死者のメッセージ

朝山力一

捜査


「警部」黒髪長髪の女刑事が古村恭平こむらきょうへいの名前を呼んだ。「こちらです」

 古村は手を振る火川ひかわを目指して、真っすぐに歩いた。

「君の名前はよく憶えてるよ」

 火川がほほ笑む。

「火川さんだよね」頷く火川を確認し、「やっぱり。むさい男ばっかりだからさ、みんな同じ顔に見えるんだよね、ほら、あの役に立たない変な刑事いたでしょ、えっと名前は――」

神畑かみはたさんですね」言い難そうに火川が答える。

「かみはた、そう、神畑。神様の神に、はたけって書くんでしょ。生意気な名前だよね、だって神だよ。それに噛みやすいし、いいとこなしだよ」

 火川の視線が古村の後ろへ移る。

 視線につられ古村が振り返ると、そこには神畑の姿があった。

「あれ、いたの」

「いましたよ」

「いつから?」

「役に立たない変な刑事がいたでしょ」

「わかってるんだったらさっさと消えなさいよ」

「仕事なんですからそういわけにもいかないんです」

「大丈夫、火川さんがいれば十分だから、君と違って優秀だし、それに、美人だし」

「あっそれ、セクハラですよ」

「うるさいやつだね、さ、行こうか火川さん」

「はい」

 古村と火川が歩き出すと、神畑もその後ろついて歩き始める。

 三人はトラトラマンションのエレベーターに乗り込み八階を目指す。

「どこへ向かってるの」

「亡くなった林田さんのお部屋です」ボタンの前に立った火川が答える。「遺体をご覧になりますか?」

「いやいい、そんなゲテモノみたくない」

 エレベーターが停まり扉が開く。

「林田さんのお部屋は、そちらの805号室です」エレベーター中で、火川が手の平を差し出す。エレベーターから見て右手側だった。

「自殺でしょ」

 古村は振り返りながら、最後にエレベーターから出てきた火川に言った。

「ええ」と返事をしながら、小走りに火川が古村へと近づく。「ただ、飛び降りる直前まで一緒にいた人物がおりまして」

「目撃者ってこと?」

 そう尋ねるのは神畑である。

「目撃者といえばそうなんですが、その女はいわゆる愛人でして」

 火川が立ち止まり、ドアを開ける。「どうぞ」といい、ふたりを室内へ招き入れる。

「奥がベランダです」という言葉に従い古村と神畑は、廊下を奥へと進む。

 突き当りの扉を開けてすぐ、「なんか匂うね」、と古村が言った。

「いい匂いじゃないですか?」

「君、鼻、どうかしてるんじゃないの」

「鼻まで馬鹿にしないで下さいよ」

「失禁の跡ですね。それと、キッチンには煮込みハンバーグがあります」

「失禁?」

「ちょうど、その、神畑さんが立っているあたりに、失禁の跡がありました。今も残っていると思います」

「ええっ」と声を上げながら、神畑が飛びのく。

「林田さんの?」

「はい、科学的な分析はこれからですが、おそらく」

 床に視線を落としながら、古村はゆっくり二回、三回と頷いた。

「おもらしの跡をみんなで見に来たわけ?」

「たぶん、その女が突き落としたんですよ、それなのに相手が自殺したって言い張ってる」神畑が顎に手を当てながら語り始める。「他殺を自殺に偽装してるわけだから、その証拠を探しにきたんでしょ」

 よどみなく話す神畑を古村と火川がじっとみつめ、そして、「そうなの?」と古村が火川に尋ねる。

 火川は首肯し、「神畑さんは、ほんとうにごくまれに、神がかったことを仰いますね」

「ほんとうに、とか、ごくまれに、とかは余計だと思うよ」神畑は照れている。

「でも別に何の役にも立ってないよね」古村が言う。「だってほら、そういうつもりでここに来たんでしょ? それはつまりさ、握りこぶしを出されて、中になにが入っているか当てるようなもんでしょ? たまたま当たったかもしれないけど、別に、何の役にも立たない。だってそうでしょ、握りこぶしを差し出した人は答えを知ってるわけだからさ」

 神畑と火川は黙って目線を落とす。

 くるりと回って背を向ける古村に対して、神村が「ほんと負けず嫌いだよね」と火川に耳打ちする。

「なんか言った?」

「いえなにも」

「それで、状況は?」

「はい」と火川が返事をし、「かいつまんでご説明いたします」

 古村がゆっくりと頷く。

林田康男はやしだやすお五十五歳は、愛人の室前篤美むろまえあつみ二十五歳と、別れ話をしていました」

「その室前がカッとなって突き落としたけど、自殺を主張してる」神畑が口を挟む。

「それが微妙なところでして」

「ふうん」と適当に相槌を打つ古村が、ソファを指差す。「座ってもいいかな」

 火川が軽く頷くのを確認し古村は「よっこらせ」という掛け声とともに、ソファに腰掛ける。

「そんなに別れたくなかったんですかね」

「どっちが別れ話を切り出したの?」

「室前の話によると、林田だそうです」

 首を傾げる古村に、火川が「なにか気になりますか」と問い掛ける。

「ここは林田さんの部屋なんでしょ? 普通、別れ話をするとき、相手を自分の部屋に呼ばないでしょ」

「それは、人それぞれだと思いますけどね、まあ僕だったら公園とかにするかな」神村が感想を述べる。

「続けて」

 古村が神村を無視し、火川もそれに続く。

「室前は、林田が別れ話を切り出し、そして、自殺した、と証言しています。彼女は、室前を脅したそうです」

「別れるなら全部ぶちまけてやる! みたいなこと?」と神畑。彼は無視されることに慣れている。

「ありがちだね」と古村。

「ええ、つまり、室前が脅したから自殺してしまった、ということです」

「それを、その、いわゆる愛人さんは、認めてるわけ」

「はい」火川は返事をしてから、こう付け足した。「あの、いわゆる、というのは単なる修飾語でして、その――」

「わかるよ」古村が無表情で答える。

「失礼しました」火川が頭を下げる。

「殺すなら、男が女を、だね」

「林田が室前を、ということですね」古村が頷くのを確認して、火川は続ける。「普通、恐喝者が相手を殺すことはありません。恐喝を被った側、つまり、この事件の場合は、林田が室前を殺すはずです」

「ああ、なるほどね、せっかくのカモを殺したら、うまみがなくなってしまうからね」そう言ってすぐに、神畑は首を傾げ、火川に注目する。「でもさ、室前が嘘をついてる可能性はないの?」

 点いていないテレビの画面を見ていた古村も火川に視線を向ける。

「否定はできません。それはつまり、室前が別れ話に激昂して、林田を殺した、ということですね」

「そうだね」

「現場に争った痕跡はありません。林田の悲鳴を聞いた住民はいますが、口論など、喧騒を耳にした人物はいません」

「ということは」古村が手の平を神畑に差し出す。もちろんこれは、答えろ、という無言の圧力である。

「えっと、つまり、ずいぶん、静かに突き落としたんだね」

 古村は無言である。火川はじっと神畑を見つめている。

「ち、沈黙はやめて下さいよ、ドキドキしちゃうじゃないですか」

「人が誰かを突き落とそうとしたのに、争わず、大声一つもあげないという状況は、不自然です。なので、やはり自殺ではないかと」

「でもさ」神畑が反論する。「相手が抵抗できないように薬で眠らせたとか、騒いだら殺すみたいなことを言って脅したとか、いろいろ方法はあるでしょ」

「火川さんどう思う?」

「薬の可能性は低いです。ただ、そうですね、何かで脅してベランダへ導き、突き落としたという可能性はありますね」

 立ち上がる古村に、火川が慌てて声を掛ける。

「あっ、えっと、どうなさいますか?」

 古村が横目で火川をみる。

「ちょっと調べてみようか」古村が目を細める。

 古村がキッチンへ足を運ぶ。

「これが煮込みハンバーグ?」

「そうです」後を付いてきた火川が答える。

「触っていい?」

「はい」

 古村が蓋を開けると、そこには大きな二つのハンバーグが、たっぷりのデミグラスソースに浸かっていた。

「大きいね、室前さんと食べるつもりだったのかな」

「かもしれませんね」

「冷凍用って可能性もあるんじゃないですか」離れた所で神畑が意見する。彼は、キッチンとリビングの境目に立っていた。すぐ横には、廊下へと通ずるドアがある。神畑はお漏らしの跡を踏まぬよう、気を使っているようだった。

「火川さん料理するの?」無視されることを悟った神畑が名指しで問い掛ける。

「たまにですけど」

 シンクに目線を落としていた古村が「卵の殻だね」とつぶやく。そして、三角コーナーのゴミ入れを指差す。

「そうですね」

「どうみてもひとつ分だよね」

 そう言われた火川が、ゴミを覗き込む。

「たしかに、ひとつですね」

「神畑君さ、ゴミ箱、見てくれる」

 古村がキッチンの奥にあるごみ箱を指さす。フットペダル付きのゴミ箱だった。

「なんで僕なんですか」

「いいから早くしなさいよ」

 そう強い口調でいわれた神畑は、ぶつぶつと文句をたれながらも、ゴミ箱を漁った。

「卵の殻、何個ある?」

「えっと」がさごそとやりながら神畑が答える。「三つ、ですね」

「ハンバーグふたつに卵四つは多い気がします」

「たくさん入れればいいってものじゃないからね」

「ハンバーグに使った卵の殻はゴミ箱に捨てたのに、これは、三角コーナーに捨てた、ということになりますね」

 話し合う古村と火川のもとに、神畑が殻をひとつ持って寄こす。

「これ洗ってあります」

 火川が三角コーナーの殻を拾い上げる。

「これは、洗ってませんね」

「別の人間ってこと?」神畑が誰とはなく問い掛ける。

「ハンバーグにのせる温泉玉子などを準備していたのかもしれません」

「でもさ、ひとつだけだよ」

「玉子が苦手な人物だったかもしれません」

「いやでもさ、ハンバーグに卵、入ってるじゃん」

 そんな神畑と火川のやり取りに耳を傾ける古村が、火川に尋ねる。

「ここはさ、男が飛び降りたときのままなの?」

「え、」

 話を遮られた火川が聞き返す。

「あ、はい、そうです……、いえ、すみません、ここに」――そう言いながらシンクの右横を指差す――「スマホが置いてありました。林田のものに間違いなさそうです」

 スマホが置かれていたのは、シンク横の狭いスペースである。

「キッチンにスマホ、ね。そのスマホは調べてる?」

「パスワードを解除しようとしています」

「あとさ」そう言って古村が人差し指を差す。その先には、テレビがあった。「あれ、手形がついてるよね」

「えっと、そう言われれば」

「ああゆうの許せるタイプ? きみ?」古村が火川に尋ねる。

「気になります」

「神畑君は?」と聞いてすぐに、「気にならないよね」と古村が答える。

「まだ何も言ってないじゃないですか」

「部屋全体は綺麗だけど、テレビの手形はそのまま」一呼吸おき、古村が続ける。「なんか、ちぐはぐな気がするね」

 神畑がキッチンを出てリビングへと戻る。

「失禁もそう。自殺した人間が、自分の行為におののいてお漏らししたなんて聞いたことがないし、綺麗好きの住人がテレビに手形を残しておくのもおかしい。料理の後に割られた卵も不可解だし、スマホはキッチンに置いてあった。そして、自殺を主張する愛人さんの存在」

 顎に手をやり、古村が黙る。

 しばらくの沈黙のあと、三人の刑事は室前の元へと向かった。

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死者のメッセージ 朝山力一 @mazenta

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