第9話 Q2は九重に交わって

 「キューツー?」


 口の中に残る赤身の旨さが抜け落ちないまま、曖昧な返事をした。不貞腐れたサトルは、「アオなら知ってるはずだけど」、と不満げな顔を見せる。


 「テレクラ、まだ行ってんだろ?」

 「行ってるけど……もう辞めたいなって」

 「とうとうお目覚めになられたか」


 ハツを横取りされた挙句に皮肉られたけれど、サトルの言い分も間違いではない。実際にボクは、かなりの金を1年間で落としてしまっていたのだから。


 「とにかく、テレクラに行ってるならさ。広告くらい見たんじゃない」

 「広告って……?」

 「ツーショットとか。聞き覚え無い?」


 ツーショット。昨日行った時、どこかで……。


 「あ……!」


 あれはテレビの横にあった、見慣れない張り紙だった。


 「変なシステム使ってるなって思ってたよ。アイツか!」


 合点の行った表情を見て、サトルは一気に上機嫌そうな顔になる。好物のサーモンを拾い上げる手も止まらなくなっていく。


 「アオは分かってる。アイツ凄いんだぜ」

 「え、サトルってそういうのに携わってるとか?」

 「最近のクライアントの話だよ。新規で事業を展開したいんだって」


 サトルは就活に滅法強かったこともあって、今では大手のコンサルに勤めている。激務に追われる中で酒とタバコの量が増えたとこの前は嘆いていたんだっけ。


 「とか言っても市場がまだ成熟してないし……あ、話続けちゃっていい?」

 「あ、まあ……うん」


 仕事の話となると彼の話は留まるところを知らなくなる。適当なタイミングで「あ、そろそろ出ようか」とか言って、さり気なくブレーキをかけるのがボクの仕事だ。その時にいつも不服そうにされるのが嫌なんだけれど、これは仕事だから。


 「ってか、ダイヤルQ2のシステムって、いつから使われてるか知ってる?」


 最近は話がダレないように、クイズ形式を始めたようだ。サトルも人を飽きさせないための話術を身に付けたのなら感心する。仮にも営業マンのボクとしてだけど。


 「つい最近じゃないの。去年とか」

 「それは日本の話。最初に出たのはアメリカなんだけど、いつ?」

 「知らん。ヒントくれ」

 「この前辞めたアイツだよ。冷戦も終わっちまったな〜」


 マルタで話し合ったのはアイツじゃないけど。いいとこ取りしたブッシュだけど。


 「レーガン?」

 「と、大統領を争ってた」

 「……誰だっけ、優しそうな人」


 共和か民主かも忘れている。自民に慣れすぎて平和ボケした日本人にはこれ位の違いなんて瑣末なものに過ぎないし。


 「カーターだよ。そん時の大統領選で、Q2がハマったわけ」

 「どうやって?」

 「世論調査。レーガン支持は900、カーター支持は901に。1コール50セント」


 テレビアナウンサーの口上を真似して得意げな笑みを浮かべる。重箱の隅の知識まで覚えられるのも、彼が成せる人並外れたワザだ。


 「電話で儲けられるって世界に証明された瞬間。歴史的だよな」

 「それだけでいいじゃん。なんでサトルの関わる所まで?」

 「お前さ、Q2が何か分かってないだろ?」


 いや、だからボクは実体が何かを知らないんだって。定義も知らないし、それがサービスなのかシステムなのかも知らないのだから、バカにされる筋合いはない。


 「Q2はただの集金システム。それを使ったマーケが流行ってるって言えばいいかな」


 皿に盛られた刺身は半分くらい消えている。ほとんどが饒舌になったサトルによって食べられて、日本酒と一緒に胃袋に流し込まれているに違いない。


 「電話したらさ、金取られるだろ?」

 「それはそう。NTTが回線持ってんだから」

 「民営化したやつな。そいつが始めたんだ、細かい話は省略するけど……」


 ボトルキープを取り寄せて、「じゃ」とボクにも一杯注いでくれる。九州の地酒は美味いんだよな、伏見の酒は味が小綺麗すぎて好きじゃないとか、下らない感想を漏らして刺身に手を伸ばす。



 彼の話す趣旨はこんな感じの内容だった。


 簡潔に言えば、情報を提供する側=IP[Information Provider]が、通話を受けることでNTTから金を受け取れるというシステムが「ダイヤルQ2」。


 実際は通話した分の料金からNTTに多少の手数料を取られるが、それでも多額の利益を上げることが出来る。何故なら、料金の設定はIP側が決定することが出来るからだ。


 10円にかかる秒数で料金は決まる。安くて90秒10円[1分あたり6.7円]から、高くて3.5秒10円[1分あたり170円]まで設定が出来る、と。一般的なサービス、例えば情報系の回線は26秒で、占いとか怪しげなサービスは6秒が相場らしい。


 今年の7月に始まったサービスは、まだ100チャンネルあるかどうかのライン。しかし、中には莫大な成功を納めた会社もある、と鼻息を荒くして語っていた。



 「要するに、俺たちでも金を生み出せるってわけ」

 「上手い話だなあ」

 「……まあ、これも実は怪しくてだな」


 今までの語りっぷりから一転して、今度は良からぬ話題が飛び込もうとしている。それなのにサトルの口調は変わらないし、日本酒のペースは留まることを知らない。


 「問題は、アオみたいな人間のためのコンテンツが増えちゃうとね」

 「ツーショットのこと?」

 「そ。肝心なのは電話を繋げる時間だからさ」


 ツーショット、つまり男と女が1対1で言葉を交わせる環境。電話越しで語り合えるはテレクラにもあるけれど、今度は男が女の子に電話を掛けられるシステムとなっている。更にお目当ての女の子を直接指名出来るから、確実だとも。


 ボクは前に言ったように、それが依存になるから好きじゃないと思っていた……ただ、今日になって心境は揺れ動いている。ボクが欲しいのは永遠の一体だと気付いてしまったから。ユリカに出会わなかったら「ダイヤルQ2」の沼に落ちていたかも知れない。


 「そうそう。パーティーラインってのもあって、これも人気」

 「パーティー……沢山集まるのか」

 「飲み込みが早いなあ、流石だわ」


 これは複数人の男女がただ喋り合うというスタイル。他愛のない会話が出来ること、人に言えなかった悩みを打ち明けられても秘密が守られること、そして何より電話の上では名乗らなくて良い、という匿名性が人気を博しているらしい。現にアメリカでは主力格を占めているとも。


 「ヤッホー! 何話してるの? えー面白い!」

 「こんばんは、元気? マーくんって今居るの?」

 「…………(面白いなあ)」


 最後の人間のように、人の会話を黙って聞いていることに喜びを感じる人も居るそうだ。



 「どちらにせよ」


 あれほど大量に盛られていた刺身も、もう終わりが近づく。


 「そういうサービスには、必ず女の子が居なきゃいけないってのは分かるだろ?」

 「評判が落ちるわな」


 ボクもウイスキーの最後の一滴を飲み干して、快感と共に声を上げる。


 「今じゃ、話し相手に女の子を雇ってる所もあるって」

 「風俗同然じゃないか」

 「そこまで言ってねえよ。ケーキと紅茶を添えてくっちゃべってるだけ。それで金が貰えるからって、今じゃ裏求人も出回ってるんだ」


 愉快そうに笑った。そこまで細かいことを知ってんなら、どうせサトルが使われてる側なんだろ……ボクにはそう感じられて、女癖が悪いのはお互い様だなと天を仰ぐ。


 「ケーキとか言ってたら甘いの食べたくなった、抹茶アイス食べようぜ」

 「やれやれ、ボクも貰おうかな」



 「面白いだろ? Q2って知れば知るほど怖いよな」


 不敵な笑みを溢して、サトルはボクに差し迫ってくる。


 「……取引先にそんな話、絶対すんなよ」

 「しないっての。あくまでQ2って有益なコンテンツを提供する名目なんだし」


 それでもビジネスライクなサトルにとっては、「社会的な善」だの、弱者救済だの、そんな言葉なんて念頭にない人間。まさに金の猛者と言えよう。


 「ただ、結局はQ2に繋いでる時間だけが大事だし」


 だからこうやって余計な知識だったり、ゲスっぽいやり方に興味を持つんだ。



 「アオならきっと才能あるってさ。やりなよ、Q2。ツーショットとか絶対人気出るぜ」


 運ばれたアイスを無邪気に頬張る。そんなサトルの姿に共感は出来ない。


 「誘い文句とか上手だしな。女の子がホロって来ちゃうような」


 どうして彼はボクの「孤独」を察することが出来ないのだろうか? 気付けなくても、分からなくてもいい。察することさえ出来れば、少しは理解者として見直せるのに。


 「愛を囁いてりゃ、お前なら女の子が勝手に貢ぎに来るよ」


 電話を繋ぐ時間を得るには、自分を壊すまで膨れ上がるカネを引き換えにしなければならない。それを「自分の意思だから」と言って、壊れてきた人をどれ程見たことか。


 「――どうせ、使われる側なんてバカばっか。カネを持ってるだけのクソバカ共だよ」


 聞き捨てならない言葉だった。ボクの一番触れてはいけない場所に、サトルは土足で入り込んでくる。どうしても許せなかった。


 「だから!」


 拳をテーブルに叩きつける。本心が漏れたと後悔するより先に、言葉が続いていく。


 「ボクはもう辞めたんだ。そんな話」


 声が震えている。あの時からずっとこうだ。すぐに感情が溢れてしまう。


 ダメなのは、壊れる人間は最後まで笑顔を見せていることだ。「〇〇のためなら」と言って、無理に日々の困難を増やしていって、最後は自分の身体までも壊していく。


 いつかボクが壊してしまった宝石が、ずっと離れないで胸に刺さっている。



 ――大丈夫です。私、アオくんのこと、こんなに好きですから……。



 「やらない。使う側になんてなりたくない」


 手に入れられなかった初恋のために、変わりたいと願った。

 成れの果てに、愛なんて人を傷つけるだけだと気付かされた。

 罪を贖う為に、テレクラに向かっては、女の子と混ざり合った。

 それでも信じていたい愛があって、ユリカが導いてくれると信じた。


 「お前がバカにした奴らだってカネを落とすだけの存在じゃない。人間なんだ」

 「ちげーよ、ゴミ共だよ」


 サトルは声色を変えない。大胆不敵に腕を組んで、とぼけたような顔で言う。



 「桜のように儚くても、あなたと感じてたい愛がある……なあ、“愛桜”さん?」



 「お前!」


 ムキになってサトルの胸ぐらを掴む。日本酒を入れたビンは床に落ちて、周囲の騒ぎが大きくなる。悲鳴があったようにも聞こえたけれど、怒りが全てを打ち消す。


 「2度とその名前を言うな、2度とその話をするな!」


 叫びにも構わず、サトルは表情すら動かさない。ずっと気味の悪い笑顔だ。


 「クソだな、お前もたかが女の1人で誑かされやがってよ」

 「大切だったんだ!」

 「知らねえよ。カネを落としただけのバカだよ」

 「サトルにはそう見えても、ボクにとっては……!!」



 ピロロロ、ピロロロ……!


 「……ンだよ、こんな時に」


 ポケベルが鳴る。ボクのものだ。サトルを掴んでいた手を解いて、内容を見る。

 ――着信主は、ユリカだった。それも二件。


 「1021104家着いたよ」「10105今どこ

 

 「……ユリカ」


 時計を見れば21時を過ぎていて、もうそんなに話し込んだかと驚く。それよりも、ユリカが一度行ったきりでボクの家に戻れたことの方が驚きなのだが。


 ひとまずユリカが待ってるんだ、家に戻らないといけない。ボクはそそくさとコートを羽織って財布を開ける。


 「悪い、用事出来た」

 「良かったな。頭の血管が切れる前でさ」


 皮肉を漏らして、サトルは店員と割れたビンの処理をしてくれていた。それに感謝することもあって、今日の飲み代は全部ボクが出しておくことにした。


 「……ごめん、頭冷やすよ」


 情けない。最近は人前でも感情が堪えられなくなることが多い。子供に戻ったみたいだ。


 「なあ」


 狭い空間の中でボクに向き合うこともなく、サトルは言葉を漏らす。


 「思い出せよ。俺はあの頃のアオが好きだったんだ」

 「――あんなの、人間らしくないだろ?」


 怒りよりも、悲しみに近い気持ちで声になった。


 ボクは人の愛を得る為に、人の愛を踏み躙ったんだ。愛が互いに交わらなければ、それは人間らしくない愛になってしまう。サトルは正常じゃない愛の形ですらも、カネになるなら何の問題もないと笑うような奴だ。


 「知るかよ。ハッキリ言って今のアオは嫌いなんだ」


 サトルも少しばかり声の勢いが強くなる。そっぽを向いたまま呟いた。


 「ナヨナヨして女々しいんだよ。すっかり大人しくなったポチだ」

 「……そうかもな、ごめん」


 頭の冷えたボクはもう、言い返すほどの気力を残していなかった。


 ◇


 「ただいま……あれ、アオの家、開けっぱだ」


 あたしはカバンを下ろして、ガウンをラックに並べられたハンガーにかける。


 「帰れる場所、なのかな」


 何気ない感覚が、堪らなく懐かしかった。感動して1人で笑ってる。

 帰れる場所は他にもあったのに、何故かこの人は同じ感覚がして、気持ちいい。


 「――同じ目だった」


 アオは思ってたより、あたしに近い人だった。アオはきっとあたしのことを信じてくれている。後はきっと、あたしがどれくらい信じられるか。


 「電話のメモ……そっか」


 心配してくれてるんだ。皆そうしてくれたけど、あたしに帰る場所はない。

 でも、あたしを思ってくれているのが……ただの迷惑じゃなくて、嬉しくなってる。


 「ふぅ」


 ソファーにもたれかかると、見慣れない人との写真が目に飛び込んでくる。机の上に置かれている、小さな額縁の中にひっそりと、その人は微笑んでいた。


 「――女の人?」

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