第10話 救えないとは分かっても

 「ごめん、ただいま」

 「……遅い」


 家に戻れば、頬を膨らませて不満そうにするユリカがいた。手持ち無沙汰だったのだろうか、タンスに仕舞っていたファミコンとマリオのカセットがテレビの前に出ている。


 「マリブラの3ないの? 暇だったんだよ……って、大丈夫?」

 「大丈夫じゃないよ」


 別にファミコンをやられる位は何の問題でもない。ゲームがみんな好きなのは周知のことだし、逆に今更それをやるかっていう驚きがあった。


 それよりも、つぼ八でのやり取りで疲れ切ったせいで、エネルギーが持たない。


 「渋谷に居たんだよね、誰かと?」

 「その誰かと喧嘩した」


 コートも脱がずにソファーに倒れ込む。酔いが醒めてきて、とてつもない倦怠感が同時に襲って来る。ボクの予想とは裏腹に、とっくに感情が壊れそうになる寸前まで来ていた。


 「……あー、アイツほんと嫌い」

 「どうしたの?」


 コントローラーを置いてユリカはボクに相対する。まるで昨日の構図のようだと思って、懲りずに救いを求めている自分の情けなさを改めて感じた。


 声に出せば、永遠と続きそうな愚痴だ。こんな話を人にするのもどれほど久しかったか。


 『どうせ、使われる側なんてバカばっか。カネを持ってるだけのクソバカ共だよ』


 「人のためになるって、難しい」

 「難しいね」

 「人のためになろうとして、救える人と、救えない人がいる。だけど、救えない人をなあなあに扱って、ずっと自分の都合の良いようにするってふざけてると思うんだ」


 利用。搾取。ネガティブな語彙が飛び込んできて、その意味に近いことだと話してみる。


 「救いたいって思うの、何でなの?」


 ユリカから飛び出した最初の問いは、問題のもっと奥の方にあった。


 「そりゃ……救いたいから。救えないって、見放したくないから」

 「だから、どうしてそう思うの?」


 冷たい視線は鋭さを増して、ボクの心の醜い部分に迫っていく。


 「誰だって救いたくなるだろ、救えるんだったら」

 「自分の力だけだったら、救えない人が居るのは分かってる?」

 「分かってる」

 「じゃあ、そんな救えない人も、救いたいって思うの?」

 「う……!」


 ボクが曝け出さなかった、曝け出したくなかった部分にメスを入れていく。

 

 「救える人は救おうよ。でも無理だったら諦めたり、他の人に助けてもらうって、出来ないの?」


 厳しい言葉と裏腹に、ユリカは表情を何一つ変えない。ここまで強く言葉を主張できるなら、きっと信念に近いもの。


 「そんなのエゴだよ。ヒーローになりたいだけ」


 ユリカまでサトルの味方をするのか、どうでも良い存在がそう言ったなら、怒り狂って殺していたかも知れない。


 だけど、これはユリカの言葉。信じていたい人から出て来る言葉には敵わない。必死になって呼吸を抑えて、息を整える。


 やっと落ち着いて感情を露わにしようとしたら、ボクから出てきたのは怒りではなくて、何とも悲しい叫びに近かった。

 

 「……悔しいだろ?」

 「うん」

 「助けられなかったら悔しいよ。ユリカもそう思わないか?」

 「思うよ。あたしだって人間だから」


 正義のヒーローになれなかった。自分の情けなさはいつになっても付き纏う。


 やっぱりユリカには……この話はしておくべきなのだろうか。打ち明けてしまえば、ボクを蔑んで惨めな人間だと煽るのだろうか。



 ――大丈夫です。私、アオくんのこと、こんなに好きですから……。



 でも、もう……それが本心だから、話さないといけない。


 「昔な、救えなかった人が居たんだ」


 過去の苦しみを語ろうと思った時は、人の目が視界にない方が良い。ただ1人で独白をする感覚が丁度良かった。


 窓際から月を眺めて、買い置きしていたウイスキーをロックで割る。雲間から漏れる朧げな光は、世界の片隅に居るボクたちの部屋にも降り注ぐ。


 「嫌だったけれど、ドル箱だって言って飼い慣らすしかなかった。そうしなかったら、ボクまで潰れてしまう世界だったから」


 ユリカがどんな顔をしているかは分からない。構わず言葉は続いていく。


 「最後に相手は潰れてしまった。いや、潰してしまったんだ、ボクの手で」


 

 「……死んだんだ。ビルの屋上から」


 

 好きだった人が居た。心には大きな穴があった。ボクは彼女を守りたいと思っていた。救ってあげたいと思っていた。


 だけど救うためには、ボクまで壊れてしまう。本当は壊れてでも救いたい愛に憧れていた。でもそれは、憧れでしかなかった。


 最後までボクは仮初の愛を伝え続けて、同じ言葉で癒すしかなかった。人は、世界は、彼女の好意を「依存」と言って、救えないと割り切るのがセオリーだった。


 責めてあの時、「ボクには救えない」って、ハッキリ言えたなら。


 そしてそれが、ボクが求めていた初恋じゃなかったなら、どれほど良かったか。



 ボクは、同じ人と日を暮らすのが怖くなった。


 人を救えない存在だ。それが十字架となってボクを縛っている。


 一晩だけの、相手の傷を癒すことだけなら出来ると、これまでの日々を歩んできた。それが責めてもの贖罪だと信じて。癒すことは傷を舐めることで、それは救いにはならない。そう、離れて1人で生きていけることを意味しない。


 ボクは人を独り立ちさせるまでの、救える力を持っていない。けれど相反する心は、プライドは、「救いたい」と訴えかけて止まない。


 現実と感情の中で揺れ動いて、葛藤がボクを苦しめている。


 「……テレクラに居たのは、苦しかったから?」


 うん。彼女のことを忘れるため、特別じゃなくするために。それは無理だった。ユリカがそうさせたんだよ。声がどうしても思い出してしまうから。


 「多分、アオじゃ救えなかったよ」


 でも本当はヒーローで居たいに決まってる。大切な人くらい救えてみたい。


 「救えたとして?」


 1人で生きていけるようになった時に、ボクを選んでくれたらな。1人でも生きていけるけど、2人の方が良いって……そんな感じで、選んで欲しかった。



 「やっぱ、あたしと一緒だ」


 穏やかな声に気付いて振り向くと、両手を広げてボクを待つユリカが居る。


 「おいで」


 どこまでこの少女はボクに優しいのだろうと、最後は甘えに負けて側に歩み寄る。



 ――アオは、1人で生きていける?



 無理だよ。1人で生きていける人って、誰かを救おうなんて気にならないから。


 「だから、あたしと一緒」


 ユリカも? 本当かな。


 「1人なの、怖いもん」


 そっか。「孤独」を抱えてるから、一緒だったなあ。気付けなかったよ。


 「今、あたしって、アオのこと救えてる?」

 「勿論。これまでの比じゃない」


 ユリカが側に居るからって気を遣った言葉じゃない。ダダ漏れになった本心が溢れて、ただ止めどなく流れているだけ。


 「これがアオにとって一番良い関係なんだよ。――きっとその彼女は合わなかっただけ」


 「……そう、かもな」


 ボクの考えが反転するようなユリカの話に、一瞬だけ壁が作られて否定しようとした。それでもユリカの体温がその壁を溶かしていって、納得に近い形で心に染み込んでいく。


 ――やっぱり、あたしの考えは間違いじゃなかった。


 か弱いイメージからは想像も出来ない、自信のこもった声の色。何度もボクの心を温めた声が、今度はボクに異質な形として姿を見せている。


 つまり、ボクの想像していたユリカではない、何かが見えた気がした。


 「どういうこと?」

 「アオが嫌じゃなかったらだけど。あたしの“仕事”、見たい?」

 「仕事? ……逆にユリカが嫌じゃなかったら」


 渋谷で色々とやっていた話は聞くけれど、今度もそんな内容だろうかと推測してみる。


 「分かった。パソコン貸してくれる?」


 ところが、ユリカから出てきたワードは、あまりに女子高生に似つかわしくないもの。


 「夜の3時、そしたら分かるよ」

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