問17.5 「かはつるみ」を現代語に訳せ(※やや下ネタ注意)
「ねえきょーちゃん、かはつるみってどういう意味?」
画面の中で、白瀬が言った。
期末テスト前後のタイミングで提出する課題を進めるため、ビデオ通話で勉強会をしていたわけだが。
「かはつるみ……?」
聞き覚えのない単語に首を傾げる。そんな単語、課題に出てきたか?
「これこれ。あーりん――クラスの友達に途中まで写さしてもらったんだけどさ、意味が分かんないから続きが書けなくて」
「『宇治拾遺物語』から好きな話を抜き出し、あらすじと、その話を選んだ理由を書きなさい……選択古文の課題か」
僕たちの通う蒼陽学院では、二年生から一部の授業が選択制となる。白瀬は五教科の中で国語を選んでいたらしい。僕は英語を選んでいるので、そんな課題が白瀬に課せられていたこと自体初耳だった。
画面越しに、白瀬の持っている課題を見せてもらう。どうやら、「好きな話を抜き出す」欄は埋まっているようだが、あらすじを現代語で記し、その文章を選んだ理由を書く、という課題が残っているらしい。
あらすじを書くには、元の文章を読まないと始まらない。
僕は、あーりんさんとやらが選んだという『宇治拾遺物語』の文章に目を通し——
「なになに、これも今は昔、京極の源大納言雅俊といふ人おはしけり――って、これは……」
思わず目を剥いた。
自然と頬に熱が灯るのを感じる。白瀬の友人とやらは、なんてものを選んでくれたんだ。
「ん? きょーちゃん、もしかして風邪ぶりかえしちゃった? なんかほっぺが赤い気が」
「き、気のせいだ。それよりも、白瀬は、その、かはつるみ以外の単語は訳せたのか?」
「んー、合ってるかは分かんないけど、なんとなく」
その課題に書いてあった文章を、ざっくりと訳すとこうだ。
昔、京極の源大納言雅俊という人がいた。その人が仏事をする際には、〝一生不犯〟である僧に仏様の前で鐘を叩かせることになっていた。
ところが、鐘を叩く予定の僧の様子が何やらおかしい。
どうしたんだろう、と大納言が思っていると、その僧が震え声で言った。
「〝かはつるみ〟はいかがでございましょう」
それを聞いたみんなは顎が外れそうなくらい笑った。
一人の侍が、その僧に問う。
「〝かはつるみ〟はどれくらいなさったのですか」
「ちょっと昨夜もいたしました」
みんなはそれを聞いてどよめくように笑ったので、僧はその隙に逃げ出した。
「なぁ、白瀬は、その……〝一生不犯〟は訳せたのか?」
「え? 不犯ってあるくらいだし、一回も悪いことをしてない、みたいな意味じゃないの?」
犯って犯罪のはんだよね? と白瀬が問いかける。
確かに妥当性のありそうな推測だが……。
「でもそれだと、僧のセリフの後にみんなが笑ってるのが謎なんだよね。かはつるみっていうのがなんなのか分かれば、一生不犯も訳せそうなんだけど……」
そう。白瀬の推測だと微妙に意味が通らない。
一生不犯もかはつるみも、恐らく授業では習わない古文単語だ。文脈からなんとなく想像がついたが、念のため検索をかけて、僕の予想があっているかを確認する。
……うん。予想通りだった。できれば外れててほしかったのだが……。 一体どうやって、白瀬に一生不犯とかはつるみの訳を教えよう。頭を悩ませつつ、僕は慎重に言葉を選ぶ。
「白瀬、僧侶がしてはいけないことといったら何だ?」
「んー、お肉を食べる、とか?」
「あー、それもそうなんだが、その、別の意味の肉欲というか……」
「あ、えっちってこと?!」
アハ体験! とでも言うように、元気よく言い放つ白瀬に、僕は思わず「ごはッ」と咳き込む。呼吸が整ったところで、僕は言った。
「……正解だ」
そう、一生不犯の意味は、一度も女性を犯していない=童貞ということである。
「え、じゃあ〝かはつるみ〟っていうのは?」
当然その質問はくるよな。予想していたことだが、なんと説明すべきか。
というか、さっきから「かはつるみ、かはつるみ」連呼しないでほしい。
「それは、その、バナナはおやつに入りますか? というかだな……」
頬が熱い。ああもう。なんで僕がこんな思いをしなくちゃならないんだ!
「課題早くやっちゃいたいし、もったいぶらないで教えてよ」
焦れた白瀬が、唇を尖らせて言う。
仕方ない。こういうのは、恥ずかしがるから恥ずかしいのだ。僕は努めて平静な顔をおつくり、覚悟を決めて一息に言った。
「かはつるみとはつまり自慰行為のことだ」
瞬間。
白瀬の顔が熟れた林檎のようにかあっと赤くなる。
さっきは普通の顔で「えっち」とか口にしてたくせに。まぁ、さっきまで「かはつるみかはつるみ」連呼してたわけで。それってつまり「オ○ニーオ○ニー」言ってたのと同じなわけで。
「……ちょっと、顔洗ってくる」
この空気に耐えきれなくなり、僕は思わず逃げ出した。白瀬も僕の言葉にほっとした様子で、「い、いってらー」と相変わらず赤い顔のまま手を振っている。
自室から出て、洗面台に向かう。
鏡に映った自分の顔は、先ほど画面の中でみた白瀬に負けないくらい真っ赤になっていた。
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