碧い瞳の王子様

幕画ふぃん

ボクの名前

 まだ暗い部屋の中、ボクは目が覚めた。

 鼻先にひんやりした空気を感じて、ボクは少し体を震わせる。


 少し前までは同じ時間に起きても明るかったのに、最近はそうじゃないみたい。

 最初は「早く起きてしまったかな?」って思ったけど、ボクの体内時計は正確。いつもだいたい決まった時間に目が覚めるからね。



 さて――この時間になってまずする事は、背伸び。

 ずっと丸まったまま寝てたから体が固くなってるんだ。それに、急に動くと怪我をしちゃうしね。

 そしてボクは足先からおしりの先までグっと力を込めて、背伸びした。


 少しして、足音が聞こえた。この音、アイツに違いない。

 あぁそっか、今日はあの日だね。じゃあそろそろ起きてくる頃だ。

 お腹の空いたボクは、いつものように声をあげる。


 ボクの声が聞こえたのか、アイツはボサボサの毛を揺らしながらボクに近づいてきた。

 この時間、アイツはいつも凄く眠そうだ。あまり寝てないのかな? ボクみたいに、明るい時間にあったかい場所でゆっくり休んでないのかも。

 なんて思っていたら、アイツはボクの頭や口の周りを優しく触りはじめた。


 そう、アイツはボクに会うといつもこうやってしてくるんだ。

 あまり体を触られるのは好きじゃないんだけど、顔の周りだけは凄く気持ちよくて目を細めてしまう。


 そのまま身を任せていると、ボクはある事を思い出した。


 いけない、お腹が空いてたんだった。


 のんきにこんな事をしてる場合じゃない。ボクはしっかり朝ごはんを食べないと気が済まないんだ。

 ボクはプイっとアイツの手から逃げて、近くにある触り心地のいい柱で爪を研ぐ。そしてアイツの前でそわそわし始める。こうしていると、アイツはボクにご飯をくれるんだ。


「はいはい、ちょっと待って」


 漂ってくるいい匂いに興奮が止まらない。あぁ、早く食べたい!

 急かすようにボクはアイツの手を触る。アイツは笑って嫌がってるけど、ボクは本気だ。とにかく早くご飯が食べたいんだ。


「はい、どうぞ」


 アイツが何か言うと、ご飯が出てきた。

 ボクは急いで口に入れる。でも一気に食べられないから、少しずつ。そうだ、後でゆっくり食べる為に少し残しておこう。

 ボクはご飯を半分くらい食べた後、柔らかいクッションがあるソファに寝転がった。

 少し前までは暑くて気持ちのいい場所じゃなかったけど、最近はここがお気に入り。もふもふで、寝転がってたらすぐ眠たくなっちゃうんだ。


 あぁ、だめだ……眠い。うぅん……少し……寝よう――――。



「――じゃあ、いってきます」


 アイツがボクを触りながら何かを言った。

 せっかく気持ちよく寝てたのに、そのせいで目が覚めちゃった。


 あぁそっか。アイツ、この時間になったらいつも急いでどこかに行くんだ。どこで何をしてるかは知らないけど、一度どこかに行ったらしばらく帰ってこない。

 だから、ここからはボクだけの時間。少し退屈だけど、誰にも邪魔されないでゆっくり寝られる。ボクはこの時間が、最高にのんびりできるんだ。


 そうして目を閉じていると、ぼんやりと昔の事を思い出す。



 ――まだ小さかった頃、ボクには兄弟がいたんだ。いっぱい遊んで、いっぱい寝て、みんなでお母さんのところで丸くなるんだ。そんな毎日が凄く楽しかったんだ。


 でも突然――アイツがやって来た。

 そしてアイツは、ボクを選んだ。暗い箱に入れられて、お母さんや兄弟とはそれっきり離れ離れ。遠くなっていくボクを見つめるみんなの顔、ボクはまだ覚えてる。


 寂しいな。怖いな。ボクはどうされるのかな。

 そんな事ばっかり考えていたら、気づくとボクは見た事のない場所にいた。知らない匂い、知らない光景。ボクは怖くなって動けなかった。


「ラピス! 出ておいで!」


 アイツが何かを言ってる。

 ボクを呼んでるのかな。でも怖い。お母さんもいないし兄弟もいない。ボクは知らない場所で、ひとりぼっちなんだ。


 それから少しして――――アイツはご飯をくれた。

 ひょっとすると、悪いやつじゃないのかも。お腹も空いたし、ボクは少しずつご飯に手を出した。

 ボクがご飯を食べ始めると、アイツは凄く喜んでるように見えた。変なやつ。


 ――それが、ボクがここに来て初めての思い出。


 あれからどれくらい経ったかな。

 今ではここは、すっかりボクの家だ。どこに行っても自由だし、どこでも寝られる。それに、あちこちにボクが寝るためのクッションが置いてあるからね。知らないうちに、アイツがどんどん新しいのを持ってくるんだ。変なやつ。

 でも美味しいご飯をくれるし、ボクの体のお手入れもしてくれる。たまに一緒に寝てくれて、トイレも綺麗にしてくれる。

 だからアイツは悪いやつじゃない。ボクのお世話をしてくれる、いいやつだ。



 ――ガチャ。



 アイツの音だ。ボクは目を覚ます。

 でもおかしいな。今日はいつもより遅い。いつもならもう少し早いんだけどな。


「ただいまぁ…………」


 アイツが何かを言って、ボクのお気に入りのソファに倒れ込んだ。

 どうしたんだろう。眠いのかな。ボクは声をあげて近寄った。


「あぁ……ただいま、ラピス。遅くなってゴメンね……」


 いつものようにボクの顔と体を触りながら、アイツは目を細める。ボクを見ると、アイツはいつもこの顔をするんだ。でも今日は、いつもより元気がない気がする。

 少し不思議に思ったけど、顔を触られるのが嬉しくてボクはまた声をあげる。


「ふふっ。今日はいっぱい鳴くね、ラピス。心配してくれてるの? ありがと」


 アイツはまた目を細くした。ボクに会えて嬉しいのかな。


「ラピスぅ……今日、仕事が凄く忙しかったんだぁ……。しかも部下は会社の愚痴ばっかり言ってくるし、上司うえは理想論の押し付けばっかりだし! ほんと、私の立場も考えてよぉ~……」


 アイツはまた何か言ってる。この顔の時は機嫌がよくない時だ。でも近くで黙ってると、スッキリしたみたいな顔になる。変なやつ。


「絶っっっっ対いつか辞めてやる!!! ふぅ……なんかスッキリした! いつも愚痴聞いてくれてありがとね、ラピス」


 いつもみたいにスッキリしたみたい。アイツはボクの体をぎゅっとしてくる。あったかくて柔らかくて、ボクもそこまで嫌だとは思わない。

 すると、アイツはボクの目をじっと見てまた何かを言い始めた。


「でも――ラピスってほんと目が綺麗。青くて、宝石みたいで。ラグドールってみんな目が青いみたいだけど、ラピスの目が一番綺麗でしょ! ふふんっ」


 なんだ? そんなに見つめてきて……やるのか? ボクは強いんだぞ?

 喧嘩するのかと思ってボクも見つめ返す。でもアイツはまた、ボクをギュッと抱きしめた。


「あぁ~!! ラピス可愛いっ! 大好き!」


 うっ。アイツはいつもこんな風にベタベタしてくる。ちょっとくらいなら許してあげようかな。それにアイツも喜んでるみたいだし。

 でも、さすがにムズムズしてきた。

 ボクはアイツの手からスッと離れて、近くにあるボク専用のベッドに向かう。


「あぁっ! ラピスぅぅ~……」


 名残惜しそうにアイツが手を伸ばしてくる。ボクはプイッとして、ベッドに座った。そこからアイツの様子をうかがう。


「ん? どうしたの? ラピス?」


 アイツが変な顔で何かを言ってる。

 でも最近、ボクにはわかった事がある。


 ラピス――っていうのが、ボクの名前らしい。

 アイツの言葉は全然わからないけど、いつもボクの名前を呼んでるって事はわかってきた。

 ボクと一緒にいたいのかな。いや、もしかしたらアイツは寂しいのかもしれない。ボクみたいに、お母さんや兄弟と離れ離れになったのかも。

 かわいそうに――そう思って小さく声をあげた。


「ふふっ。大好きだよ、ラピス」


 まったく、しょうがないな。もうちょっとだけ、寂しがりなアイツのそばにいてあげようか。だからこれからもずっと、ボクのお世話をするんだよ?


 ボクはしっぽをピンと立てながら、アイツに近寄った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

碧い瞳の王子様 幕画ふぃん @makuga-fin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ