第24話「早すぎる帰郷」

「あ、戻ってきたね」


 ウィレムとジョリオが今度はジーナも連れて戻ってきた。ジョリオは未だに警戒を解ききれていないようで、剣の柄に手をやったままウィレムから目を離さない。


「…よし、少年。『契約』の時間だ」


 ウィレムはカリスタとアリムに呼びかけて小屋から出て行かせた。少年の住処にとどまっているのは、ウィレムの後頭部に剣を近づけているジョリオとそれを睨みつけているジーナを除けば、その子とウィレムだけだ。


「契約…?」

「なァに、大したもんじゃねェさ。いくつか俺が質問をして、それに答えてもらうだけだ。…よし、始めるぞ」


そういい終えると、ウィレムはすぅっ…と息を吸い込み、重い口を開いた。


「少年よ。汝はこの世界を脱することを望むか?」

「…望みます」


「しからば我は汝を新たなる地へ導く者として、そして我らが同胞となるべき汝のため、問わねばならぬ」


「…まず、新たなる地へ移り住むには、この世界に別れを告げなければならぬ。住んでいた場所、血縁者や友…すべてだ。…汝、現世との因果を断ち切り、その身一つで新たに生きていく覚悟はあるか?」


「…ある。どうせ親もいなければ友達もいないし」


「…次に、我らすべて魔界帝国の民は我らが君主、魔王に全てを捧げなければならない。…そして全ての民は魔王の名のもとに平等であり、そこに人間界の人種、種族、信仰あるいは思想による優劣の観念の介在する余地は無い。…汝、これを受け入れるか?」

 

「…?」


 先程までは特に詰まることもなかった契約の作業だったが、ここに来て突然少年は口ごもった。


「…何だ? まさか肌の色やモノの考えの違うやつと同じように扱われたくないと? …それなら魔界には…」

「…何言ってるかわからなかった…」


「あっ」


 厳格な雰囲気を演じていたウィレムだったが、その言葉でふっと我に返った。よくよく考えてみればこの名もなき少年は見たところでは六歳だ。これでは難しい言葉がわからないのも無理はない。


ブフッ!!


「…どのあたりからわからなかった?」


…まったく、気取って妙なことをするもんじゃねェな。…ウィレムはそう頭の中で呟きながら後ろで吹き出したジーナを面倒くさそうに一瞥すると、ウィレムは少年のほうに向き直った。


「じんしゅとかなんとかって言ってるあたりから…」

「ヒィヒィ…」

「ジーナァ、三度目はねェぞ? …悪い悪い。じゃあ一から説明し直してやる」


 …そうして可能な限り噛み砕いて説明したことで、少年はようやくウィレムの言いたいことを理解した。


「じゃあ、俺みたいに外から来た奴でも偉くなれるのか?」

「あァ、外から来た人間だからどうのこうの…とはならねェ。お前の努力次第だ」


「…うん、受け入れます!」

「…よし、じゃあここに自分の名前を指で書け」


 そう言ってウィレムは一瞬目を閉じて念じ、指で空中に四角を描くと、光の粒のような枠はゆっくりとその少年の眼の前に移動した。…が、少年は困ったような顔をした。


「どうした?」

「…俺、名前無いんだけど…」

「あ、マジで?」


「じゃあ…俺が名前を付けてやるよ。アドニス…ってのはどうだ?」

「あどにす…」


 少年は今まさに提案された名前を何度も反芻し、しばらくして元気よくうなずいた。


「よし、アドニス、この枠に署名するんだ。…字は分かるか?」

「うん!」


 驚くべきことに、名もなき少年改めアドニスは、このような境遇にも関わらず、今しがた与えられた名のつづりをその音から割り出し、すらすらと宙に浮かぶ枠にその名を記したのだ。


パッ


 アドニスが指を離した瞬間、枠はそんな音を立てて縮み、ウィレムの手のひらの中に取り込まれてしまった。


「これで契約は終わりだ。詳しい事は現地で話してやる。…いいか、日没だ。日没か日の出の瞬間、この世界と俺達の住んでいた世界を隔てる壁が弱まる。そのタイミングを狙って俺とジーナが向こうへの道を作る」


 あばら家の入り口から身を乗り出し、頭上を見てみると既に空は橙色に染まっている。日没まであと一時間くらいだろう。…今日は随分と散々な事になってしまった。楽しみにしていた飯もさっきのゴタゴタで結局食えずじまい。…が、最悪なわけでもない一日だった。イサベルにも会えたし、何よりも新しい同胞ができた。まぁイーブンか。


「…日没まであと少しだな。…いいか、一度向こうに行ってしまえば…早くても俺くらいの歳にならねェと戻ってくることはできねェ。だからやり残したことがあるなら今のうちにやってこい」


 アドニスは何か思い当たることがあるのか、そうウィレムが言ったのを皮切りに、すっくと立ち上がって出ていってしまった。


「…待たせちまったなァ、もう用は済んだぞ」

「ウィレム! あいつ本当に仲間になるのカ?」


 外に出るとジーナが出迎えてくれた。陽光をたっぷりと吸収出来たようで、すっかり元気になっている。


「あァ。日没になったら一旦あっちへ帰るぞ。いろいろと報告しなけりゃならんこともあるしな。 …そういやあの三人はどうした?」


…アリムまて!! まてって!!…


 少し遠くの方からそんな叫び声が聞こえてくる。どうやらアリムが逃げ出したらしい。


「…まぁほっとくか。ジョリオならなんとかなるだろ」

「それより、お腹空いたゾ…」


 ジーナはヘナヘナした顔になってそうぼやいた。こいつは光を文字通り「食って」力に変えることは出来るが、それで腹が膨れるわけではない。昼飯を抜いたようなものだからこうして愚痴るのも無理はない。


「…だな。だが国に着くまでガマンしろォ、街は警戒態勢らしいしなァ」

「…そうだ、デイラーってやつとの事の顛末を教えてくれよ」


 ウィレムはジーナ達が戦っていた相手のことを尋ねることにした。攻撃で焼け焦げた背中が未だにヒリヒリするようで、ウィレムは穴の空いてしまった服から覗く背中をさすった。…カリスタの治癒能力は優れたものだったが、完全に治し切ることは不可能だったらしい。


「あァ…あと少しで倒せるってタイミングデ…邪魔が入っタ」

「邪魔…? どんな奴らだった?」

「わかんない…真っ白な光の魔法を見た瞬間、『ここにいるとヤバい』と思っタ」

「…なるほど? だから逃げ出したわけか」


 ジーナはふっと顔を縦に振った。


「あのデイラー、白い光を受けテ…すごいダンマツマを上げてタ」

「…ふゥん…その後デイラーがどうなったかは見てねェんだな」


 ウィレムはジーナとの話を続けながら、ぼろぼろで見苦しくなってしまった服を脱いだ。背中にはぽっかりと大きな穴が開いている。もうどう頑張っても使い物にならないだろう。


「その魔法を使ったやつラは…五人くらいだっタ」

「…このこともあのお方にお伝えしたほうが良いな」


 これから随分と忙しいことになるだろう。ウィレムもジーナも、最初は「新しいものに触れたい」、そんな目的で来たはずなのに…と複雑な思いのようだ。



「も…もどった…アリムが突然走り出したもんで…」


 アリムの首根っこを掴んだままジョリオとカリスタが戻ってきた。全身砂ぼこりにまみれている。


「タイミングが良かったなァ、もうすぐ日没だ。そろそろ向こうへの扉を作る。ついてきたければついてきな」


 ウィレムはそう言い残すと、人通りの少ない静かな場所を探し初めた。アドニス少年は必ず自分たちを探すだろうと踏み、先に準備だけしておこう、そういう考えからだった。

 早速手頃な広さの路地裏が目に入り、ここにしようと決めてまた歩き始めた先にしゃがみこんだアドニスが見えた。


「よォ、何してんだ?」

「…ん、最後に妹に挨拶しておこうと思って」


 そこには子供が両手で抱えられるくらいの大きさの石が刺さっていた。その上には妹の遺品だろうか、淡い赤色の帽子が飾られている。


「…俺も故郷に帰ったら同じように会いに行ってやらねェとな。…よし、そろそろ行くぞ」


 ウィレムはすっくと立ち上がり、ついにその路地裏に至った。遅れてジーナが、さらに遅れてジョリオ達も現れた。


「さぁ…始めるぞ」

「どうやるんだ?」


 ジョリオが怪訝な顔をしてそう尋ねる。


「俺とジーナで力を合わせて空間に切れ目を入れる。…もっとも、そういうのはジーナのほうが得意だからな、俺は力を渡すだけだ」


 ウィレムがジーナの肩に軽く触れると、ジーナは何も言わずに鎌を勢いよく振り上げ…


ブンッ!!!!


これでもかというくらいの強さで空を切り裂いた。すると空気がまるで紙のように切れ、その隙間からは黒い世界が見え隠れしている。


「よし、行くぞ」

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異世界人の異世界旅行~ようこそ人間界へ~ @TABASCO3RD

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