後編

   ◆15


「何だって?」

「逃亡車を用意しろと言っています。見せしめにどこかの部屋を破壊するといっていましたが」

「様子は?」

「今のところは……」

 首を傾げる行動隊副隊長が答えた直後、工場の西側で酷い騒音と共に壁が爆発した。

「~~~! 被害を調べろ! 怪我人がないか確認!」

「はい!」

「何の力だ?」

 慌てて指示が飛び交う。サジタリウスは頭をかいてライトアップされた廃墟を眺めた。

「魔法石だな」

 唯一、一片の動揺もなく眺めていたタウルスが断言した。顔を向けるサジタリウスに説明するように、

「相手のリーダーが魔法石使い〈マスター〉だ。程度は低いが、持っていた石は高級品だった。何属性かまではわからなかったが、純度は七〇程度だ」

「……それで壊したってか。あそこまで勢いよくやれるのは何なんだろうな……」

「使い方次第では確実に工場を吹き飛ばすことも出来るだろうが、出会った感じ、熟練者ではなかった。さっきの今で能力が上がるとは思えない」

「…………どうやらせっぱ詰まって無理し始めたってことかな?」

「だろうな」

 羽織っていた上着に袖を通すと、袖をめくり上げ、タウルスは〝父親〟を見た。

「行くんだろう?」

「まあねぇ。こういうのもちょっと心苦しいけど……」

 へにゃへにゃと緊張感を感じさせずに笑っていたサジタリウスは、すっと姿勢を正した。振り返った表情は、真剣で鋭利だった。

「管理局管轄下直属元素魔法石使い〈エレメンタルマスター〉〝ジェミニ〟、タウルスに命じる。この事態を、収拾してきなさい」

 元素魔法石使い〈エレメンタルマスター〉。夢物語といわれた純度一〇〇の魔法石、その最強の力を行使する者。その称号を受ける〝初代〟は、まっすぐ前に伸ばした腕を胸に当てて一礼した。

「了解」

 低い冷徹な声で言い切った後は再び表情をゆるめて、サジタリウスは申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんね、息子にこんなことしかさせない父親で」

「全くだ。たまには家族旅行でもサービスしてくれ」

 軽口を返して、タウルスは口元に笑みを浮かべた。驚き、応えて笑うサジタリウスに、

「行ってくる」

「いってらっしゃい。気をつけて」

 手を一度ひらりと振って、工場に向かって歩き出した。



「ちょっと待てアリエス! どこ行く気だよ!」

 突然毛布を剥いだと思ったら駆けていき、車の荷台から降りようとしているアリエスを慌ててシリウスが呼び止めた。アリエスは真摯な表情で振り返り、小さく唇を動かした。

 ──ごめん。

 その意味を悟ってシリウスは瞠目した。今にも飛び出していきそうな彼の前に回りこんで、咳き込むように尋ねた。

「おい、本気かよ?」

「……うん。だって、そうじゃなきゃ僕は納得できない」

「でもっ、危険だろうが! だからあの兄貴だかなんだかが行ったわけで、」

「そうだよ。でも、わかるでしょう? わかるよね? 僕は自分の存在理由が知りたい。だって、今までの僕は、僕じゃなかったんだから」

 純粋に心配するシリウスの前で、アリエスは不安そうに瞳を揺らしていた。当たり前だ、突然事件に巻き込まれて、自分は人間じゃないといわれて、記憶喪失は全て嘘で、目の前に兄だと名乗る人物が現れて──アイデンティティが崩壊したっておかしくない。不安にならない方がどうかしてる。

 でも最後の言葉だけは飲み込めなかった。シリウスはかすかに首を振った。

「……それは違うぞ。今までのおまえも含めて、全部おまえだろ」

 アリエスは小さく微笑んだ。嬉しそうで、儚い笑みだった。

「……ありがとう。でも、僕は昔のことが知りたい。今まで気にしてこなかった──本当のことを。僕の過去だ」

 ここでどれだけシリウスが止めようとしても無駄だとわかった。普段は天然でふわふわしてるのに、こんな時には頑固になるんだなと思う。

「……わかった。もう止めねえよ。おまえのことだもんな」

「ごめんね、……ありがとう」

「勘違いすんな、俺も行くぞ」

「え、ええっ!?」

「あったりまえじゃねえか。おまえが無茶なことしねえか、見張りだ」

「……ううぅ……」

「ほら、行くぞ」

「……うん」



   ◆16


 通信機のスイッチは切ったままだった。互いに、すでに連絡を取り合える状況でないことを知っていたからだった。

 機動隊側と犯行グループ〈スコーピオン〉の方で、どんな交渉が行われているかわからない。管理局は一刻でも引き延ばしたいわけだし、〈スコーピオン〉は早く逃げたいはずなのだから。

 タウルスは床に膝をついたまま、辺りの様子を窺っていた。現在地点は窓に面した通路だったが、工場というわりに小さな部屋が多く、道筋は確かとは言えなかった。荷物で塞がれた場所、すでに崩れ落ちている場所など、足場は不安定だ。

 通れる道を確かめ、慎重に、確実に〈スコーピオン〉がいるところへと近づいていく。タウルスの胸にある魔法石が、相手の持つ魔法石と共鳴しているのだ。居場所を割り出すのは簡単だった。

 静かに近づき、そしてチャンスが来るのを待つ。

 彼らと壁一枚で隣り合っていた時、室内から罵声が飛んだ。外に向かってらしい。威嚇のためか、共鳴が強くなって魔法石が発動する。

 ドコン、と小規模な破壊音に重なって壁の一部が吹き飛んだ。すでに割れていたガラスが、更に細かくなって降っていく。

「白い石……それにあの力。やっぱり念属性か……」

「念属性って?」

「不可視の力だ。念力とか、そういうタイプ」

「属性って何があるの?」

「魔法石の属性は全部で八つ。火・水・風・地・聖・闇・念・無。あれは念」

「じゃあ、あなたは火で、僕は水?」

「ああ、そうだな……って」

 そこでタウルスは不覚を取られたように困惑した顔をして、背後を振り返った。そこに同じく腰を低くしてひざをつく少年の姿。

「何をしてるんだ、アリエス」

「ごめんなさい」

 文句をつける前に後ろからついてきていたアリエスが頭を下げて謝った。出鼻をくじかれてタウルスは口をつぐんだ。

「……おい、俺はあそこで待っていろと言わなかったか?」

「言ってないよ。でも勝手に来たのは謝る。ごめんなさい」

「……ったく。慣れすぎた気配のせいで読めなかったぞ。何しに来た?」

 問い詰めると、アリエスは肩を縮めていたが真剣な表情で言った。

「僕、自分のことが知りたいの。きっと君なら知ってる。だから──」

「あとで教えてやることだって出来る。なんでわざわざこの危険な状況でついてきたのかって聞いてるんだ。どれだけ危険か、さっきの今でわからないとは言わせないぞ」

 強い口調に怯えたようにアリエスはわずかに身を引いた。あえて目をそらさずに見つめていると、アリエスの方が目をそらした。床に言葉が落ちてないか探すような顔つきで、しばらくそうしていると。

「……同じ存在っていった」

「ああ、言ったな」

「兄弟だって」

「双子は自称だ」

「同じだって」

「ああ」

「……あなたは、僕のことを知ってるんでしょう?」

 すがるような目で、アリエスは顔を上げた。タウルスの服を掴み、その中に自分を探そうと必死の表情で語りかけてくる。

「僕は、君のこと何も知らない。同じだって、何も知らない。どう同じなの? なんで僕は君のことを忘れたの?」

「アリエス、それはあとでも、」

「後なんか嫌だもの!」

 アリエスが、握った拳をタウルスの胸に叩きつけた。握られた力に反して、弱い威力だった。タウルスは眉を上げたが、振り払わなかった。

「僕は何も知らなくて、なのに君は何でも知っていて、それなのに目の前でその人が遠くに行ってしまうんだもの!」

「アリエス、」

「どうして、僕は君と一緒にいられなかったの? どうして、僕が狙われたの? どうして、僕の事件に君が関わるの? どうして君ばっかり僕を守ろうとするの?」

 どうして、と弱々しく胸を叩いてアリエスは泣き声を押し殺した。けれどそれは、少し遅かった。


「──おい、そこに誰かいるのか」


「!!」

 タウルスは咄嗟に弟を強く胸に引き寄せた。アリエスも男の声に喉を引き攣らせて、抱きしめられた腕の中で唇を噛んだ。無意識にその手が兄の服を掴む。

「おい、誰か見てこい」

「へい」

「…………!」

 タウルスは歯がみして通路を少し後ずさった。一人きりならば来た奴から叩きのめせばすむことだ。しかし、今は能力の使い方さえ覚えていないアリエスが一緒だ。魔法石の使い方のわからない魔法石使い〈マスター〉は、一般人と同じで足手まといにしかならない。

 どうする──!?

 工場の一部を巻き添えに焼き崩すかと一か八かの結論に至った時、予想外の声がそれを破砕した。

「うわあああっ!」

「何だこのガキは。秘密基地でも作った悪戯小僧か」

 ぎょっとしてタウルスは影から中の様子を窺った。そこは、鈍いランプが灯る中で男に掴みあげられている──シリウスの姿。

「シリウスっ……」

「な、バカッ!」

 それを見て顔を青ざめさせたアリエスが、彼の名前を呼びながら影から飛び出した。タウルスの静止も間に合わない。タウルスも慌ててあとを追った。駆け寄ろうとするアリエスの腕を掴んで引き戻し、突然の進入者に驚く男達の前で弟の盾になる。

「ほぅ……これはこれは。さっきの上玉が親切に戻ってきてくれるとは」

 ランプの前で、一人雄大に椅子に腰掛けるサソリの入れ墨を持つ男──レオが、にやりと笑った。

 タウルスは舌打ちしてアリエスを背中に引き留め、シリウスの様子を窺った。彼は持ち前の気丈さで離せとわめいているが、腕力の差はどうしようもない。吊り上げられたままの顔色は悪くなっていく。

「何故……」

 背後に目を向けると、タウルスの服を掴んだアリエスが、喉で声を引き攣らせながらごめんなさいと呟いた。

「僕が、どうしても行きたいっていったら、俺も行くって、シリウスが……」

「……心意気は認めるが、最悪の状況だな」

 こちらの状況を読み取ったわけでもあるまいに、レオはシリウスを捕まえている男に指示して傍に連れてこさせた。その喉にナイフを突きつけ、

「お友達か? 勇気がある行動だなぁ……無謀としか言えない行動だ」

「シリウスっ……!」

「お友達を返して欲しいなら、交換条件だろう、魔法石の坊や?」

 びくり、と体を震わせてアリエスはタウルスの背中に隠れた。やはり先ほどの事件一覧は、かなりの傷になっているらしい。二人を守るこの重圧に、密かに冷や汗をかいてタウルスはいつでも飛びかかれるようにその場でわずかに身構えた。

「よお、強い強い魔法石使い〈マスター〉さん? おまえのせいで仲間がこんなに減っちまったぞ」

「……そのわりに、悲しそうではないな」

 レオは何がおかしいのか喉の奥でくくく、と笑った。余裕そうに見せているが、先程の冷気を浴びた肌の色が悪い。互いに長くはもたないと目があった時点で悟った。

「……そこまでして『心臓』が欲しいか」

「そりゃあ、高く高く売れるだろうからなぁ。価値は天文学的だろうよ」

「念入りに下調べして連日店をあさり、姿を消すなんて手の込んだやり方を捨ててまで?」

「効率のいいやり方だったろう?」

 レオは椅子から勢いよく立ち上がると、一人に指示して窓の方へ走らせた。そこで外に聞こえるように、男が叫ぶ。

「人質を取った! ガキだ、ガキの命が惜しくば、動くんじゃねえぞ!」

 外の反応は遠すぎてわからなかった。同時に、タウルスの無線機に入る電波。今応えるわけには行かない。応えなければ応えないで、あいつなら状況がわかってくれるはずだ。

「いいもの持ってるな、小僧」

 それに目聡く気がついたらしく、レオが手を出した。

「渡せ」

「……何を、としらばっくれても?」

「ガキの命と無線機、どっちが大事なんだ?」

 不安と緊張で飛び出しそうなアリエスを静止して、タウルスは無線機をベルトから抜いた。放れとの指示で、アンダースローで投げる。男の一人がそれをキャッチした。レオがそれを受け取る。

「聞こえているか、管理局の犬」

 向こうの声が、一瞬沈黙を挟んで応えた。

『……聞こえている。君は誰だ?』

「おまえらが包囲している、とても困った人間だよ。人間は助け合いが大事だろう? 助けるために邪魔なものをどかしてもらいたいがな」

『抜かせ。助け合いならこちらが助けて貰いたいものだ』

「いい度胸だ。ガキが死んでもかまわんと言うんだな?」

 ひっ、とシリウスが引き攣った声を上げた。「ダメ、局長さん!」アリエスが反射的に叫び、それが向こうに状況を悟らせたようだった。

『……人質は何人だ?』

「さあなぁ。何人なら安心する?」

『……この無線機を持っていた人物が聞いていることを祈る。住民と最低限の機動隊を半径三百メートル外に避難させる』

「そりゃあありがたい配慮だ。逃亡車はまだか?」

『…………』

 無線機の向こう側の声は一瞬沈黙し、それから意味深な単語を一言吐き出した。

『幸運を祈る』

 そして無線はぶちり、と途切れた。

「なめてやがるな……」

 レオは壮絶な表情で外を睨み、無線機を叩き落とした。それをブーツの踵で遠慮なく踏み砕き、ナイフをシリウスに突きつけ直した。

「交換条件と行こう、ガキ。こっちの子供が返して欲しければ、おまえの心臓を寄越せ」

「──……っ!」

 睨まれたアリエスは、喉を引き攣らせ強くタウルスの服を握りしめた。友だちの命と自分の命、天秤にかけられぬものが懸けられている。思考が真っ白になり、アリエスは呼吸の仕方を忘れたように喘いだ。

「断る」

 答えたのは、アリエスの前に立ちふさがるタウルスだった。完璧に意思を固めた、鉄壁のような声音。即答ではないが、断言に近い最悪の道を選ばせる答えだった。

「こいつは渡さない」

 驚き表情をこわばらせるアリエスの前で、タウルスは背中越しに弟を下がらせた。その背にアリエスは何を読み取ればいいのかわからない。どうにかしてやるという決意か? 諦めろと言う諦観か? 悩むなと言う叱咤か?

 ――アリエスには、わからなかった。

 案の定、レオは怒りを顔に浮かべて低い声で唸った。まさしく、その名の通りの猛獣のように。

「……どういう意味だ、小僧」

「そちらの子供を返して貰おう」

「交換条件だ。そっちのガキの心臓を──魔法石を寄越せ」

「……あいにく、あいつは俺にとって一番大切な存在だから渡すわけにはいかない」

 ぎょっとするほどの、ふてぶてしい発言だった。何を言い出すのかと、アリエスが彼にしがみついてやめてと声なく叫んだ。

「じゃあこっちのガキが死んでもいいって言うのか?」

「いいや。代わりの俺の魔法石をやろう」

「はぁ? おまえの? ……ははは、俺が欲しいのは純度一〇〇の魔法石だ! おまえの魔法石がいくつか知らねぇが、比べものにならねえよ!」

 レオが高笑いにも似た声で笑い声を上げ、それに乗じて男達も笑った。このガキは何を言っているのか。そんなものが、ただの石が交換条件に当てはまるとでも思うのか。そういった意味だったが。

 タウルスは常に身につけているベルトの背中側から、一本のナイフを抜いた。笑いを収め、思わず身構える〈スコーピオン〉の前で、タウルスは服の上から自分の胸にナイフを突き刺した。

「────!」

 レオも、男達も、人質にされているシリウスも、背後から見ていたアリエスも、動揺に息を飲んだ。それを気にも止めず、タウルスはナイフを下に引いて、露わになった傷口を自分の手で広げて見せた。

 広げられた傷口から──


「俺の心臓も、魔法石だ」


 輝く、赤い石が見えた。

〈スコーピオン〉は身をのりだし、それが何なのかと覗きこんだ。

 赤い、燃えているようにきらめく石。それは先ほど見た心臓のように綺麗なハート型をしていて、大きさも握り拳分はあった。光もまた、一定の速度で鼓動のように明滅している。

 それは赤く透き通り、炎を閉じこめたかのような、どこまでも燃える熱を秘めた魔法石。輝くとオレンジ色に灯り、そして炎の色で静まりかえる。

 温かく、強い光で──

「『炎の心臓』」

 男の中の誰かが、呟いた。

「そうだ、資料に載っていた──」

「〝ジェミニ〟とかって奴の片割れ──」

「『氷の心臓』と対をなす──」

「純度一〇〇の、魔法石!」

 男達の声は、一言ずつに興奮を増していた。

「その心臓を、寄越せッ!」

 タウルスは冷静な顔で、淡々と応えた。

「人質を解放するなら、くれてやってもかまわない」



   ◆17


 ──こんなことが、前にもなかっただろうか。


 アリエスの意識は、突然切り離され時間とさよならされてしまったみたいに、ふわりと宙に浮いていた。そこで、最初に思ったことがそれだった。

 背中。誰かの背中を見ている。大きな背中。大きいと感じた。けれどそこまで自分と違いはなかったはずだった。

 髪は長かった。自分と同じような色で、けれどみんな彼の髪は小麦色と形容していた。

 その人はいつでも自分の傍にいてくれて、いつでも声に応えてくれた。手を伸ばせば握ってくれて、笑いかければ笑い返してくれた。

 ずっと──ずっと一緒にいた。

 なのに。


 視界にノイズが入る。白黒のノイズ。赤が交ざってるような気がする。何を見てるんだろう。

 ぼんやりとそれを見つめていて、アリエスは気付いた。自分は地面に座り込んでいる。目の前に彼が倒れ込んでいる。その更に向こうにはうめく黒い服の変な奴らがいて、それが武器を構えて彼を狙って──

『────ッ!』

 自分は何かを叫び、それに被さって彼の声が聞こえた。

『やめろォ───ッ!』

 視界は斜めにぶれ、そして溶けて消えた。


 そうだ。

 そうだ思い出した。

 実用性を図るために受け渡された任務。すでに彼は三度目で、自分は初めてだった。

 相手は何かの犯罪グループで、密輸とかそういうことをしていて、自分たちはそれを止めるためにいったはずで。

 けれど自分の不手際で彼が代わりに銃弾を受けて、それでも彼は力を使って相手を叩き伏せた。自分は呆然としているばかりで、彼にすがろうとしていて、だけど相手が彼に銃を向けたから──

 自分は、人間を殺した。


『もう二度とあんなことはさせたくないんだッ!』

『けれど、タウルス、君は──』

『俺はいい、だから、あんなになって……壊れてしまう前に、頼む……』

 彼の声が聞こえる。初めて聞いた、彼の泣きそうな声。

『あいつが人なんか殺さないですむように──。俺がやるから、あいつは……幸せな生活をさせてあげてくれ……』


『おはよう、気分はどうかな』『俺はタウルス』『君たちは仲がいいね』『兄弟か』『双子みたいだ』『〝ジェミニ〟というコードネームが』『よろしく頼むよ』『大丈夫だ』『魔法石使い〈マスター〉はさ、』『ここにいたのか』『アリエス』『兄さん──』

 目覚めた時、父さんと兄さんが傍にいた。最初に手を取ったのは兄さんだった。

 声が、木霊する。反響する。うるさい。けど懐かしい。心地よい。でも遠い。


 ずっと傍にいた。けれどたった四年だった。五年目から、自分は記憶を封印され人間として生きるために、記憶喪失を装って街で生活し始めた。その間も、彼はずっと働き続けた。壊れてしまう前に助け出された自分の代わりに──彼は人を殺すことも辞さなくなった。

 最後の──別れる瞬間まで、彼は泣き言を言わなかった。


『兄さん』


 最後まで、僕は彼を兄と呼んで慕っていたのに──……。



 ◆18


 タウルスはかまわず男達の方に足を踏みだした。喜びつつも警戒は捨てていない彼らに、再度重ねて言う。

「そちらの子供を返してくれ」

「おまえがこっちに来たら離してやる」

「五メートルまで近づいたら、でどうだ」

「油断は出来ない」

「この状況で、もう〈起動術〉なんて唱えている時間はない」

「……ナイフを捨てろ」

 広げた手から、ナイフが澄んだ音を響かせて床に落ちた。それをまたいで、また一歩。

「そのままこっちに来い。三メートル手前で止まれ。手を挙げろ」

 素直にタウルスは指示に従った。ゆっくりと近づき、そして止まる。

「心臓を、自分で掴み出せ」

 ぎょっとすることを言い出した相手に戦慄しながら、アリエスは事態に置いてきぼりを食らったような孤独感を味わっていた。

 じゃり、とタウルスの足下で砂が鳴る。彼が〈スコーピオン〉に相対して……それからどうなる? 心臓を渡して、どうなる?

 動かなきゃ……動かなきゃ!

 どうすればいい? どうする?

 自分に出来ることは? 出来ることを……思い出せ!

 今一番大事なことは――……

 一か八かの賭だ。それでも自分が傷つくよりは親友と兄を失う恐怖に耐えかねて、アリエスは自分の元を離れた背中に追いすがって声を張り上げた。

「シリウスを離してッ! 僕が……僕が代わりになるから!」

「――アリエス!?」

 タウルスの体を突き飛ばしてシリウスに駆けよろうとする弟の腕を焦った顔で掴んで、タウルスは慌ててその体を引き戻した。けれど混乱しているかのように途切れ途切れに言葉を紡ぐアリエスは、その拘束を振り払ってレオの前に駆けよった。「ありえす……っ」悲壮な声でシリウスがか細く呟く。

 眼前にやってきた獲物を前に、レオは獰猛な顔を作って笑った。

「……おい。離してやれ」

 レオの声に、人質を捕らえていた男はシリウスを突きとばし、すぐにアリエスの首根っこを掴んで腕を回した。首ががっちりと固定され、それだけでアリエスは動けなくなる。床につき転ばされたシリウスは慌てて起き上がろうとしたが、極限の緊張状態にさらされて力が入らないようで、体を起こしかけては地面に倒れ込む。

 選択肢を与えられた上から塗りつぶされたような心地だ。タウルスは歯軋りした。

「さあ取引の続きといこう。こいつが惜しけりゃ心臓をだしな」

「取り出したところで、アリエスを解放する気はあるのか?」

「いいや? おまえの後でこいつもえぐり出してやる」

 アリエスとシリウスが同時に引きつった声をこぼした。タウルスは予想していたように、嫌悪のにじみ出た顔で眉をしかめただけだった。

「それと……どうせ目撃者は生かしておかん」

 レオの魔法石が強く発光する。放たれた衝撃波が向かうのは――呆然と床で硬直するシリウスだった。

「!」「ダメぇっ!」

 無音の衝撃派は息をのみ凍りつくシリウスを吹きとばし、骨や内臓をたたき壊す威力だったが――

「ッ!」

 矢のように飛んだ念力は、何故かシリウスの直前で弾かれたように拡散した。それも、雪が散っていくような淡い動きではなく、透明な盾にさえぎられたような反射の仕方だった。しかし風の勢いだけは残ったようで、

「ぶはっ!?」

 少年は突風に殴られたように後ろへひっくり返った。

「な……」

 予期せぬ現象に、誰もが声を無くして静止した。一番目を白黒させていたのは間違いなくシリウスで、よろよろと頭を起こして何が起こったのか辺りをきょろきょろと見回している。その肩先に、きん、と音をさせてきらりと光る石が落ちた。

「あ――」

 アリエスが落としていった、あのペンダント。状況も考えずシリウスは必死にそれを拾い上げた。同時に魔法石の優勢に頼っていたところが大きかったのだろうレオは予想外の結果にかなり動揺したようで、声なく叫んで魔法を発動させた。タウルス達が止める暇もなかった。

 迫る光にシリウスは慌てて後ずさろうとしたが、廃墟にたまった埃やら砂やらに足を取られ、結局一歩も動けなかった。顔をかばうように反射的に伸ばした両手に――絡まるペンダント。

 シリウスの眼前に確固たる盾か城砦か、あるいはあらゆる攻撃を受け付けないと胸を張る騎士か何かが立ちふさがった様に見えた。再び念力が何かに衝突し、衝撃波だけを残して消滅する。

 またしてもシリウスは後ろに倒れたが、本来の力が与える効果は現れない。その場の全員が絶句する。

 念属性の魔法石は、念動力ともいう見えない力を行使する。それは魔法石の固定振動数で空間に干渉し、無理矢理力場をねじ曲げているに過ぎないが、威力は凶悪なものだ。だが、それは見えないからこそその場に魔法現象がとどまることはなく、一瞬で効果は終わり拡散していく。

 拡散の寸前、タウルスはシリウスの持つペンダントの正体に気付いた。発光はしない、起動術も存在しない、共鳴さえほとんど感じられない――九割はふつうの石と変わりない水晶のような無色透明の石。

 無属性の魔法石。

 魔法石の特徴をことごとく否定する要素を持ちながら、ただの鉱石であることも否定する現在もっとも謎に包まれた石。起動させる術はなく、効果発動を知らせる発光もない。なのに、それらは自発的にある魔法を発動させる。

それが――魔法の無効化。

 ありとあらゆる魔法石によって引き起こされた現象を打ち消す力を持つ魔法石。何故彼がそんなものを持っているかは疑問だったが、この状況で一般人のシリウスがそれを持っていたのは僥倖だった。しかも絶句したままの〈スコーピオン〉はそれに気付いていない。その中、元も早く我に返ったのは別の意味で驚いていたタウルスだった。

 一挙動でアリエスを拘束する男に殴りかかると、相手は不意を食らってバランスを崩した。それでもアリエスの腕を掴んだ手を離さないので、タウルスは躊躇せずその腕を素手でわしづかみにした。

「ぎ……ぎぃやああああああああああああ――――!」

 男が絶叫する。タウルスが掴んだ腕は、火ぶくれや火傷を通り越し、水分を蒸発させ炭化していく。それを受けて発狂するかどうかはタウルスにとってどうでもいい。その手からアリエスを引きはがし、彼は叫んだ。

「アリエス! そいつを連れてはやく逃げろ!」

 アリエスが反応しかけ、逃げだそうとしていた足を止めて振り返る。

「兄さんッ!」

「……早く!」

 久方ぶりに聞いた呼称に、一瞬頬がゆるみかけるのを自制してタウルスは傍にいる男に拳をたたき込んだ。レオがやっと我に返り怒号を発する。

 相応の気概はあるらしい男達が、シリウスに駆けよるアリエスの襟首に手を伸ばす。その腕にタウルスから投げつけられた鉄パイプが直撃し、うめいて一人が飛びのいた。

「シリウス、下がって!」

 どうにか立ち上がろうとしていたシリウスを突きとばし、アリエスは目をぎらぎらと光らせる男達に相対した。〈起動術〉を唱えるまでもない、もう自分は力の使い方を知っている。

 その瞳は決意をあらわにした強い眼力を秘め。

「立ちふさがれ、絶壁の白!」

 床から水晶のような氷柱が〈スコーピオン〉の行く手をふさぐように無作為に立ち上がった。突如現れた魔法に驚愕し、シリウスが声を上げる。透明な壁の向こうで、タウルスがまた一人叩き伏せているのが見えた。

「兄さん!」

「かまわん、行け!」

 アリエスは一瞬、共にここで戦おうかと考えた。けれどその決断をする前に、全身の感知器がある異常を察知して警告を鳴り響かせた。

 熱い──……!

 思い出した記憶に、その情報もある。〝ジェミニ〟はその内包する力から、体の機能が人間より大幅に改良して付与されている。例えばそれは、アリエスの力で絶対零度摂氏マイナス273.15度に達しても動ける機能だったり、タウルスが氷を溶かそうが木を焼こうが鉄を溶かそうが平気な理由であったりした。

 そこで人間と明らかに違うのは、食べる・寝るなど行動は同じでも、与えられた衝撃に鈍いという結果。痛みもほとんど感じないため腕を落とされても動けるし、胸を裂いても血は流れない。同様に、暑さ寒さの両極端を操るからこそ、温度の変化にはとても鈍い。

 ──一方向にのみ。

 炎は氷を溶かし、氷は炎を消す。それを体現するように、〝ジェミニ〟は互いの力を抑え合うことが出来た。氷を扱うものが寒さに弱くてはならない。だからアリエスは寒さに強い。

 それは逆に、熱さを感じた時にはいち早く暴走を止めなくてはいけないという理由から、ある反応にだけは敏感になった感知センサー。

 タウルスがアリエスの発した冷気にいち早く気付くように。

 アリエスもまた、タウルスが発した熱気にいち早く気付く。

「……わかった!」

 何が起こるかわからない。なら今アリエスがやれることは、足手まといにならないよう一刻でも早くここを離れることだ。

 アリエスは〈スコーピオン〉と相対する兄の背を見つめ、身をひるがえし、普段なら想像も出来ない強い力でシリウスを引き起こして引きずるように部屋を飛び出していった。

「貴様ァ……!」

 軋んだ声でうなり、レオが肩を怒らせる。狙っていた獲物が人質ごと去っていく。これでこちらの手の内はゼロ。大物を逃がすどころか大損だ。

 タウルスは顔色一つ変えないまま相手の正面に向き直った。肩で息をする獅子が獲物を射殺さんばかりに鋭い眼光を向けてくる。

「とんだ化け物が……!」

「今更だな」

 即答する少年に、レオは憤怒の表情を徐々にべつの顔へと変えていった。恐ろしさか、常識外れか、何かにつけて表れる意図しない感情。引きつった声で、くっくっと笑い声を上げはじめる。

「それで、どうする? 『炎の心臓』を持ったガキ。辺り一帯を焼き野原にでもする気か?」

「やって見せてもいいが、そこで死ぬのはおまえたちだけだな」

 はっ、と笑ってレオは透明じみた乳白色の石を取り出した。

「だったらその前に、おまえも殺してやるよ!」

 光が急速に収縮し、驚愕の表情を浮かべるタウルスの前で光は爆発した。



   ◆19


 賊がたてこもっていた工場の二階は、前触れなく唐突に箱が破裂するように辺りに瓦礫をばらまいて爆発した。周囲に響き渡った破壊音は硝子やコンクリートが壊れる耳障りな音を発して収まり、待機していた機動隊もとっさに耳をふさいでひれ伏したほどだった。

 その不協和音は嫌な耳鳴りを残してすぐに消え、崩壊する音だけが数分間に渡って轟いた。轟音が収まると、あとにはしん、と不気味ほどに静まりかえった工場が……いや、廃墟がたたずむのみ。

 後方に待機していたのに轟音に眩暈を感じたサジタリウスは、後の指示も放り出して現場に駆け込み、瓦礫の中でシリウスを抱えて座り込むアリエスを見つけた。

 アリエスは緊張にこわばった、あるいは呆然とした顔で現れたサジタリウスを見つめ返していたが、そこで緊張がほどけたようにほっと肩をおろした。本来なら現場にいることに怒るべきだったが、

「──……」

 言葉を思いつけずに、サジタリウスは息だけ吐いた。

「……無事だったか」

「はい」

 アリエスは服を埃だらけにしていたが、シリウス共々怪我はないようだった。何故無傷だったかを考える余裕はなかった。それだけ確認し、サジタリウスがすぐさま指示を出しながら踵を返し、兵士が気を失ったシリウスを運び出そうとする中、

「父さん」

 アリエスが、そう呼んで彼を呼び止めた。白衣の背中は驚いたように揺れ、ゆっくりと振り返った。眼鏡の向こうの瞳が、問いかけるように揺れてほころぶ。

「……そう呼ぶのは、君だけだったな」

「うん」

 研究部が数十年数百年をかけて目指してきた、人為的魔法石使い〈マスター〉の作成。その初代完成品達、元素魔法石使い〈エレメンタルマスター〉を作り上げた制作者兼その〝父親〟となった彼は、それ以上何も言わなかった。ただ、懐かしむような、泣きそうな、でも嬉しそうな……曖昧な表情を浮かべて小さく頬をゆるめた。アリエスは子どもの頃のように、父に飛びついた。

 父はごく普通の子どもに接するように、いや、それよりも愛情深く、アリエスの体をしっかりと抱きしめた。

「……ね、僕兄さんを探しに行ってきていいかな」

「いいよ」

 サジタリウスはもう一人の息子に笑いかけた。

「頼むよ。……あの、意地っ張りで家族想いなお兄さんをよろしく」



   ◆20


「……の、クソガキめ……」

 荒い息をつきながら、傷だらけの体を引きずって、レオは外に向かっていた。のろのろした足取りはずいぶん遅く、何度も廃墟の中で轟音が響くのを聞いた。それを一切気にかけず、ただ男は呪詛としては貧弱な語彙を呟きながら逃げ道を探す。けれど冷たい夜気の入り込む出口には先客がいた。

「こんばんは」

 白衣を羽織った、痩躯の男が待っていた。レオは顔をしかめた。

「誰だてめえ」

「おや、これは失礼。俺は管理局研究部の局長、サジタリウスです。君たちが最初に襲って資料を盗んだ、あの場所のトップだよ」

「……ふん、トップのお偉いさんがここで何してやがる」

 荒い息の下で粋がったが、相手は何の反応もせず。

「もちろん、君たちを捕まえにきたんだよ」

 サジタリウスは、にこりとにやりの間の笑顔で笑って向き直った。

「その入れ墨、サソリだね。裏社会で名を馳せている大組織の一員かな? 名前を尋ねても?」

「〈スコーピオン〉の幹部、レオだ」

「Leo……〝蠍座〟に〝獅子座〟ね。素晴らしいセンスだ。どうして名前を素直に教えてくれたのかな?」

「おまえを殺せば、漏れることがないからだ」

 一片の躊躇もない声でレオが言うと、それに動じた様子もなくサジタリウスもうなずいた。

「素晴らしい、明確だね。でも今の君の状況で俺を倒せると思うのかな?」

「ぬかせ」

 傷だらけとはいえ、筋肉のついた巨躯が猛獣のように地を蹴る。

 無傷とはいえ、細身で戦いなど無縁そうな白衣の体が腕を上げる。

 レオの拳は向かいの壁にぶつかる直前で空を斬り、目標を見失って左右にぶれた。

 最小限の動きで攻撃を背後にかわしたサジタリウスは、かすかに動揺する気配に腕を伸ばし、その体を投げ飛ばす。

「――――!?」

 勢いよく吹っ飛んで、何が起こったかわからぬままレオは顔を上げる。壁に背を付けたその体に、容赦なくブーツの底がたたき込まれた。

「ぐあっ……」

 身軽なリズムで距離を取った白衣の男は、眼鏡の蔓を押し上げてにこりと笑った。その陰にトゲを含んだ、絶対的な勝者があがこうとする敗者にむけた笑み。

「ご愁傷様」


 結局、それまでだった。



   ◆21


 共鳴反応が近づく。遠くから、ふらふらと揺れて、近づいてくる。

 赤い光と青い光が見えるような気がして──息を吐き出したまま、待っていた。

 近づいてきた足音は、地面に転がった体の横で止まり。

 そっと、頬に冷たい手が触れた。

「──……」

 タウルスは、そっと目を開けた。満天の夜空を背景に、アリエスが泣きそうな顔をして笑っていた。

「……アリエス」

「兄さん」

 声は必死に我慢しようとしていて、それでも絶えきれずに決壊し、アリエスは兄の首にしがみついた。ボロボロになった服に頬をこすりつけ、涙が吸い取られていく。

「痛いよ」

「嘘」

「うん」

 短い、それだけの会話を交わして、タウルスは再び目を閉じた。

 とくん、と誰のものかもわからない心臓の鼓動が聞こえた。



   ◆22


 魔法石連続強奪事件は、リーダーの逮捕で決着がついた。盗まれた魔法石も回収され、管理局で総合調査のうえ持ち主に返却するという。

 結局この地域で魔法石強奪を繰り返していた組織〈スコーピオン〉は、レオの逮捕を持って根絶された。しかし同じ名前の組織が他にもいくつかあるとの情報で、それは警察の方が包囲網を張って割り込みを始めている。

 魔法石の被害をもろに被った廃墟は取り壊しが決定され、被害のあった場所は瞬く間に修復されて何もないように取り繕われている。真実は一般人には手の届かない領域の事件なのだ。

 そうしてひとまず悩みの種は片付いたのだったが……。

「だから、何で!」

「何度も言っただろう。おまえは別働隊で任務中なの! 俺とは管轄が違うって」

「ずるいー! だって僕普通に生活してるだけじゃないー!」

「当たり前だそれが任務なんだから! 俺だって昨日の今日でもう別の仕事があるんだよ」

「僕も行くー!」

「出来るかアホ!」

「酷いひどいひどいー! 兄さんのバカー!」

「あーもうバカで結構! わがままいうな!」


「…………」

 一晩管理局のベッドでお世話になったシリウスは、翌日、遅刻でもいいから学校に向かおうとアリエスを迎えに行ったところ、そのバカバカしいほどに低レベルな喧嘩を目撃することになった。

「おや、おはようシリウス君。調子はどう?」

「あ、局長さん。おはようございます……もうすっかり大丈夫ですよ」

「君も、あんな事あったわりにタフだよね……。将来管理局に来ない?」

「俺、計算とかダメですよ」

「動ける方でもいいよ。機動隊とかね」

「……ちょっとつらいですね」

 あはは、と笑ってサジタリウスはその部屋で勝手にココアを作り出した。ココアが好きなのかも知れない。けどここって、説明の通りではタウルスの部屋だったような。

「ほら、友だちが迎えにきてんじゃねえか。学校行ってこい」

「うううぅ~……」

 シリウスが来たことに気付いたタウルスは、そうやってやっとアリエスを引きはがしにかかった。アリエスは親友と兄を見比べた後、べしっ、とタウルスの胸を叩いた。

「痛い」

「嘘」

「うん」

 服にしがみついてくる弟の背中をぽん、と叩いてタウルスはため息をついた。朝からずっとこの調子で、封印していたはずの記憶を取り戻したアリエスは一緒に行動するといって聞かないのだ。学校に一緒に行こう、仕事にもついていくといって騒いでこの状態である。

 いわれていることはとても嬉しいし、タウルス本人もアリエスと一緒にいたいというのはあるのだが、仕事は仕事で割り切った考え方になれているので平行線の喧嘩をしているのだった。

「別に、記憶をまた消すっていってるわけじゃないんだからいいだろ?」

「……嫌だ」

「……んなわがままいってると、無理矢理記憶消されて出されるぞ」

 扱いに手を焼いて適当なことを言うと、「あ、失敗」というサジタリウスの声が飛んだ。は? と聞き返す間もなく胸にしがみついたアリエスがボロボロと声もなく泣き出した。

「いっ……!? ちょ、アリエス!?」

「ほらー、アリエスって涙もろい子じゃない? やだなー、離れてるうちに扱い忘れちゃったのー?」

「やかましいサージ! あー、ちょいアリエス! ごめんって失言だった! そんなことないから安心しろって」

 今度は慌てて慰めにかかるタウルスを見て、シリウスは呆れ二割感心八割のため息をついた。本気で困っている様子のタウルスに加勢するでもなく、声をかける。

「アリエスー。学校遅れるぞー」

「一日くらい休んだっていいじゃない……」

「別にかまわんけどよ……スピカに心配されるぞ? もうかなり。あんなことあった直後だし、あいつその場にいたし」

「うううぅぅ……」

「…………」

 タウルスはため息をついて、アリエスが諦めるのを待つ体勢になった。サジタリウスは肩をすくめ、シリウスに声をかけて豪華な朝食でもどうかと誘い、外に出て行った。シリウスは一度タウルスを振り返り、親指を立てて出て行った。どういう意味だ、いったい。

 途端静かになった部屋に、アリエスのぐずる声が足されて、消えた。

「…………」

「…………」

「…………」

「……える」

「うん?」

 ぽつりと呟いた声に聞き返すと、更に強く服が引き寄せられて、タウルスの胸にアリエスが頬を寄せてきた。

「……なんだ」

 気恥ずかしさを堪えて問うと、今度ははっきり言葉が返ってきた。

「聞こえる」

「……何が」

「鼓動」

 服を掴んでいた手を離すと、アリエスのその腕が背中に回ってきた。体温はタウルスの方が高く、アリエスの方が低い。なのに、温かい腕だった。

「……兄さんは、生きてるよね」

「ああ」

「……僕も、生きてる」

「そうだな」

「………怖かった」

 兄さんが、心臓を見せた時が一番怖かった。呟いて、胸に顔を埋めてくる。その頭を撫でて、

「……悪かったな」

「……うん」

 ぎゅ、と力一杯抱きついてくる弟に、

 兄も、力一杯抱きしめ返した。

 血のつながりもなく、

 何の関係もないけれど、

 魔法石の心臓を持つ、世界に二人の存在証明。

 だから、世界で二人の兄弟。

「休みになったら、遊びに来い。それぐらい平気だ」

「ホント?」

「本当だ」

「……うん。兄さんも、遊びに来てね」

「……難しいことをいう」

 わしわしと髪を撫でてくる手がくすぐったくて、アリエスはくすくすと笑い声をこぼした。



「いってらっしゃい」

 管理局の玄関ロビーまで見送ってくれたサジタリウスは、そういって手を上げた。学校まで送ってくれることになった管理局の職員が、外で車を用意して待っている。

 さっきまでとは打って変わって笑顔になったアリエスが、元気よくうなずいて手を振った。それについて行きながら、シリウスはふとこの兄弟二人を表す端的な言葉を思いついて、隣を振り返った。

「なあ、アリエス」

「? なに?」

「おまえの兄さんって、ブラコンなのか?」

 間。

「あははははははははは!」

 聞いた瞬間笑い出したのは、神妙な顔をして聞き耳を立てていたサジタリウスだった。ツボにはまったようで、ロビーに響き渡るような声で笑い転げている。笑い声に押されたように首を横に倒して、タウルスは微妙な顔をしていた。

「あははははそうだよね兄弟仲いいからねあははははは!」

「笑うか喋るかはっきりしてくれ、サージ。……とりあえず黙ってろ」

 タウルスが容赦なくサジタリウスの頭をはたいて、局長は声を抑えてくっくっと笑い始めた。問われた方のアリエスは、そんな家族を見て困った顔で首を傾げた。

「さあ……そんなこと思ったことなかったけど。でも仲いいねってはいわれてたよ」

 ほぅ、とうなずいてシリウスは張本人に目を向けた。視線を受けたタウルスは微妙な顔のまま腕を組み、

「その呼称ははなはだ不服だが……まあ、頑として否定するわけでもない」

「否定しねえのかよ」

「明言は避けよう」

 シリウスから顔を背けたタウルスは、近寄ってきたアリエスの頭をぽんぽん、と叩いた。アリエスもまんざらでもなさそうだ。シリウスは盛大にため息をついて頭をかいた。

「だと思ったけどよ。……まあいいや、仲がいいのはいいことだからな。じゃ」

「あ、いってきます」

「うん、気をつけてね」

 さっさと歩き出すシリウスに続いて、アリエスが駆け出す。扉をくぐる一瞬、ロビーを振り返り、

「いってらっしゃい」

 手を挙げるタウルスを見て、笑顔で応えた。

「──いってきます!」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔法石の心臓 あっぷるピエロ @aasa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ