正月がもうすぐだ

増田朋美

正月がもうすぐだ

年の瀬というが、年が経つのは早いものだ。ついこないだまで暑い夏だと思っていたのに、もう年が終わることを考えているのだから。本当に一年って早いものだと考えずにはいられない。

その日、製鉄所では、餅つきが行われていた。力持ちのブッチャーが杵で餅をつき、手先の器用な杉ちゃんが、餅をひっくり返す役目をしていた。ちなみに、その使用している臼は、木彫りの職人をしている男性利用者が、製鉄所に寄贈したものであった。

「よし、できましたよ。表面がツルツルになったので、完成だよ。」

杉ちゃんがそう言うとブッチャーは、

「あー、終わった終わった。ほんと、餅をつくって、腰に来る作業だねえ。」

と、汗を拭きながら、杵を下ろした。

「よし、後は餅の中にあんこを入れるだけだな。あんこは台所に用意してある。」

と、杉ちゃんが、言ったためブッチャーはついた餅を食堂へ持っていき、粉を敷いた板の上にデーンとおいた。ここからは女性の利用者が活躍する。餅を杉ちゃんがスケッパーで切り分けて、それを女性利用者たちが受け取り、あんこを取って、餅でそれを包むのだ。あっという間に餅は完成した。続いて、同じように、ブッチャーが餅をついて、杉ちゃんがひっくり返す作業を繰り返す。

水穂さんだけが、餅つき大会に加われずにいた。水穂さんが寂しくないように、古川涼さんが来訪していて、水穂さんのそばにいたが、なんかそういうふうに特別視してしまうことは、水穂さんへの差別なのではないかと、由紀子は思うのだった。涼さんは、水穂さんに話しかけて、一人ぼっちにならないように、してくれていたのも確かなので、なんだか複雑な気持ちでもあった。

水穂さんが少し咳をすると、由紀子はすぐに彼の傍に行った。水穂さんは、すみませんといったが、由紀子は、そんな事いわないでと言った。

「水穂さん寒かったら、布団を追加しましょうか?」

と、由紀子は聞いたが、

「いえ、それは必要ありません。お手数かけたらいけませんから。」

水穂さんはそういうのであるが、由紀子はそういわないでもらいたかった。寒いなら、寒いとしっかり言ってもらいたいし、寂しいなら寂しいと言ってもらいたかった。

「本当に、良いんですか?」

由紀子は、もう一度聞くが、

「由紀子さん、あんまり気遣いをさせると、かえって水穂さんが、負担になるかもしれませんよ。」

と、隣に座っていた涼さんにいわれてやめた。涼さんは、盲人ということもあって、発言するのに一切妥協しないのだった。周りの人の様子とか、態度とか、そういう事を気にしないで発言してしまう涼さんを、由紀子はちょっと嫌な目で見た。

外では、杉ちゃんたちが、よいしょ、よいしょと餅をついている声が聞こえてくる。どうせ、水穂さんには食べられない食物だ。年を取っているというわけではないが、水穂さんには気管に詰まるかもしれないと言って、餅は食べさせないことにしていた。

「嫌ですね。」

と、由紀子は小さい声で言った。

「中庭ではなくて、もっと、離れたところでお餅をついてくれればいいのに。水穂さんがなんか、可哀想だわ。」

「由紀子さん、気にしすぎですよ。僕は、毎年のことなので、もうなれてしまいました。僕のせいで、皆さんの毎年の楽しみを取ってしまうほうが辛いですよ。」

水穂さんは、優しかった。こういうときこそ、優しいのだった。だけどそれは、水穂さんの出身地によるものであると言うことを由紀子は知っている。水穂さんの出身は伝法の坂本。そこは、富士市でも有名なスラム街だ。今はゴルフ場になっていて、人が住んでいるようなところではないといわれるが、そうなる前は、水穂さんを始めとして、多くの貧しい人たちが暮らしていた場所でもあった。

「さて、きなこ餅も上がったね。そしたら、からみ餅を作るぞ。ほら、お前さんたちも手伝ってくれ。」

と、杉ちゃんが女性の利用者に言っている。女性たちは、杉ちゃんの指示に従って、餅を丸めたり、大根おろしをつくったりしているのだろう。そして、この後餅を食べて楽しいお食事会になるのかなと由紀子は考えた。なんかそうなるとえらく憂鬱な気持ちになるものだ。

「水穂さんせっかくですから、お正月の思い出を話してみましょうか。もうすぐお正月ですし、水穂さんも、何か、お正月にしたことがあったのではないですか?」

涼さんが、そういう事を言い始めた。由紀子は、涼さん話を聞くのが仕事なのになんでそんなにひどいことと思ったが、いわないでおいた。

「そうですね。」

水穂さんは、布団に寝転がったまま、少し考えてこう話しだした。

「僕達は、毎年のようにお正月の祝い事をすることは、できませんでしたよ。餅だって、毎年食べるものではありませんでした。お正月のときには、余ったわらでお飾りのようなものをつくって玄関先に飾っただけでした。」

「そうだったんですね。じゃあ、何もお正月の祝はしなかったんですか?」

涼さんがそう聞くと、水穂さんはええと答えた。

「お雑煮も作れないし、おせち料理も作れないし、年賀状のようなものもかけませんでした。やれたのは、学校の宿題で書き初めをしたくらいかな。でも、それを描くと近所の人みなさんが見に来てくれて、上手だねって褒めてくれたものです。それは、上手でないと他の人にバカにされるから、そうでなければならなかったのですが。もちろん、お正月なのに、何もしないので、さんざんからかわれたりしましたけど。でも、皆さん、そうやって、書きぞめの宿題は褒めてくれましたね。」

水穂さんの話を聞いて、杉ちゃんたちが、粉を敷くようにとか、大根おろしはできるだけ甘口に近づけるようにとか、そういう事を言っているのが、由紀子は余計に恨めしくなるのだった。

「それだけですかね。お正月にしたことといえば。まあ、それだけやれても、幸せでしたよ。だって僕達は、いつ住むところがなくなるとか、そういうことは、ザラにありましたからね。」

確かにそうだった。そういう強制移住だって、水穂さんのような身分では有り得る話だった。山の中とか、川のそばとか、そういう住みにくいところに無理やり住まわされて何かあればすぐに他のところへ追放されてしまうということである。

「そうだったんですか。それは、他の皆さんと比べて不自由したとかそういうことがあったんでしょうか。」

涼さんが聞くと、

「まあ比べても仕方ないことですので、比べることはしませんでしたが、それよりもできることで楽しもうという努力はしました。」

と、水穂さんは答えた。

「ちょうど、ここに居る人達みたいに。」

ここに居る人達って、ここにいる人たちは餅を食べられるのに、水穂さんは、違うのでは、と由紀子は思った。

「そうですか。水穂さんはすごいですね。そういう事も気がつけるんですから。他の人も、水穂さんのような人がいてくれれば、きっと救われると思いますよ。僕はそう思いますね。水穂さんは、不利なところに生まれたのかもしれないけど、そういうことができるのは、すごいと思いますね。」

涼さんは、水穂さんの顔を見ないで、そういう事を言った。

「いえ、それは、大したことありません。関係ないことです。」

と、水穂さんは言って、また少し咳をした。由紀子は、急いで、水穂さんにちり紙を渡した。ちり紙は少し、赤く染まった。今だったら、水穂さんの症状だって、簡単に治せてしまうものなのかもしれない。でも、水穂さんにはそれができないのだった。それも、また、伝法の坂本に生まれたことによって起こる、弊害なのかもしれなかった。医療は、たしかにすごいものであるのかもしれないけど、水穂さんのような人に施術するには、ちょっとむずかしい物がある。

「そうですか。大したことないとおっしゃいますけど、そんなことはまったくないと思いますよ。」

涼さんはそう言っているが、水穂さんは、いいえとだけ言った。伝法の坂本出身ではなかったら、水穂さんはもっと冷たい人かもしれなかった。美人とか美男子と呼ばれる人は、大体そういう人が多いから。容姿が綺麗だと、性格は良くないことが多い。有名な俳優などで、そういう人が多いことは、よく知られていることでもある。

「よし!それでは、餅ができるぜ。みんな食べようか。からみ餅と、きなこもち、後、あんころ餅ね。」

「良かったあ、労働した後の餅はうまいですよ。」

杉ちゃんとブッチャーがそんな事を言っているのが聞こえてきた。女性利用者たちが、いただきますと一緒に言って、餅を食べ始めたのが由紀子にもわかった。それと同じだなんて、水穂さんはどうしてそんなに、自分で納得できるんだろうかと由紀子は思った。せめて、自分も餅を食べたいとか、そういう愚痴を漏らしても良いはずだ。それを言っても良いはずなのに。由紀子は、そこが水穂さんの一番可哀想なところだと思った。

「おいしーい!」

「つきたてのもちが食べられるなんて幸せね。」

と、女性利用者たちは話している。

そうなのか、そんなに幸せなら、水穂さんにも分けてあげることは、できないのだろうか、と、由紀子は思った。

「あたしたちだって、お正月なんて辛くてしょうがなかったもんね。年末年始なんて、あたしたちには、辛い時期だったわよ。」

女性利用者たちが、そういう事を言い始めた。

「そうねえ。あたしもそうだったなあ。まあ、こういう障害というか、働けなくなった人はみんな感じるんでしょうけど、お正月って、もともと働ける人のための行事だもんね。」

別の女性利用者はそんな話を始めた。

「まあね、よく分かるわよ。そういうことは、よくあることよね。もうこの家から出ていってくれないかとか、ホントよくいわれたもん。あたしだって、それなりに努力しているわよ。だって、音を消すように、ヘッドホンだって買ったしさ。でも、私は未だに、人が来る音とか、怖くなっちゃって、家族であっても、人前へ出られないわ。」

彼女は精神科で対人恐怖と診断されていた。人が、たくさんいる場所や、人の足音が怖くなってしまうという症状だ。

「そうなの?まだ、人が怖いと思うの?」

「ええ。まあ、私の場合ねえ。父がホント怖い人だったから。昭和のお父さんだったら、ありえることかもしれないけど、今の時代には、ちょっと合わないわよね。子供の頃は、誰も共感してくれる人がいなくて、ホント、寂しかったなあ。」

利用者たちは、そういう話をしている。

「そうなのねえ。まあでもね、いくら兄弟がいても、感じ方はみんな違うし、私だけ一人違う方を向いていたってことは結構あるわよ。それで寂しいと思っても、それをどうやって回避するかなんて、誰も教えてくれやしないわ。私にとっては、大きな疑問だったんだけどねえ。まあ、私はそういうことが未だに解決していないから、彼氏どころか結婚もできないわね。」

利用者たちは、思い思いに、自分の悩みを話しているようだった。彼女たちにとって、一番必要なのは、お前もそうだったのか、と一緒に泣いてくれる人だった。それは、いくら抗精神病薬のようなものが発達したって、できやしないことだ。だから、彼女たちは、それを求めて製鉄所を利用しているという一面もある。単にこの建物は仕事をしたり、勉強をしたりする場所を提供する施設とみなされているが、実はこれを提供しているというのが、人気の一番の秘訣なのである。

「そうねえ。まあ親には、育ててくれたお礼に子孫を残すっていうことができなくなるから、申し訳ないと思うけどさ。結局、一日一日やってくだけで精一杯。いつ誰に、甘えてるとか、早く死んでしまえと言われるかもわからない。親に苦労ばっかりかけてとか、いわれるかもしれないし。そんな事、年寄は平気でいうから。そういう人が相次いで来訪するお正月は、苦痛の他になんでもないわよ。みんなは楽しいんでしょうけどね。あたしは、沿う感じてきたな。これっておかしなことになるのかな。」

「そうねえ。まあ、一般的に言ったらおかしなことでしょうけどね。でもあたしたちは、そう感じてしまってるのよね。まあ、誰にもわからない、この施設だけの秘密かな。」

利用者たちはそういう事を話していた。由紀子は、たしかに彼女たちはそう感じているのかもしれないと思った。皆、言葉では言い表せない寂しさを抱えて生きてきた人たちである。その寂しさを、誰かわかってくれる人がいたら、対人恐怖とか、そういう病気にならずに済んだかもしれないと思う。

「まあでも良いじゃないの。お前さんたちは、そうやって、話し合える間柄を見つけたんだぜ。それは、良いことなんじゃないのかな。世の中にはさ、それを言うことさえできなかったやつだって居るんだからな。」

と、杉ちゃんの声が聞こえてきた。それを聞いて利用者たちは、そうねえとだけ言った。

「でも、なんかそういう事言われて、なんで私の事わかってくれないのとか、思ってしまう人が居るのも、いけないことかな。」

別の利用者がそういうことを言った。

「まあ、偉い人は、そういうわな。でも偉い人は、実際そうなった経験はしてないだろうし、それをしないで研究ばっかりしているから、そういう事を頭ごなしに言うだけだよ。一番の対処は、事実は事実だけあるんだと思うこと。それに対してできることは、事実に対してどういうことができるかを考えること。それしか、ねえんだよな。人間にできることなんて。」

杉ちゃんが、そう言っているのが聞こえてくる。確かにそのとおりなのだ。人間にできることは、それしかない。由紀子もそれは知っていた。だったら、私ができることは、水穂さんがかわいそうだと言ってあげることなのではないかと思った。それを、実行して、水穂さんを安心させてやることではないか。急いで、由紀子は、四畳半を出て食堂へ行く。涼さんは、目は見えないけど足音でそれを察知したのだろう。由紀子さんどこにいくんですか、と聞いたが、由紀子は聞こえなかった。

「ちょっと!」

と、由紀子は、食堂に居る利用者たちに言った。利用者たちは、食堂で餅を食べている。

「ああ由紀子さんどうしたんですか?」

「水穂さんがまたどうかしましたか?」

利用者たちは、相次いでそういう事を聞いた。

「水穂さんがかわいそうじゃない!もう身の上話はしないで!水穂さんは、お餅をたべることだってできないのよ!」

由紀子は、ちょっと感情的に利用者たちに言った。

「あ、すみません。」

利用者たちも、自分たちの楽しみを由紀子にとられてしまったと思ったのだろうか。ちょっと嫌そうな顔をした。

「そうよね。水穂さんは、お餅も食べれないし、ちょっとあたしたち、喋りすぎちゃったかな。」

ぶっきらぼうに一人の利用者がそういう事を言ったが、それは水穂さんの事を思って言っているわけではないということを、由紀子は感じ取った。

「まあまあ待て待て。」

と、杉ちゃんが、その嫌な雰囲気にわざと明るく言った。

「そうかも知れないけどさ。もう一度言うぞ。人間にできることは、事実に対してどうするのかを考えることだよなあ。もちろん、それぞれ、人間だからさ、それぞれ思いがあるわけで、それぞれ、感じ方も違うわけで、それをもとに言葉ってのが出てくるわけだから、言葉ってものを鵜呑みにするだけじゃ、人間関係、できないよな。由紀子さんが、今の事を言ったのも、お前さんたちが、大事な会議をぶっ壊されたと思うのも、みんなそれぞれ思いがあることだ。だからねえ、言葉なんて、ホントに頼りにならないもんだぜ。そういうことは、よく思い知っておけや。」

「そうねえ。杉ちゃんの言うとおりだわ。あたしたち、日本語喋ってるけど、本当の気持ちを喋るのは、できないわね。あたしたちは、お正月というと、ただでさえ爪弾きにされて、家族や親戚にも、要らない存在扱いされるのが、ホント、悲しくてたまらないのよ。それを話すと、どうしても盛り上がっちゃうのよね。それができるだけでも幸せよね。だって、水穂さんは、それすらできなかったんだから。あたしたちは、まだ、幸せだ。そう思わなきゃ。」

「あたしたちは、まだ、そうやって話をするだけでもすごいことよね。あたしたち、自分がこの世の中で一番不幸であるというように見えちゃうけど、でも、水穂さんみたいに、銘仙の着物しか着れない人だっているわけでしょ。だから、あたしたちは、そう思うのはやめなくちゃね。どっちかが、辞めるしか、解決方法がないってことは、知ってるわよ。それを思い続けたら、自殺するか、刑務所に行くしかないってことも。」

利用者たちは、そういう事を話した。そういう言葉以上に感じていることを言葉にされると、何故か由紀子は、相手に申し訳ないことをしたと思ってしまうのだった。それは理由はわからないけど、そう思ってしまう。人間は、言葉でしか伝えられない代わりに、言葉にできないことを成文化してしまうと、なんだかよくわからないけど、罪悪感が生じてしまう様になるらしい。由紀子は、そういう事を感じてしまっているのだった。

「良いじゃないか。どっちかが、柔らかくなくちゃ、人間はやっていけないんだ。どうしても解決できないことは、いくらでもあるよ。放置して、相手が変わるのを待たなきゃいけないことだって、なんぼでもあるからな。そういう事を積み重ねて行くのが人生ってもんだ。由紀子さんも、そうだからな。みんなそれぞれ思いがあって、事実と反する事を考えちまうってのも、人間だからよ。それは、しょうがないことだと思ってくれよ。」

杉ちゃんが彼女たちの話をまとめるように言った。

「ごめんなさい由紀子さん。私達も、水穂さんがいたことを、もうちょっと考慮して喋るべきだったわね。ちょっと反省するわ。水穂さんは、餅を食べれないんだものね。そういう人がいるってこと、考えて発言するようにするわ。」

利用者の一人が、由紀子に頭を下げた。由紀子は、彼女たちがそれを発言するのは、非常に難しいことだろうなと思ったから、

「いいえ、お正月だもの。」

とだけ言った。





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正月がもうすぐだ 増田朋美 @masubuchi4996

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