問23.5 打ち上げに最適な場所を求めよ

 吉祥寺駅はいつも混んでいる。しかし、そんな人混みの中でも、彼女のすらりとした体躯や煌めくブロンドの髪は目を引いて、どこにいるかすぐに分かった。


「すまない、白瀬。待たせた」

「ううん、あいらもイマ来たとこ。まだ待ち合わせ時間前だしね」


 そう言って笑う白瀬は、今日は珍しく七分丈のパンツスタイルだ。普段露わになっている太ももは、ぴっちりとした生地のデニムに隠されている。更には、いつも第二ボタンまで開かれている胸元も、今日はしっかり隠されている。しかし、今日は露出度が低いのかといえば、そんなことはない。


「きょーちゃんって、もしかしてお腹派なの?」

「君はバカか。僕はただ、そんな格好でお腹は冷えないのかな、と気になっただけだ」


 そう、今日の白瀬はいわゆるへそ出しの格好をしているのである。

 自分でも気付かぬうちに、うっすらと縦線の浮く引き締まった腹部に視線がいってしまっていたらしい。白瀬に指摘され、さっと顔を背ける。


「心配してくれてたんだ。もし冷えちゃったらきょーちゃんがあっためてよ」

「……そういう言い回しは誤解を招くからやめなさい」

 僕の言葉に、白瀬は首を傾げつつ、はーいと返した。こいつ絶対なんのことか分かってないだろ。


「それじゃ行こっか」

「今日は打ち上げのはずだが?」

 白瀬に右手を差し出され、僕はそう言った。前回吉祥寺に来たときは確かに手を繋いだが、あれは雑誌のデート企画の下見だから、という理由だったはずだ。

「でも、はぐれちゃったら困るでしょっ?」

「あ、おいッ」

 僕の静止を聞かず、白瀬は僕の手をぱしっと掴む。

「何か今日、いつもの倍くらい人いるね。まぁそれもそうか」


 だって、今日から夏休みだもん! 


 そう言って、白瀬は夏の太陽にも負けないような弾ける笑みを浮かべた。

 こうして、僕と白瀬の暑い夏が始まった。



「きょーちゃん、ここのスフレパンケーキはぷるぷるなんだよ」

「ふわふわではなく?」


 数分後。僕と白瀬はお洒落なカフェに来ていた。前回訪れたのとは、また別のお店である。吉祥寺には、いったいどれだけのお洒落カフェがあるのだろう。

 それにしても、ぷるぷるのパンケーキとはいったい……。

 国語の問題だったら、パンケーキにぷるぷるなんて擬態語を使ったら×がつくだろうな、なんて考えている間に、件のパンケーキが運ばれてきた。


 僕達の前に、それぞれが注文したスフレパンケーキが置かれる。

 僕のはプレーン、白瀬のはカットされた苺がちりばめられたやつだ。スフレパンケーキは、一つあたりの直径こそ小さいものの、厚みが三センチくらいある。それが一つのお皿に三つも載っているんだから、かなりボリュームがありそうだ。


「きょーちゃんってさ、ほんっと甘いもの好きだよね」

 不意に、白瀬が言った。

 確かに僕は甘いものが好きだが、なぜこのタイミングで? 首を傾げる僕に、白瀬が続ける。

「だってさ、目、すっごいきらきらしてるんだもん。しかもなんかそわそわしてるし。早く食べたいんだなーって感じ」

 かわいーなぁもう。と笑いながら白瀬が言って、僕は思わず顔を逸らす。自分の頬が羞恥でかあっと赤くなるのを感じた。っくそ、こんな時に前髪があれば俯くだけで顔を隠せるのにと思うが、先日の一件以来僕の前髪は短いままだ。


「冷めちゃう前にたべよ?」

 白瀬に促され、僕はナイフとフォークを構える。

「「いただきます」」

 二人で手を合わせ、ナイフでパンケーキを一口大に切る。

 一切の抵抗なく切り分けられたパンケーキを、まずは何もかけずにそのまま口に入れた。


「……ッ!?」

 思わず目を見開いてしまう。と、正面から視線を感じた。

「ね、ぷるぷるっしょ?」

 僕の表情を確認し満足げな笑みを浮かべてから、白瀬も最初の一口を口の中に入れる。うんまぁ、という幸せそうな呟きとともに、蕩けそうな笑みを浮かべている。


「きょーちゃんもこのお店気に入ってくれてよかったぁ。きょーちゃんが甘いもの好きって知ってから、連れてきたいなぁって思ってたんだよね」

 しばらくして、白瀬がそんなことを言う。


「そう言ってくれるのは嬉しいが……白瀬は打ち上げがここでよかったのか?」

「どゆこと?」


 何度も見た白瀬のきょとん顔。しかし、これから説明するのは勉強ではなく自分の気持ちのため、普段のようにすらすらとはいかない。

 少し考えてから、僕は口を開いた。


「……白瀬は、僕が喜びそうと思ってこの店に決めたのだろう? でも、今日は白瀬がマーク模試で目標を達成できたことに対する打ち上げだ。白瀬が行きたい店に行くべきだったんじゃないか?」


 中学時代、まだ僕がしょうもないガキだった頃。僕は〝誰かのためになるかどうか〟を軸にして生きていた。自分が誰かのためになっているという実感は、端的に言って気持ちがよかった。

 でも、それは間違いだったと今では思う。だからこそ、白瀬に同じ道を歩んでほしくはなかった。


 しかし、僕の心配をよそに白瀬は「ああ、そんなこと」と笑う。

 少しムッとした僕に、白瀬は言った。


「あいらはね、きょーちゃんが喜ぶ顔が見たかったの。つまり、あいらは自分のしたいことのために、このお店に決めたってこと」

 きょーちゃんが楽しそうだと、あいらも嬉しいし。きょーちゃんよく眉間にシワ寄ってるし。と白瀬が続ける。


「眉間のシワは、大抵が君の珍回答のせいだろう」

 ぼやきつつ、今度は羞恥とは別の感情で、頬に熱が灯るのを感じた。幸い、目の前のパンケーキに夢中なのか、白瀬は特に何も指摘してこない。ほっと息をついて、僕も次の一口に手を伸ばした。

 しばらくして、白瀬が言った。


「あ、でもさ。あいらが行きたいとこに行っていいっていうなら、この後ちょっと付き合ってくれない?」



「ほんとにここでよかったのか?」

「うんっ! あいら動物好きなんだよね」


 スフレパンケーキの店を出た僕たちが向かったのは、井の頭自然文化園だった。井の頭公園に隣接したそこは小さな動物園となっており、リスやペンギンなど様々な動物を見ることが出来る。


 白瀬に手を引かれ最初にやってきたのは、モルモットと触れ合うことのできるコーナーだった。

 夏休みとはいえ、平日の中途半端な時間だからか、人の数はそこまで多くない。箱の中では人間の数倍の数のモルモットが、ぷいぷいと鼻を鳴らしている。


「きょーちゃん、もしかして動物苦手だった?」

 箱の中を真顔で見詰める僕に、白瀬が言った。


「いや、そういう訳じゃないんだが」

 これまで動物とはほとんど触れ合ったことがない。自分よりうんと小さい生き物を相手に、どうしたらいいのかがよく分からなかった。


「んー、いい子だね」

 そうこうしているうちに、白瀬がひょいっとモルモットを抱き上げる。そして。

「じゃあさ、一緒にこの子と触れ合おっか!」

 動物が好き、という先の発言は本当だったのだろう。胸元にもふもふを抱えた白瀬は、早くモルモットと触れ合いたくてしょうがないらしい。パンケーキを前にした自分も、もしかしたらこんな感じだったのだろうか。


 二人で並んで座れるスペースを見つけて腰掛ける。モルモットはそのまま白瀬の膝の上に収まった。

 しばし白と茶色の毛並みを撫でていた白瀬だったが、不意にこちらを見てくる。

「いい子だから噛んだりしないし、だいじょぶだよ」

 白瀬に促されて、こわごわ手を伸ばす。


「おしりじゃなくて、背中のあたりを撫でてあげて」

「こうか?」

 指先が、ふわふわに触れた。そのまま背中を撫で、人間より高い体温を感じる。ペースの速い鼓動が手のひら全体から伝わってきて、意味も無く不安になった。

 と、ここで予想外の事態が起きる。


「ん、……ふっ、ちょ、きょーちゃんっ……! くすぐった、んっ」

 白瀬は今日、へそ出しの格好をしている。どうやら、僕が撫でたことでモルモットが身じろぎをし、ふわふわの毛に腹部をくすぐられる事態に陥っているらしい。

「ちょ、やめっ、……ふふっ、」

 モルモットが落ちないよう、身を捩るのを必死で堪える白瀬。白瀬は涙目で笑うという奇妙な表情で、こちらを縋るように見つめてきた。


 なんというか、これ以上続けたらおかしな気分になってきそうだ。

 僕は意を決してモルモットに両手を伸ばす。そして、この小さな生き物を壊さないよう慎重に、かつ素早く、隣に座る僕の膝の上に移動させた。


「くすぐったすぎてマジヤバかった」

 助けてくれてありがとね、きょーちゃん。

 いつものような、屈託のない眩しい笑み。


「あれ? どったの?」

「いや、なんでもない」


 先ほどの、くすぐったさに耐える、白瀬のやけに艶っぽい表情が一瞬脳裏をかすめ、僕は罪悪感から思わず顔を背けたのだった。



「で、そのまま特に何もせず帰ってきたと」

 呆れ顔の妹、柚子がこちらを見ている。


 その日の夜。帰宅した僕は柚子に、借りていた雑誌を返すため、妹の部屋を訪れた。その雑誌の表紙には、借りた時にはなかった白瀬のサインがしっかりと記されている。

 そして、「え、今日愛來ちゃんと遊んでたの?!」「柚子も連れてってくれればよかったのに!」「ねーねー何して遊んだの?」とマシンガンばりの口撃に合い、仕方なく、一部をぼかしながら今日の出来事を報告したのであった。


「何もしてなくはないぞ。そのあともソフトクリーム食べたり」

「……はあ」


 柚子が、大きな大きなため息をついた。そして、そういうことじゃないんだけどなぁ、と呟いている。そういうことってなんだ。


「それにしてもびっくりだなぁ。おにーちゃんが愛來ちゃんと知り合いってだけでも驚きなのに、二人で遊びに行くなんて」

 てっきり、無料の家庭教師として体よく使われてるんだと思ってたよーと、ひどく失礼なことを言ってくる柚子。ほんと、こいつは僕のことを何だと思っているんだ。


「なぁ柚子、一つ訊いてもいいか?」

 そういえば、今日白瀬と過ごしていて、一つ分からないことがあった。この小学生のくせに妙にませたところのある妹なら、何か知っているかもしれない。


「井の頭公園をぶらぶらしてた時、白瀬がボートを見てたから「乗りたいのか?」って訊いたんだ。そしたら、「やだ!」ってものすごい勢いで拒否られたんだが。女子的にはボートに乗るのはそれほどNGなのか?」


 白瀬は比較的何にでも興味津々で前向きな印象だったので、あそこまで全力で拒否されたのには驚いた。まぁ、考えてみれば自分のようなやつと湖の上に二人きりというのは、自分だったら嫌だが。


 僕の質問を受け、柚子は目を見開いた。一瞬口を開きかけて閉じ、かと思うと、口の端をあげて、にんまぁと笑う。


「おにーちゃんもなかなか隅に置けないなぁ」

 にやにやとした笑みを浮かべたまま、柚子が言った。

「?」

 状況が把握できず首を捻る僕に、柚子が言う。


「井の頭公園のボートはね、カップルで乗ると破局するって有名なんだよ」


――愛來ちゃん、よっぽどおにーちゃんと離れたくなかったんだね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

問、クラスのギャルに「勉強おしえてっ」と言われたときの最適解を求めよ。なお、見返りに〝いいこと〟を教えてもらえるものとする。 秋来一年 @akiraikazutoshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ