地球最後の継承者

朝倉亜空

第1話

「先生、歴史上、最も強い動物って何ですか」

「そうね、トラやライオンとか、もっと大昔には、ティラノザウルスという恐竜もいました。でも、それらはただ単に力が強いとか、体力があるというもので、やっぱり、すべての動物の上に、最上位として君臨するのは、知能豊かでここまで文明を発展させた人間だと、先生は思います。だから、今、私たちが直面しているこの絶望的に思える大きな危機も、人類は必ず何とかする。先生はそう信じています。でも、もし……」


 西暦22XX年、そんなことは遥か遠くの何億年も先のことだと思われていた太陽膨張が、初観測された。この日以来、CO2排出過多による温暖化などではない、絶対不可避の地球超高熱化が確定事項として、恐怖とともに全人類に認知されたのだ。

 科学者たちの計算によると、太陽は原因不明のまま、加速度的にとんでもないスピードで膨張し続けていて、3000年代には地球は完全に灼熱の死滅の星と化するとの絶望的予想が立てられた。

 もはや、地球上における、戦争という名の所有地の奪い合いに何の意味があろうか。いまや、全人類がなすべきことは、一つとなって、他惑星への移住計画を成功させること、それ以外になかった。宇宙コロニー計画では小規模すぎて、その場しのぎでしかあり得ない。やはり、第二の地球を、広大な大宇宙の中から何とか見つけ、何が何でも到着し、再び繁栄していくこと、それを目指さなければならなかった。

 「エデン計画」

 月並みだが、すべての地球人の切実なる願望が込められたプロジェクト名である。

 そして、西暦2999年、地表面温度103℃という死の間際の地球の大地から、何とかかろうじて一機の超々長距離航行ロケットが打ち上げられたのだった。

 目指すは遥か13万7千光年先、惑星レジテス。ハミダシカニミソ星雲第532銀河第92惑星系第5惑星だ。

 レジテスは、窒素、酸素、CO2などその星を覆う大気層が非常に地球のものと酷似しており、おそらくは海と呼べるほどの潤沢な水分とみどり豊かな星であろうと予測される、まだまだ年若い惑星である。星としての年齢の若さから、地球で言うところの恐竜のような巨大生物が存在しているかもしれないが、高度な知性を所有する生命体によって築き上げられた科学的文明社会というものはまだない、そう結論付けられていた。

 レジテスに向けては、出来る限りの地球人を送り込みたい。その思いはやまやまだったのだが、残念無念、たかが800年程度の碌な技術開発期間及び適合惑星探索期間が無い中では、たった一台のロケットを打ち上げさせるのが精いっぱいであった。誰が乗るかの醜いすったもんだの後で何とか一組の男女が決定した。これもまた、使い古された呼び名だったが、「ラスト・アダム・ウイズ・イブ」であった。


「ねえ、わたしたち、もう半分くらい来たのかしら」

「うん、たぶんね。ここまで、何度ワープしたっけ」

「13度よ。わたし、一回一回ちゃんと数えてるの。間違わないわ」

「へー、 じゃあ、もう半分以上来てるよ。計画では、ワープ22回で到着するんだから」

「そうなの? もう、半分以上なんだ。地球を出発してから、約三か月、わたしは早く感じてる。あなたはどう?」

「僕も同感。と同時にドキドキ感が少しずつ増してきているよ」

「そうね。わたしもだんだん怖いような気持になってきているわ」

「大丈夫! きっと僕たちはうまくやれる。僕たちは最後の地球人としての責務をちゃんと果たせるさ!」

「そうね、新しい人類の大いなる第一歩目の足跡を残すのよね、私たち」

「その通り。最後の地球人であり、最初のレジテス人になるんだよ」

「最初のレジテス人……。ねえ、地球のみんなは今頃どうしているのかしら……」

「……もう、何もかも焼け焦げて無くなっているよ……。人間も何もかも。このロケットが発射できたことも、あの灼熱の中、奇跡みたいなものだったんだから。もう、膨張した太陽が地球を飲み込んでいるかもしれない……」

「やめて! そんな言い方やめてちょうだい! 聞きたくないわ、言わないで!」

「でも、本当……いや、ごめんよ。ぼくが悪かった」

「……」

「だから、僕たちはレジテス人としての歩みを必ず成功させ、その歩みを継続させていかなきゃね。そうでないと、いったい誰がこの宇宙にかつて地球という碧く輝く美しい星があったことを、そしてそこには幾千幾万の生きとし生けるものたちが、力強くその命の煌めきを放ちながら生きていたかを告げ知らせることができると言うんだい」

「そうね。わたしたちや、わたしたちの子供たちの大切な役目よね」

「そうだよ、僕たちは本当に素晴らしい役目を与えられているんだよ。どう? 少し元気になれた?」

「ええ。もう大丈夫よ。ありがとう」


 この後もロケットは順調に飛行し続け、22度目の最後のワープも終えた。いよいよレジテス、第二の地球に到達する。


「よし、うまく着地予定地点に着陸することができた。大気の状況の確認チェックだ。……窒素、78パーセント、酸素、21パーセント、アルゴン、CO2、その他諸々含有っと、間違いないな」

「無事に着いたのね」

「ああ。じゃあ、ハッチを開いて……、あれ、チェック画面にアラート表示だ。いったい何だろう?」

「嫌な予感だわ。パネルタッチしてみましょう」

「うん、……。な、なんだって! 大気中に強力な放射能反応ありだって!」

「どうして? ねえ、なぜ。どういうことなの?」

「分からないよ。木星や土星はコア中心部で核融合反応しているから、放射線が大量に存在しているものだけど、そのことを抜きにしても、もともと人間が住めるような環境じゃない。レジテスがあまりにも地球に似ていて、人にとっての生命活動に適している大気の状態であるがゆえに、てっきり放射線などはないと早合点してしまったのだろうか……。それとも、測定エラーだったのか……。とにかく、時間がない中だったから」

「どうなるの、わたしたち……?」

「もう、終わりだよ。どうにもならない……。とんだアダムとイブの滑稽劇だな」

「そ、そんな。……こんなに遠くまで来たのに……」

「あーあッ! チクショー!」

「あなたはなんてかわいそうなの。そして、わたしもなんてかわいそうなの……」

「……睡眠薬、あるかな? たくさん……」

「……ええ。ほとんどさらのままよ。だってわたしたち、ここまでずうっと順調に来てたから、めったに飲まなかったんだもん……」


 この日、二人は本来、到着した今日という記念すべき日を喜び祝うために用意していた、とっておきの料理を食べ、永遠の眠りに就こうと決めた。


「できたわ。さあ、食べましょう、あなた……」

「うん。最後の晩餐だね。ありがとう、……おまえ」

「見て、窓の外のレジテスの夜景を。五つのお月さまに照らされて、初めて見る草花の色鮮やかなこと。本当にきれいよ」

「うん。とてもきれいだ」

「何よ、こっちの方もじろじろ見て」

「きみもきれいだなって」

「おまえって呼んで」

「……きれいだよ、おまえ」

「まあ、うれしいわ、あなた」 

「ディナーの後で薬を持ち出し、レジテスの大地をちょっと歩いて行かないか。放射線量から考えて、三、四時間なら影響はない。なにも好き好んで、せまっ苦しい機内に居続けることもないだろ。この幻想的な五つの月光のもとで、あの大きな樹の下まで、デートをしよう。途中、小さな池ぐらいあるかもしれない。池があったら、池も見てまわろう。どこかで奇麗な花をひとつ摘んで、きみに、おまえにプレゼントさせてほしい。最後に樹の根元のところで薬を飲んで、ふたりひとつで眠りたい」

「そうしましょう。それがいいわ」


 三時間ほど後、つかの間のアダムとイブは一本の大樹の根元であおむけで寝転がりながら、五つの奇麗な月を見上げていた。空になった睡眠薬の小瓶が二つ、恋人つなぎをしたままの二人のそばに転がっている。妻の髪には夫に貰った大切な大切な花がさしてあった。地球のヒナギクに似ている可憐な花だった。 


「ぼくが宇宙飛行士になろうと思ったのは、小学生の時の担任の先生に言われた言葉がきっかけだったんだ。人間は強い存在だ、だから、きっと今のこの地球灼熱化にも負けずに解決するはずだってね。だけど、結局どうにもならなかった……。もし、この「エデン計画」が成し遂げられていたなら、別にぼくが選ばれてなかったとしても良かったんだと思う。この広い宇宙に地球があったこと、とても多くの生命にあふれていたこと、誰でもいい。なんなら、猿や犬なんかの動物でもいい、確かに、間違いなく、命溢れる地球はそこにあったんだということを証明する存在がどこかの星で残っていてほしかった……。もう、誰もそのことを知りようがなくなった。悲しい、あまりに。あまりにも虚しすぎるよ……。本っ当に残念だ!」

「わたしも同じ気持ちよ、あなた。でも、今、あなたの真横にはわたしがいる。あなたとくっついて、一緒に永遠の眠りに就こうとしているわ。だから、だからそれで我慢して」

「うん、そうだね。そのことはとても素晴らしい、良いことだ。ごめんよ」

「ううん、いいのよ」

「ああ、そろそろ眠たくなってきた」

「わたしも」

「おやすみなさい………」

「おやすみなさ……」


 ロケットの食料貯蔵庫の一番奥まった隅っこで、ほとんど聞き取れないくらいの小さな、カサカサという音がした。そこから、大ぶり、中ぶりのひとつがいのゴキブリがひょっこり姿を現した。おそらく、食材搬入時にでも紛れ込んでいたのであろう。大昔から、排除しようとしてもいつの間にか紛れ込むやっかい者だ。

 雌雄二匹のゴキブリは、しばらく辺りをうろついていたものの、ほどなくして開かれたハッチの方へ進んでいった。そこで、二匹同時に羽を広げ、レジテスの美しい風景が広がっている夜空へ向かい、飛び立って行った。


「……だから、今、私たちが直面しているこの絶望的に思える大きな危機も、人類は必ず何とかする。先生はそう信じています。でも、もし、強さという言葉を生命力という意味で言うのであるなら、ウィルスや微生物を除くと間違いなくゴキブリでしょう。何せ、彼らは、たとえ核戦争が起こり、地球全土が高濃度の放射能で覆われたとしても、その環境に順応し、身体のつくりを変異させ、繁殖していくであろうと言われていますからね」

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