かつての失敗
一度目の受験に失敗し、私は神に見放された者だと知った。
だから二度目の受験に挑むにあたり、けして神頼みはすまいと決めた。守ってもくれない
しかし今年がラストチャンスとあっては、不安は日を追うごとにいや増すばかりで――年の瀬ともなれば、まんじりともせずに日々を過ごしたものだった。
そして、元日の朝。
心の弱い私は己の誓いなど
そんな若く愚かな私が賽銭箱の前に立ち、道すがらの自販機で作った五百円玉を取り出そうと、ジーンズのポケットに手を入れた瞬間――不意に携帯電話が着信を告げた。
その
「――もしもし」
「お正月だよ? まずは『あけましておめでとう』でしょ」
電話の向こうにいる良く知った声の女性は、呆れたようにそう告げた。
「受験生に盆も正月もあるかよ」
「去年で終わってれば、今年は盆も正月もあったのにねー」
「おいおい、なんだよ。正月早々、現役合格者の嫌味かよ?」
「応援してんのよ、これでも」
「――解ってるよ」
「それにアンタは、下手な励ましよりもこういうほうがやる気出るでしょ?」
「よくご存知で」
「当たり前じゃない、だって――」
それまで続いていた、小気味の良い会話がふいに途切れる。
その先の言葉を言いよどむ彼女に対し、私はこともなげに言った。
「――それで? 新年の挨拶とか、元カレの叱咤激励のために電話してきたわけじゃないんだろ?」
「ん、まあね――実は」
数秒前とはうって変わって、明るい調子で彼女は続けた。
「今度、新しく付き合う人ができてさ」
――雪国の元旦はとても寒い。
吐く息は嫌でも白く、周囲はまるで白猫の背中のように柔らかい雪に覆われている。放射冷却で発生した白い霧は、
田舎の小さな、とても小さなこの神社には、寒風をしのぐ樹木すらない。まして私は長居をする気もなかったので、手袋どころかろくな防寒をしてはいなかった。
そんな中で、いったい自分は何をしているのだろうか。
己の愚かしさに、思わず嘆息する。
よせばいいのに、ありもしない期待を抱いて電話に出た挙句――勝手に裏切られた気分になっているのだから。
そんな身勝手を神が見通して、罰を与えられている気分だった。
「その相手っていうのが――」
「例の大学の先輩ってんだろ? 今までさんざん、
いつからか、私は彼女のことを他人行儀に「君」と呼ぶようになっていた。理由は――恋仲である際には名前で呼んでいた彼女のことを、破局してからはなんと呼んだらいいのか
思い返せば、付き合い始めの時分。
それまでの友達同士の頃と同じ調子で、相手のことを変わらず名字で呼ぶ私に向かい、初めて口にした彼女のわがままが――
「好きな人には、名前で呼んで欲しいな――」
と、いうものだった。
――だがしかし。
今となっては、そのわがままはもう、私のものではない。
そしておそらくは、これから彼女が口にするのがきっと――私に対する最後のわがままなのだろう。
寒さ以外の要因で震えようとする身体を
「そうだね、ごめん――今まで、本当にありがとね。でも安心して、もう――」
「『電話もこれっきりにするから』ってか?」
一瞬の沈黙。
見えなくても判る。
きっと彼女は今、口元を抑えて目を見開いているはずだ。
それは驚いたときの、彼女の癖だった。
「――よくご存知で」
意趣返しのように、先ほど自分が発した言葉を返される。
「当たり前だろ。だって――」
そこから先の言葉を語ることは、今の私にとって――自死にも等しい行為だった。
しかし、ここで言いよどめば、その先はきっと彼女に言われてしまうだろう。
かつて彼女は私のことを誰よりもよく知り、そして私は誰よりも彼女を知る間柄だったのだから。
それを始めたのは、私からだった。
だから最後も、私から口にしてやろう。
彼女が最後のわがままを告げるなら、私も最後くらいは意地を張って見せるさ。
「――恋人だったんだから」
「――うん、そだね」
「なにをしおらしくしてんだか。らしくもない」
「なにそれ、人がせっかく――」
「君はもう、他人に余計な気を
「言われなくても、これから行くんだから」
「さいですか。ま、せいぜいお幸せにな」
「そっちこそ――今度こそ、ちゃんと受かりなさいよ」
「そう思うならいい加減、勉強させてくれよ。受験生に盆も正月も無いって言ったろ」
「そっちは初詣、行かないの?」
「行かないよ――」
ふいに、どうでもいい嘘が口をついて出る。
その瞬間、すべてが白に包まれた世界の中で――私だけが独り、真っ黒で汚らわしい存在に思えた。
「
見えないことをいいことに、嘘に強がりを重ね、もはや取り返しはつかない。
けれどもそれで痛む心など、とっくに凍り付いていた。
「それもそうだね。じゃあ――」
後の予定が気になるのだろう。
名残惜しさも感じさせずに彼女は言った。
「邪魔してごめんね。頑張って」
「ありがと。そっちもお幸せにな」
「うん。じゃあね」
「ああ――じゃあ」
いつものように「また」と言いかけて、私は口をつぐんだ。
それはもう二度とかなわないことなのだから。
震える指で通話を切り、そのままジーンズのポケットへ再び手をやる。
苦も無く見つかった大きな硬貨を握りしめながら、私は
願うべきことが、判らなくなっていたからだ。
――本当に願いたかったことはなんだろう?
大学合格?
彼女との再会?
それとも――彼女と先輩の破局か?
いずれも切実な願いではあるはずなのに、そのいずれもが身勝手で卑小な願いにしか思えなくなっていた。どれが叶っても、私はそれ以上に大切な何かを失う気がしてならなかったのだ。
だから私は、これ以上何も失うまいと――もっとも今の自分から縁遠いことを願うことにした。
ポケットから投げるようにして五百円玉を放り出し、
首が千切れるほど過剰に深く二礼をしてから、
不必要に大きな
最後は膝に額を付ける勢いで一礼をして、
手を合わせながら心の中でこう願ってやった。
神様、どうかお願いです。
大学へは自力で合格します。駄目でも後悔はしません。
加護や奇跡も望みません。自分のことは自力でやりとげます。
だからどうか、
それはすべて、彼女の幸せに与えてあげてください。
末永く、彼女が笑顔でいられますように――。
それが叶わなければ――その時は、私はあなたを恨みます。
どうか、見守っていてください。
心の底から、そう祈ってやった。
すべてを終えて、思わず口から出た大きな白いかたまりは――決して願い事などではなかった。
*
その後、月日は流れ。
私の元へふたつの知らせがほぼ同時に届いた。
ひとつは、志望校からの合格通知。
もうひとつは――友人伝いに聞いた、彼女の破局だった。
*
本当に彼女の幸せを願うなら、神に祈るのでも、見知らぬ先輩に任せるのでもなく――どれほどみっともなくて、微力であったとしても――己が彼女のために努力をするべきだったのだろう。
そうすることもせず、ただ神に祈るだけで何かを為した気になっていたのが、私の失敗である。
その後、私と彼女の連絡は途絶え、今に至る。
己の
賽銭を投げ、二礼二拍手一礼を行うが――心の中で呟くのは、いつも同じ言葉だ。
「どうか今年も、余計なことだけはしないでください」
初詣の正しい作法を知ったのは、それから十年以上も後のことである。
初詣の想い出 ~私の決意と願いの話~ ささたけ はじめ @sasatake-hajime
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