うらしい。

 大学で日本語を学んでおいてよかった。マイナー言語だからと敬遠して、他の言語を学んでいたとしたら、タカフミとコミュニケーションを取れなかった。わたしは運がいい。

「周りの家に住んでいる人も、日記を書いているといいのだがな。それも、この時期の」

 日記は、その土地に住んでいた人間の日常風景が書き記されている。わたしはこれからも拾い上げていきたい。こういう経験をしてしまったからには、日記が目についたらまた持ち帰ってしまうと思う。


めでたし、めでたし。

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かつて青く、いまとなってはさびついた宇宙船に 秋乃晃 @EM_Akino

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