第7話 

 八月に入って、日差しはますます鋭さを増している。

 時刻は午後十四時。僕は金田の運転する車の助手席に乗って、コンビニで買ったアイスコーヒーを飲んでいた。コーヒー代は、金田の奢りである。

 車の外側では、アスファルトが溶岩石の様に熱くなって、大通りの風景にめらめらと蜃気楼を起こしている。目眩を起こしそうなほど青い空には、大きな入道雲が浮かんでいた。その鮮烈な空色が、交差点で信号待ちをしている僕達の車や、青々とした街路樹の葉の揺らめき、ファミレスやパチンコ店の看板の照り返し、眩しそうな表情で横断歩道を渡る人々の汗、そんな全てを真夏の熱気に飲み込もうとしている。


 こんなに晴れてはいるが、今日は夕方から夜にかけて降水確率70%。近頃、温暖化の影響かスコールの様な激しい夕立ちが続いている。

 車の中は、暑がりらしい金田がエアコンを最強にしているので、キンキンに冷えた風が当たって肌寒いくらいだった。

 

 何故週末に金田と二人で出掛けているのかと言えば、金田に何度も誘われて、同窓会に着て行く為の小綺麗な服を一緒に買いに行く事に同意してしまったからだ。

 

 金田の押しが強くて断れなかったというのは、自分に対する言い訳で、多分僕は寂しくて人恋しかったのだと思う。

 金田に構ってもらえる事が嬉しかった。隠さずにいえば、僕は約束の時間に金田の迎えが来るまで家で待っている間、昂ぶる気持ちを抑えられずにいた。

 

 「お前中学校の時いつも、ちゃんと制服着て来いって先生に怒られてたけど、まさか未だにそん時のまま体操服着てるとは思わんかったわ」

 

 運転席の金田が、前方の景色を見たままそう言って笑った。そんな風に笑われても、何故笑われているのか僕にはしっくり来ない。僕はどうして日常的に体操服を着ていては駄目なのか、何度となく色んな人に常識だという理屈を聞かされても、未だ納得できずにいる。 

 

 「他の皆んなと同じ様に制服着るのが嫌やってん。着てみても似合ってなくて嫌やし、何や裸でおるみたいな落ち着かん気分になるねん」


 「せやけど、もう制服着る必要無い訳やん。何で未だに中学校の時の体操服着てるんや?」

 

 「何で着てたらアカンの?」

 

 「だってもう中学生やないのに、変やろ」

 

 「変やったら、何でアカンのや。誰かに迷惑かけるんか?」

 

 「そりゃ、迷惑はかけへんし、俺は自由にしててもええと思うけど、世間的には変に見られるやん。そしたら自分が損するやんか」

 

 「世間の為に、嫌な格好も我慢しやなアカンのか。金かけて、欲しくもない色んな種類の服買って、気持ち悪い似合わへん思いながらも着やんな、世間は許してくれんのか」

  

 「残念やが、そうや。世間の理解なんかそんなもんなんや。良く知らん奴の本心まで見ようとする事はないし、第一印象で自分と違うな思ったら避けられて、距離置かれる。人間ってそんなもんなんやわ。だから、俺はカモやんに、もっと楽に生きやすくなる方法を知ってほしいんや」

 

 あの頃、生きにくいと愚痴をこぼす母に対して、僕が思っていたのと同じ様な理屈で金田言った。

 

 成程。お母さんが感じていた気持ちはこれか。孤独感と理解されない事への落胆、そんな気持ちを抱いてしまう自分の身勝手さに対する失望。

 

 「……そんなん、教えてもらわんでも、分かっとるよ。でも、どうしても出来へんのや。理屈では分かってても、出来へん……同じ様になられへんのや……やろうと思ってみても、どうしても、辛くて続かんねん」

 

 「出来へんやなくて、やらなしゃーないねんわ。いくら店のもの欲しくても、金払わんと盗んだら泥棒やし、堪らんええ女おる思っても勝手に触ったら痴漢やろ。皆んなそうやって色々と我慢して生きてるんや。そん中で、自分だけ自由勝手にしたいって言うても、皆んな色々と我慢してる分、余計に許してくれへんよ」

 

 「……でも、僕は法律破ってる訳やない。ちゃんと決められた法に従って、皆んなと同じ様に合わせて生きとるよ」

 

 「それやったら。法律で決まってるルールは守れるんやから、それと同じ様に、皆んなに合わせてやっていけばええねん」

 

 会話を重ねる程に、とても歯痒くなってくる。せっかく金田と一緒に居て楽しい気分になりそうなのに、こんな話をしたくない。

 どうせ、分かってもらえないのは、分かっている。


 「………金田には、分からんわ。普通の人には多分、分からんのや」 


 溜息を吐いた僕を、金田は横目でチラリと見た。それだけで、臆病者の僕は怯んでしまう。

 

 「何も、いつでも同じ様にする必要はないやんか。家の中では好きな様にしたらええし、俺みたいにカモやんの事、良う知ってる人間の前でも、好きに振る舞ったらええ。でも、社会の中で他人と接する時だけは、周りと合わせる方が、もっと楽に生きていけるやん」

 

 「それが出来へんから、困ってるんや……どうやったら出来るようになるか、そんなん言うなら教えてくれや」

 

 放った言葉に露骨に拗ねたような響きが乗って、自分の子供の様な態度が恥ずかしい。

 

 僕の人生には、大人として当たり前の責任を持つ経験が欠落しているから、中学生のまま止まっているのだ。

 僕だけ夏休みを卒業出来ずに生きているのだ。

 

 「ほんなら、今日は周りと合わせる練習やな。とりあえず服だけでも買ってみて、試しにお洒落して外出てみ。やってみたら思ったより楽しくて、今後は出来るようになるかもしれんで。カモやん背高くてスタイルええし、同年代より若々しいんやから、きっと服も良う似合うって。そんな格好でおるんは、勿体ないわ」

 

 「服なんかに金使う方が勿体ないやろ。良う分からんわ」

 

 快活に笑いかける金田は、また良く分からない事を言う。勿体ないってなんだ。コスパの話ならば、服飾を飾り立てるほど無駄な事は無いだろうと僕は思う。

 

 ──それに、自らの在り方に対して、勿体ないと言われるのは嫌いだ。

 

 僕は今日出かける前に、家に帰る頃にはきっと後悔しているんだろうと思っていた。

 いつもそうだった。誰かがこの孤独を埋めてくれるのではないかと期待を抱いて、そして浮かれて白鳥の中に混ざっては、上手く馴染めない自分に勝手に傷付く。僕は白鳥じゃない、薄汚れた名も無い野鳥だ、羽が退化して飛ぶ事も出来ない鳥だ。だから弁えて孤独に生きれば良いと理解しているのに、手を差し伸べられると、白鳥達の素敵な踊りを見てしまえば、何度でも憧れてしまう。

 

 二度と誰とも関わらないと誓ったのは何度目だろうか。

 

 今日はもう既に来たことを後悔し始めていた。

 きっと、僕は今日の事を何度も反芻しては、深く落ち込む。金田はあまりに真っ当で、僕とは違いすぎる。

 

 

 金田が僕を連れて行ったのは、大手のリユースショップだった。服なんかほとんど買った事がないので、中古価格のそれが安いのか高いのかも僕には分からない。

 僕はメンズコーナーのマネキンに着せて飾ってあった黒いジャケットと、インナーのシャツとパンツを買った。服なんて全部同じに見えるので、何を買っていいのか分からないが、それなりにフォーマルな服装といえば、ジャケットだろうと単略的な理由で選んだ。

 金田は僕が好みじゃ無いから絶対着ないと言ったチャラチャラした服を、似合いそうやしこういうのも持っておけと言って、わざわざ自腹で買って押し付けた。

 

 その後、僕達はハンバーガーショップで昼飯を取った。金田は奢るからこの店にしようと小洒落たレストランに行こうとしたが、僕の予算に合わせてもらった。流石に同級生に奢られてばかりでは矜持が傷付いてしまう。 

 金田は学生時代ぶりだと、明るい店内で少し居心地が悪そうにしていた。


 「無事服も買えたし、楽しみやな」

 

 飯を食べながら、金田は同窓会の予想を楽しそうに語った。ライングループの連絡によれば、当日は地元を離れて遠くで就職した奴等や、三年生の時の担任の先生まで来るらしい。大き目のパーティー会場を借りていて、懐かしい思い出をスクリーンで上映するらしい。その後は二次会で地元の美味い居酒屋に行って──。

 楽しそうに語られる予想は、僕を怖じ気付かせるのには十分だった。

 

 「僕は行かんからな」

 

 「まだそんなん言うてんの。案外、行ってみたら楽しいって」

 

 手懐ける様な口調で金田は言う。

 本当に金田の目的が理解出来ない。十五年ぶりに再会した友達が、ただの親切心からここまで尽くすなど、残念ながら僕には信じられない。 

 

 僕には、金田を信じられない理由がある。

 

 「何でそんなに頑張って、僕を連れてこうとすんねん。あれか、罰ゲームか。僕が行ったら誰もおらんくて遠くで見ながら『あいつマジで来ててウケる』とか言うて、皆んなで笑うつもりなんか」

 

 「どんな発想やねん。中学生か」

 

 「……トラウマなっとるんや、中学生ん時似たような事されて」

 

 「……そんなんするヤツ、もうおらんて」

 

 呆れた様な口調で、金田は言った。

 

 十代くらいの女の子達がやって来て、僕らの隣の席に座った。女の子達はスマホを覗き合い、弾ける様に笑い合っている。僕はいつも女の子の笑い声にいちいち竦んでしまう。『キモい』『死ね』って、忘れてしまったクラスの誰かがやって来て、毎回僕を嘲笑する。

 そんな僕の内心にもちろん金田は気付かない。僕はホッとした様な、分かって欲しい様な気持ちになってしまう。

 

 ああ、嫌だ。嫌だ。こんな自分が嫌で仕方がない。

 

 「……金田、ほんま何で今更、僕に構おうとするんや?……お前さ、中学んときは、僕がイジメられてたから、僕の事避けてたやろ」

 

 「……」

 

 金田は僕の言葉に返事を返さなかった。

 ズルい奴だなと僕は笑う。

 

 「ごめん、覚えてるんやわ。つーか、忘れてたけど、今日お前とおったら、思い出してもうた。中学生の時、僕が話しかけても何回も無視したやん、お前」

 

 僕達の間に沈黙が訪れた。自分から気不味くなるきっかけを作った癖に、僕は重い空気にうんざりとした気分になる。

 

 人間関係における、こういう瞬間に本当に辟易させられる。

 

 折角、金田が歩み寄ってくれて、こんな雰囲気にしたくはなかったのに、どうして僕は我慢できずに言ってしまったんだろう。

 別にあの頃、無視された事に対して怒ったり恨んだりはしてなかったのに。黙って忘れた振りをしていようと思っていたはずなのに。

 

 皆んなきっとそうやって、程よく距離を持って、人付き合いしているはずなのに。

 

 僕は何故それが出来ないんだろう。

 

 僕の口はつらつらと恨み言を吐き出す。

 過去の出来事に、もう相手に対する感情は何も伴っていない。それなのに、言葉は責めるような響きを伴って、衝動的に溢れ出してしまう。

 

 「覚えてないかもしれんけど、中学二年の時、学校の廊下歩いてたら、お前とサッカー部の奴等と会ってな。サッカー部に僕の事虐めてたクラスの辻村がおって、僕にお前のカバンをぶつけたんや」

 

 「………」

 

 「ほんで『の菌が付いて腐った』って言うた時、金ちゃん庇ってくれへんかったやん。辻村らと一緒に『キモい』って騒いでる中で、笑ってたやん。『やめろや』言うて一緒になって僕の事、菌みたいな扱いしてたやんか。僕はあの時、金ちゃんにまでそんなん言われたんが、ショックやった」

 

 忘れられない記憶をぶつけたら、金田は悲しそうな表情を浮かべた。

 

 何で、何でお前が。

 

 「──金ちゃんはどうせ、こんなん忘れてるわな。……せやけど、僕はまだ中学生レベルで精神が止まっとるんやわ。もう十五年も前の事になるのに、三十にもなって、ずっとずっとあの頃の事で、しつこく傷付いとる」

 

 もう、止まらない。止まれない。

 

 「お前らが、普通に大学行って彼女作って、会社入って、結婚して、子供作って……真っ当に生活してる間、僕は三十にもなって、ずっと虐められてた中学生の気持ちが卒業できんで、ネチネチネチネチネチネチ……ずっとずっと病んどるねん。そういうキッショい奴なんや……お前には分からんやろ」

 

 しばらくの沈黙。それを破って、金田は重々しく一言だけ呟いた。

 

 「……俺の事、恨んでるか?」

 

 その言葉に僕はもう笑うしかない。

 そうだ、それが出来ない。──いや、本当に?

 

 「恨んどったら、一緒に買いもんなんか出かけんわ。僕は、別に虐めて来た他の奴らの事も恨んでない。恨めた方が楽なんやろけど、出来んのや、多分、昔から」

 

 全てを吐き切って、僕の中には後悔しかない。全くすっきりなんてしない。みっともない、ちゃんと大人になりたい。

 

 「……俺は、忘れてないで。今更、後悔しとる。あの頃、お前がクラスで虐められてたんも分かってた。助けてやらなアカンとちゃんと思ってた。でも、出来んかった。俺は、周りに流されてしもうてたんや」

 

 金田は苦しそうに懺悔し始めた。僕は奇妙な気持ちになる。

 お前みたいな真っ当な奴が、何で僕なんかに許しを乞おうとしてるんだ。

 それは、普通だ。ただ、お前がそっち側で、僕がこっち側だったというだけだ。

 

 「言い訳にしかならんが、俺は兄貴に誘われて、中学でサッカー部入ったけど、もともとチビで体も弱かったから、部活の中で底辺やった。サッカーも下手糞で、チームからいらん奴やと思われとった。あの頃の俺は、劣等感の塊やった」

 

 金田は俯いたまま言葉を紡いだ。

 

 「小学校の頃、一人やった俺をお前が仲間に引き入れてくれたやんか。せやから、お前の事庇ったらんなアカンと頭では思ってた。でも、お前の仲間や見なされたら、自分もハミゴにされるかも思うと、よう出来んかった。俺は弱かったんや。俺は間違ってた。ほんまにスマンかった」

 

 苦しそうな金田の告白に、僕は居心地が悪くなってくる。

 

 「……僕は中学生の頃、周りのみんなガキで頭悪いから、だから虐めなんか楽しむカスなんやと、そう思ってた。それは、自分の精神状態保つための、自己防衛の面もあったけど。でも、今から思ったら、周りから浮いてて変な奇行してるキショい奴のくせに、人の事見下してるんが漏れ出てたら、そりゃ虐められるわ。せやから、お前の方が正当やったんやと思う。お前は普通や。僕が傷付いてる事に、金ちゃんは何も罪悪感持つ事ないんやわ」

 

 今更謝られて、落ち着かない気持ちが我慢が出来ずに、僕はそんな事を言った。

 

 自分から責める様に過去を持ち出した癖に、今更取繕おうなんて、何て都合が良いんだろうか。縋りつこうとするその様が、みっともなくて嫌になる。

 

 しかし、金田は僕の言葉を首を振って否定した。

 

 「周りと違うからって、虐めるんは間違っとる。俺は小学校の初めの頃、先生の言うてる事とか何も分からんで、それで虐められてた。せやから、そんなんは間違っとると、ちゃんと分かってたのに。それやのに、お前を助けられへんかった」

 

 「……そうやったわ。金ちゃん、授業中も先生の話し聞かんと、全然違う事しようとするから、僕がいつも引っ張って行ってた」

 

 懐かしい話だった。やっと笑う事が出来た。本当は今日はこんな話ばかりしたかった。


 笑う事は出来たが、自分の顔が不自然に引き攣って居るのを感じた。笑い方が正しいか分からない。この間、金田と話した時は自然に笑えていた気がしたのに。

 

 「カモやんも結構勘違いしとったけどな」

 

 「せや、僕も大概なガキやったわ。掃除も片付けも出来んで、机の中は大量のプリントと、残した給食のパンがカビて入ってて、身なりも汚い格好してて、髪の毛は絡まってグチャグチャやったし、宿題も出さへんかったし、忘れ物ばっかりして、遅刻も多かった」

 

 「でもカモやん、オモロかったから、クラスで人気やったやんか」

 

 「低学年の時までやけどな。高学年なった頃から、段々女子からはキショがられるようなってたし。香織ちゃんなんか、六年の時の遠足で僕と同じ班なったんが嫌やって、先生に泣きながら直談判までしてたもん。まあ、しゃーないわ。ほんまにキショかったからな。女の子は大人になるの早いから、あいつなんかおかしいって気付くの早いんやろな」

 

 金田は苦笑を深めた。その表情は自嘲だと僕は良く知っていた。

 

 「……俺な、小学校の頃は俺の事引っ張ってたお前が、中学生なって皆んなから見下されるの見て、正直気分良かったんや。心のどっかで、ざまあみろって思うてしもうてた」

 

 「……そんなん、しゃーないやろ。小学校の頃、僕、金ちゃん相手にめっちゃイキっとったもん。偉そうに酷いこと言うてた」

 

 「──いや、違う。俺は、また都合ええ様に言うてもうてるわ……ほんまの俺は、心のどっかで微かに罪悪感を感じてただけで、周りに流されて、カモやんの事馬鹿にして楽しんでた。イジメられてるお前見て、楽しく感じてもうてた」

 

 僕の耳は突然、店の喧騒に捉えられた。煩くて、金田の悔悛にちゃんと向き合えない。華々しい店の内装が今更に眩しい。色や光や音が気になって、気が散ってしまう。

  

 「しかも、そんな酷い事したことも、すっかり忘れてた。……あんな、ウチの子供、上の息子が高機能自閉症やねん。今年、一年生なったとこなんやけど、周りの子と上手いことやらへんで、イジメられたりしてるんや」 

 

 子供が居るのか、と僕はその発言に今更驚いた。結婚しているなら勿論その可能性は高いのに、僕は何故か金田が既に人の親である事に思い至らなかったのだ。

 それを意識したら、金田の声はますます遠のいた。

 

 「障害のせいでな、頑固で融通もきかんし。それで、本人が一番苦しんでるんは分かってるねんけど、たまに……あんまり、ワガママと癇癪がキツイと、俺も我慢できんで怒ってまうことあるんや。嫁も育児ノイローゼで参ってもうてて……ウチの家、大変なんやわ」

 

 「そうなんか……」

 

 何と返すべきか分からない。分らないままに僕は適当な相槌を返した。

 

 「それでも、イジメられてる息子見てても、お前の事、全然よう思い出さんかった。この前再会した後に、お前が発達障害と鬱で障害手帳持ってるって、それで仕事出来んくて大変やって、後から中川さんに聞いてな。そしたらウチの子と中学の頃のお前が被って、俺はあの頃、なんて酷い事してしもうてたんやって、やっと思い出せたんや……」

 

 そこまで一気に喋って、金田は肩の力を抜くように溜息を吐いた。そして僕の目を真剣に見つめた。そんな視線は、僕にはあまりにも痛かった。

 

 「謝りたいんや、鴨居。許してくれとは言わん……けど、俺はお前に酷い事してもうた。本当に申し訳ないと思っとる」


 真摯な謝罪のはずなのに、僕は脅された様な気持ちになった。

 

 ──僕なんかに、そんな風に謝られる価値なんて無いよ。

 

 「……分からへん。許して欲しい訳やなくて、謝りたいってどういう事なん。僕はそれを言われて、何をどうしたらええんや」

 

 「………そうやな、これは俺の自己満足や、ほんまにスマン。でも、俺は出来ればあの頃の間違った自分をやり直したいんや、……と思う……お前を同窓会に誘ったのは……その為や。お前に再会してから、自責の念に駆られて、ちょうどそん時に同窓会の誘いが来て……それでお前を連れて行こうと、思い付いた」

 

 「はあ?何やそれ、意味分からん……僕を連れてって、それでどうなるん?」

 

 本当に理解出来ない方向に金田の話が急転して、僕は困惑する。

 

 「今度は……皆んなの前でも……お前と仲良く振る舞えたら、俺は……──」

 

 「……気が済むんか、お前の罪悪感は、それで帳消しになるんか?」

 

 金田は苦しそうな表情をして黙り込んだ。

 

 ──何だ、それは。何で。何で、お前が苦しそうにしてるんだ?

 

 「お前の考えてる事、僕には分からんわ」

 

 気持ち悪い、という言葉を僕は飲み込んだ。

 その言葉を人に向けて言ってしまうと、僕は取り返しが付かない場所に行ってしまうから。

 

 そんな風にはなりたくない。

 

 僕は、優しくありたい。許す人間でありたい。

 

 「……分かったわ。理解は出来んけど、金ちゃんがそれで気済むんやったら。行くわ、同窓会」

 

 「……ほんまか」

 

 「その代わり、僕が行った事で、何か言われたり、変な空気になったら庇ってくれや」

 

 「もちろんや!」

 

 頼もしく、金田は笑った。その笑顔には明らかな安堵が浮かんでいる。

 

 良かった。金田が安心するなら、それで良い。

 

 「さもないと、その場で自殺したるからな」

 

 僕は、僕が賭けられる唯一のものを人質にした。

 

 かなり本気の発言だったのに、金田は僕の言葉を冗談だと受け取って笑ったのだった。

 

 

 家に帰ってから、買った服を試着してみろと言われていたが、僕は何となく気が重くて出来なかった。服は買い物の袋に入れたまま、放置されている。


 お風呂に入った後、髪をバスタオルで乾かしながら、僕は今日の金田とのやり取りを思い返していた。そう言えば、結局デリヘルについては聞かれなかったな、と僕は思った。


 不思議と、出かける前にあれほど恐れていた後悔や自己嫌悪はやって来な無かった。

 思いがけず、金田の懺悔を聞かされて、僕が許す側になったからかもしれない。


 人に何かを与える立場になれば、人間関係において、いつも僕をさいなめる罪悪感も生まれない事を知った。


 その日の夜は、激しい雨が夕方からずっと止まなかった。

 

 深夜前に家の固定電話が鳴った、弁護士を名乗る人からの連絡だった。

 叔父さんが職場の人を殴って傷害罪で逮捕されそうな状態である、もし被害者の人に対して示談金を支払う意思があるなら逮捕にならないと、その人は言った。

 叔父さんの身内はお婆ちゃんだけなので、こちらにかけてきたと言う。その後、その弁護士から叔父に電話が取り繋がれた。


 叔父さんは興奮状態で訳の分からない言葉を喚いていて、話をするのが難しかった。


 何とか言いたい事を聞き出すと、どうやら、例の金庫の金を使って示談金を払ってくれと言っているみたいだった。


 金庫の場所が分からないから待ってほしいと、僕は嘘を付いてそれを先送りにした。叔父さんは何やらギャーギャー喚いていたが、僕は電話を切った。


 あのお金の権利はまだお婆ちゃんにある。お婆ちゃんは意識がないのだから勝手に使う訳にいかない。

 もし、お婆ちゃんに認識能力があったら、例え僕の分の遺産が無くなっても、そのお金を使うだろうという事は、とりあえず考えない。


 もう自分を守ってくれる両親はおらんのやって、あの男もそろそろ理解しないとあかんのや。


 多分、人様に迷惑かけたんやったら、相応の報いとして社会的制裁を受けるべきなんや。


 多分、周りに悪影響を与える奴は、そうやって裁かれなあかんのやろ。


 ──多分、それが正しい。

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羅刹に道化 三宮優美 @sunmiya777

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