神々の戯れ

 フィリピン沖の海底まで沈んだ後、クトーラは這いずるように進んで、更に海底深くまで移動した。

 人間達の追跡がない事は、目視により確認を行った。電波エコーでは人間に感知され、居場所を特定される恐れがある。太陽光の届かない深海での目視確認は不確かなものであるが、人間達が海中深くまで潜る技術を持っている以上、迂闊に情報を発信する訳にはいかない。

 とりあえずの安全を確保したクトーラは、まず眠った。傷付いた身体を最低限でも再生させ、力を回復させるために。

 身体から減っていた水分は、海水を飲み干せば簡単に吸収出来た。放電現象引き起こした時に磁化して固まった金属も、細胞分裂を繰り返す中で少しずつ再び細胞全体に行き渡る。

 唯一補給が難しかったのが身体の元となるタンパク質。こればかりは他の生物の肉を喰うしかない。

 酸欠と水分不足が回復したところで、クトーラは一度起き、海底に暮らす動きの鈍い動物……例えばダイオウイカなどのイカ類を喰らう。同じイカの仲間なのに、と人間は思うかも知れないが、クトーラと現生のイカ類は、人間とキツネザルよりも遥かに遠い関係だ。そもそも同種でもない存在を食べる事に、特別な感情を抱く理由なんてない。

 タンパク質を補給したら眠り、身体の再生を待つ。足りなくなったらまた目覚め、再びタンパク質を摂取する。それをただただ繰り返し……幾ばくかの月日が流れた時、クトーラは完全なる再生を遂げた。


【シュオオオオオオオオオ……!】


 六本の触腕をうねらせ、四枚のヒレを波立たせる。身体には全盛期の力が滾り、電磁防壁も復活した。溢れ出るエネルギーによりクトーラの身体は発光し、太陽光の存在しない海底一千メートルの世界を昼間の地上よりも眩しく染め上げる。

 もう、都市を焼き尽くす爆弾も、地殻を穿つ弾頭も、神の炎さえも怖くない。

 完全なる蘇生を経たクトーラは、その胸のうちにぐつぐつと湧き立つ想いを自覚する。

 敗北。

 クトーラ族は獣だ。屈辱なんてつまらない感情は抱かないし、復讐なんて益にもならない事はしない。だが誇り高き一族の性として、敗北したままというのは我慢ならない。何より自分を負かすほど強い相手ともう一度戦える事に、全身の血流が加速するほどの興奮を覚える。例えそれが奇襲の結果だとしても、だ。

 早く戦いたくて仕方ない。このまま活動を再開し、地上の人間文明を焼き払いに行くか?

 それも悪くない考えだ。だが、クトーラは高慢ちきであるのと同時に、聡明な種族でもある。人間達の高度な知能を思えば、先の戦いでクトーラ族に関する様々な知見を得た筈。自分が切り落とした触腕や肉片を解析し、新たな武器を作り出しているかも知れない。

 そうした武器相手に、負けるつもりは微塵もない。核兵器以外は脅威ですらなかった存在が、ちょっと強くなったところで精々手こずる程度だろう。しかし油断は禁物だ。それにこんなにも面白そうな相手をするというのは、仲間に対して申し訳がないというもの。


【シュオオオオォォォォォォォォォンッ】


 そこでクトーラは、一際強力な電波エコーを発した。

 地球全土に行き渡る強力な電波は、光速で地球の裏側まで広がっていく。地表にあるだろう人間文明にも気付かれるだろうが、そんなのは構わない。もう、居場所がバレたところで問題はないのだから。

 電波エコーを発した後、クトーラはしばしじっとする。

 そうしていると、

 強烈な、身体を揺さぶるほどの電波エコー。そしてその電波を解析すれば、そこにはクトーラ族の『言語』が含まれていた。返ってきた言葉の意味は、クトーラにもすぐに分かる。

 「こっちは寝てるのに何をギャーギャー騒いでいる。くだらない理由なら引っ叩くぞ」だ。

 いきなり飛んできた暴言。その回答にクトーラはにやりと笑みを浮かべる。暴言に続き、次々と電波エコーが返ってきた。

 「ちょっとーまだ二度寝したばかりなんたけどー」「あーよく寝た。今どんな感じなの?」「何々ー? なんか面白いの出たー?」……個々の返答を人間的な言葉に直すと、大凡このようなもの。能天気かつ好戦的な返答が多い。

 それはクトーラ族の言葉。

 クトーラ以外の、地球に眠っていたクトーラ族から返事が来たのだ。クトーラが放った強烈な電波エコーにより、休眠中の仲間が次々と覚醒している。誰彼構わず発する電波エコーが混線し、詳細な数はクトーラにも分からないが……ざっとほどが返事をしてきた。黙ったままの奴もいる事を考えると、三百体は目覚めただろうか。

 これでも休眠した全ての同族が目覚めた訳ではあるまい。クトーラが知る限り、二億年以上前眠りに就いた同族はこの三倍はいたのだから。多少減ったとしても、あと百〜二百体はいるだろう。しかし全員を起こす必要はない。これだけいれば十分。


【シュオオォォォオオオオォ。シュオォン】


 クトーラが説明を行う。

 自分達が寝ている間に、人間サルの一種が文明を築いていたと。その文明は高度な技術を持ち、自分達の外皮を傷付け、殺しうる力を有していた。自分はそれを滅ぼそうとしたが、ハース族の横やりの所為で弱り、そこを攻撃された事で逃げ帰るしかなかった。

 今でも人間の文明は地上を支配している筈。自分の肉片などからより高度な兵器を作り出し、自分の行動からより効果的な戦術を編み出している筈だ。今の人間達は、自分が戦った時より強くなっているに違いない。

 そんな敵との戦い、実にわくわくするだろう?


【シュォオオオオオオオオン】


【シュオオオオオオオオオッ!】


【シュコォオオオオオンッ】


 クトーラが演説を行うと、仲間達から次々と賛同の声が上がる。そしてその内容はどれも同じ。

 胸の中に湧き出す喜びを、表に出したような叫びだ。

 クトーラは知っている。自分達がこういう煽りに途轍もなく弱い事を。自分も逆の立場なら、意気揚々と参加を表明しただろう。クトーラ族の好戦的気質は、それぐらい強いのである。

 中には賛同しない個体もいるが、その理由は人間的言語に直すと大抵が「どうせならもっと育てよう」。つまり文明が発展するのを待ち、もっと手応えのある時に潰したいというものだ。刺激を求める老個体に、そうした回答がよく見られた。

 しかしクトーラは賛同しない。人間達の文明の手強さは、実際に闘った彼はよく把握していた。それを可能とする知能の高さは、クトーラ族以上だと認めている。どれだけの速さで進歩するか分からない以上、待たずとも十分な力を持っている可能性が高い。

 クトーラとは違う思惑だろうが、仲間達から次々と出てくる意見は、大半が好戦的なもの。民主主義という思想はクトーラ族に根付いていないが、多数決の概念はある。仲間の多くが賛同したなら、それは決定事項として進められる。

 いざ、人間達の文明と戦おう。クトーラがそう思い、地上目掛けて動き出そうとした、その時の事であった。


【シュコー。シュォーオー】


 とある若い個体が、軽薄な口調でクトーラに意見した。

 その意見にクトーラはぴたりと動きを止める。人間への攻撃を止めるよう説得された、という訳ではない。軽薄な口調に含まれていた、重要な言葉が全てをひっくり返したからだ。

 語る若者は、人間の言葉に直すとこんな事を話した。

 ごめーん。多分その文明、オレっちが


【……シュオー?】


【シュオシュオー】


 マジで? というクトーラに、マジマジと返す若者。

 若者曰く、ガリガリとドリルで頭を掘られた刺激で目覚めたところ、いきなりドカンドカンと攻撃された。喧嘩を売られたので高出力金属原子砲であちこち吹き飛ばして回った……らしい。

 クトーラは唖然とした。若者の言葉が信じられなかった、という訳ではない。自分もハースという横槍がなければ、難なく滅ぼせたであろう相手だ。多少進歩してもその程度だった、という事はあり得る。また百年という月日も、クトーラ族からしたら刹那の時だ。身体を休めるため寝ていた合間が十年二十年というのは、よくある事。何時の間にか過ぎていても不思議はない。

 クトーラが唖然とした理由は、自分を倒した強者を自分の手で倒したかったという、願いが永遠に叶わなくなった事への虚脱感だ。

 既に文明が滅びたと聞いて、クトーラは意気消沈してしまう。出来ると思っていたお返しが、二度とやれなくなってしまったのだから。他のクトーラ族についても、意気込みが急に挫かれてテンションが急落。もう用はないと言わんばかりに、即座に眠りに入る者まで現れる。

 クトーラも胸にぽっかりと穴が開いたように感じる。しかし失われた文明は、もう戻らない。ため息を吐きながら、クトーラもまた眠りに入ろうとした。


【シュコォォーン。シュオオオーン】


 だが、その眠気を覚ましたのは若者が続けた言葉だ。

 若者は自分と人間達の戦いを語り出したのだ。彼が言うには、人間達は様々な兵器を繰り出してきたらしい。

 例えばクトーラ族よりも巨大な船で突撃してきたり、光線を弾く飛行物体が現れたり、電磁パルスで体調を崩そうとしてきたり……人間達は戦う度に新たな技を繰り出してきた。住民の避難などはスムーズに行われ、都市機能も分散しており簡単には叩き潰せない。化学物質や微生物を用いた攻撃も、一筋縄ではいかないものばかり。

 特に面白かったのは、クトーラ族を模したような形態の巨大な兵器。電磁防壁までも模倣しており、熱く、激しい戦いを繰り広げる事が出来た。四億年前に戦った強敵達ほどの強さではなかったものの、腕を二本失う怪我を負わされた。


【シュオー、シュオー、シュオオーン】


 かくしてオレっちの勝利で終わりましたとさ……と若者は話を締め括る。彼としては、自慢話をしたかったのだろう。

 こんな面白い敵と戦えた、と。

 それはクトーラ族にとって、最も羨ましい事だ。ハースとの戦いも楽しかったが、人間達が繰り出した兵器は一体どんなものだったのか。気になって気になって、クトーラはおちおち二度寝も出来ない。

 そして、気付いてしまう。

 人間達が面白兵器を作り出したのは、間違いなく自分との戦いがきっかけであると。クトーラとの戦闘経験から、対クトーラ族対策を発展させたのだ。あの戦いの後、一体どれだけ人間達が強くなったのか。これからどれほど強くなったのか。想像するだけで胸が踊るのに、もう確かめる術はない。

 嫌な考えは更に過る。

 クトーラが電波エコーで調べた限り、地上の至るところに人間達は文明を築いていた。ならば地上のあらゆる場所を、人間達は調べ尽くしている筈である。

 クトーラが全盛期を誇った四億年前、殆どの強敵は地上や浅瀬に暮らす生物だった。それらが休眠しているとすれば地上の何処かであるが、クトーラと出会ったばかりの人間達は巨大生物との戦いに慣れていない様子だった。自分と戦った後の人間は多様な対策を繰り出している事から、巨大生物に出会っていればそれなりの兵器を作っていた筈だ。

 つまり人間達はクトーラが目覚めるまでの間、一度もかつての巨大生物強敵達と出会った事がなかったのだろう。

 偶々見付けられなかった、と考えるより、当時生きていた強敵の殆どが死滅しているという方が自然だ。あの時戦ったハースは例外だと思われる。

 強敵が滅びたなら、自分達と互角に戦える生物はもういない。そして人間文明が滅びた事で、強敵となり得る文明も消えた。もう、自分達を楽しませてくれる存在はいない。これからはただただ惰眠を貪るだけの、つまらない日々がやってくる。血湧き肉躍る戦いがないなんて、それでは一体なんのために生きているのか。

 人間が生き延びていればまた文明を築いたかも知れないが、滅ぼしてしまったならそれも期待出来ない――――


【……シュ?】


 ここでまたしてもクトーラは気付く。

 この若者、文明を滅ぼしたとは言ったが……人間を滅ぼしたとは言ってないではないか。


【シュオォォォォン】


 クトーラは早速尋ねた。文明を破壊した後、人間はどうしたのか?

 若者はすぐに答えた。「生き残りはたくさんいたけど、もう戦う力はなかったみたいだから無視した」と。

 戦いが楽しくなってきた事で文明は滅ぼしたが、人間は皆殺しにしていないのだ。ならば今でも地上には人間がいる筈。そして人間がいるのなら、生き延びるためにまた文明を築いているに違いない。

 とはいえゼロから文明が発展するには、百年二百年では足りない。別にそのぐらい寝て待てば良いが、隕石などの自然災害で不運にも壊滅するかも知れないし……

 なら、育てれば良いのではないか?

 自分がかつて猿達に文明を与えた時のように、適度に手助けしながら、いい感じに文明を育てていけば……何時か、面白い強敵になるのではないか。


【シュゥオオオオオオンッ! シュオオオオオオオ!】


 脳裏を過ぎった名案。クトーラは早速それを仲間達に伝えてみる。

 最初、多くの仲間がキョトンとしていた。考えてもみなかったとばかりに。


【シュォォーン。シュオオオオ】


 しかし一体の雌個体が、こんな事を言い出した。「私もやりたい」と。

 自分の案が受け入れられた。その事にクトーラは興奮し、勿論構わないと電波エコーで送信する。すると他の仲間達からも、自分もやりたい、私も参加したい、そんな意見が次々と出てくる。勿論、誰であろうとクトーラに拒む理由はない。

 むしろ仲間は多い方が良い。『育て方』によって様々な、面白い文明強敵が出来上がるに違いない。奇妙な技術で挑んでくる文明、物量で立ち向かう文明、他の追随を許さないほど品質に特化した文明……他に一体どんな文明が出来上がるか、予想も出来ない。もしかすると想像以上に強くなった文明を滅ぼすべく、仲間達と協力して戦う事になるかも知れないのだ。

 多種多様にして苛烈な戦い。クトーラ族にとって、こんなにも胸躍る事はない。


【シュゥゥゥウウウオオオオオオンッ】


 やる事は決まった。早速生き延びた人間達を探し出そう……クトーラが上げた号令を受け、世界中に眠る仲間達が活動を再開する。あらゆる海から、何十という数のクトーラ族が出現し、世界のあらゆる地域に散っていく。

 自分好みの文明を作るべく、生き延びた人間を捕まえるために。

 ――――壊すために育てる。

 ――――弄ぶために繁栄させる。

 命を玩具として消費する行動も、クトーラ族からすれば悠久の時の中で行う暇潰しの一つ。目的を途中で変える事もあれば、飽きて捨てる事もある。新しい遊び方を見付ければ遊び方を玩具の方に強いていく。その行いに、天罰が下る事もない。何故なら今、この星における神々強者はクトーラ族だけ。クトーラ族を阻むものは全て滅び、何一つとして存在しないのだから。

 そして彼等は自覚していないが、彼等自身の滅びすらも回避していた。

 滅びの名は『退屈』。全ての敵がいなくなった事を察したクトーラの心に開いた穴……本来ならば、生きる意味を見失った彼のように、クトーラ族は無為に時間を過ごして滅びる筈だった。しかしクトーラが見付けた新たな遊びが、彼等の心を蘇らせた。成長し、変化する文明に、一つとして同じものはない。彼等の心に退屈が戻る事は二度とない。

 神々クトーラ族は再び、いや、かつて以上の繁栄を遂げるだろう。

 かくして幕を開けたクトーラ族の新たな、そして終わりなき全盛期は、弄ばれる文明の主である人間やその末裔達から、何時か何かが変わる事を祈ってこう名付けられる。

 神々の戯れ、と――――

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神々の戯れ 彼岸花 @Star_SIX_778

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