第23話「貧民窟」

「ふぅ…ここまでくればもう大丈夫だよ」

「ああ、助かったぜ」


 肩でゼェゼェと息をしてそう呟く少年に連れられるまま、通りから通じる狭い横道をなんども迂回してたどり着いた場所は、王都トーレの華やかな空気とは真反対の場所だった。


 ゴザの上に座り込んで食べ物を道行く者にせがむ乞食や、路上でボロを被って雑魚寝する子供にまっ昼間から取っ組み合いの喧嘩をしている酔っぱらい…通りの汚さは物理的なものだけじゃない、荒んだ人々の心を写したものでもあるように感じられる。


「キミは…ずっとここに住んでるのか?」

「まぁね」

「ほら、その女の子、休ませてあげようよ、あんたらも入って」

 完全に気を失ってしまったジーナをそのままにはしておけないと、その少年は自分の住処に五人を通そうと、あばら家の仕切りを開いて入るように促すが、どうも全員が入れるほどのスペースは無さそうだ。


「…いや、こいつは陽の当たる場所で少し休ませてやるほうがいい。…お前らはここで休んでろ」


 そういってウィレムは気を失っている少女を背負ったまま、やぐらのように何層にも組み上げられた貧民窟の中、最も陽光が当たるであろう場所を探しに行ってしまった。


「ここから出ないほうがいいぞ! 奴らが警戒してるから!!」


 少年は大声でそう呼びかけると、その場に残った三人にさぁ入って、と住処に招き入れた。



 「…悪いね、こんなモンしか出せなくて」


 少年は物置らしきガラクタの山から比較的きれいな箱を取り出してジョリオとカリスタに渡し、獣人にはとアリムには何かの骨を渡した。


「いいって別に…キミだって生きるのに必死なんだろうこの様子じゃ」

「…まぁね。もう慣れっこだけど」

「いつからここに?」

「さぁ? 物心付いた頃にはここで屑拾いをやってたよ」


 その子はおもむろにガラクタを積んだ箱から歯車を取り出すと、薄汚れた布でゴシゴシとこすりながらジョリオとのやり取りを続ける。外の喧騒とは対極的だ。骨を無心にかじっているアリムと心ここにあらずといった体で虚空を見つめているカリスタ…この場で言葉を交わしているのは二人だけだった。


「…家族とかはいないのか?」

「…いた。妹が一人ね」

「『いた』ってことは…」

「…夜、寝てる時に…何者かに俺と一緒に連れ去られてね。…朝になる頃にはあいつはもう…ホラ、あのときの傷がほら」


「…! なんてひどい…!」


 その子のボロボロの服から覗く痩せ細ってあばらの浮き出た胸には、酷い火傷の跡と鋭い刃物の傷が生々しく残っていた。ジョリオは絶句してそんな絵に書いたような言葉しか出てこなかった。


「…こういう掃き溜めじゃ珍しいことじゃないわ。国の統治が行き届いていればこんな通りが放置されるわけが無いしね」

「ま、そういうことよ」


「教会の神父はよく『信じる者は救われる』なんて言ってたよ。そんな綺麗事を並べ立てて俺みたいなガキを食い物にして、最後にはそれがバレて…はは…ははははっ!」


「!?」 「……」


 突然狂ったように笑い出した年端も行かぬ子供の姿に驚愕するジョリオと、何かを察したように気の毒そうに目を逸らすカリスタ。…カリスタは今までの経験もあって、その神父がその後どうなったのかを察してしまったのだ。少年の茶色の目にはどんな邪悪なものが潜んでいても不思議ではないほどの底なしの闇が口を開けていた。


「…そう! そいつ、このトーレの街の大司教になったんだよ! おかしいか? おかしいだろ!! …風のうわさでそれを聞いて、俺はもうこの世に見切りをつけたよ。どうせ神様なんてこの世にいやしないって!」


 その場にいる誰一人、この世の全てに絶望し尽くした少年の言葉に異を唱えることは出来なかった。


「…何度も思ったよ。もうこの世から消えようって。…でも、結局いつまでも死ねないままだった。いざやろうってなると結局怖気づいちまう…だったら、あのデイラーって奴に殺されよう、そう思ったんだ。でも…」


「ウィレムに助けられたってわけね」

「…とんだありがた迷惑だったよ」


「ありがた迷惑なんて言ってくれるなよなァ」


 いつの間にかのれんから顔を出すような形でウィレムがその場を覗き込んでいた。いつもの澄ましたような顔はこころなしか悲しげに見える。


「おめェ、俺が逃げろって行った時、ベソかきながら逃げてったよな。本当は思ってんじゃねェのか? 心の底じゃあよォ」

「生きたいって…なァ?」

「ほんとは…そうなのかもしれない…でも…このまま生きてたって…妹のいない世界なんて地獄だよ…」

「ふん…だろうな。おめェの気持ちは痛いほど分かるよ」


 長い話になると見越してか、ウィレムはあばら家にズカズカと入り込み、その子の目の前にどかっと座り込んだ。


「…俺にも兄弟がいた。兄貴と弟だ。…昔俺の国で反乱が起きてなァ、俺の弟は敵に捕まって惨たらしく殺され、兄貴は敵側に裏切っちまった。…まァ、どっちが悲しいかなんて無意味なことは言わねェがな」


「じゃあ…俺はどうすればいいんだよ…!」


 声を震わせながらそう絞り出した少年の肩を優しく叩いてやりながら、ウィレムはふぅっと長い息を吐いた。


「…お前、どうせ家族もいねェんだろ? じゃあ…俺達の国に来るか?」

「…あんたの…国?」


 『ウィレムの住んでいた国』、その言葉は空気を読んでか、はたまた入り込めなかったのか無言を貫き続けていたジョリオとカリスタの関心を引き寄せた。


「ああ。変わった場所でなァ、お前達の持ってる地図にはのってねェ国だ。太陽の代わりに月が常に空を照らす、それはそれは不思議な場所だ。…それに、その国には神様が十二柱もおられる。お前達の信じる名前だけの神様と違って、実際に存在して…

「それって! 闇の世界…!?」


 その話に突然カリスタが割り込んだ。


「嘘だろ…! おとぎ話の産物のはずじゃ…!」

「そうかァ、人間界じゃこのことはおとぎ話になってんだな」

「嘘…じゃないよな」


「おいおい…この世に絶望してるガキにそんな嘘を付くメリットがどこにあんだよ…今までの俺を見て嘘かどうか考えてみろ」


「まさか…! お前とジーナが魔王の部下で、俺達を騙してた…なんてことはないよな…!」


 口を真一文字に閉じたまま立ち上がり、剣を突きつけるジョリオを真っ直ぐ見据えるウィレムの眼には僅かな曇りも見えない。…少なくともジョリオとカリスタにとっては。


「そういやジョリオ、ずっと気になってんだけどよォ、お前の言う魔王とやらはどこにいるんだ?」

「…こっちだ」


 やはりジョリオはウィレムへの警戒を解かぬまま、外を指差した。


「ん…ウィレム、ジョリオ」


 外へ出てすぐのところにジーナが立っていた。全身で日光を吸収していたのだろう、上着を脱いで両腕を広げていた。


「悪いな、お前だけ除け者にする形になっちまって」

「いいさいいサ、おかげで随分体力も回復したし、おまえのほうが話すのウマいしナ」

「…ジーナ、君も着いてきて欲しい」


 ジョリオは二人を連れ、貧民街の中で一番高いところに立つと、北の方を指差した。その先には暗雲が立ち込める不気味な城が見える。


「あれだ。あれが魔王の城だ」

「魔王…!? この世界にも魔王ガ?」

「いや、おそらく俺達の言う魔王とは別モンだ。俺のふるさとであんな悪趣味な建物を見たことは無いし、なによりこの世界に魔王様がいるのはおかしい」


 よくよく考えなくても分かることだが、それがわからなかったジョリオは頭が悪い訳ではなく混乱していただけだった。ジョリオやカリスタにとり、「闇の世界」とは古い絵本に出てくる空想の産物でありそれ以上でもそれ以下でもなかったからだ。


「…まだ俺達を疑うか? それなら俺達の故郷に連れて行って魔王様に会わせてやってもいいぞ」

「あたし達が頼めば多分会わせてもらえるんじゃないかナ。どちらにせよ魔王サマに報告したいこともあるし」


「……」


 ジョリオは感覚で二人が嘘などついていないと薄々感づいたのか、ようやく武器を降ろした。


「だがどうやって?」

「…っとその前にだ」


トトトトッ


「あのガキにどうするか聞いてからだな」


 ウィレムはニコリと微笑み、あの少年がとどまっているボロ小屋に降りていった。

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