絶対領域がみせる宇宙

宇波瀬人

絶対領域がみせる宇宙

 身を切るような寒さだった。


 ほっと小さな溜息を吐くだけで吐息が白く濁り、冬の夜空に溶けていく。イヤーマフで覆った耳や手袋をした手もすっかりかじかみ、身体全体が震え上がるほどだった。


「……もう帰ろっかな」


 キラキラと冬空に輝く一等星を眺めてつぶやくが、私はすぐさまかぶりを振る。


 どうせ家に帰ってもだれも構ってはくれない。産まれたばかりの妹につきっきりで、お父さんもお母さんも私の話なんて聞いてくれないんだ。


 家にいたって退屈だ。なら、寒さに耐えながらも綺麗な星を眺められる公園のほうがずっとマシだ。


 そう割り切った私は、なんとなく周囲の様子を窺う。


 午後6時を回った公園に、私以外の子どもはいない。そもそも、5時には帰宅を促すチャイムが鳴るのだから当然といえば当然ではあるが、それ以前に、私たちのような小学生が外で遊ぶことは減ったような気がする。


 男の子はスマホのゲームや据え置きゲームで遊び、女の子は誰かの家で〇〇のユーチューバーがカッコイイだとかクラスの男子で誰が好きだとかを話して盛り上がることがほとんどだ。


 つまらない。


 別に、ゲームもユーチューバーも、恋にだって興味はない。私はもっと、本のことや星のこと、宇宙のことを話し合えるような人がほしい。


「……みんな、ほんとうに下らない」


 白い吐息とともに吐き捨てて、私は天を仰ぐ。夜はすっかり暗闇に満ちているが、本来見えるはずの星々の光は見えない。地上の灯りが星の光をかき消してしまっているのが原因だが、そんなことを気にすることもなく、燦然と煌めく一等星が私は大好きだった。


 私も、あんな風になれたら。


 視界のなかで輝き続ける一等星を眺めながら想いを馳せていると、キキィという耳障りな音が響いた。


 それは自転車のブレーキの音であり、私は公園の入口に自転車を停める人影を認める。


「……あっ」


 寂れた公園に訪れたのは、女子高生だった。


 胸元まで伸びる金髪を揺らし、女子高生はスマホに目を落としながらこちらにやってくる。そして、私には一瞥たりともくれないまま隣のベンチにどかりと座り、足を組む。


 や、ヤンキーだ。


 およそ女性とは思えないほどの品のない横柄な態度に加えて、染められた金色の髪、耳たぶでキラキラと煌めくピアスに、私は戦慄する。


 すぐにでも帰ろうかと立ち上がりかけたが、来た早々に立ち去ろうとすると、かえって目をつけられかねないという不安がよぎる。


 少し経ってから、何気なくここを出よう。


 結局、結論はそこに落ち着き、私は出来るだけ平静を装うとする。しかし、意識すればするだけ、気になってしまうのは人間の性なのだろうか。


 頭上の夜空に向かっていはずの私の視線は、気づけばヤンキー女子高生のほうへと吸い寄せられていた。


 ……にしても、本当にすごい格好だなぁ。


 金髪とピアスのほかに、当然のように短くされたスカートに、私は呆れる。


 さすがに今の時期は寒いからか、ブレザーや中のワイシャツが気崩されていない。首元にはしっかりマフラーもしているし、手袋だってしているのだから、きっと女子高生も寒いと感じているはずだ。


 ならなんで、スカートは短いのだろう。


 本来なら膝下まであるはずの丈は白い太ももが晒されるほどに短く上げられている。女子高生が足を組みかえる際に下着が見えてしまうんじゃないかとこっちがヒヤヒヤしてしまうほどだ。


 しっかりと寒いと思っているはずなのに、どうしてスカートは短いままなんだろう。


 上半身と下半身で、季節感がチグハグな女子高生の格好に疑問を抱いているときだった。


「……あの、なに?」


 低く沈んだ、女子高生の怪訝そうな声によって、私は我に返った。


「い、いえ! な、なにも……」


 バレないように注意していたのに、無意識の内に見入ってしまったようだ。慌てて取り繕うとするが、女子高生の懐疑の眼差しは注がれたままだ。


 このまま嘘をいっても、きっと絡まれてしまう。ならいっそ、正直に言って謝ったほうが許してもらえるんじゃないんだろうか。


 寒さとは違う感覚に身を震わせながら、私はおずおずと口を開く。


「……あの、どうして……。どうして、そんなにスカートの丈、短くしているんですか?」


「は?」


「あ、あの! ごめんなさい! ただその、上はあったかそうなのにスカート短いと寒いんじゃないかって……」


「あぁ、そういうこと」


 頭を下げてまくし立てる私に、女子高生は拍子抜けしたように嘆息して、頬杖をつく。


「べつに。たいした理由はないよ。ただ、長いままだとダサいっしょ」


「だ、ダサいって……それだけです、か? 寒くはなぃですか?」


「寒いに決まってるでしょ、とーぜん。ただ、それを我慢してでも守りたいものができるもんなのよ、女ってのは」


「ま、守りたい……。でも、スカートが短いと下着が見えそうになって機能性が下がるんじゃ……」


「だから、そういうことじゃなくて……って、まぁ、あんたみたいな子どもには分からんか」


「子ども、ですか?」


 それは、聞き捨てならない言葉だった。


 少なくとも、私は年齢の割には大人びている自負がある。ゲームやユーチューバー、恋なんかにうつつを抜かす連中よりもずっと賢いはずだし、大切なものを見つけられる審美眼だってあるはずだ。


 たとえ相手がヤンキーであろうと、そこだけは譲れずに、私は言い返す。


「私は、子どもじゃありません。戸籍上の年齢では当然ただの12歳ですけど、でも、頭はいいです」


「ふぅん?」


「天体のことだって知っていますし、本だってよく読むから漢字だって中学レベルのものも解けます。算数は……ちょっと苦手ですけど、それでもできないまま投げ出したりなんてしません。テストまでに復習して、いつもクラスで一番の成績を収めてます」


「へぇ、すごいじゃん。たしかに、話し方とか聞いてると賢いんだろうなとは思うし。ただ、頭は良いことと大人ってのはイコールじゃないよ」


「では、なにが大人だっていうんですか?」


「他人に優しくなれるひと」


「へ?」


「あくまであたしの考えだけどね。自分を貫くことは大事とかよく嘯くやつがいるけど、あんなのただの駄々こねるガキだって。現実はそんなもんだって弁えて他人に優しくなれる人が大人だよ」


 自分を貫くやつは、ガキ。


 周囲の子をバカにして、自分だけは優秀だと思っている私には、その言葉は酷く響いた。


「……ま、あたしも大人ではないんだけどね」


「……へ? あ、あの」


「さてっと、あたしはもう行かなくちゃ。これから塾でさ、暇つぶしになってくれてありがと」


「い、いえ……」


「ねぇ、小学生。あんた、よくここにいるの?」


「は、はい。冬は空気が澄んでいて、よく星が見えますから」


「そっ。なら、また話し相手になってよ。学校終わってから塾までの間、暇だしさ」


「え、えっと……その間も勉強すればいいんじゃ……」


「ははっ、あんたビビってるくせしてズバズバ言うよね。そこがマジでいいよね」


 なにがいいのか、私にはまったく分かりもしないが、女子高生は満足そうに頷いて、自身の金髪をつまむ。


「見ての通り、あたしは不良だからさ。勉強、嫌いなの」


「じゃ、じゃあどうして塾なんかに――」


「やっば、マジで遅れる。じゃね、また」


 早口にそう言って、女子高生は急いで自転車へと跨って去っていく。


 再び、ポツンと公園に残された私。なんとなく空を見上げてみると、嵐が去ったような澄んだ夜空に光る、一等星が輝いていた。


「どうせ、来ないんだろうな」


 あれは女子高生がついたその場しのぎの適当な嘘……そう思っていた私だったが、その後も女子高生は姿をあらわした。


 私以外にだれもいない真っ暗な公園に、派手な金髪とピアスを光らせてやってくる女子高生のスカートの丈は相変わらずで、その姿を見る度に私の心は踊った。


 話題はその日によってマチマチで、私の愚痴を聞いてもらう日もあれば、反対に女子高生の愚痴を聞く日もあって。


 勉強嫌いなはずのヤンキー女子高生が塾を通う理由を知ったのは、出会って一週間が経った頃だった。


「あたし、塾の先生が好きなんだよね」


「え、先生……ですか? 同じ塾に通う同級生とかではなく?」


「うん、違う。20個くらい上の先生。しかも所帯持ち」


「え、えぇ……。それはあの……叶えるのは難しんじゃ」


「だね、まず無理。だいたい、向こうの眼中にはないっていうか、いっつもいっつも子ども扱いしてくるだけなんだよね」


「そう、なんですか」


「あんたも嫌いでしょ? 子ども扱いしてくるやつ。それも好きな人にやられるとケッコーキツいんだよね。でも、それでも話しかけてくれるだけで嬉しいし、自分のように喜んでくれるし、良い人なんだけどさ」


「本当に好き、なんですね。その人のこと」


「うん。こんなクソ寒いなか、あの人に会うためにスカートを短くするくらいには」


 にひひと、女子高生が白い歯をみせて無邪気に笑う。


 それはまるで一等星の輝きのように綺麗で、私の心臓がどきりと跳ねる。


 きっと、恋が実ったら女子高生はもっと笑うようになるだろう。けれど、もし叶わなかったら……。


 私は、女子高生の輝きが失われることだけは、避けたかった。


「あ、あの! 私、応援してます! ちょっと無謀かもしれないけど、お姉さんはキレイですし、見た目は怖いけど話すととても優しいし。可能性はゼロじゃないですよ!」


「ぷっ、なにそれ。大体、あたしがしようとしてるのは応援されるような恋じゃないし。それでもいいの?」


「なんというか、お姉さんには元気でいてほしいというか。キラキラしててほしいんです。笑っていて、ほしいんです」


「へぇ、可愛いこといってくれんじゃん。……そっか。誰にも相談とかできなかったから、マジで嬉しいよ。元気出た」


「ほ、ほんとうですか? 私が、元気を……」


「うん。サンキュ。あたし、勇気出してみるよ」


 女子高生がおもむろに腕を上げて、私のほうへと伸ばしてくる。派手なネイルが施された手は私の髪を梳き、頭を撫でる。


 私が、力になれた。一等星の輝きを、支えることができたんだ。


 そのことがどうしようもなく嬉しくて、はしゃぐ私だったが、それが幼いゆえの勘違いであることを後日思い知ることになる。


「……おねえ、さん?」


 翌日訪れた公園には、女子高生が先にいた。


 しかし、いつもとは違って、その日の女子高生に笑顔はなかった。


「くずっ、……ひっ」


 肩を震わせて、嗚咽をこぼす女子高生。俯く顔からは涙がこぼれ落ちて、砂利にシミを作る。


 なにがあったのかを察することは、小学生の私でも容易だった。


「お姉さん……あの」


「ん、……あぁ、あんたか。ごめんごめん、ダサいとこ見られちゃったね」


 恐る恐る声をかけると、女子高生はすぐに笑みを浮かべて目元を拭う。


 けれど、いつもとは違う。キラキラとしていて、私が憧れる笑顔ではなく、そこには曇りがかっていて。私は一等星の輝きを取り戻したい一心で、女子高生に詰め寄る。


「フられてしまったんですか?」


「ん? 違う違う。なんていうか……そこの石に躓いて転んだっていうか」


「嘘はつかないでください」


「嘘じゃないって! マジマジ。マジだって」


「……なら」


 あくまでシラを切る女子高生に憤った私は、指で指し示す。


「ならどうして、スカートが長いんですか!」


 私の指先には、女子高生のスカートであり、真冬にもかかわらず膝の上まで上げられていた丈は膝下まで伸び、晒されていた白い足は黒いタイツで覆われていた。


「どうしてって……」


 女子高生は困ったようにへらっと笑って、


「寒いから?」


 あまりにも適当な嘘を口にする。


「……やっぱり、嘘じゃないですか」


「……」


「私が、余計なことを言ったからですか? お姉さんを応援するなんて、焦らすようなことを言ったから……」


「ち、違うって! それだけはマジで違う! あんたのせいじゃないよ」


「ほんとう……ですか?」


「うん。どの道、こうなってたんだよ。遅かれ早かれね。向こうには奥さんも子どもいるうえに、あたしは未成年の女子高生。付き合えるわけないんだよ」


 そう分かっていても、言わずにはいられなかった。


 キラキラとした一等星が光る夜空を見上げて、女子高生は溜息を吐く。


「どうしても、言いたかった。好きですって。付き合ってほしかった。……でもそれは、あたしのワガママで。やっぱあたしもガキなんだよ」


 他人の心を汲める人が大人だという、いつかに女子高生が口にしていた言葉が脳裏をよぎる。


「……分かっている結末を、分かっていた通りに迎えた。なのに、すごく悲しくて……苦しくて。いままでなんにも気にしなかったスカートも、急に寒くなる感じがしてさ。ほんと、謎だよね、人ってさ。宇宙の秘密よりも謎」


「……お姉さん」


「……でも、後悔はしてないよ。秘密にしておいたままじゃ、きっと後悔してた。それもこれも、あんたのおかけだよ。ありがとね」


 女子高生の手が伸びて、私の頭を撫でる。さらさらと髪を梳かれる感覚に私が身を委ねていると、ぐずっと鼻をすする音が聞こえた。


 驚いて顔をあげると、再び女子高生が涙を流していて。 私の頭に乗っていた手が離れ、女子高生は涙を拭う。


 しかし、涙は枯れない。どころか、勢いは増すばかりで、嗚咽や鼻をすする音が夜の公園に響く。


「お姉さん……」


 いやだ。泣いてほしくない。お姉さんには、笑っていてほしい。


 私が好きな一番星には、輝いていてほしい。


 そんな想いに駆られた私は、自分が履くロングスカートに手をかける。そして、くるくるとスカートを無理矢理に折っていき。丈をあげる。

 ついで、足を覆ってたタイツをおろし、太ももを露出させる。


「な、にしてんの? あんた……」


 呆気に取られたようにカラーコンタクトの入った目を丸くする女子高生に、私はえへへと笑ってみせる。


「好きな人のためなら、スカートを短くするんですよね? それに、タイツをおろして太ももをみせることを絶対領域っていうんですよね?私、勉強しました」


「は? えーっと」


「私、姉さんが好きです。塾の先生がお姉さんに振り向かなくても、お姉さんを好きな人間はここにいます。だから、元気を出してください!」


 一匹狼を気取って周囲を見下していた私にとって、他人のためになにかをしようとしたことははじめてだった。


 加えて、人に好きだと告げることも当然なく、私の決死の告白に対し、女子高生は――


「ぶっ」


 笑った。


「ぶっあはははは!」


 しかも、大爆笑である。


「なんで笑うんですか! 私は本気で……」


「本気であるからこそ、笑うんだって。なるほどねぇ、やっぱあんた面白いね。スカートを短くするっていうのは、そういうことじゃないっての」


「ち、違うんですか?」


「違うって! てか、ちょっと見えちゃったけど、いまどきキャラもののパンツ穿くやつっているの? いや、いないね。小学生でもいないって!」


「なっ……!」


 思わぬところを指摘されて絶句する私に、女子高生が腹を抱えて笑う。あまりにも笑うものだから、元気づけようとしたことを後悔して、スカートを戻そうとしたときだった。


「でもさ、ほんとに元気でたよ。ありがと」


 女子高生の暖かい手が、私の頬に添えられる。


「も、もういいですよ。無理しなくて」


「そうへそ曲げないでって。悪かったからさ。……あたし、ダメだね。年下の子にこんな心配させてさ。それこそダッサイっての」


「お姉さん……」


「いい加減、吹っ切らなくちゃ。こんなダサいままじゃ、いられないし」


 そう言って、女子高生がベンチから立つ。校則通りの長い丈のスカートを巻いて、タイツを脱ぐ。


「ね?」


 いつも通りの格好になった女子高生には、いつも通りの笑顔が浮かんでいて。私の中から歓喜が湧き上がろうとした瞬間に、一陣の強い風が私たちの足元を吹き抜けていく。


「「さっむ!」」


 直後、揃って悲鳴をあげて、縮こまる私と女子高生。顔を見合せた私たちは、なんだか可笑しくなってゲラゲラと笑う。


 はじめてした真冬のなかでのミニスカートは確かに寒むかったけれど、それでもなぜだか、体の芯はとても暖かった。


「……ぷっ」


 そこまでの出来事を回想して、私はたまらず噴き出してしまう。


 あれは今から十年ほど前のことだろうか。さすがに記憶が曖昧になってきたところもあるが、この季節になると思い出してしまうのは相変わらずだ。


 真冬の時期には。


「元気してるかな、お姉さん」


 眼前に置かれた姿見に映る、高校の制服を纏った自分を目に、呟く。


 あれから十年経ったいま、小学生だった私は高校生になった。


 ということは、当時高校生だったあの人はもう社会人になっている……はずだ。あのまま不良をしていなければ、だけど。


 あの人が高校を卒業し、当時の私はスマホを持っていなかったためにもう会うことはなくなってしまったけれど、それでも元気でやっているだろうという予感はあった。


「お姉ちゃん、はやくしてよ!」


 と、過去の余韻に浸っている私だったが、苛立ちを含んだ叱責によって我に返る。


 みると、不満そうに頬を膨らました妹がいて、私ははいはいと適当に相槌を打つ。


「お姉ちゃん、準備長すぎるよ! だいたい、冬なのになんでスカート短くするの? 変態なの?」


「うっさい。ガキのあんたにはまだ分からないわよ。この秘密を、知るにはね」


「はっ? なにそれ」


「ほれ、遅れるよ」


「あっ、待ってよ!」


 怪訝そうに眉をひそめる妹を置いて、私は部屋を出る。


 行ってきますと告げて、私は短いスカートの裾を揺らして、家を飛び出した。



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